第5話 12月25日 午前1時10分


「ニナちゃん」


 不思議に思って見つめ返すと、未和は仁奈の肩を掴んで顔を覗き込んだ。目を見開いて、じっと仁奈を見つめている。


「えっ、えっ、なんで? 今の話、泣く要素あった?」


 慌てふためく未和を見て、仁奈は自分が泣いていることにやっと気がついた。


「ごめん、違うから」


 ポロポロとあふれ出す涙をぬぐいながら、仁奈は再びカレーを食べ始めた。


「……ちょっと、うちのお風呂が壊れちゃって」

「えっ、じゃあうちのお風呂入って! だから泣かないで」

「いや、お風呂のせいじゃないんだけど、未和ちゃんいなかったら食べたいものも食べられなくて、お風呂にも入れなかったのかなって思ったら、なんかちょっと天に見放されてる気がして……ごめん、そんな話1ミリもしてなかったのに、情緒がバグッちゃって」

「えっと、大丈夫?」

「うん、とにかく未和ちゃんのせいじゃないから。ちょっとなんかもう、いろいろバグが発生してるというか、パソコンとか使いすぎると不具合が生じておかしくなったりするでしょ。そういう感じ。そのうち治るから」

「なんだかよくわかんないけど、本当に大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。ごめんね。ごちそうさま」


 泣きながらカレーをたいらげると、仁奈は目を閉じ、テーブルの上に突っ伏した。暴力的なまでのカレー欲が満たされたとたん睡魔が襲いかかってきて、仁奈はテーブルの上から頭を動かすこともできなかった。せめてもの礼として、皿を洗うくらいはしたいのに、動けない。


「ニナちゃん、うち泊まってく? あっ、明日晴れるって! どこ行こっか?」


 未和はいつのまにかテレビをつけて天気予報を見ていた。真夜中に押しかけてカレーをごちそうしてもらったにも関わらず、さっき言った約束は未和の中ではまだ有効らしい。


「……未和ちゃんの好きなところでいいよ。わたしがおごる」

「えー、わたしがおごりたいのに」

「わたしにおごらせて。未和ちゃんは命の恩人だから」

「そうなの!? じゃあどうしよー……クリスマスっぽいことぜんぜんしてないから、ケーキ食べたいな」

「ケーキでも、なんでもいいよ」

「じゃあ駅ビルの中にあるカフェがいいな。ケーキバイキングがあるんだよ。入ってみたかったけど、リア充の巣窟みたいなおしゃれなカフェで怖くてなかなか入れなかったんだ」

「……未和ちゃん、リア充が怖いの……? なんか意外」

「うん! 知らない人がたくさんいる場所とか怖くて吐きそうになる」

「それでよくバンドなんてやってるね」

「うん、でももうすぐ解散しちゃうんだ」

「えっ?」

「もともと期限付きで解散する約束だったの。大みそかにカウントダウンライブのイベントがあるんだけど、そこで解散ライブやるからよかったらニナちゃんも来て! あっ、ここだよ、ケーキバイキングのお店」


 情報量の多さに戸惑いながら、仁奈は未和のスマホの画面を見た。そこにはいかにもSNS映えしそうなカフェが映っていた。


「……わかった。そこに行こう……」

「やったー! ネット予約できるかな……あっ? ニナちゃん寝ちゃダメ! お風呂沸かすから入って!」


 このままお風呂に入ったら確実に溺死しそうな気がする。この満たされた状態で死ぬのも悪くないかもと一瞬思ったが、クリスマスに人の家の風呂で死ぬわけにはいかない、と思い直した。何より、未和との約束を果たせないまま死ぬわけにはいかない。


「大丈夫、起きるから……」


 気力を振り絞り、なんとか立ち上がろうとしたそのとき、未和が持っていたスマホが突然鳴った。


「未可ちゃんだ」


 未和はスマホを見つめたまま、なぜか固まっていた。


「……出ないの?」

「なんか、夜中の電話って怖い……不吉な知らせだったらどうしよう」

「でも、出たほうがいいよ」

「じゃあニナちゃん、そばにいて」

「わかったから、早く出なって」


 未和がおそるおそる通話ボタンをタップするのを見届けながら、仁奈は猛烈な睡魔に屈し、再びテーブルの上に突っ伏した。少しして、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。未和の声を遠くに聞きながら、仁奈の意識はそこで途絶えた。

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