第23話
ジルの回復がとても速くて、早々に普通の食事も摂れそうだと判断したミシャは、今日もノートのレシピと睨めっこをしていた。
風がどこからともなく吹いて、パラパラとページを勝手にめくってしまい、ミシャは慌てて押さえたけれど、何ページも飛んでしまった。
「わわわ、どこまで見たっけ」
風が最後に開いたページのレシピが目に入り、それが今のジルにちょうど良いメニューのように思えた。
「あ、これでいいか」
風がそれを教えてくれた気がする。
「風さん、ありがとう」
何処に向かってという訳でもなく、ミシャはお礼を口にすると、早速、それを作り始めた。
なんだか料理が趣味になってしまいそうなほど、楽しい。鼻歌なんかも歌ってしまったりして。家に帰ったら、お父さんとお母さんにも作ってあげよう。絶対にお母さんは喜んでくれる。こういうのを期待されていた気もするし。
心配もたくさんかけてしまったから、親孝行になると思った。
料理の最中に、セトルヴィードからの魔法の書簡が届いた。小さな光の小鳥の配達員が、ミシャの前に手紙を置いて、そのまま消滅。
「師匠?」
ミシャはその手紙をつまみ上げて読む。
『ジルが完全に回復するまで、戻らないように。ジルが回復したら連絡を』
「え、それってあと何週間?」
思いのほか、長い期間をここで過ごせと言われて、不安になる。自分はだいぶ元気になってきた気もするから、一度は顔を見せに帰りたかった。あんなボロボロで死にそうな顔でこちらに来ているのだから、今の、ジルに付き合ってたくさん食べて、血色の良くなった顔を見せたい。
だが師匠が、わざわざこう連絡してくるという事は理由があるのだろう。帰還の魔法を用意してもらう必要があり、ここから自力で王都に戻るのは、旅をした事のないミシャには不可能であるにも関わらず、ここまで念を押すのは。
しかも今、ミシャは伝達の魔法も使えず、この場所自体も魔法が封じられているので、細やかに連絡しようと思うと町まで出て、手紙を送らないといけない。
最後に帰る時の連絡用の魔方陣だけ、ミシャは持っている状態だ。
とりあえず出来上がった食事を、ジルの元に運んだ。例にもれず、部屋に入ると、パカっと瞼が上がる。
「いい匂いがする」
ジルが体を起こした。すでに自力で、体を起こせるようになっている。これは予想より、回復が早いのかもしれない。
パクパク食べるジルの顔を、ミシャは見つめてしまっていた。
「うん、おいしいよ」
「良かった」
しっかり食べて、しっかり眠るというサイクルで、ジルは確実にその体を癒していたが、あとどれくらいかかるのかは判断がつかない。
ミシャが不安そうな顔をしているのが、料理の出来不出来を気にしている訳ではない事に、青年は気づいた。
食べ終えた後は、いつも速攻で寝ていたが、彼は体を起こしたままで、ミシャに声をかける。
「何か困った事があったの?」
「ジルが元気になるまで、帰って来るなって」
「一時的に帰るのもダメな感じ?」
ミシャは届いた書簡を、無言でジルに手渡した。灰色の瞳を向け、その文面を眺め、行間を読む。絶対に帰って来るな、という強い意思を感じ、なおかつジルに対するメッセージであるような気もした。ジルも、完全に回復したと感じるまで、戻ってはいけない、という事だ。国王と同等に、魔導士団長は信頼に足る。彼は、その意思を汲む事にした。
書簡をミシャに返して、ジルは体を横たえ、力強く宣言する。
「なるべく早く治してみせるよ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
王都では、カイルが頭を抱えて、いつものように深い溜息をつく。
魔導士団長の部屋に、セトルヴィード、カイル、コーヘイの三人が椅子に座っていた。このメンバーの場合、コーヘイやカイルは立っている事が多いのだが。
今までになく重々しい空気が、部屋の中に満ちている。
「ミシャに、何といえばいいのかわからん」
カイルが頭を抱えながら、苦しそうに言い、セトルヴィードは腕を組んで目を閉じ、コーヘイはその二人を心配そうに見ている。
ミシャがフレイアの家に移動して一週間後、事件が起こっていた。
王都の中のミシャの自宅。血まみれで発見された、ミシャの父母。
魔導士で、それなりの実力派の二人が、殺されてしまっていた。防御系の魔法が使えるローウィン、攻撃魔法使いのアルタセルタの両名が、簡単に殺されるなど、ないはずであった。しかもわずかに、拷問の痕跡すらあったという。
「誰かが、ミシャの行方を探そうとしているようです」
コーヘイが口を開く。
二人はミシャの居所を調べる過程で殺されたのだと思われた。ミシャが今、フレイアの家にいる事は、ローウィンは知っていたがアルタセルタは知らない。魔導士団長の選んだ場所に、何の不安もなかったからだ。
「ローウィンは、言ってしまっただろうか」
紫の瞳を上げて、銀髪の魔導士も続けて口を開いた。もし、彼が告白していれば、あの場所も安全とは言えなくなる。
アルタセルタにベタ惚れだった彼の事だ。もし妻を人質にされてしまったら、ミシャの聡さに期待して、言ってしまいかねない。
「何故そこまでしてミシャが欲しいんだ?というか、誰なんだよ一体」
カイルが頭を掻きむしる。ディルクを失って、あそこまで打ちひしがれていた少女に、まさか父母の死まで伝えなければならないなんて。
