闇の声

是又人生

第1話

「これは酷い」

川上は床に転がっている遺体から目を背けながら言った。


「これで今月に入って3件目だ。」

植田は川上の肩を叩きながら溜息をつくように言った。


それは猟奇的な殺人事件だった。


署轄で起こった殺人事件の現場に捜査一課の係長である植田は部下の川上と来ていた。


川上は吐き気を必死に抑えながら植田に言った。

「しかし、残酷な殺し方ですね。」

「どう考えてもこりゃ怨恨だ。」


植田もそれに同調した。

「頭をハンマーのような大きな鈍器で殴られたのだろう。」

「それも一発や二発じゃない。」

「執拗に何発も殴ったようだな。」


「ところで、被害者の身元は?」


「それが、どうも堅気ではないようですね。」

「この辺りではかなり有名な乱暴者だったようです。」


「そうなると、この男に恨みを持つ人間はひとりやふたりじゃないってことか。」


「そうなりますね。」


「これも難解な事件になりそうだな。」

「ただでさえ、前2件の手掛かりも掴めてない状況なのに。」



ひとまず署に戻った植田はコーヒーを飲みながら、これまで起こった3件の事件について共通点が無いかを考えていた。


東京都内で連続して起こっている猟奇的な殺人事件。

その手口から同一犯の可能性も疑っていた。


1件目の事件が発生したのは6月2日。

殺されたのは高橋和雄62歳男性。

町内の自治会長。


近所の噂では、傍若無人な独裁者のような人間で、かなり泣かされた人も多く、町内会費の着服疑惑や暴力沙汰も多くあったらしい。

自治会長になったのも、半ば強引だったようだ。

凶器は電動ノコギリ。

体中の至るところを切りつけられていた。


2件目の事件が発生したのは10日。

殺されたのは小島孝34歳男性。

住所不定、無職のいわゆるチンピラの類。


巷では相当に悪いことを繰り返していたようで、嫌な目に遭った人は少なくは無く、色々といちゃもんをつけては他人から金品を巻き上げていたらしい。

凶器は金属バット。

人相が変わるくらいに顔面を何度も殴られていた。


そして今日の事件。

殺されたのは近藤聡52歳男性。

その後の調べで元ヤクザと判明。


ヤクザから足を洗った後も、自分が少しでも気に入らないと思ったら、すぐに殴りかかるなど相当な乱暴をはたらいていたらしい。

どうも、近隣の飲食店からはショバ代をせびっていたようだ。

凶器はハンマー。

頭蓋骨が陥没するほどに強い力で殴られていた。


3件とも凶器は違っても、恨みから来ていると思われる執拗な手口の猟奇的な殺人事件だった。


しかし、これと言ってどの事件も容疑者はもとより手掛かりすら見つかっていない。

殺された人間が総じて、いわゆるろくでもないことから、まるで、困った人達が現代の必殺仕事人に頼んで行った仕業ではないかとも思うくらいだった。


また、3件ともに使用された凶器や被害者に負わせた傷跡から考えると相当な腕力の持ち主だとみられている。


署に居ても何も進展しない。


「川上、周辺の聞き込みに行くぞ。」


「了解です。」


「まずは、1件目の現場周辺からやり直すぞ。」

「あれだけ派手な事件だから、きっと目撃者がいるはずだ。」


二人は1件目の現場である中野区に向かった。


「被害者はかなり嫌われ者だったようですね。」

「前回、近所に聞き込みをした時も、みんなうわべは気の毒にと言っていても本心は当然だと言いたげな気配がひしひしと感じられましたから。」


「そうだな、殺されて当然と思っている人間は多そうだ。」

