いつか(第3話)

「ごめん、わたし行けない」


「そうか、仕方ないな」

 布団をかぶったまま弱弱しく声を上げる私に、少しさびしそうな眼をしてリッキーが応えた。

おれたちだけで買ってくるよ」「あぁ~っ私も行く」

 買い出しへ出かけようと準備を始めた男達に、えんびぃが飛びつく。人なつっこいと言うか、少しでもリッキーのそばに居たいと言う様子だ。


 結局、私を一人にしておけないという理由でキドちゃんが残る事になった。

「変なことすんなよ~?」「キドに限ってそれは無ぇっしょ」

 去り際に新井あらいshinjiしんじが残された私たちを茶化していく。キドちゃんは、どうも私の事が好きらしい。かれかくしているつもりだが、その事はみんな知っていて、とびらの向こうではリッキーが新井を小突こづく声が聞こえた。

 元気があるころなら、悪ふざけに乗って冗談じょうだんの一つでも返す所だけど。

 今の私には、単につかれを感じさせるやり取りでしかなかった。



 部屋は人が減って静まり返り、キドちゃんがノートPCパソコンをパチパチとたたく音だけが聞こえる。

 キドちゃんはちょっとオタクっぽいけれど、まじめで可愛い所がある。それだけに、彼が私に好意を寄せていると聞いても、男性として意識する気には全く成れず、また彼も奥手おくてなために、単なるゲーム仲間として接していた。それは私にとって居心地がよいもので、普段ふだんは二人きりになっても、私が持ち前の明るさでキドちゃんとの会話を引っ張っていた。

 しかし今は見るかげもなく、こうしてだまって布団にこもっている。

 私はみじめさを感じていた。あの“変なバケモノ”が現れてから、私は私で居られなくなったんだ。それでも、“にゅるにょむ”を思いかべていてくるのはいかりよりもき気で、私は頭をかかえるしかない。


「いいかな」

 かべを見つめながらうずくまっていた私に、布団の向こうからキドちゃんが声をかけてくる。

 耳まで被っていた布団から顔を出してり返ると、キドちゃんは何かを手に持って立ち上がっていた。

「ココア、作っていいかな」

「う、うん」

「台所借りるよ」

 スティックタイプの顆粒かりゅうココアを手に台所へ立つと、しばらくしてカップを二つ持ったキドちゃんが、その一つを私に差し出してくる。

「ありがと」

 お礼を言う私に少しだけ首をかたむけてうなづくと、キドちゃんはまたモニターを見つめ何か作業を始めた。


 あるいは、キドちゃんは気を使ってるのかもしれない。

 何かを言うでもなく、黙ってただ傍に居るだけ、というのはキドちゃんらしい優しさだ。ぶっきらぼうの様で周りをよく見ている子なのかもしれないな、そう思うと、気をつかわせるだけでは何だか悪い気もしてきた。

「ねぇ、何見てるの」

 私はいつもの明るさを取りもどして、キドちゃんの見ているモニターをのぞんだ。

「あ、いゃ! これは!」

 あわてるキドちゃんが止めるひまもなく、私はモニターにでかでかと映る“にゅるにょむ”を見てとっさに口をおさえた。

「なん、っでこんなの見てんのよもぅ」

 何とか吐かずにすんだ。代わりに悪態をいてキドちゃんの背中を叩く。

「調べてたんだよ。“にゅるにょむ”ってほら、なぞが多いだろ」

 確かに“にゅるにょむ”には謎が多くて、ネット上では色々いろいろな情報が飛び交っていた。私はつらくて見てられないが、そういった情報は興味深く、また面白おかしく伝えられ、一種のお祭りさわぎになっているようだった。

