第3話 イケメン現る。その1

「ん~、良く寝た」


いつもより早く寝たからか、今日はその分早起きが出来た。

ベッドサイドを見ると、寝ていたタマが視線を感じたのかムクッと顔を上げた。


「美羽、まだ外は暗いぞ。もう少し寝てろ……」

「タマは寝てて良いよ、私は起きて朝御飯作るから」

「そうか……、じゃ頼む~」


タマは睡魔に勝てなかったらしく、また寝てしまった。

やっぱり黙っていると可愛いな……。

ぎゅっと抱っこしてモフモフとかしてみたいな。

そんな事をしたら、怒られそうだけど。

私はタマを起こさないようにベッドからゆっくりと降りると、顔を洗って朝食を作り始めた。



「タマ、朝御飯できたよ」

「……ん。今行く~」


タマはまだ寝ぼけているのか、ヨロヨロとベッドから降りて食卓までゆっくり歩いてきた。

朝だからかな……今までの威勢が全くない。


「タマ、大丈夫?具合でも悪い?」

「大丈夫。最近ちょっと無理してたから、今頃反動が来たみたいだ。飯食べて寝るから……」

「うん」


本当に大丈夫なのかな……。

無理したって、一体何をしていたんだろう?

ちょっと心配だし、今日は早めに仕事から戻ってこよう。

モソモソと食事をするタマを心配しつつ、私は会社へと向かったのでした。



「おはようございます」


「雪野、おはよう」

「斉木さん、おはようございます」


斉木さんは笑顔で挨拶してくれた。

恋愛中って知ったからか、幸せオーラまで見える気がした。


「雪野、朝礼が終わったら急ぎの発注を頼む」


出勤早々、長野主任が分厚いカタログを持って私のデスクまでやって来た。


「あ、はい。主任、何を注文するんですか?」

「この日付入りのゴム印で、名前は佐川遼太郎(さがわ りょうたろう)な。納期はどのくらいだ?」

「多分、1週間以内に納品されると思います。なるべく急ぐように頼んでみます」

「あぁ、頼む」

「はい」


急ぎってことは、この佐川って人が近々異動してくるのか。

どんな人だろう?