「これでは周辺に聞き込みを続けても手掛かりになりそうな話はなかなか引き出せそうにないな。」


「やれやれ、今回の事件は必殺仕事人の仕業ってことで終結にできないですかね?」


「こらこら、いくら嫌われ者が殺されたとしても殺人事件には変わりはないぞ。」


「すみません、言い過ぎました。」

「以後気をつけます。」


川上には注意したものの、植田自身もついさっき同じことを考えてしまっていた。


周辺住民から情報が得られそうにないとなると、あとは当日の通行人ぐらいしかない。


植田と川上は事件当日の同じ時間帯を中心に辺りの通行人に聞き込みを行ったが、それでも手掛かりは何一つ得られないでいた。


「参りましたね。」

「全くと言っていいほど目撃情報が無い。」


「通勤にこの辺りを通っているだけのサラリーマンであれば被害者への嫌悪感も無いだろうから、情報が出てこないのは本当に目撃されていないということか。」


少し離れたところを散歩している老人を見つけて聞いてみた。


「毎日この辺りを散歩されているのですか?」


「そうですが。」


「散歩されるのは何時頃ですか。」


「時間は決まっていないですね。」


「実は、今月の2日に発生した殺人事件について捜査しています。」


川上は警察手帳を示しながら、老人に聞いてみた。


「事件当日、あるいはそれ以前でもいいので、この辺りで不審な男を見掛けませんでしたか?」


「不審な男?」


「どんな感じの男ですか?」


「いや、そこまではまだ判っていません。」


「だいたいこの辺りを通るのは毎日通勤しているサラリーマンだから見覚えある人ばかりですよ。」


「そうですか、ご協力ありがとうございました。」

「また何か思い出したことがあったら署まで連絡頂ければ助かります。」


老人は散歩の続きに戻って行った。


「散歩時間が決まって無いとなると難しいな。」


「仕方ない、次の現場に行くぞ。」


「2件目の大田区ですね。」


夕方、二人は2件目の事件現場に到着した。

周辺への聞き込みを行ったが、やはりこれと言った収穫は無かった。


植田と川上は足を伸ばして現場から少し離れたパン屋に聞き込みに入った。


店主の女性が対応してくれた。


「最近、変わったお客さんが来たようなことはありませんか?」


「うちは常連さんが多いですからねぇ。」


すると、その場にいた買い物客の一人が興味深げに話に割り込んできた。


「なになに、この前の事件の聞き込み?」


「恐いよね、殺人事件なんて。」

「早く犯人逮捕されないとおちおち外も歩けないわ。」

「心配になって、食事も喉を通らないわよ。」


この女性に限ってそんなことは無いはずだ。

今だって、トレイにははみ出しそうなほどパンが載っている。


「刑事さん達、しっかりしてよね。」


「そう言えば、殺人犯も逮捕してほしいけど、それ以外にも取り締まってほしいことがあるわよ。」


「どういったことですか?」


「この前、自転車に乗って通りを走っている時に、人とぶつかりそうになったのよ。」

「私が車を避けて歩道に寄ろうとしたら、前に人がいたからベルを鳴らしたのに全く無視。」

「私が急ブレーキ掛けたからぶつからずに済んだけど、その人は“すみません”の言葉ひとつも言わないのよ。」

「その後、頭は下げていたけど、被っていた帽子も取らないし。」

「礼儀知らずの女よ。」

「この私のことも知らないなんて、モグリね、あれは。」

「ああいうのも取り締まってほしいわ。」