「生体とか色々。知っておけば、何かしら対処できるんじゃないかと思ってさ」

 そもそも生物かどうかもハッキリはしてないんだけど。とキドちゃんはぶつぶつ言い始めた。

 そうなのだろうか。おそる恐る画面を覗くと、開いていたサイトには沢山たくさんの情報が集められ、何やら難しい言葉で“にゅるにょむ”について考察をしていた。

「何か分かるの」

「今の所は、目撃もくげき情報を見ても分布に関連性はないし、規則性もさっぱり、神出鬼没きぼつだよ」

 全く期待外れの返事に私は項垂うなだれそうになったが、キドちゃんが私よりも落ち込んだ顔をするので、め息を飲み込んで何かちがうことを言おうとした。

「どうしてあんなに気持ち悪いんだかね」

 気の利いた言葉が思いつかず、つい愚痴ぐちこぼれてしまった。

「急にからみ付かれるとビックリするよね、冷水をけられたような、さ」

 鼻水みたいなモノで、体内からだに入るとほとん感触かんしょくなんて無いんだけどさ。と、キドちゃんは真面目に説明し始める。

 説明するとき急に饒舌じょうぜつになる所、苦手だな。オタクっぽくて、ちょっと“キモチワルイ”。

 途中とちゅうから話を聞いていない私に構わず、キドちゃんはアレコレとしゃべっている。何を楽しそうに話しているんだろうか。この子は。

 ああ、駄目だめだ。“にゅるにょむ”の話ばかりで気持ち悪くなってきた。話を切り上げさせないと。

 吐き気を抑え、適当に相槌あいづちを打ちながら話のスジを思い出す。何だったか、体に入ると感触が無くなる?

「そう言えば美千代さんも平気で吸いこんでたな」 

「ああ、“にゅるにょむおばさん”でしょ?」

 美千代さんの事だ。私の話を聞いたグループのみんなが、面白半分にそう呼び始めた。

「深呼吸で目をつむってたから、気づかなかったんだろうね」

「気づかないなら良いわよ? でもアレから毎日あんなの……ゔぇ」

 えきれなくなった私は手近に備えていたポリぶくろつかみ、口元にあてがう。 

 喉奥のどおくから酸味がせぐり上げてきたが、口の中にひろがるばかりで垂れては来ず、逆にあふれてきた唾液だえきを飲み込むことになった。

大丈夫だいじょうぶ?」

 キドちゃんが心配そうに顔を覗き込む。

 元はと言えばテメェのせいで、いや、やめておこ。私はポリ袋をにぎめる。



 美千代さんは最初こそ、何も知らずに“にゅるにょむ”を吸い込んでしまった事におどろいていたが、すぐにそれに慣れてしまった。

 “にゅるにょむ”は最早、『テレビで見かける』と言う程度の存在では無くなっていた。

 日常的に。なんなら都会ですら、人に出会うより簡単に見かけることが出来る“モノ”。身近なものと言えるほど出没しゅつぼつするようになってしまったのだ。

 道に出て、たった数歩で出くわす、歩かなくたって出くわす。ウヨウヨしている。人なんかお構いなしに動き回る。それに素早い。

 要するに、“ソレ”をけようとするなんてバカバカしいのである。理解わかってはいるんだ。私だって。


「ココア冷めるよ、飲んで」

 頭を抱える私を落ち着かせようと、置きっぱなしになっていた私のコップを寄せてくれた。

 そうだ、折角キドちゃんが入れてくれたココアを無駄むだにするのは申し訳ない。胃液で酸っぱくなった口の中に、ココアを流し込んで口直しをしたいし、温かいうちに飲めば少し落ち着くかもしれない。

 私は握り締めていたポリ袋を手離てばなし、コップに手をばす。

 思えば、今日はずっとずかしい所を見せてしまっているな。歳上としうえなんだし、しっかりしないと。キドちゃんだって困るだろうに、気を使ってこんな物まで用意してくれて。

 口に寄せたココアの水面を見ながら、ぼーっとしている私の目の前ににゅろ……?


 きらい嫌い嫌い嫌い嫌い嫌イゃ嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌

「嫌ぁぁあああ!!!」


 ほんの一瞬いっしゅんしか固まって居なかったのに。

 ココアの中から顔を出した“にゅるにょむソイツ”は、私が顔を背けるより早く、私の鼻の穴に入っていく。


 投げたコップを片付けなくちゃ。

 作ってくれたキドちゃんに謝らなくちゃ。

 ゆかかなくちゃ。

 とにかく先ずは出ていってもらわなくちゃ。

 もう嫌、もう嫌。


 二人がコップから目をはなしていたすきまぎれ込んだのだろうか。どこに隠れていたのか、気づけば部屋の中は、数十ぴきの“にゅるにょむ”が縦横無尽じゅうおうむじんけ回っていた。

