その5

 鎌倉市材木座にその旅館はあった。

 とはいっても、表向きは、ちょっと高級な和風邸宅という感じだ。

 何でも一日に客を一組しかとらないという。

 それだけで高級感を出しているんだろう。

 敷地面積は三百坪といったところ。

 最近建ったばかりにしちゃ、随分と古びた造りにしてある。

 俺が着いた時はまだ午後一時を少し回った頃で、チェックインにはまだ五時間ほど間があった。


 旅館の名前が入った、藍色の法被、それに白のカッターシャツにネクタイという、まあ田舎の旅館なんかでは良く見かける服装の男性が、店の前の道路を竹ぼうき履いている。


 背が高く、色白で痩せていて二枚目・・・・間違いない、工藤一翔くどう・かずと氏、その人だった。

 だが、葉書の写真や、実姉の言葉とは違って、風采が上がらない容貌に見えたのは、幾分年を重ねているという、それだけでもなさそうだった。


『工藤一翔さんですね?』俺は彼の背中に声をかけた。

 彼は俺の言葉にびくっと全身を震わせて、ゆっくりとこちらを振り返った。

 銀縁の眼鏡の奥の目はおどおどしていて、まるで猫に追い詰められているネズミみたいな、そんな感じだった。

『そ、そうですが、貴方は・・・・?』

 言葉まで震えている。

 俺はポケットから認可証ライセンスとバッジを引っ張り出して、彼の顔の前にかざしてみせた。


『私の名前は乾宗十郎というものです。私立探偵でしてね。ある人から調査を依頼されてまして、』

 俺はかいつまんで大野氏の事について話した。


 少し離れたところで、ピンク色の作務衣に似たユニフォームを着た二~三人の女性(恐らく仲居か何かだろう)が、こっちを見ていた。

『あ、あの、ここではちょっと不味いんですが・・・・ちょっとお待ちいただけませんか』

 彼はそう言って着ていた法被を脱ぐと、女性たちの方に歩いて行き、二言三言何かささやくと、どこかに消えて行き、五分ほどして袋のようなものを携えてまた戻って来た。

『ちょっと出ませんか。この近くに行きつけの店がありますんで、そこでお話ししましょう』

 彼が俺を連れてきたのは、和風喫茶兼食堂で、奥には何故か個室もついていた。

 どうやらこの店の馴染みなんだろう。

 店の中は昼時ということもあって、七分ほどの混みようだったが、彼は常連客であるという特権を利かせて、一番奥の個室に入った。

 部屋に入り、仲居が注文オーダーを取り、去ってゆくと、工藤一翔は相変わらずおどおどした視線で俺を見ながら、

『あの・・・・向こうは幾ら要求してるんです?』と聞いてきた。

『何のことです?』俺はとぼけたような口調で答えを返す。

『由紀子さんは一体幾ら払えばいいかと聞いているんです』

『変なことをおっしゃいますね。あちらは別に金なんか要求しちゃいません。ただ、貴方とその由紀子さんに何があったか知りたいと、そう言っているだけですそれに』

 俺はポケットからICレコーダーと、浩平氏から預かったあの箱を、卓子テーブルの上に並べて置く。

『由紀子さんはもうこの世にはおられません。亡くなったんです』

 その言葉を聞いて、工藤一翔の顔に、少しばかり安堵あんどの色が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。

『・・・・確かに、僕は彼女・・・・由紀子さんを愛していました。息子さんの家庭教師をしていた時です。一目ぼれでした。』

 当り前のことだが、この場合の”惚れた”というのは、プラトニックな意味のそれではない。

 そう、諸君らが想像する通りの状況に陥ったという訳だ。

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