第2話大坂城にて
北条家討伐――小田原征伐と評されることとなる大戦を前に、大坂城に赴く必要があった。
どれだけの兵を出すのか、兵糧は誰が管理するのか、武具馬具の運搬はどうするのか。それらの綿密な打ち合わせ――軍議をする必要があったからだ。
豊臣家傘下の大名たちが一同に介する場なので、一応心して臨まなければならない。
俺は雪隆と弥助を伴って、大坂城に向かった。
丹波国と大坂城のある摂津国はそう遠くない。
だから軍議が行なわれる前に余裕を持って大坂城に到着できた。
俺は大坂城の城下町にある雨竜家の屋敷――秀吉公から賜った屋敷だ――に泊まり、それから、大坂城近くにある父さまの墓参りをした。寺の住職は公方さまも時々いらしておりますと話していた。
父さまの墓は遺言どおり三つある。
一つは大坂城の近く、一つは丹波国、そしてもう一つは京だ。
墓参りしやすいようにと父さまの配慮がなされている。
寺の住職に日頃の世話のお礼を言う。もちろん謝礼も弾んだ。
墓の前で俺と雪隆、弥助が手を合わせて祈る。
どうか、武運を授けてください――
「なんだ。お前もここに居たのか」
その声に振り返ると、かつて子飼いとして父さまに教育されていた加藤清正殿が、水桶を持って立っていた。
伴の者が彼の周りに居るが、全員屈強な男たちだった。
俺は姿勢を正して、頭を下げた。雪隆と弥助も同様だ。
「加藤殿。これは奇遇ですね」
「そうだな。ま、俺は墓参りというより、戦勝祈願だけどな」
「加藤殿も、小田原征伐に参加するのですか?」
「当たり前だ……と言いたいところだが、いろいろ経緯があってな。本来は兵だけ出兵する予定だったのだが、きな臭い噂を聞いたんだ」
きな臭い噂か。それはいったいなんだろうか?」
「お聞かせいただけますか?」
「決まったことではないので言えぬ。醜聞は口に出したくないし、信じたくはなかった」
「信じたくなかったということは、信じているということですね」
俺の返しに加藤殿は顔を曇らせた。
「そのとおりだ。だがな、俺の立場からでは詳しい話は言えない」
「そうですか……」
「一つ、お前に訊ねたいことがある」
加藤殿は側近たちに「席を外してくれ」と命じた。
俺も雪隆と弥助に目配せした。
二人は黙って指示に従った。
二人きりになった俺と加藤殿。
しばしの沈黙が続いた後、口を開いたのは加藤殿だった。
「お前は、雲之介さんのこと、好きだったのか?」
「……それが聞きたいことですか?」
「ああ。俺にとっては大事なことだ」
俺は少し考えてから「好きですよ」と答えた。
「父さまはお優しい人でしたから。この俺にも当然優しかったです」
「ではどうして超えようと思っているんだ?」
「質問は一つだけ、ではなかったんですか?」
加藤殿は軽く笑って「そういう言い回し、雲之介さんみたいだな」と言う。
「やっぱり親子だな」
「父さまの血が入っていますから。似るのは当然ですよ」
「でも、お前は雲之介さんにはなれないよ」
加藤殿のはっきりとした断言に何も言えなくなる。
続けて加藤殿は「だって、親子でも全然違うじゃねえか」と肩を竦めた。
「雲之介さんみたいになろうと思ったら、かなり苦しむぜ」
「それは重々承知していますよ。別になろうとは思っていません」
「でも、超えようとしている」
「さっきから、何が言いたいんですか?」
多少苛立ってしまった口調になったのは否めない。
何が言いたいのか、雲を掴むような会話だったからだ。
「よく分かんねえよ俺だって。多分、雲之介さんに恩義があるから、お前に構ってしまうんだろうな」
加藤殿も自分の気持ちがよく分からないみたいだった。
だからどうしても曖昧な言い方になってしまったんだろう。
「まあ俺のほうが年長だからな。なんかあったら頼れ」
それだけ一方的に言って、加藤殿は去っていった。
後に残された俺は、改めて父さまの墓に向き合った。
「父さま。あなたは――」
その後の言葉は続かなかった。
大坂城に登城すると、城の廊下で久方ぶりとなる面々と出会った。
石田殿と大谷殿だった。
大谷殿は病に冒されたと聞いていたが、小康状態になった様子だった。
「雨竜殿。雲之介さんの葬式に行かれず、申し訳なかった」
顔に包帯を巻いている大谷殿はそう言って頭を下げた。
俺は「気になさらないでください」と返した。
「大谷殿が父さまの墓参りしたのは知っておりますから」
「それが、私のけじめだと思ったからな」
「あはは。大げさですよ」
大谷殿の隣に居た石田殿は「真面目なところは美徳だと思うがな」と親友に苦言を呈した。
「真面目すぎるのは良くないぞ」
「それはお前にも言えるのではないか? 三成」
「むう。自覚はしている。だからお前に忠告したんだ」
「それはありがとうな」