 半狂乱はんきょうらんで暴れる私を、キドちゃんが羽交いめにする。

 男の子って力あるんだなぁ。

 そんなに力があるなら私じゃなくて“にゅるにょむアレ”をつかまえてよ。追い出してよ。

 私は何も出来ない。ただ泣いた。



「落ち着いた?」

 “にゅるにょむ”が通り過ぎた後、泣き止んでしばらくふるえていた。包まった布団の外から、キドちゃんの声がする。

「無理」

 私はまともじゃない返事をする。キドちゃんは辛いのを察して優しい声で「ごめん」とだけ言った。

 “にゅるにょむ”が部屋の中に入って来るのは初めてではなかった。それどころか、日を追う毎にその回数は増えている。その度に私はこうなる。

 関係ないのだ。“にゅるにょむ”にとって人のテリトリーなど。“彼ら”は本当に神出鬼没で、排水口はいすいこうでもトイレの排水管なかでも好きなように通り過ぎて行く。

 気にしないで済むならそれが一番だ。“美千代さん”みたいに。でも私は無理だな。考えるだけで“キモチワルイ”。


 “あんなのを我慢がまんできるなんて”さ。


 しばらくすると、リッキー達が帰ってきた。

 泣きらして目を真っ赤にした私を見て、新井とshinjiがキドちゃんにめ寄って来たが、私が「やめて。そういう気分じゃない」とだけ言うと、もう何も言わなくなった。

「そうか、大変だったな」

 キドちゃんに何が起こったか聞いたリッキーが頭をく。ああ、面倒臭めんどくさそうな顔をしている。きっとそうなのだろう。貰ったココアを撒き散らすような女だ、面倒臭いに違いない。私は落ち込んでいた。


 気を取り直すことは出来なかったが、その後はみんなが、買ってきた酒の肴さかなを適当につまみ、程々ほどほどに飲んで騒いでいた。

 私も少しだけ飲んだけど、チューハイかんのクチから視える暗闇くらやみに、何かがうごめいてる気がしてしまい、楽しめたものではなかった。

 ふと窓に目をやると、夜もけて来ているのが分かった。



「はい、じゃあ解散な」

 そう言うと、一人だけ泥酔でいすいした新井を抱えて、リッキーが立ち上がった。

 その背中で新井がshinjiにクダを巻いている。実はえんびぃと付き合ってるのではないかと疑っているのだ。本当にオメデタイ。

 当のえんびぃはつまらなそうにしている。新井を背負ったリッキーにスキンシップはしづらいのだろう。さっさと玄関げんかんに向かうと、キドちゃんもそれに続いた。

「今日はありがとね、来てくれて。それから、ごめん」

 私が申し訳なさそうに別れの挨拶あいさつをすると、リッキーは苦笑いして「良いって。しかけたのにサンキューな」と、当たり障りない言葉で返してくれる。役目は終えたと言うことだろう。就職祝いに来なかったメンバーを心配して、様子を見るついでに二次会を開く。きっと彼はもう、ここへ来ることはない。そして皆も。


「きゃーぁあ゛ッ! 何アレ!!?」

 奇声きせいに驚いて玄関の方を見ると、扉を開けたえんびぃが空を見上げている。キドちゃんやshinjiもいつの間にか外を覗き込み、うわっと顔をしかめた。

 えんびぃが、らしからぬ頓狂とんきょうな声を出したので、リッキーは新井を床へ放り投げて外に飛び出す。

 私もリッキーに続いてくつき、空をあおいだ。


 にゅろにゅろにゅろにゅろ……!


 それは空をおおくさんばかりの“にゅるにょむ”の群れだった。

 厳密に言えば本当にそうかも分からない。あまりに多すぎて、月明かりを乱反射した光の束のようなものが、覆い被さるまくとなって、空に広がって行くようにしか見えない。

「何だこれ」

 だれかが口かららした言葉に、答えられる人なんてこの世に居るんだろうか。少なくとも私には何も分からないし、もう、“アレ”が何だとか、どういう事なんだとか、考える気にもならなかった。

 “膜”は空をキラキラうぞうぞと、縦横に伸びていく。

 目の前に起こっている事が絵空事過ぎて、最早気持ち悪いとも思えなかった。

 ――いや、それは違った。

 あの“膜”は、空をめ尽くすより先に、こちらへ届いて来るだろう。なんたって厚みが増している。

 そもそも、遠くにあるから空に広がって行く膜だと思っていただけで、もう随分ずいぶん前から、多分最初から、膜だなんてうすさじゃなかった。

 私はげたかった。でもどこに?

 逃げ場なんて無かったじゃない。最初から。



 その日、世界は“にゅるにょむ”に埋め尽くされた。

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