3 逆モヒカンへのプロポーズ

 ――はや小一時間。


 ニーノらが応接室へと通されてから、それだけの時間が経とうとしていた。


「こちらでしばしお待ちを。すぐに主人が参りますので……」


 案内してくれたメイドが紅茶を注ぎ、そう言い残し消えてから誰もやってくる気配がない。


 ……カッチコッチ、カッチコッチ……


 柱時計の歯車の音が妙にハッキリ感じられる気がした。


「……この家での『しばし』は、どれくらいを指すものだと思う? ゲートルート」


 ニーノは自嘲気味に笑いながら連れの老執事にたずねる。


「さて。どうにも本日はお忙しいご様子ですからな……」


「未来の花婿はなむこを歓迎するよりも?」


 老執事はニーノをなだめるように、空になったティーカップへと紅茶を注いだ。


「ぼっちゃまも、そろそろ『待つ』ということを、お覚えになられねば」


「別に今日ウェディングドレスを着るってわけでもないだろうに……」


 ニーノは注がれた紅茶を不味そうにズルズルとすすった。


「……ぬるい」


 ――それからさらに30分。


 いい加減ニーノがしびれを切らしそうになった頃、ようやくドアの向こう側から人の近付いてくる気配がした。


「やっとのお出ましのようだが……」


 ちらとゲートルートの方を見れば、この経験豊富な老執事も怪訝けげんそうな顔をしている。


「どうにもこの家では、静寂は美徳とされないらしい」


 ニーノはそう呟きながらソファから立ち上がり、居ずまいを正した。

 

 気配が近付くにつれ聞こえてきたのは、男女が激しく言い争っているらしい声だった。


「だからお前は引っ込んでいなさい!」


「いいえ御父様こそ!」


 バタバタバタバタバタバタ、ガチャッ。


 我先にと走ってきた2人が同時にドアノブに取りついた、らしい。


「「私が話すっ!」」


 ドア1枚隔へだてて、ガチャガチャとドアノブを奪い合う音と共に、2人の言い争う声がヒートアップしていく。


「一体どういうつもりなのだお前は!」


「何度も言っているではありませんか! 真実の愛を得るためです」


 ニーノは言い争う声の主が、サンセット卿と、自分の見合い相手であるドナテラ嬢らしいと、すぐに検討がついた。


「お前はサンセット家を潰す気か!」


「御父様こそ、私を礼儀しらずとそしらせたいのですか!」


 だが何についてそんなに言い争っているのか皆目かいもく検討がつかなかった。

 

「そんな頭で! 髪型で! 礼儀も何もあったもんじゃないだろう!」


「今は髪型のことなど関係ないではありませんか!」


「お、大ありだ! この大バカ者ぉおおおおおおおおおっ!」


 ほとんど絶叫だった。


「バ、バカとは何ですかバカとは……」


 初めて見る父親の絶叫姿にさすがにひるんだのか、ドナテラがややトーンダウンした。


「と、に、か、くっ! お前は引っ込んでいなさい!」


 ガチャッ!


 一瞬の隙を突きジュゼッペが扉を半開きにして姿を見せた。衣服も髪も乱れに乱れ顔はひきつっている。


「や、やぁ! お待たせしてすまない!」


 ジュゼッペは戸口の向こう側に必死でドナテラを押さえ込みながら、作り笑いを浮かべてニーノに向かって言った。


「ご無沙汰しております。サンセット卿」


「このようなところを見せて本当に申し訳ないっ! だが、も、申し訳ないついでに、今日は帰って貰えないだろうか?」


「え?」


 ニーノは自分の耳を疑った。


「申し訳ない! って言うか頼むから!」


 ジュゼッペはほとんど涙目だった。


「ど、どういうことでしょうか? サンセット卿。せめてご説明を……」


「今はその時間が……とにかく頼む! 後生だと思って!」


 散々待たせておいてこの仕打ちはなんだ、という思いはある。あるのだが、どうにも尋常ならざる事態らしい。


「……ニーノ様」


 老執事が諸々もろもろを察したらしい声音こわねで、主人をうながした。


「……ああ。どうやら今日のところは、出直した方が良いらしい」


「すす、す、すまない。この非礼の詫びは必ず!」


 何一つ納得は出来ないが、卿にこうまで言われては仕方がなかった。


 ニーノは戸口の向こう側のジュゼッペに一礼し、反対側のドアから退出しようときびすを返した。


 ――そのとき。


「お待ち下さい! ニーノ殿!」


「こ、こらドナテラ!」


 とうとうドナテラが父を押し退け、部屋の中に入ってきた。


 名を呼ばれ、立ち止まったニーノは、、ドナテラの次の言葉を待つ。


「ニーノ殿。大変勝手なことを言って申し訳ないが、このお話は無かったことにして頂きたい」


「……と、仰いますと?」


「私は、貴方とは結婚できません」


「理由をお伺いしても?」


「真実の……」


「?」


「真実の愛を得るため、です」


 とうとうニーノは振り返った。

 もはや我慢がならなかった。

 真実の愛だと?

 人をコケにするのも大概にしろ!

 この小生意気な娘に一言いってやらねば気が済まなかった。


 振り返り、すぐそばに立っているドナテラに厳しい言葉をぶつけてやろうとして、ニーノは、そこに、サンセット家に起こっているを目にしたのだった。


「え――――――――――――――っ!?」


 ピュアな「え――っ」だった。

 人生で一番の「え――っ」だった。

 あまりに「え――っ」て伸ばし過ぎて酸欠を起こした。


「……か、かひゅっ」


 ニーノは空気の通らなくなった喉に苦し気に手をあて、そしてひっくり返って気絶した。


 ――2時間後。


 応接室のソファーの上で、ニーノはうっすらと目を開けた。


 彼のかたわらには、ずっと看病していてくれたのであろうメイドの姿と、心配そうな面持ちの上に、どうにも飲み込みがたい逆モヒカンヘアー&紅矢印を乗せたドナテラの姿が見えた。


「気が付かれましたか。ニーノ殿」


 ドナテラが上からニーノの顔を覗き込んだ。


「……」


「あっ」


 ニーノは額にのせられていた手拭いをメイドに渡し、無言のままソファーから起き上がり、そのまま部屋から出ていこうとした。


「……すまない」


 小声でそう言ったドナテラの言葉に、ドアノブに手をかけたニーノの動きが止まった。


 しばしの沈黙。


 たまらずドナテラが何か言おうと口を開きかけたとき、ニーノはきびすを返してドナテラの元に近寄り、そして彼女の前にひざまづいて手を取った。


「ドナテラ様。私と、結婚して下さい」


 プロポーズだった。


「え―――――――――――――――っ!?」


 今度はドナテラが気絶する番だった。

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