第3話
――最近逢ってくれない聡に、松枝は
「はい、田所どす」
既に聡の母親は亡くなっている。電話に出た中年の女は、家政婦だと推測できた。
「聡はんは居てはる?」
「どなたはんどすか」
「戸田松枝言います」
「聡はんはまだ帰ってまへんが」
「帰られたら電話くれるように伝えとぉくれやす」
「電話番号は?」
「知ってます」
だが、その日、聡からの電話はなかった。
……女ができた。
松枝は直感した。
……さて、どないすんか。
結局、探偵社に聡の素行調査を依頼した。――数日後、調査結果の報告書が届いた。
【田所聡氏は、祇園の料亭〈月路〉に頻繁に通っていますが、店を出たあとはまっすぐ帰宅しており、また、その後に外出している形跡はありません。したがって、女性の存在は確認できませんでした】
ったく、へぼ探偵!
松枝は腕組みをすると、苦虫を噛み潰したような顔をした。
その頃、聡は既に千代菊の借金を立て替えて、自宅から目と鼻の先で一緒に暮らしていた。
「今日は、鯛の刺身を買ってきたわ。聡さんの酒の
「おい、気を付けろよ。危なっかしいな」
聡がハラハラしながら見ていた。
「大丈夫よ。料理も慣れなきゃね。アッ! 痛っ」
「ほら、みろ」
聡は千代菊の手を持つと、血の付いた人差し指を口に含んだ。
千代菊と暮らす借家には、小さな庭も付いていて、縁側もあった。和風好みの聡にとっては居心地が
千代菊と暮らすようになってからも、聡は浩一郎に誘われれば〈月路〉に行った。それは、千代菊とのことを悟られないためのカムフラージュでもあった。
そして、会社から一旦帰宅し、勝手口から抜け出して千代菊に会いに行くのも、同じくカムフラージュだった。
今回の千代菊との件は、口が堅い秋乃を信頼して、内密に進めたことだった。
そんなある日。浩一郎が聡を社長室に呼んだ。
「戸田松枝ちゅう女を知ってるか」
浩一郎はソファに深く座ると、両切りの
「……はい」
聡は
「で、どうなってるんや」
「……どうって?」
口ごもった。
「頻繁に電話が掛かってきてるそうやないか。会社にも自宅にも」
「……」
「独身やさかい、女遊びは構わへんが、田所の名を
手厳しく念を押した。
「……はい」
聡には返す言葉がなかった。
……さて、どうするか。逢ったら逢ったで、
結局、松枝と逢って決着をつけるしかないと、聡は思った。
電話をすると、いつもの料亭の離れ家で待ち合わせをした。
待ちわびていた聡からの電話に、松枝は思わず
「もう、いけずやわ。どないしてはったん?
手酌をしていた聡に抱きついた。だが、聡は反応を示さなかった。
「……どないしたん? なぁ、なぁ」
寄り掛かると、猫のように擦り寄ってきた。
「……別れてくれないか」
聡が重い口を開いた。
「! ……やっぱし、女がいてはるんやね」
松枝は一変して、
「大人同士だろ? 冷静に話し合おう」
聡は
「いやや、いやや、いやや」
松枝がすがるような表情で求めてきた。
「悪いが、帰る」
話にならないと思った聡は、松枝の手を払いのけると、腰を上げた。すると、松枝は挿していた平打ち
「待ちなはれ! あんはんを殺してうちも死ぬえ」
その言葉に、聡は足を止めたが振り向かなかった。
「……好きにすればいい。俺はあんたの望みを叶えてやれない。だから、あんたの気が済むようにすればいい」
背を向けたままで言った。松枝の手は震えていた。――短い沈黙があった。やがて、松枝は泣き叫びながら逃げるように出ていった。
聡は腰を下ろすと、ぐったりとした。
帰宅した松枝は、失意の中、魂が抜けたように一点を見つめて、その挙動を不審にしていた。
その様子を覗いたキヨは、
「松枝はん。千代におうてもらいますよってに」
「……千代って、あの、おつむの病気で、精神病院に入ってる人やん? 昔、昔。……そうや、お義母はんのお孫はんどしたなぁ」
松枝の言動は不可解だった。
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