第3話二人の武将
大坂城から丹波亀山城に戻った俺は、さっそく出陣の準備を整えた。
一万五千の軍勢はなかなかの規模だ。当然、運用も気を使う。戦が終わっても戦後処理や論功行賞といった後始末もある。
そう言った煩わしい作業を家臣に任せて、数日かけて行なった。
そしていよいよ出陣の日となる。
「先軍は島、本軍は雪隆、後詰は忠勝に任せる」
軍を将ごとに分けて、それぞれの采配に任す。
俺が家督を継いで以来の形だ。
九州征伐でも上手くいったので、これなら間違いはないだろう。
「ははっ。我ら慎んで拝命いたします」
雪隆が代表して言うと、他の二人も頭を下げた。
さらに俺は続けて言う。
「大久保と長束。お前たちには総大将の秀勝さまの軍にて、兵糧の管理をしてもらう」
「かしこまりました。お任せくだされ」
大久保と長束はすっと頭を下げた。
俺は留守居役に前田玄以を指名した。あいつなら十二分にできるだろう。
また、護衛として弥助を、いざと言うときのために忍び衆も連れていく。
「さて。準備は整ったな」
俺は鎧姿で、評定の間で控えている皆に言う。
「今回は大戦だ。一人一人、気を張って油断無く頑張ってほしい」
俺は父さまのように上手い言葉は言えないが、それでも心を込めれば伝わると信じていた。
「皆、生き残って丹波国へ帰ろう!」
皆が思い思いの言葉で同意する。
これなら生き残れると確信できた。
丹波国を出陣し、京と近江国を経由して、東海道に向かう。
途中で浅井家に寄ることも考えたが、昭政殿も北軍として参戦するので、やめておこうと思った。
数日後かけて、尾張国と三河国の境まで行軍する。
確かこの日時で秀勝さまの本軍と合流できるはずだった。
「殿。前方に旗印が見えます」
先軍の大将、島からの報告で一先ず軍を止めた。
敵ではないと思うのだが……
「どうやら黒田家の軍勢のようです」
「そうか。なら合流しよう」
黒田家は少し前に長政が家督を継いだ。
先代の黒田孝高は入道して黒田如水と名乗っていると聞く。
以前、父親のことで相談されたが、あれからどうなったのだろうか?
向こうも旗印の隅立雷を見て、雨竜家だと分かったらしく、さして警戒もせずに合流させてくれた。
長政はかつて織田家の人質として長浜城に居た頃からの親友だった。
「おう。長政。久しぶりだな」
「ああ。葬儀以来だな」
互いに領地の経営で忙しかったこともある。
しばし世間話をした後、一緒に本軍に合流しようと申し出た。
すると長政は顔を曇らせて「実はとんでもないことがあってな」と言い出した。
「なんだとんでもないことって」
「それはな――」
長政が言いそうになったとき、物見から報告が上がった。
「前方より葵の紋! 徳川家です!」
「うん? 葵の紋? 信康殿は三河国で本軍と既に合流しているはずだぞ?」
遠江国の浜松に本拠を置く信康殿は第一軍として先陣を任されている。
ここに居るのは妙だが……
「徳川信康殿、ご来着にございます!」
「そうか。通せ」
信康殿は馬に乗って、俺たちの傍に寄った。
恰幅の良い体型の信康殿は「久方ぶりだな」と笑った。
「葬儀以来だ」
「あはは。長政にも同じこと言われましたよ」
「そうか。ふむ、不義理なのは私だけではないようだな」
愉快そうにしている信康殿。
すると長政が「あなたが何故ここに?」と怪訝そうに訊ねる。
「三河国で秀勝さまを歓迎していると思っていたのだが」
「あー、実は困ったことになってな」
これまた聞いたことのある台詞だった。
俺は「一体二人はどうしたんですか?」と問う。
「ああ。父上が北条家についた」
「……はあ?」
信康殿がさらりと言ったことを飲み込めない俺。
すると長政はほっとした表情で「なんだあなたもか」と言う。
「私の父もそうなんだ」
「……何を言っているんだお前らは」
思わず乱暴な口を利いてしまったが、仕方のないことだろう。
天下の英傑である徳川家康と。
最強の軍師である黒田如水が。