そりゃ、この女性に怒鳴られたら、蛇に睨まれた蛙状態で大概の人が何も言えなくなるだろう。


一気に捲し立てられて川上もタジタジである。


「奥さんは、この辺りでは“顔”なのですね。」


「“顔”って、なんか私が牛耳っているみたいな言い方ね。」


「あ、いや、すみません。」

「そういう意味では。」


川上が逃げ腰になりながらも続けた。


「であれば、この辺りで不審な男がいたら一発で気付きますよね。」


「そうね、判るわよ。」

「なに、写真とかあるの?」

「見せてよ。」

「案外、イケメンだったりして。」


「いいえ、熊みたいな男ですよ。」


「こら、川上、先入観を与えてどうする。」


「すみません。」

「今はまだ犯人に繋がる手掛かりが無い状態で。」


「なんだ、つまらない。」

「でも、不審な男なんて見ないわね。」


「そうですか、ありがとうございました。」



次の日、二人は3件目の現場にいた。


「今日も厳しそうですね。」

「ほとんど人が歩いていない。」


3件目は江戸川区。


事件現場は普段人通りの少ない路地を入ったところだった。


「これでは聞き込みもできないですよ。」


「あっ、あそこ見て下さいよ。」


川上が指差す方に目をやるとかなり前方にひとりの女性が横断歩道を横切っているのが見えた。


「追い掛けて聞いてみます?」


「この辺りに住んでいるのかもしれないから、聞き込みしてみる価値はありそうだな。」


植田と川上は小走りに女性の後を追った。


「あの、すみません。」

「お聞きしたいことがあるのですが。」


「少しいいですか。」

「すみません。」


後ろから近寄りながら何度も声を掛けてみたが女性は一向に振り返らない。

大きなツバの帽子を被っていて後ろからはその表情も見えなかった。


ようやく追いついて肩を軽く叩くと女性は気がついたが、かなり驚いたようだった。


「驚かせてすみません。」

「少しお話を聞きたいのですが。」

「先日この先の空き地で発生した事件のことで。」


明らかに様子がおかしい。


おどおどしているだけではなく、こちらの問い掛けに反応を示していない。


川上が質問を続けようとしたが、植田はそれを止めた。


「やめろ、この人は耳が不自由なようだ。」


「すみません。」

植田は頭を下げた。


我々が謝っていることは理解してくれたようで、ようやく落ち着いた表情になった。


「川上、紙とペン持っているよな。」


「はい、ありますが。」


「筆談だ。」


「なるほど。」


川上はポケットからメモ帳と鉛筆を取り出し、それに質問を書いた。


簡潔に、事件を目撃していないか、最近この辺りで何か気になったことはないかなどの筆談を行ったが、女性はこの辺りに住んでいないとのことで、何も知らないようだった。


「ありがとうございました。」

ゆっくりとした口調で話したことで、理解してもらえたようだ。


「しかし、情報が少な過ぎる。」


「こりゃ思っている以上に厄介ですね。」


植田もさすがに疲れが隠せず、大きな溜息をついた。

ただ、植田には少し気に掛ることがあったが、今は深く考えないことにした。



署に一旦戻った植田は3件の事件を整理してみた。


殺された被害者同士の面識はなさそうだ。

共通点と言えば、三人とも周囲からあまり良く思われていない人物。

一人目の被害者を除けば裏世界の人間の仕業とも考えられなくもないが、それならもっと情報があってもおかしくない。


「3件目の事件発生からもう3週間だ。」


