最終章 神無きこの世界に

第25話

 ミシャが目を開けると、そこは自分の部屋だった。


 枕元に、下位魔導士のローブを着た見知らぬ女性が座っている。その女性はミシャの目覚めに気付いて、その灰色の瞳を開けた。


「ジルなの?」

「そうだよ」


 化粧もしていて、トレードマークの泣きボクロもなく、その瞳が灰色でなければ分からないぐらい、見事な変装だった。


「傍にいても、姿が見えないと不安かと思って」


 ジルは影として、気配すら完全に消し、姿を隠して傍にいるという仕事の仕方をするのだが、それだとミシャが自分の存在を感じられず、不安になると思ったようで、見える形でいてくれていた。


 ジルは椅子から立ち上がり、ミシャの顔を覗き込む。


「具合は悪くない?」

「はい」


 覗き込んで見えた黒茶の瞳の光が弱々しくて、まだ現実感を持たずにフワフワしているように思え、訃報を聞いたが、あれは悪い夢と思ってる可能性もある。


「なんで私、寝てるです?」

「寝ちゃったから。コーヘイさんが運んだよ」


 ミシャは、王都に戻ってきてからの事を思い出す。


「私、家に帰りたいです」


 そう言いながら、ベッドから体を起こした。ミシャはすぐに帰宅するつもりだったので、町の娘達が好むシンプルなブラウスと、それに重ねてワンピースを着ている。

 ジルがコーヘイから聞いた話だと、家の中はなかなかの惨状。おそらく、あの風の精霊の使役で切り刻まれたのだろう。まだ部屋自体は片付けられていないらしいから、そこに彼女が行くのはよろしくないと思った。


「何か欲しい物があるなら、僕が取ってくるよ」

「お父さんとお母さんに会いたいから。一か月ぶりだもん」


――ああ、これダメなやつだ。聞かなかった事にしてる。


 どうするのがベストなのか、ジルは考える。残念だが、なかったことにはならない。葬儀に参列できていないし、実感がなくても当然だろう。辛い所だが、嫌われ役をする事にした。


「お父さんとお母さんは、亡くなったよ」

「なんで?」


 ミシャは一気にパニックになった。


「なんで?どうして?やだ!なんで!?やだやだやだ!!!」


 悲鳴のような声でミシャは叫んで、暴れはじめたので、ジルは無言でミシャの腕を掴んでベッドに組み伏せる。先ほどよりさらに顔を寄せて、あえて冷たい口調で言い放つ。


「どうにもならない事を言ってどうするの?ミシャが騒いでも、生き返ったりしないよ。ディルクも、お父さんも、お母さんも」


 その声がとても冷ややかで。その目線が厳しくて。

 ミシャはあっという間に大人しくなった。彼女は怒鳴られて叱られることや、静かに諭される事は多かったが、冷たい叱責はあまり経験がない。冷水を浴びせられたように、一瞬で落ち着いた様子を見せる。