この話は一部の人しか知らないみたいで、どんな男性が入って来るのだろう……と周囲の女性達が情報を集め始めていた。



「おはようございます。SGTカンパニーの雪野です。いつもお世話になっております。社長、急ぎでお願いしたいゴム印があるのですが……」


今電話しているのは、いつもお願いしている市内の個人で営む文房具やさん『英文具店』。

大量に仕入れる文房具とかは、ネット注文で安く購入したりしているけれど、今回みたいな無理を聞いてくれるのは、やっぱりずっと取り引きしているお店。

ここは昔から夫婦でやっているお店で、もうかなりのご年配になっているから、体力的にきついみたい。

そろそろ引退かも……なんて発言をする時もあるし。


『それじゃ、詳細を書いてファックスで送ってもらえる?』

「はい、わかりました。すぐに送りますので、ご確認ください」

『確認したら、折り返し電話するよ』

「ありがとうございます。宜しくお願いします。失礼致します」



もし、ご夫婦が店を閉めてしまったら困る。

だけど年月は経っていくし、それは避けられない現実。

いずれその時が来てしまったら……寂しくなるな。


「雪野さんはべっぴんさんだから、彼氏いるだろ?」

「居ないですよ~。それに、私はべっぴんさんじゃないですって」

「そうかい?それじゃ、周囲の男は見る目が無いだけだよ」


なんて……納品に来る度に世間話したりして。

おやつも持ってきてくれる時もあったなぁ……。


「雪野さん、いくら仲が良くても値引きはしっかりしてもらいなさい!もっと価格交渉出来る筈でしょ」


見積書を課長に提出した時、酷く怒られたな。

常に二割引で売ってくれる条件なのに、更に値下げさせろって煩くて。

社内全体が経費を切り詰めろっていう空気だったから、私達の部署も率先してやろうって張り切ってやっていたんだよね……特に課長が。



そんな時も、こっちの苦しい状況を理解してくれて、いつもより少し頑張って価格を下げてくれた。

自分のお店だって繁盛しているとはいえない状況だったろうに……。


「雪野さんのせいじゃないよ。これ以上は無理だけど、少しだけ協力させてもらうから」


そんな事を言って、私の精神的苦痛を和らげてくれた。


「雪野さん、『英文具店』の社長からお電話です」

「ありがとう。もしもし、お電話代わりました雪野です」


このやり取りを、あと何回出来るだろうか。

そう考えたら、電話中なのに涙が出そうになっていた。

目の前に座っている相原さんは、それに気付かずに鏡で前髪をチェックしていた。

この時ばかりは、真面目に仕事をしてくれていなくて助かったって思ってしまった。



「主任、ゴム印は午前中までに発注すれば、4日後に納入可能だそうです」

「そうか、それじゃすぐに発注書を書いてくれ。上にと通すから」

「わかりました」


主任に発注内容の最終確認をした後、自分の席に戻り発注書を手に取った。


「雪野さん、その名前の人……いつ入るんですか?」

「相原さん……それ私に聞く?知る筈が無いでしょ。気になるなら、主任か課長に聞いてみれば良いよ」

「は~い」


人が急いでいる時に、何というタイミングで聞いてくるんだか。

本当に聞きに行きそうで恐ろしい。

何処までもマイペースすぎる子だな……。



「雪野、時間が大丈夫ならお昼一緒に食べない?」


「あ、はい。これ以外は急ぎじゃないので、お昼ご一緒します」

「斉木さん、私も一緒に良いですか?」


このタイミングで相原さんが戻ってきちゃったよ。

きっと二人きりで話したい事があるから誘われたのに、なんて断ろう……。


「……相原、今日の午前中迄に提出する書類はどうした?昼前までに終わるのか?」

「え……そうでしたっけ!?主任、すみません忘れていました……。今から急いでやります!」


長野主任、ナイスフォロー。

相原さんの仕事のスピードじゃ、やり始めたばかりだし昼休憩は後回しになるのは間違いない。


「相原、昼は私達だけで行くから。それ頑張って終わらせなさい」

「……はい。斉木さん、ありがとうございます。頑張ります」


ふぅ……良かった。

これで気兼ね無く休憩に行ける。

仲間に入れてくれなかったって陰口言われるのは、困るもんね。



「雪野、それじゃまた後で」

「はい」


さてと、私も早く急ぎの仕事を終わらせなくちゃ。

斉木さんからの用件は、きっと主任の事だろうし。

私は秘密を持ったみたいで楽しいけれど、本人達はバレないように行動するのって大変だろうな。

これぞ社内恋愛の醍醐味、っていわれたらそれまでだけどね。


「雪野、A4のコピー用紙何処だっけ?」


「梅野部長、そこの棚に入って無いですか?」

「……在庫管理票には、0ってなっているぞ」


……はぁ、またか。

いつもこうなんだよね。

チェックしない私も悪いけれど、使った人が残り少ないって教えてくれたって良いのに。


「部長待っていてください。探してきます」

「あぁ、頼むよ」


こういう時の為に、隠し在庫持っていて良かった。

こっそり倉庫にしまってあるんだよね。

戻ったら、コピー用紙の発注もしなくちゃ……。



「雪野、お疲れ様」

「斉木さん、お疲れ様です。遅くなってすみません」


コピー用紙持って事務所に戻ってきたら、他の用紙の在庫も僅かで、急いで発注書を作成して主任に提出していた為に、昼休憩に食い込んでしまっていた。


「大丈夫だよ。私も忙しくて今来たところだし。10分遅れて戻って良いって。その後に橋田さんと相原が休憩に入るって」

「良かったぁ……」


今日は午後に来客が無いから、休憩もしっかり取れるんだ。

これで来客があるってなったら、早めに戻って準備しなくちゃいけなくなるもんね。


「雪野、ランチ何にする?」


「斉木さんにお任せします」

「了解。それじゃ行こうか」

「はい」


今日は何処のお店に行くのかな?

斉木さんと二人きりのランチなんて久しぶりだから、楽しみだな。

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