植田は渋い顔でカップの底に少しだけ残ったコーヒーを飲み干した。


「係長、事件の現場写真が出来上がりました。」

監識の沢村が複数の写真を持って植田のところへやって来た。


植田が写真を見ていると、川上も横から覗き込んできた。


「しかし、これだけの殺人事件が立て続けに起こっていると野次馬の数も多くて困りますねぇ。」

「写真にも野次馬が一杯写っていて気が散っちゃいますよ。」


確かに多くの野次馬が写っている。

仕事中に現場を通りがかったサラリーマン、興味津津の顔で写っている帰宅途中の男子学生、買い物途中らしき主婦、近所を散歩でもしていたかのような老人。

様々な人間が写っている。

どの事件現場も同じような感じだ。


あまり手掛かりになりそうなものが無さそうなので写真を沢村に返そうとした植田の手が止まった。


「んっ、川上、この3枚の写真を良く見てみろ。」


「なんですか、何か気になるものが写っていますか?」


「2日の写真の右端と10日の写真の左上、そして13日の写真の中央。」


「えーっと。」

「んっ、どれにも大きな帽子を被った女性が見切れて写っていますね。」

「顔は隠れているし服装や帽子の色や形も違うけどなんか似たような女性ですね。」

「でも、同じような背格好の女性はどこの町にも一杯いますからね。」

「この時期、帽子を被っているのも珍しくないですし。」


「そんなことより、植田さん、これ見て下さいよ。」


川上は手に持ったノートパソコンの画面を指差した。


「これ悪質なサイトですよ。」

「最近は、こういうネットでの誹謗中傷が事件に繋がることも多いですからね。」


「なんだ、急に。」


「いや、この前、必殺仕事人の仕業なんて冗談を言っちゃいましたが、あまりにも事件の手掛かりがないから何気に検索してみたんですよ。」


「何を。」


「“必殺仕事人”ですよ。」


今では、藁にも縋りたいその気持ちは植田にも判る気がした。


「そしたら、あの有名なTV番組関連のサイト情報に紛れて、こんなサイトがありました。」


「“仕事引き受けます(平成必殺仕事人)”。」


「なんだ、それは。」


「サイト画面の中央には大きな字で“あなたに代わって悪者に罰を与えます”と書いています。」


「まあ、このサイトで自分の気に入らない人間の悪口を書きあってストレス発散でもしているだけだと思いますが。」

「さすがに殺して欲しいなんて物騒な言葉は書かれて無いようですから取り締まることもできないですね。」


「悪口を書いているだけでも十分に恐い世界だ。」


ふと、植田はそのサイトの右上にある“Order”というボタンが気になった。


「このボタンは何だ?」


「この“Order”ってボタンですか?」


「そうだ。」


「これはきっと、よくあるやつで、サイトに来た人間を誘導してついでに何か買わせようとするものじゃないですかね?」


「押してみろ。」


「嫌ですよ。」

「刑事がこんなものに騙されて高額な買い物させられたなんてなったら恥ずかしい。」


「お前の情報は何も打ち込んでいないだろ?」


「そうですが。」


「なら、大丈夫だ。」


「はいはい、判りましたよ。」


川上は恐る恐るその“Order”ボタンを押してみた。


すると、画面が変わってリストが表示された。


「んっ、これはなんだ?」

「売れ筋ランキングか何かですかね?」


確かに何かのリストのようなものが書かれていた。


リストの一番上から見てみると、


“1:TK”

“2:KT”

“3:KS”

“4:ST”


