第24話

 ジルはもう、台所に出て来て食事をするようになっていた。


 ここに来て、数週間経つ。食料品や日用品は定期的に送られて来るが、手紙の類は一切ついていない。母あたりから、一通ぐらいあっても良さそうなのに。


 何かおかしいと思いつつ、ミシャは小川で洗濯をし、洗い終えると頑張って絞り、洗濯籠を抱えようとするが、結構重くて、ちょっとふらつく。そこにジルが来て、ひょいっと持ち上げて持って行ってくれる。


 ぱたぱたと叩いて干すと、不思議と風が吹き始めて、洗濯物を躍らせる。


「なんだかここ、不思議な感じがします」

「精霊が、たくさんいるんだと思うよ。ミシャを助けてくれてる」


 姿を見る事はできないが、何かの力が周囲にたくさんあるような気はする。


「ジルにも見えないです?」

「見えないよ、見えるといいのにね」


 声は聞こえてるけど、とは言わない。明らかに味方だが。

 ジルはそろそろ、自分の怪我は癒えたと感じていた。


「ミシャ。明日、王都に帰ろう」

「ジルはもう、大丈夫なんです?」

「うん」


 王都で何か、起こってる気がする。戻る事はミシャに危険があるかもしれないが、ここに居続けるわけにもいかない。



 ミシャは魔法が使える位置まで家から離れ、帰りの連絡をするための魔法陣を広げる。明日、お昼に迎えをお願いしますという言葉を乗せて、送った。

 一応その場所で、ミシャは魔法を使ってみるが、やはり使えない。以前使えなくなった時のように、魂の中の魔力の器を探すが、なんだかぼんやりしてしまっていて掴み切れないのだ。こんな事は初めて。

 心は癒されている感じがするのに、何故だろう。

 家に戻ると、ジルは目を閉じていて、ミシャの帰宅に合わせて開いた。また寝ていたようだ。


「ジル、一つ言い忘れていたことが」

「何?」

「私、魔法が使えなくなってるんです」

「わかった。そのつもりでいるよ」


 魔法を使えても使えなくても関係ないという彼の態度に、ミシャは安堵した。


 その夜ベッドに潜り込んでから、明日戻るというのに、楽しみより不安の方が大きい事をミシャはジルに告白をした。説明が難しいが、予感的な。


「僕が傍にいるよ。いないように見えても、ちゃんといるから安心して」

「陛下の警護は?」

「今は、やらないつもり」


 絶妙な匙加減で急所を外してきた辺り、ハーシーには何か目的がある。何かはわからないが。その状態で国王の元に自分が戻るのは、良くない気がした。


――”死んでおけ”という言葉には、死んだ事にしておけという意味がありそうだ。


 匿ってくれた魔導士団長に恩返しも必要だろう。ミシャを守る事が、自分の今すべきことのように思う。ディルクの代わりにはなれなくても、ディルクが出来なくなった事を引き継ぐのは、やぶさかでない。


 ミシャはもう、ディルクの事は吹っ切れているように見える。きちんとお別れが出来たのだろうか。時々、寂しさの揺り返しがあるだろうけど、この件について彼女はきちんと乗り越えているように思えた。

 しかし、魔法がまた使えなくなっている点は気になる。彼女は動揺すると、魔法が使えなくなることが多い。その集中力で細かな仕事をしてるせいで、随分とデリケートなようだった。むしろ、魔法が使えないという前提でいるほうが、いいようにすら思える。


