4-1 兄妹が離れ離れになんてなるはずがない。

『ごめん、由奈。じゃあ、さよなら』


 感情の読み取れない暗く低い声で呟いて、おにいちゃんは私に背を向けた。


『待って! 待ってよおにいちゃん! 行かないで! 私、私はおにいちゃんのことがほんとに――――!』


 みるみる小さくなっていくおにいちゃんを私は追いかけて追いかけて。でも、その距離はぜんぜん縮まらなくて。私は真っ暗な世界に、ひとりきり。


 おにいちゃん……どうして?


 どうして、私を連れて行ってくれないの?

 どうして、一緒にいてくれないの?


 どうして……


「――――っ!?」


 目が覚めると、そこはおにいちゃんの部屋だった。窓からは朝の陽ざしが降り注いでいる。


「夢、かぁ……」


 あれ、そういえばおにいちゃんは? 一緒に寝ていたはずなのに、隣にその姿はなかった。先に起きちゃった……だけだよね? 普段はおにいちゃんの方が早起きだし……。


 怖くなって、私はベッドから飛び起きて駆け出した。



 ◇



「由奈~? どこにいったの~? って……何やってるのよ……雪斗くんの邪魔になってるでしょ? 手伝いするわけでもないなら大人しく待ってなさい?」


「ぶぅ……いやだもん」


 キッチンにて、私はおにいちゃんに抱き着いていた。でもお母さんが引きはがそうとしてくる。


「新年からワガママ言わないの。めっよ?」

「い~や~。由奈はおにいちゃんとずっと一緒なの~」


 もう絶対に離さないのだ。どこにも行かせないのだ。


「もう……どうしたのかしらこの子ったら……赤ちゃん返り?」


「さあ、どうしたんですかね。まあ、俺は大丈夫なんで。このままにしておきましょう」

「そう? ほんとに邪魔になってない?」

「はい」


 さすがおにいちゃん。妹理解が深いのです。お母さんを追っ払ってくれた。

 嬉しさも込めて、おにいちゃんのお腹に顔を擦り付ける。


「にゅふ~、おにいちゃ~んしゅき~」

「まったく……マジで今日は甘えん坊だなぁ」

「あたま撫でて~?」

「はいはい」

「でへ~」


 おにいちゃんの大きな手のひらが頭に触れているとこの上なく安心する。私のおにいちゃんがどこかに行ってしまうなんて、そんなことはあり得ない。


 ぜんぶぜんぶ、ただの悪い夢なのです。


 でも、もう少しだけこのまま……甘えん坊モードでもいいよね?



 しばらくすると朝食の準備が終わって、家族四人が居間に集まった。私はキッチンの時のまま、おにいちゃんに引っ付いている。今日はここが私の定位置です。


「それでは改めまして、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」


 お父さんが丁寧に頭を下げる。親しき中にも礼儀あり。家族の間でも新年の挨拶はちゃんとしないとね。


 私とおにいちゃん、それからお母さんも続いて挨拶を交わして新年最初の朝ごはんを迎えた。


「あ~ん。おにいちゃんあ~んして~?」

「まだそのモード続いてるのな……まぁいいけど」


「由奈、いくらがいいなぁ。たくさんがいいなぁ」

「はいはいっと。いくらな。ほれ、あーん」

「あ~ん♪ う~ん♪ プチプチ~♪ 朝からいくらを食べられるなら一生お正月でもいいねっ」

「ウチの金が尽きるわ」


 元旦の朝ごはんはお雑煮です。桜坂家のお雑煮にはいくらと鮭がたくさん入っております! 贅沢です! 

 地域によって具材や味付けが変わるらしいけれど私にはよくわからない。

 ただ、私の大好物盛りだくさん! それだけが重要。新年最初にしてこの一年最大の楽しみと言っても過言ではないかもしれません。


「おにいちゃん次はおもち~」


 私が言うと、すぐにおにいちゃんが差し出してくれる。もちろんフーフーも完備。


「んみゅぅ……のびりゅぅ……びよーん」

「ちょ、おま伸ばしすぎ食べ物で遊ぶな」

「伸びるんだからしょうがないの~」


「ほれ顔こっちむけろ。餅ついてる」

「むふ~」


 おにいちゃんが口の周りを拭いてくれる。


 うーんこの生活、幸せすぎるかも。やっぱり一生このままで! お雑煮も完備で!


 幸せのハピハピの新婚兄妹ハッピースローライフ! 始まります!


「にゃんごろ~♪ にゃんごろ~♪」


 朝食後、私はクリスマスの時と同じように炬燵から顔を出して、おにいちゃんの膝を枕にしていた。テレビをつけて、一緒にお正月特番を見ます。のんびりタイムです。


 やっぱりお正月って素晴らしい。家族みんなでこんなにのんびりできるなんて今だけなのです。


 すりすり~すりすり~。おにいちゃん成分を無限に補充。冬休みが終わったらさすがにずっと一緒にはいられないからね! おにいちゃんにも妹成分を注入~♪ いつでも妹のことを思い出してね!


「なぁ、由奈?」

「にゃん?」


「何か嫌なことでもあったか? まぁ、言いたくなければ言わなくていいけど。べつに俺が一緒にいればそれでいいなら、いくらでもそうするし」


 気遣わしく聞いてくれるおにいちゃん。


 もうそれだけで、私の心は晴れています。夢は夢。現実じゃない。今目の前にいる、優しいおにいちゃんこそが私の真実だと、私は知っているのです。


 でも、おにいちゃんを心配させたままなのはよくありません。とてもとても、よくありません。


 私はぽつぽつと、今朝のことを話した。


「初夢、ね」

「うん。でももう大丈夫だよ! もう元気出たから!」


「それならいいんだが……。ああ、あとひとつだけ言っとくと、初夢ってのは一般的に今日の夜見る夢のことを言うからな。だから今のところ縁起が悪いとかそういうことはまったくない」

「そうなの? じゃあ尚更なんてことないね! なんだぁ……私初夢で悪い夢見たぁってひとりで慌ててたぁ……恥ずかしい……」


 妹の学のなさがバレてしまいます。それに対しておにいちゃんは意外と物知りです。見習わなくては。あ、学園の勉強はそれなりに出来るからね? 


「まぁ今日の夜悪い夢見たらそれが今度こそ初夢だからな。夜はホットミルクでも飲むか」

「ホットミルク? なんで?」

「身体があったまるとぐっすり眠れるだろ? ハツミツたっぷり入れてとか、どうだ?」

「はちみつ……甘々だねぇ、じゅる……」

「おいよだれ。俺のズボンに垂れるから。マジでやめて?」


 また夜になって夢を見ることを思うと少しだけ怖かったけど、おにいちゃんのおかげで楽しみになっちゃいそう。はちみつたっぷりのあま~いホットミルク……きっととろけちゃうくらい美味しいに違いない。


 あとはもうひとつ……ワガママ言ってもいいかなぁ? 


「ねぇねぇ、おにいちゃん」

「これでもまだ不安か?」

「ううん。大丈夫だと思うけど……でも、おにいちゃんがまた一緒に寝てくれたらなぁって……」

「……ったく仕方ないな。そろそろサービス終了近いからな?」

「はーい。うれしい。えへへ……」


 やった! やりました! もうおにいちゃんにこれでもかというくらいに頭を擦りつけちゃいます!


 おにいちゃんしゅきしゅき~♪


 新年の始まりはちょっと不安になったけど、やっぱり幸せな一年が待っている気がします。


 きっと今年こそ、妹の満願成就のとき……! がんばれ由奈! おー!



 

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