第22話
この家は、魔法が使えない前提の作りだったので、魔法が使えなくなったミシャとしてはとても有難い。だがしかし。
食事を作らなければならないのだが、実はミシャはろくに料理をした事がない。野菜を切ったりは出来るが、アルタセルタにまかせっきりで、自宅では食べる専門だった。城の方は食堂が充実していたし、作る必要がなくて。
適当に具材を挟み込むだけのサンドイッチを作ったり、お茶を淹れたりは可能だが、怪我人でなおかつ熱もあるジルがそんなものが食べられるとは思えず、スープやシチュー、お粥のようなものが良いと思われる。
それはわかるのだが、作った事がない。
「こんな事ならちゃんと、お手伝いをしておけばよかったよぅ」
とりあえず、道具類を確認するために、台所のあちこちを漁る。
宿屋のような作りなのに、食器類は二組しかないのが不思議だった。そういえばリネン類も二組しかない。
どう考えてもこの家は、二人しか暮らしていない気配なのだ。
後から聞いた話では、ここは三人暮らしだったようなのに。
フレイアと、その父母の三人。
でもその母は、三十を超える事がないような白呪術師だったはず。どういう事なのか、さっぱりわからない。
――先に亡くなったからと、その人の分をわざわざ処分するかなあ。
まさか……白呪術師は人形だけ残して、人形が母親役をやったとか?
肉体を失う事をあらかじめ知って、準備しておけば可能な気はするが。
「まぁいいか、とりあえず何か作らないと」
戸棚に、ちょっとした本棚が備え付けられて、ミシャはそこに救いの神を見た。
料理本と、手書きのレシピノートがあったのだ。
ミシャは、魔導士なだけあって、本の指示に従うのは得意。なんとかこの苦難を乗り越えられそうな気分になって、やっと気持ちが落ち着く。
「ふむふむ」
パラパラと見た感じ、料理本より、レシピノートの方が内容が良く感じられる。
薬草等を含む、熱のある怪我人に良いとされるお粥のレシピがあって、今日はこれを試す事にしてみた。
「でも薬草が入ってるし、激まずだったらどうしよう」
そう思ったが、とにかく庭に出て、指定された薬草を探す。薬草はきちんと花壇の決められた位置に、行儀よく生えていた。誰も世話をしていないはずなのに、繁茂する事もなく、他の植物と混ざりあう事もなく、適度に生えているのである。
「なんで?城の薬草園なんて、いつも大惨事なのに」
生命力の強いハーブ類の薬草は、とにかく雑草の如く生え散らかす。畑に植えては絶対にいけないと言われる品種もあるのだ。だがここの花壇の薬草たちは、なんというか、とても良い子達であった。
なのでつい、声をかけてしまった。
「すごくいい子です」
薬草がちょっと嬉しそうにし、その青みが増した気がする。
「少し葉を分けてくださいね」
レシピに記された分量を、枚数きっちりで摘み取ると、台所に戻って
おそるおそる味見。
「あれ?美味しい。ちゃんとできてるぽい?」
緊張感を持って、ジルの所に運んでいくと、彼はミシャが部屋に入って来たと同時に、目をパカっと開いた。
「起きてました?」
「今、起きたよ」
「お粥、食べられそうです?」
「うん」
手を貸して、背中側に枕を積んで、少しでも楽なように体を起こさせる。
よくわからない葉っぱの入っているお粥に、ジルは一瞬怯んだが、勇気を出して口にする。もしミシャが料理下手でも、僕は耐えて見せる!という類の勇気。
「……美味しい」
「良かった」
ジルがあからさまに意外そうな顔をして、やっぱり料理はダメだと思われていた事を知り、少しだけ傷ついたが、ミシャは、自分の舌がバカでない事に安堵した。
ジルは熱のある怪我人とは思えないぐらい、元気に食べる。食べ終わると、それですべての体力を使い果たしたように、一瞬で眠った。
「すごい。理想の食っちゃ寝をしてる、この人」
肩の傷も治りが早かったし、こうやって回復させているのがわかって、なんだかとても面白い。
面白いと思ったその瞬間、少しだけど、自分が笑えたという自覚があった。
鍋に残ったお粥は自分で食べて、食器を洗う。準備も後片付けも、次は何を作ろうかと、レシピをめくっている時間も楽しかった。
日々、泉に行って水浴びをしたり、木洩れ日の中を散歩したり。ジルの世話をしながら、ゆっくりと過ごす毎日。
そういえば、自分の中に小麦の精霊が育ってるという話を、ふと思い出す。まだ小さな芽なのかもしれないが、一人ぼっちじゃないという感覚が沸いてきた。自分の中に、もう一つの命がいるというのが不思議で、心地いい。
野イチゴを摘んで戻り、レシピにあったお菓子を焼いてみる。自分でお菓子が作れるなんて驚きだった。明るい日差しの満ちる部屋に、甘い香りが漂う。