 ジルは掴んでいたミシャの手をそっと離すと、再び椅子に座った。

 彼には、ミシャが泣かないのが気になっている。泣いてスッキリした方がいいのに。もう涙は涸れ果ててしまったというのだろうか。


「ジルは死んだりしない?」

「僕だって無敵じゃないし、不老不死でもないよ。実際、つい最近まで死にかけていたのは、ミシャも知ってるじゃないか。人なんて脆いものだよ」

「ジルも私を置いていくの?」

「ミシャの方が、僕を置いていくかもしれないよ、そんなのわかるものか」


 ジルはなんだか無性に腹が立ってきた。何に対してかはわからないが。

 ミシャはしょんぼりと萎れてしまった。彼女は花のようで、落ち込むと、花が萎れた、という印象を人に与える。


「私、これからどうしたらいいの?もう家に帰れないなら」

「他の高位魔導士と同じで、ここで暮らす事になるんじゃないかな」

「そっか……」


 ミシャはもう一度起き上がり、ベッドから降りた。そしてランプに向かって灯りの魔法を使ってみる。灯りはつかない。ミシャの瞳に涙が溜まる。

 そのままベッドの端に座り込んだ。


「魔法が使えないと、ここにもいられないよね。師匠の弟子でもいられない」


 ミシャは顔を隠すように両手で覆い、苦悩の言葉を口にし続ける。


「騎士団に入れるかなあ?でも私、剣で打ち合いはできないし、どうしよう……」


 ミシャは何もかも無くしてしまい、更には居場所も、このまま失ってしまいそうで怖くてたまらないという様子を見せていて、傍にいるジルを困惑させる。


「魔法はまた使えるようになるよ。前もこんな事あったよね?」

「以前回復した方法を試したけど、だめなんです」


 ジルは困り果ててしまった。魔法については専門外だ。


「僕が今から団長閣下と相談してくるよ。だからミシャは部屋で休んでて?」

「はい、わかりました」


 ジルが扉の向こうに消えて数分後、ミシャはこっそり部屋を抜け出して行った。

 いつも彼女は、返事だけが立派で、行動が伴わない。ジルは付き合いがまだ浅く、その返事を信じてしまったのだ。


 魔導士団長の部屋にいた、黒髪の騎士にそれを言われて、慌てて部屋に戻ったら、すでにいなかったという。


「えーー、嘘だろ?ひどいよミシャ」


 魔導士団長の部屋へ再び戻って、床に膝をついてがっくりと報告する。


「もう、部屋にいなかったです……」

「今のミシャを、一人にするのはまずいですね」

「すまないジル」

「あっ、そうだ追いかけなければ」

「おそらく自宅に向かったのだろう」

「行ってきます!」


 彼は慌てて飛び出して行った。


「ミシャを護衛するのは難易度が高いですよ。じっとしてませんからね。ところで、何故あんなに変装が得意なんですか、彼」

「何故だろう、な」

「自分も応援に行きたいところですが、ここを離れるのもまずい気がして」


 ミシャにもジルにも伝えられなかったが、魔導士団長もこれまで何度も襲撃を受けていた。相手はすでに、なりふり構わずと言った様子で。


 ジルは急いでミシャを追いかけた。何もなければいいけど。

 どれくらいの時間差があったのだろう。ミシャの家にたどり着いたが、追いつけなかったようで、すでに扉が開いていて、彼女は中に入ってしまっているようだった。


 ジルはそっと、扉の奥に歩みを進める。

 暗い部屋。入ってすぐのリビングで、ミシャは立ち尽くしていた。


 床も、壁も、天井も、赤黒い血痕で覆われていて、想像以上の惨状だった。ミシャは振り向き、そこに追いかけて来た女性の姿のジルを見つけると、とぼとぼと重い足取りで歩み寄って来た。ジルは、急いでミシャの手を引いた。


「ここにいちゃダメだ、帰ろう」

「どこへ?」

「魔導士団長のところに、とりあえず」


 ミシャが王都に戻って来たことを知られるのがまずい。ここに来た事を見咎められていないといいのだが。

 ジルは自分の纏っていた下位魔導士のローブをミシャに着せて、フードを目深に被せる。


「ミシャ、よく聞いてね。犯人はまだ捕まってないんだよ。お願いだから僕が守れる範囲にいて欲しい、これ以上心配させないで」


 必死の表情で切実に頼んだ。ミシャは、反省を深めたようで、深く頷く。


「気づかれてないといいけど、なんだろう、ダメな気がする」


 ミシャを少し抱き寄せて、周辺に目線を送る。

 あの女を見た時のような、ざわざわとした恐怖感がジルの心に訪れている。あの女は、人の命など気にもかけず、一切躊躇しない。そういうタイプだ。そして防ぎようのない、精霊の使役による攻撃。

 とにかく人通りの多い道を選んで、尾行に気を付けながらミシャを魔導士団長の元に連れて帰った。



 銀髪の魔導士は机に肘をついて座り、ミシャはその前に立たされ、コーヘイがその隣で、無言でミシャを見る。


「詳しく説明していなかった私達も悪いが」

「ごめんなさい師匠」


 コーヘイが、いつもより強い口調でミシャを叱る。


「ミシャの勝手な行動で、リスクが高まる事もある。もし犯人がそこにいたら、ジルも危険だったというのはわかるよね?」

「はい」


 ミシャが反省をしている時に、追い打ちをかけるのは忍びないが、セトルヴィードもきつい口調になってしまう。


「何もないときは自由にしてもらってもいい。だが、今は有事であるという自覚を持って欲しい」

「はい……」


 ジルは表情を隠し切れず、真っ蒼になっている。何かが自分に警告をしてきているのだ。声は聞こえないが、ジルの傍にいた何かが危険を知らせてきているように思えた。やはり、あの場所にミシャが行った事を、敵に知られている。本当に自分一人で守り切れるだろうか。とにかく危険を感じる。


「お父さんとお母さんは、私のせいで死んだのです?」

「ミシャのせいではない。だが、ミシャを要因としている」

「ミシャが勝手な事をすると、被害者が増えると思って行動してください」


 追い打ちにつぐ追い打ちで、ミシャはどんどん萎れて行った。


「閣下、あの……」


 ジルはたまらず、その叱責の応酬に割って入る。


「敵に、ミシャが王都に戻ってる事を知られたかもしれません。僕の勘、という曖昧なものですが」


 紫の瞳が細められる。ジル程の手練れの勘だ、確かだろう。ジルの表情も顔色も、その危険度を伝えてくる。


「ジルには申し訳ないが、片時も離れないようにして欲しい。ミシャも絶対に一人にならないように、いいね?」

「はい……」


 ひとしきり叱られた後、二人はミシャの部屋に戻された。


「ジル、ごめんなさい、本当に」

「もう僕の傍から、絶対に離れないって約束してくれるなら、許すよ」

「約束します」


 ミシャはあの惨状を見て、父母の死を認められたという点は良かったのだろう。だが、敵に存在を知られたのはまずい。とにかく目的がわからないのが気持ち悪い。


「ミシャごめんね、あの女に僕は勝てる気がしないんだ。だからもし僕が死んでも、悲しまないで。それは仕方がない事だから。強い者と弱い者が戦えば、弱い者が死ぬ、それだけだからね」


 ミシャは真っ蒼になった。自分のせいでジルが死ぬ。その可能性を上げてしまった事を知り、恐怖と後悔が一気に押し寄せて来た。

 それでも、行きたい場所がある。


「お父さんと、お母さんの、お墓に行くのもだめです?」

「今は我慢して欲しい」


 ミシャが来る可能性のある場所を、見張られていたのかもしれない。

 とにかく実力派の騎士団員に護られた、魔導士区画にいるのが安全に思われた。


 数日だけ、平穏だった。

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