「ミシャは、古代魔法の専門家で、その体に刻んでもいる。今は小麦の精霊も宿しているし、特別な存在ではありますね。あとは異世界人というところでしょうか」
「しかも可愛い、最近一段と綺麗になったし」
カイルが付け加える。
どの要素をもって、ミシャが欲しがられているのかがわからない。
ミシャを殺そうとしている訳ではなさそうな点が、拉致されたコーヘイの件とかぶる気もする。
「コーヘイと違って、異世界の知識も経験も乏しいから、今現在のミシャそのものに、何かの価値があるのかもしれない」
とにかく、ミシャに危険が迫っているのは確かだった。ミシャと近しい者も、危険である。ミシャの居所を知っていそうな人間として、次に挙げられるのは、師匠である魔導士団長であろう。
コーヘイは警備を更に強化する事を心に誓った。
レナルドの銃は、今はコーヘイが持っていた。弾は四発を残す。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
朗らかな午後、昼食を食べ終えてジルは眠っていた。ミシャも椅子に座り、ジルのベッドに突っ伏してかすかな寝息をたてている。
『ニゲテ!カクレテ!』
ジルの耳元でまた声がして、彼は弾かれるように体を起こした。
「うっ、痛っ」
「ジル?」
ミシャもジルの声でぱっと顔を上げ、目をこすって何事なのかと彼を見る。
青年は体を起こし、耳を澄ますと、遠く馬蹄の音が聞こえる気がした。嫌な予感がする。先ほど聞こえた声に、今すぐ従う必要があると直感した。
ジルは多少の痛みはあるものの、ベッドから抜け出す事ができた。驚いた顔をするミシャの手を引いて、とりあえず部屋を出るが、自分とミシャの足では、今から遠くに逃げるのは難しいと思えた。
「ミシャ、階段が腐ってるから気を付けて。二階に隠れよう」
「え?何から?」
「なんだろ、わからないけど」
二人は体重が軽かったので、腐った階段もなんとか登り、一番奥の部屋のクローゼットに身を隠す事にした。どの部屋も雨漏りが原因で、床がいつ抜けてもおかしくない傷みっぷりだ。
狭いクローゼットの中で、ミシャが下、ジルが覆いかぶさる感じでミシャを守るようにする。ジルは上半身に包帯を巻いただけの姿であるが、いつの間にか、二本の剣はしっかり持って来ていた。
クローゼットの扉を少しだけ開けて、様子がうかがえるようにする。
「狭いけど我慢してね」
小声でミシャに注意を促す。剣の柄をぎゅっとジルは掴んだ。
その直後、扉が荒々しく開けられる音がした。
「何だ?空き家じゃねえか」
「ほんとだ、埃だらけだ。誰かいるようには見えないぞ」
二人は身一つで二階に上がったので、一階には着替えなどの荷物もあったし、掃除をしたから生活感もそれなりにあったはず。ベッドだって使ったままだ。
なのに。
一階の部屋を数人の男達が漁っているような音が聞こえる。
突然家が揺らぐような大きな音がして、二人はびくっとした。二階の階段を登ろうとした男が、腐った階段を踏み抜いて崩してしまったようだ。
「いてえ!くそ、腐ってやがった」
「ガセだったんじゃないか、こんなところに住めるやつはいないだろう」
「無駄足か」
「一応、周辺も見て回ろう」
男達は来た時と同様に、荒々しく出て行く気配。しかしジルは、ミシャの耳に顔を寄せて、小声でつぶやいた。
「もう少し、このままで様子をみよう」
ミシャは頷いた。密着したジルの体に、少女の震えが伝わる。いつか、母と帰宅中に襲ってきた男達と同じ気配を感じたのだ。
ジルは耳を澄ませ続け、男達の馬蹄が遠ざかるまでじっと待ち、聞こえなくなった事を確認してやっと、彼女に声をかけた。
「ミシャ、大丈夫?」
「ジルも大丈夫?」
「僕は平気だよ」
そっとクローゼットを開ける。静かな、いつもの家の雰囲気を取り戻していた。
ミシャをクローゼットに残し、先にジルが部屋を出て、周辺の気配を探るが、もう出ても良いと判断し、ミシャに合図を送ると、少女も恐る恐るクローゼットから出て来た。
階段は完全に崩落していたが、手すりだけは無事で、ジルが試しに乗ってみた。そのままするする下りていく。
「ミシャも、降りられそう?」
「はい」
二人とも身軽に、手すりだけを使って無事に一階まで降りる事ができた。
階段が落ちてしまった以外は、二人が暮らしていた部屋の状態のままである。これを見て、あの男達は”人が住んでいない”と判断したのが不思議だ。
「どうしたらいいです?」
「もう、ここには来ないと思うよ。留まる方が安全かな」
ジルは崩落した階段の下に散乱する板の中で、廊下を通るのに邪魔な分だけを、横に片付けた。
「なんだろう、怖い。ここに来る前も、私を攫おうとした人がいたから」
心細そうに、少女は周囲を見渡しながら告白した。その言葉を聞き、ジルは思う所があったが、その反応は表情から隠し、普段の口調で少女に問う。
「団長閣下と連絡手段はある?」
「帰りの連絡をするとき用のだけ」
「そっか」
この襲撃は知らせた方がいい気もするが、ここに留まる方が安全なら、知らせても心配をかけるだけだ。
この場所が、二人を守って助けてくれているのは明らかだった。
「そろそろ起きて、体を動かすようにするよ」
「平気です?」
「これ以上は、なまっちゃうからね」
今すぐにでも戦えるようになっておく必要性すら、ジルは感じていた。
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