「商品記号とかですかね?」


植田にも全く見当がつかなかった。



それから5日後、江東区で4件目の殺人事件が発生した。


川上と現場に到着した植田は遺体を一瞥してから先に検証作業を行っていた沢村に訊ねた。


「今度の被害者は若そうだな。」


「身元は?」


「はい、江東区在住の佐伯徹28歳男性です。」


「凶器は?」


「出刃包丁で刺されています。」

「何箇所もめった刺しです。」


「かなり強い力で刺したようです。」

「折れた刃が現場に落ちていましたから。」


「まさかと思うけど暴走族とかじゃないだろうな?」


「えっ。」


「そうなのか?」


「はい、被害者は元暴走族のリーダー、暴走族を抜けてからもかなりの迷惑行為を繰り返していたようです。」


「でも、何故、それを。」


「これまでの事件の流れからすると被害者は世間的に評判の良くない人間の可能性が高い。」

「だから、年齢的にそうじゃないかと思っただけだ。」


川上が植田のもとに戻って来た。


「集まっていた野次馬に聞いてみましたが、やはり今回も目撃者はいませんね。」

「誰かひとりくらい現場を立ち去る男を見たという情報を持っているのではと期待しましたが、駄目でした。」


現場は繁華街から外れた場所だったが、見渡すと離れたところに中華料理屋が一軒あった。


「あそこで聞いてみよう。」


植田と川上は店の中に入っていった。


「すみません。」


店の主人と思われる男が厨房から顔を出した。


「いらっしゃいませ。」


「すみません、客じゃないのですが。」


「実は今朝、発生した事件についてお聞きしたくて。」


「はあ。」


主人は近くで起きた事件にも興味がなさそうで、関わりたくないのか面倒臭そうにしていたが、植田は続けた。


「ちょうどこの店の窓から事件現場が少しだけ見えますが、何か変わった様子はありませんでしたか?」

「朝の6時頃のことですが。」


「その時間なら丁度仕込みをしていました。」


「変わったことねぇ。」


「どんなことでもいいのですが。」


まずは被害者について説明した。

「服装は革ジャンにジーンズ。」

「髪は茶髪。」

「見ていませんかね?」


「そんな感じの人ならその窓からちらっと見掛けましたよ。」


「本当ですか?」


「窓越しだったし、遠かったからあまり自信は無いけどね。」


次は川上が続けた。

「なら、その男性以外に別の男が一緒に居たのを見たとかは?」


「いや、それは見ていませんね。」


「私は見ていませんけど、それならその男性の彼女にでも聞いた方が早くないですか。」


「彼女?」


「ええ、彼女かどうかは判りませんがその男性の後ろには女性がいたように見えましたよ。」


「ただ、さっきも言いましたが、仕込み中だったのでちらっと見ただけですから自信はありません。」



植田は自分のデスクで川上の調査結果を待っていた。


「植田さん、調べてみましたが、被害者に彼女はいなかったようです。」

「これと言って親しい女性もいなかったようですし。」


「店の主人が見間違えたのではないですかねぇ?」

「けっこう離れた場所でしたから。」


「確かに見間違いもあり得るかもしれないが、一連の事件で初めての目撃情報だからな。」


「でも、これだけでは捜査は続きませんね。」


植田も少しも進んだとは思っていなかった。


今回で4件目、これで終わるとも思え無かった。


植田は淹れたてのコーヒーを愛用のコップに注ぎながらもう一度1件目の事件から思い出してみようとした。


何気なく愛用のコップに目をやると、そこには“珈琲”“Coffee”“珈琲”“Coffee”と文字が連続で書かれていた。


今まで、気にもしていなかった。


それをぼんやりと見つめながら考えた。


1件目の被害者は“高橋和雄”、2件目の被害者は“小島孝”、3件目の被害者は“近藤聡”、そして4件目の被害者は“佐伯徹”


植田は頭の中で何気なく変換してみた。


“高橋和雄” “Takahashi Kazuo”

“小島孝” “Kojima Takashi”

“近藤聡” “Kondo Satoshi”

“佐伯徹” “Saeki Toru”


“Takahashi Kazuo” “T.K”

“Kojima Takashi” “K.T”

“Kondo Satoshi” “K.S”

“Saeki Toru” “S.T”


「川上!」


植田は署内に響き渡るような大声で川上を呼んだ。


「なんですか?」


「そんなに大きな声で呼ばなくても近くにいますよ。」


「おい、この前、お前が検索していたサイトはどこだ!」


「あ、あれですか、少し待って下さいよ。」


川上が検索キーを叩くと同時に植田はノートパソコンを奪い取った。


サイトが表示された瞬間、右上の“Order”ボタンを何度もクリックした。


「何度もクリックしなくても大丈夫ですよ。」


植田は川上の言葉を無視して、食い入るように表示されたリストを見ていた。


「これだ。」


「どうしました?」


「これは殺人リストかもしれない。」


「なんですって?」


「このリストは殺される人間を表示している。」


「1番のTKはTakahashi Kazuo、2番のKTはKojima Takashi、3番のKSはKondo Satoshi、そして4番のSTはSaeki Toru。」