北条家の味方についたことは、そのくらい衝撃的なことだったのだ。
「……これは悪い冗談か? 私を謀っているのか?」
三河国の岡崎城。
俺たち三人の報告を聞いた秀勝さまは頬を引きつらせて、変な表情をしている。
俺がもし、秀勝さまの立場であったなら、同じ反応をしたと思う。
「冗談ではありませぬ。父上は北条家に寝返りました」
長政は困りきった顔で言う。
その隣の信康殿はのほほんとしていた。
「馬鹿な! 今更寝返ったところで、勝てるわけなかろう!」
「そうですな。父上は勝てる戦しかやらぬお方でしたのに」
「徳川殿! 何をのん気に言っておるのだ!」
秀勝さまは怒り心頭に発していた。
いや、焦りと言い換えるべきかもしれない。
家康殿と如水殿が寝返ったとすれば、由々しき事態だ。
兵を二万与えれば、関東を統一して東海道を攻め上られるかもしれない。
もしかすると畿内まで進軍してくるかもしれない。
そうなれば太平の世どころではなく、戦国乱世に逆戻りである。
「徳川殿……どう責任を取られる!?」
「ううむ。私も寝耳に水でして。まさか先代派の酒井や大久保が裏切って駿府城に……」
そこまで言ってから、ばつの悪い顔になる信康殿。
俺は初耳だったので「駿府城に、なんですか?」と恐る恐る問う。
だが信康殿は顔を背けて何も言わなかった。
「……酒井や大久保が駿府城を奪取したのですか?」
長政の指摘に信康殿は「よく分かったな」と開き直った。
「ああ。駿府城は父上の手の者に奪われた」
「――っ!? ふざけるなああああああ!」
秀勝さまの限界を超えたようだった。
その声に慌てて小姓たちが部屋に入ってくるが「お前たちは下がれ!」と逆に叱られてしまう。
彼らが居なくなって、再び四人だけになると「なんでこうなった!?」と嘆き始めてしまった。
「駿府城は北条家の本拠地、相模国に攻め入るための拠点だぞ!? それが敵の手に渡った!? どうすれば良い!?」
「まあ落城させるしかありませんな」
信康殿のどこか他人事のような言葉に秀勝さまは「無責任な!?」と怒鳴った。
「徳川殿! どう責任を取るつもりか!?」
「まあこの戦が終わったら切腹でもなんでもします」
「……そこまではせん」
秀勝さまは信康殿の極端な言葉で落ち着きを取り戻したようだった。
「そんなことをしたら黒田殿もしなければならん。はっきり言って、二人はこれからの豊臣家に必要な人材だ。そうだろう? 秀晴」
「ええ。それに家康殿と如水殿は隠居した身。両家に関わりなしと思われます」
苦しい言い訳だが道理は通っている。
長政は安心した顔になった。
「それで、改めて責任の話だが、一刻も早く駿府城を奪還すればいい」
「ほう。それで良いのですか?」
拍子抜けした顔の信康殿に秀勝さまは「それで不問にする」と仏頂面で言った。
「今、徳川家の当主を処分したら、駿府城だけではなく、三河国も遠江国も敵に回るかもしれん」
「まあそうですな。うちの家臣は頑固者が多いもので」
「徳川家と黒田家。二家が協力して駿府城を落とすように」
ふむ。しかし二家だけで攻略できるだろうか?
黒田家はともかく、徳川家はやりにくいように思える。
「秀勝さま。俺も参戦してもよろしいですか?」
「うん? お前もか?」
俺の提案に目を丸くする秀勝さま。
「ええ。俺と長政と信康殿に任せて、秀勝さまは進軍を続けてください」
「しかし……」
「留まっているだけでも兵糧が減りますからね。それなら他の支城を攻め落としたほうが効率良いです」
秀勝さまはしばし悩んで「分かった。お前にも任そう」と最後には言ってくださった。
「ありがたき幸せ。必ずや期待に応えて見せます」
俺はこう考えていた。
もしも徳川家康と黒田如水を破れたら。
父さまを超えることができるかもしれないと。
この期に及んで俺の頭にあったのは、それだけだった。
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