二人は子飼いの中でも特に仲がいい。
しばらく話していると後ろから「おーい! 雨竜殿!」と大声がした。
「なんだ。福島殿か」
「なんだとはなんだ! 雲之介さんの葬儀以来ではないか!」
福島殿は俺の肩を組んで「今回の戦、物凄い規模になるらしいぞ」と笑った。
「そりゃあ、相手は関八州を牛耳る北条家ですから」
「前代未聞の大戦になることは確実だな!」
がっはっはと笑う福島殿に「戦が終わった後が大変だ」と石田殿がぼやく。
「関東を誰が治めるのか。それが重要だ」
「そんなこと、終わった後に考えればいい!」
「そう単純なことではない!」
石田殿と福島殿が話し合う姿は、年下の俺が言うのもなんだが、見ていて微笑ましかった。
「そういえば、昭政は?」
「ああ。昭政殿は先に大広間に居るはずです」
大谷殿の問いに答えると「こたびの戦、どのくらいの兵力で臨むと思われる?」とさらに問われた。
「おそらく十万ほどではないでしょうか? 北条家は八万の軍勢ですし、兵糧のことも考えるとそのくらいだと思われます」
「そうか。私もそう思う」
納得した大谷殿は、それから喧々諤々となった話し合いを止めようとする。
それが終わったら皆で大広間に行くか――
「二十万の軍勢で臨む」
大坂城の大広間。
そう宣言したのは、征夷大将軍であり太政大臣でも在らされる、豊臣秀吉公である。
どよめく諸侯の中、秀吉公は続けた。
「御門からの勅書も頂いた。大義名分はこちらにある。北条家を討伐し、そのままの勢いでみちのくも制覇すれば、太平の世となる」
静かだが威厳の篭もった声。
諸侯の声は、まったく聞こえなくなった。
「それでは各軍の軍役を述べる。第一軍は徳川信康が――」
秀吉公が説明する中、俺の名前が呼ばれたのは第六軍だった。
「雨竜丹波守秀晴には第六軍を任せる。良いな?」
「かしこまりました。慎んでお受けいたします」
東海道から攻め上る本軍の第六軍を任されるとは。
覚悟して臨まなければならない。
その後、雨竜家からは一万五千の軍勢を出すことが決定した。
子飼いや有力大名の名前が挙がる中、最後に秀吉公は皆に告げた。
「なお今回の総大将は、秀勝に任すことにする」
その言葉に諸侯は驚いた様子だった。
俺は父さまの葬儀のときに知っていたので、大して驚かなかった。
「……何か、不満はあるか?」
秀吉公が不満そうな顔をしている。
賛同する者があまり居なかったからだ。
秀吉公の近くに座っている秀勝さまはなんだか不安そうだった。
「いえ、不満などございません」
真っ先に俺が応じると、秀吉公はにかっと猿のように笑った。
「おおそうか。雨竜家は秀勝の総大将に賛成するのか!」
「ええ。もちろんです。秀勝さまなら十二分に総大将を勤め上げられるでしょう」
秀吉公は「うむ。そのとおりだ!」と大笑いなさった。
諸侯の中には納得できない者が居るようだが、反論はないようだった。
秀勝さまは俺に少しだけ頭を下げた。
俺はにっこりと微笑んだ。
「軍議のときは、真っ先に賛同してくれて、ありがたかった」
「いえ。秀勝さまの味方になるのは当然ですから」
その夜、秀勝さまと酒を酌み交わしていた。
二人きりの空間で近くには護衛の者しか居ない。
場所は大坂城の一室だった。
秀勝さまとはこれまた久しぶりに会うが、天下人の後継者として相応しい威厳を備えてきたと思った。
「こうしていると思い出しますね。秀勝さまが丹波国にいらしていたときを」
「ああ。懐かしいな。あの頃は楽しかった」
「今は楽しくないのですか?」
俺の問いに秀勝さまは「婚約者の茶々のことで悩んでいる」と正直に言った。
「茶々殿ですか? 仲が悪いのですか?」
「いやそうではない。あの人は愛が深すぎる。恐ろしいほどに」
なんだが分からないが、母さまとお市さまが冷たく言い争っている光景が浮かんできた。
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
「よく分かりませんが幼少期の思い出が甦りまして……」
「そ、そうか……」
「まあ、悪いよりは良いと判断しましょう」
俺の言葉に秀勝さまは「そうだな」と微笑した。
「なあ秀晴。お前はこの戦で己の父を超えられるか?」
秀勝さまの問いに「いえ、分かりません」と首を振った。
「でも超えたいと願っております」
「そうか。そうだよな。超えたいと思わなかったら、超えられないよな」
盃の酒を一気に煽った秀勝さま。
それから俺に「いろいろ至らぬところがあるかもしれん」と言った。
「なんとか支えてくれぬか」
秀勝さまの盃に酒を注ぎながら俺は頷いた。
「ええ。もちろんですよ」
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