自分の手料理を、ディルクにも食べて欲しかったと思う。
今回、カイル達が心配していたとは逆に、きちんと葬儀でお別れをしたせいだろうか、時間と共に心に区切りがついていく。
そういえば、葬儀は、残される人のためにすると聞いた事も。
この人はもう、いなくなってしまったのだと。魂だけになって遠い所に行ってしまい、ミシャとしての人生ではもう会う事はない。でもまた次に生まれ変わった時に、新しい自分として出会えるのかもしれない。そう思えるようにする儀式が、葬儀なのだろうって。
大好きだった緑の瞳の騎士。ミシャを温めてくれた、あのぬくもり。囁くような喋り方。優しくて、優しくて。これまでは、早く寄り添える大人になりたかったけど、もう急いで大人になる必要はない。
棺の中の彼は、とても凛々しくてかっこよかったと。自分の仕事をやりきった満足感に満ちた、とても素敵な顔だった。彼にとっては国が一番で、自分を優先してくれなかったのは、寂しいけど。
その時、最高の効果を得る方法を選び、後悔しない生き方をする人を、愛していたのだと思うと、それはそれで誇らしい。初めての彼氏は、とても素敵な人だったと、今、心からそう思えるのだ。
将来また恋をして、その人と結婚して、子供を産んで、子供たちに「お母さんの初恋ってどうだった?」って聞かれた時に、とてもたくさんの事を語ってあげられる。そんな思い出を作ってくれた、素晴らしい恋人。
この慈愛に満ちた場所は、なんて素敵なところなんだろう。哀しみに曇っていた目を、ゆっくり覚ましてくれた。もし、王都にいたら、なかなかこの気持ちになれなかったかもしれない。
『ソロソロ、ジカンダヨ』
心を整理していたミシャは、不意に現実に引き戻される。
――あれ?誰か、時間だよって、言わなかった???
ジルの包帯を交換して、薬を飲ませるタイミングだった。気のせいだったのかなあと思いつつ、本当に時間をすっかり忘れていたので助かった。
部屋を覗き込み、怪我人の様子を見る。
ミシャが部屋に入ると、ジルは目を開けた。
「起きてました?」
「今、起きたところ」
「ジルって人の気配で起きるんです?」
「うん」
思い出してみると、彼は何もないとき、目を閉じている。あれは寝ているのだと気づいた。細切れに、眠れる時に寝る。そうする事で不規則な任務に対応しているのだ。
包帯を交換して、いつもの薬を飲ませる。色も悪いし匂いもすごい、とても見た目は苦そうな薬なのに、彼は全く平気そうな顔で飲む。
「苦くないです?」
「苦くないよ」
ミシャは小さなカップに残った薬を、小指でちょこっとすくって舐めてみる。
「うえ、不味い」
「苦くはないだろ?」
ジルが笑う。ミシャもつられて笑う。
灰色の瞳に、何かふっきれたような彼女の笑顔が映り、安堵した。
『モット、エガオニシテアゲテ』
ジルの耳に、声が聞こえた。至近距離、耳元で囁かれたと感じた。ジルは驚いたが、表情は変えない。
「なんだか甘い香りがする」
「お菓子を焼いてみたんです、食べてみます?」
「食べる!」
子供のような反応をしたジルを見て、ミシャがまた笑った。
不味い薬のあとの、焼きたての野イチゴのタルトは、とても良い口直しだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「兄上、お借りしていた本をお返しします」
「もう読んだのか、どうだった?」
廊下で手渡された本をアリステアは受け取り、パラパラと数ページをめくる。それは歴史をベースにした創作物語だった。
「とても面白かったです、魔導士の項が特に」
「おまえもそこに目を付けたか。深いだろう?」
「ええ、勉強ばかりだったので、気分転換にもなりました」
「これは続きも面白いのだ、また貸そう」
「楽しみにしています」
兄弟の何気ない会話に、情報交換を忍ばせて。城内に内通者がいるのは明らかであったし、特にキースが最大の警戒を見せていた。
立ち去る弟王子を見送りつつ、アリステアは少しだけ笑う。
――弟とはいえ、恐ろしいやつに育ったな。
女顔の可愛らしい王子は、人柄がとても良いと評判である。優し気で剣の腕はイマイチ。姫王子や文弱の貴公子と揶揄される事もある。
しかし生来の頭の良さに、時折見せる判断力の鋭さ、その度胸。
学び取るべきことを貪欲に求め続ける、その執着心。
まさか、ディルクの諜報活動の跡を継いだのが、キース王子だったとは、誰も思わない。すでに彼が、多くの人を欺いている事を、国王と王妃、アリステア以外に知る者はいなかった。
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