「なるほど!」

「これは商品記号とかではなくてイニシャルだったのか。」


「そうすると、次に殺されるのは5番のOY。」


「でも、これだけでは誰のことかまでは特定できませんよ。」


川上の言う通り、イニシャルだけではどこの誰かまでは判らない。


「このサイトの運営者は判らないのか?」


「はい、この前、取り締まれないながらもとりあえず運営者確認を試みましたが駄目でした。」

「こういうサイトは巧妙にできていますからね。」

「海外のサーバーをいくつも経由することで簡単には足がつかないようになっています。」


「必要であればサイバーテロ捜査科に依頼はしてみますが、かなり時間が掛ると思います。」


「その間に次の殺しが行われるかもしれない。」

「どうにかしてイニシャルをフルネームに変換できないのか?」


「どこかにイニシャル表示のためのデータベースがあるはずだ。」


「くそっ、サイト運営者が判るまでは事件が起こらないことを願うしかないのか。」


それから1週間、次の事件は起こっていなかったが、サイト運営者の捜査結果もあと1週間は掛るということだ。


「不味い。」

「いつ起こってもおかしくない。」


「係長!」


なにやら興奮しているようで沢村が顔を真っ赤にしながらノートパソコンを持参して植田の席まで走ってやって来た。


「どうした?」


「これ見て下さい!」


沢村のノートパソコンの画面には例のサイトが映し出されていた。

続けて沢村は右端の“Order”ボタンをクリック。

あの見慣れたリストが表示された。


「係長、よく見ていて下さい。」

そう言って、沢村はリストの最上部に表示されたTKの文字の上にカーソルを合わせて“X”キーを叩いた。


「おおっこれは!」


さっきまで“TK”とだけ表示されていた文字が”Takahashi Kazuo”と変換されたのだ。


「どういうことだ?」


「川上さんからこのことを聞いて色々とからくりを考えてみたのですよ。」


「私が注目したのは“あなたに代わって悪者に罰を与えます”というキーワードです。」

「“悪者に罰を与えます”」

「“罰を与えます“」

「“罰”」

「この“罰”という言葉を別の表現にできないか。」

「漢字の“罰”をカタカナに置き換えて。」

「“悪者にバツを与えます”」

「更に、カタカナの“バツ”を記号に置き換えて。」

「“悪者に×を与えます”」

「それを更にパソコンのキーボードに置き換えると。」

「“X”キー」

「このリストのイニシャルが悪者を示しているとすると、これに“X”を与える。」


「自分でも驚きましたが、その結果がこれです。」


「まだ良くわからんが、とにかくありがとう。」


「となると、5番“OY”は誰だ。」


“OY”の上にカーソルを置いて”X“キーを叩いた。


するとそこには、“Okada Yukio”という名前が表示された。


「すぐに、都内の“Okada Yukio”という人物の所在を調べろ!」


署内全員で片端から電話帳や役場の台帳を調べた。


“Okada Yukio”に合致する人物は都内に6名いた。


「手分けして周辺警備だ!」


植田と川上は6名の“Okada Yukio”の内、豊島区に住む男性のもとへ急いだ。


理由は簡単である。

この豊島区の“Okada Yukio”は現役のヤクザだったからだ。

犯罪まがいのことは数知れず、最近では麻薬の密売にも深く関与しているという噂も聞く。

残念ながら、尻尾は掴めていないため本人を逮捕出来るような状態ではなかったが。


おそらく、悪者とされる“Okada Yukio”はこの岡田由紀夫で間違いないだろうと思った。


岡田由紀夫は自宅マンションに居るようだった。

部屋は4Fの右角。


ただ、直接話をしても刑事の話など信じないだろうということで、少し離れたところから張り込むことにした。


「犯人は来ますかね?」


「きっと来るはずだ。」


「でも、今度のターゲットは前の4件とは違い過ぎますよ。」

「なんてったって、現役のヤクザ、それも組長ですから。」

「常に命の危険がある奴らですから日頃から警戒もしているはず。」

「取り巻きも多く、そう簡単には襲えないでしょう。」


「失敗してでも実行するはずだ。」

「これまでの事件を見ていると犯人からは相当な執着心を感じる。」