「あ、そうだ」

「どうしたの?」

「明日、誕生日でした」

「ミシャの?」

「はい、これで十八歳です」

「ついに大人だね」


 この国では十八歳が成人。ミシャは何かを思い出してしまい、声を立てずに少し泣いてるようだったので、ジルはベッドから出ると、彼女の枕元に歩み寄った。


「ディルクさんは、私が十八歳になったら、何かを言ってくれるはずだったんです」


 きっとプロポーズでもする気だったんだろうと、ジルは思った。そんな約束があったのに、あいつときたら、本当に。

 ミシャの半身を起こさせ、ぎゅっと抱きしめて慰める。


「僕はディルクの代わりにはなれないよ、なるつもりもない」

「はい」


――代わりじゃなく、僕を僕として見てくれるなら大歓迎だよ。


 悲しむ少女に付け込むような事はしたくなくて、心の声は言葉にしなかった。

 彼女には、今は静かに泣いてもらって、ディルクを偲ばせる。

 ミシャが泣き疲れて眠ってしまったのを確認すると、そっとその体を横たえてやり、毛布を肩までしっかりかける。

 そして自分が、彼女に出来る事は何かと考えていた。



 翌日の昼、二人は森の外れにやってきた。帰還の魔法陣の座標位置である。ジルは、通常の騎士団の制服を着ている。

 戻った時に、人目がある事を憂慮しての事だった。


「そうだミシャ、十八歳おめでとう。これ、今日の記念に」


 ミシャの掌に、小さな木彫りのリスが置かれた。リスが手に持ってるどんぐりだけが本物だった。ジルが、枯れ木を削って作ったらしい。とても器用な出来栄え。


「かわいい、ありがとうです」

「十九歳の誕生日には、もっといいものを用意するよ」

「タヌキとかです?」

「キツネの方がいい?」


 笑いながら他愛もない会話をしていると、魔方陣が開いたので、二人はそれに乗って、久々に王都に帰還した。


「ミシャ戻りました」

「ジル、戻りました」


 二人の前に、銀髪の魔導士が静かに立っていた。


「二人共、無事で何よりだった」

「閣下、援助をありがとうございました」


 傍らに、コーヘイの姿も。


「以前は世話になりました、護衛騎士団長のコーヘイです」

「ミシャの護衛騎士のジルです、改めましてよろしくお願いします」


 前回会った時は、挨拶すらなかった二人は、握手を交わした。


「ミシャは荷物を置いて、着替えたらまた、ここに戻るように」

「はい」


 セトルヴィードは視線だけで、ジルにはここに留まるように合図をする。ミシャには聞かせたくない話、しかしジルには伝えておきたい事柄があるようだった。

 ミシャが出て行った事を確認してから、コーヘイが口を開く。


「ディルクの死亡については伝わっていますか」

「はい、聞きました」

「ミシャの、両親も亡くなりました。殺されました、ミシャを狙う何者かに」

「!?」


 さすがのジルも、わずかに身じろぎをしてしまう。

 フレイアの家にも、襲撃があったことを伝えると、今度は銀髪の魔導士とコーヘイが身じろぎをする番だった。


「よく守ってくれた」

「ロレッタさんも、負傷を。とにかくミシャと親しかった者が次々と、その行方を捜すために被害を受けました」

「本来の仕事があるジルに頼むのは心苦しいが、ミシャを守って欲しい」

「僕は元よりそのつもりなので」


 ジルはふと、国王には報告したが、魔導士団長に伝えてない事柄を思い出した。


「コーヘイ卿を拉致した、あのレナルドという男によく似た女が、例の呪術を仕掛けた女魔導士の黒幕でした。双子ではないかというぐらい、とても似ていたのが気になります。巻き毛気味のアッシュブロンドに青銅色の瞳」

「謎の女か」

「精霊を使役していたので、白呪術師だと思われるのですが、その使い方が」


 その様子を伝え聞いたセトルヴィードは、顎に手を持っていく仕草を見せ、しばし記憶をたどりつつ考えている様子だったが、多少言いよどみながら、考えた末の結論を口にした。


「確かに、そのような用途も可能だろうが」


 白呪術師は精霊を使役するといっても、質問に答えてもらうとか、治癒を代わりに行ってもらったりというやり方だ。まるで魔獣を使役するかのように精霊を使役する白呪術などは聞いた事がない。


「自分、魔法も呪術もわからないのに、こういうのは何ですが、黒とか白とかは後付けなのではないでしょうか。呪術師はとにかく、魂を使役する存在という感じで担えておいて、見知らぬ方法に狼狽しない方が良いと思います」

「そうだな、コーヘイの言う通りだ」


 しかし事前情報はありがたい。おそらくいきなりそのシーンに遭遇したら、随分混乱してしまいそうだ。精霊の攻撃は、物理と魔法の中間的なものだから、どちらの力でも防ぎにくい。防御の魔法陣も効かず、物理的にも防げない。

 とにかく危険な力だ。そういう意味では、銃の危険性と同じと言えるだろう。


「白呪術師の目を見て、操られる事はあるんでしょうか?」

「その辺りは同じだと思う。人を操る白呪術師も聞いた事はないが」


 ミシャを付け狙う女が、その呪術師である可能性は高い。情報を集めたかった。


「ミシャの両親については、隠しきれないから、この後、伝える」

「……今日が、誕生日だと、ミシャは言ってましたが」


 重苦しい空気が、更に部屋を暗くした。こんな時に、ディルクがいてくれれば。ミシャを一番支えられる人物だったのに。


 ついに彼女の入室を求める声とノックの音がして、全員が覚悟を決めた。


「ミシャ、大切な話がある」

「何です?」


 ジルが傍にあった椅子を引いて、さり気無くミシャを座らせた。コーヘイはその気遣いの細やかさに感心した。

 椅子に座るミシャの両肩に、銀髪の魔導士は手を置き、なるべく落ち着いた優しい声を出す。囁くように。


「アルタセルタと、ローウィンが亡くなった。葬儀はカイルが行った」


 ミシャは、その言葉を理解するのに、随分と時間をかけた。意味がなかなか頭に入ってこなくて、ただ、目を見開いて紫の瞳を見つめ返した。


「え?」


 ミシャの誕生日。今日という日に帰って来る事が決まり、きっと両親は喜んで、仕事を休んで、御馳走を作って待っていてくれると思っていた。この後は、走って帰るつもりだったし。

 最後に見せてしまったのは、泣きつかれたボロボロの姿である。

 料理が出来るようになった事を、伝えるつもりもあって。お母さんはきっとすごく喜んでくれるはず。ああ、そうだ、お母さんは花嫁衣裳をそろそろ選びたいって言ってた。あれ?でも結婚なんてするんだっけ?結婚相手はもういないんだっけ?あれ?なんだっけ?何がどうしたんだっけ……。

 

 ミシャの瞳が徐々に光を失って、ゆっくりと閉じられ、体は椅子に沈みきった。


 セトルヴィードはミシャの肩からそっと手を離した。

 ミシャは静かに、椅子に身を預けている。


 三人は、今後どうするかを相談する事となった。

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