「しかし、ヤクザの命を刑事が守るというのもどうなのでしょうか。」


「仕方ない、目の前で殺人事件が起きるかもしれないのだから。」


「犯人はきっと、悪者は殺されて当然だと思っているだろう。」

「だから、逆に恐い。」

「どんなことをしてでも悪者に罰を与えることは正義だと思い込んでいる。」

「絶対に来る。」



張り込みを始めてから三日目の夜だった。


「今晩はどうですかね?」


「おや、外出ですかね?」


岡田由紀夫が取り巻きの組員を数人連れてマンションのエントランスから出てきた。


「んっ、誰か来る。」


岡田由紀夫の行動に合わせたかのように、街灯が無い細い路地から人影がこちらに近づいて来た。


二人は身構えたが、その人影が大通りに出てくるなり街灯に映し出された姿を見て力を抜いた。


ニットキャップのようなものを被っていていたので判り難くかったが、それは女性のようだった。


「なんだ、女性か。」


「でも、危ないですね。」

「こんな夜中に、ひとりでヤクザの前を通るのは。」

「何も無ければいいですが。」


案の定、その女性はヤクザ達に取り囲まれてしまった。


「どうします。」

「刑事が見て見ぬふりは不味いですね。」


「刑事とバレないように止めに入るしかないな。」


「判りました。」


川上は着ていたパーカーのフードを深く被り、マスクでできるだけ顔を隠して近寄っていった。


少し離れた場所まで近づき、街路樹の陰から川上は大きな声を上げた。


「やめてやれよ!」


ヤクザ達は一斉に声のする方を見た。

その瞬間、女性は踵を返し路地の方へと逃げ込んだ。


「なんだ、お前!」


今度は、途端に川上が危険な状態に。


「やばい。」


川上は全速力でその場から逃げた。


しばらくして、川上が息を切らせながら植田のところへ戻って来た。


「いやぁ、危なかった。」

「あいつらマジで追い掛けてきやがった。」


「なんとかバレはしなかったようだな。」


「ところで女性の顔は見たか?」


「いいえ、少し離れていましたし、すぐに逃げ出したようで。」


「そうか。」


「どうかしましたか?」


「いや。」


植田は何か引っ掛かるものがあったが、自分でもはっきりしなかった。



その後2日間の張り込みを続けたが、これといって何も事件は起こらなかった。


「植田さん、今日はどうします?」

「明日にはサイバーテロ捜査科の捜査結果が出てきますから、それを待ちますか?」


植田にも何も起こらないのではないかという気持ちがいつしか芽生え始めていた。


「そうだな。」

「もしかしたら、俺たちは何か解読ミスを起こしているのかもしれない。」


「もう一度、あのサイトを見せてくれないか。」


川上のノートパソコンに映し出されたあの画面は何も変わっていなかった。


“Order”ボタンをクリックしてみたが、やはり特に変わりはないようだ。


「おや、この5番の“OY”って赤文字だったか?」


「いいえ、黒かったです。」


「それに前は気にならなかったが、このイニシャルの横に書かれている数字は何だ?」


「なんだか月日みたいですね。」


「んっ、そうだとすると、今日じゃないか。」


「もしかしたら。」


「川上、急ぐぞ。」


「どこですか?」


「岡田由紀夫のところだ。」


植田には確信に近いものがあった。


あの数字が殺人のリミットを表しているのだと。



署を出て30分ほどで岡田由紀夫のマンションまで辿り着いた。


「まずは所在を確認だ。」


植田と川上はマンションの4Fへ急いだ。


部屋の前まで着くと、川上はドアに耳を当てて中の物音を確認した。

僅かだが、TVの音声と会話らしきものが漏れ聞こえた。


「居ますね。」


「よし、ひとまずは例の場所で張り込みだ。」


二人がエレベータの前まで戻るとエレベータが上がって来るのが見えた。

エレベータは4Fまで来ると止まった。


エレベータの扉が開くと同時に誰かが凄い勢いで飛び出してきた。


ぶつかりそうになった川上は一歩横へ身をひるがえした。


「危ないなぁ。」


植田は川上の横を走り抜けた人物を目で追った。


その後ろ姿を見てすべて繋がった。


「まてっ!」


「川上、そいつを捕まえろ!」


植田と川上は岡田由紀夫の部屋の前でその女を取り押さえた。


床に女の被っていた帽子と拳銃が転がった。


外の騒動に気がついて中から出てきた岡田由紀夫と組員達は刑事に抑え込まれている見知らぬ女と転がっている拳銃を見て皆驚いた顔をしていた。



事件の被害者として岡田由紀夫は聴取さることになり、それがきっかけで奴は逮捕された。



東京都連続殺人事件の犯人は吉本留美31歳女性。


これまでの4件の被害者とは面識は無かった。



「取り調べ終わりましたか?」


「ああ、吉本はやはり耳が不自由なようで筆談での取り調べだったが、素直に応じたよ。」

「吉本の自宅のパソコンからサイト運営の証拠も発見された。」


「しかし、何故、吉本は面識も無い人間を4人も殺したのですか?」


「吉本の耳が不自由になった原因は3年前の火事だ。」

「その火事で家族を亡くした。」

「吉本自身はなんとか一命を取り留めたが、耳に障害が残ってしまったようだ。」


「不幸は続いた。」

「耳が不自由なことをいいことにある男に騙され、親の遺産をすべて巻き上げられてしまった。」

「それからだよ、人生と性格が変わってしまったのは。」


「人間不信になってしまった吉本は外の世界を遮断するようになった。」

「そんな吉本にとって唯一の楽しみはネットだった。」

「ネットの中では耳が不自由なことなど関係無いからな。」


「ネットで知り合った仲間は人に騙され傷ついた吉本に優しい言葉を掛けてくれた。」


「救われたのだろう。」


「毎日、ネット上で悩みを相談したり、されたりしているうちに思ったらしい。」


「世の中には自分のように悪い奴に騙されたり泣かされたりしている人間が多くいる。」

「でもそんな悪い奴らは平然としている。」

「悪い奴は殺されてもいいのだ。」

「いや、殺さないと駄目なのだ。」

「そして、それはいつか自分を騙した奴への復讐にも繋がるとも信じた。」


「それでも最初はさすがに殺しまではできなかった。」


「あのサイトを立ち上げた時は同じ境遇の者たちがネット上で悪い奴を架空で殺すことでストレス発散ができていた。」

「しかし、実際には悪い奴は生きていて、また周りの人間を苦しめ、そいつらは笑って暮している。」

「このギャップに耐えられなくなったのだろう。」


「そして、本当に悪い奴を殺さないと自分達は幸せになれないと思い込み始めた。」

「吉本は耳の不自由な自分が一番辛かった時に救ってくれた人達を幸せにしたいとも考え始めた。」

「自分がやるしかないと。」


「でも、女の力であんな殺人はできないのでは?」

「凶器はどうやって?」


「闇サイトだよ。」


「闇サイト?」


「そうだ、ネットには凶器の入手方法は当然だが、非力な人間でも猟奇的な殺しをするための方法までも紹介している闇サイトがたくさん存在する。」

「それらは、とても巧妙で完全に取り締まることは難しい。」


「吉本のサイトにリンクされていたサイトはなんとか削除処理ができたが。」


「あと、吉本のサイトには一般人には入れないサブサイトが隠されていて、そこでは実行された殺人に関しての称賛や感謝の言葉が溢れているらしい。」


「それを読んだ吉本は、自分は人の役に立っている、求められていると、どんどん思い込みを深くして、これは紛れもない正義だと思った。」


「事件の後、わざわざ現場に居たのも集まって来る野次馬の中にネットで知り合った仲間達がいるのではないかと思っていたかららしい。」


「共感したかったのだろう。」


「たとえ、闇の声でもいいから。」


「時に思い込みは人を完全に狂わせてしまう。」


「吉本はどうなるでしょうかね?」


「被害者の悪状、吉本の境遇、事件の背景、情状酌量の余地はあるだろう。」


「なんか可哀想ですね。」


「そうだな、加害者と被害者が逆なんじゃないか、もしかしたら吉本は本当に正義の味方だったのかもしれないな。」


「あれ、植田“刑事”らしからぬ発言ですねぇ。」


「ゴホッ、茶化すなよ。」


「そうだ、思い込みと言えば、川上、お前は今回の事件の聞き込みでずっと不審な“男”を見なかったかと聞いていただろう。」


「あれは完全な思い込みだぞ。」


「やべっ。」

「おーい佐藤君、植田“様”にコーヒーをお注ぎして。」

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