第六章 精霊は謳う
第21話
ミシャが何者かに攫われかけたという話は、すぐに魔導士団長に伝えられた。
少女はひどくショックを受けた様子を見せていたので、カイルの部屋に舞い戻る羽目に。
「おいおいマジかよ」
ミシャがひどく怖がっている様子が気になる。これまでこんな風に、怯える事があっただろうか?今は確かに、魔法も使えず、剣も持てずで心細いだろうが。
震えながら、カイルにしがみついている姿が弱々しい。
その背中をさすって落ち着かせようとするが、そんなものでは何の効果もなさそうだった。
「ここは安全だから、もう大丈夫だから」
この言葉をひたすら繰り返す。
「俺じゃ頼りないのかなあ」
――治癒の専門家じゃなあ……。魔導士を守るのは騎士の役目だし。
その肝心の、ミシャを守護すべき騎士は死んでしまって、もはやいない。コーヘイは、魔導士団長の守護騎士だし。
困り果てたカイルは、眠りの魔法を使って、ミシャを気絶させた。
「雑で、すまん」
翌朝、目覚めたミシャは元の落着きを取り戻し、一晩ぐっすり眠ったのが良かったのか、少し顔色も良くなり。
だが食事は、ひと匙ずつ口元にもっていかないと食べようとしない。食べさせ過ぎると吐いてしまうし。
その様子をカイルから伝え聞いたセトルヴィードは、ひとつ妙案を思いついた。
「ミシャをフレイアの家に送ろう、そこでミシャに仕事をさせる」
「仕事って何の?」
銀髪の魔導士は顎に手を持っていき、言葉を選んでいく。
「……生き物の世話とか」
「ああ、何かを世話させるのはいいかもしれないな。自分が保護しないといけない弱い対象がいる、というのは良いと思う」
こうしてミシャは再び、森の中に送られる事になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――熱い。傷が、熱い。体も熱い。くそ、ハーシーの奴め、覚えてろよ。
不意に額に冷たい感触。自分の汗を、誰かが拭ってくれているのがわかった。
その灰色の瞳をゆっくり開けると、明るい部屋に自分が横たわっている事を知る。
タオルを水に浸し、絞る音が聞こえ、その音のする方に目線を向けた。
「ミシャ……?」
熱に浮かされて、幻覚を見ているのかと思った。
「ジル、大丈夫です?」
「あれなんで?ここどこ?」
体を起こそうとしたが、焼け付く痛みが全身を貫く。
「うっ」
痛みに思わず息を吐く。
「動いたらダメです」
少女がそう言いながら、冷たい濡れタオルで首筋を拭ってくれる。
とても気持ちいい。
「何がどうなってるの?僕どうしたんだっけ」
絶対に敵ではないと信じられる、魔導士団長の部屋にたどり着いた、と同時に、意識がどこかに吹っ飛んだ記憶だけがある。
「師匠が、ジルの世話をしろって」
「あ、ここはもしかして、あの家なのか」
「そうです」
「こんな所に二人でいるってバレたら、ディルクに殺されちゃうよ」
笑顔を作ってそう言うジルに、ミシャが苦しそうに口ごもり、パッと彼から目を逸らしながら、言葉にしたくない事実を告げる。
「もう、ディルクさんは、いないです」
「え?」
「死んで、しまい、ました。お葬式も、終わりました」
ミシャは涙を抑えきれなくなり、タオルを洗面器に投げ入れると、そのまま外に出て行ってしまった。
「嘘だろ、なんで」
ディルクを狙うような暗殺者は、全部片づけたつもりだ。最近は全く、見張っていなかったけども。別の要因か。不意に、その理由が閃く。
「あいつ!まさか、ミシャじゃなく自分を切り捨てたのか」
起き上がろうとして、激痛。ベッドに体を戻す。
身動きできない自分がもどかしい。とんでもない事だ。
――どうすんだよ、諜報活動は全部あいつの仕切りだぞ。
しかし、その事をディルクが無視するとは思えない。判断材料に、必ずそれも入っているはずだ。もしかして己と同等、もしくはそれに匹敵する諜報の才能を誰かに見出していたのか?平和だった数年前はともかく、自分が失われても、国益を損なわないという判断がなければ、今の情勢不安のある中で、ディルクは自分を切り捨てたりしないはずだ。
「それはともかくミシャだよ。どうしよう、前回も相当だったのに」
ミシャは走って、走って、森の泉にたどり着いていた。
彼の左目と同じ色のこの泉で、溺れて死んでしまいたい衝動に駆られる。
でも、ジルも重症だ。ミシャが世話をしないと、彼も死んでしまう。彼は誰かに殺されかけ、魔導士団長によってここに匿われていた。
気分を変えるために、綺麗な泉の水で顔を洗う。
そのまま水面に顔を映すと。
「わ、なんか酷い顔」
ここ数日、毎日泣いたせいか、ボロボロだった。
「こんな顔してたんだ」
母も父も、カイルも師匠達も、そりゃこんな顔をしてる娘がいたら、心配するだろうと納得した。特にカイルは、ミシャを回復させられない自らを責めているようにすら見えて、心苦しい。副団長は何も悪くないのに。
突然、カサカサと茂みの揺れる音がして、ミシャは身を固くした。
その方向を見ると、リスが一匹。リスは再び茂みの奥に消えて行く。ミシャはその方向に歩みを進め、茂みをかき分けると、そこにはたくさんの野イチゴが実っていた。
実は丸々として、これほどまでに大粒に実っているのを、ミシャは初めて見る。
一粒、採って口の中に入れてみた。
「すごく、甘い」
もう一粒、口に運ぶ。美味しかった。懐かしい気もする。幼い頃元の世界で、祖母に教わって山の中で食べた記憶が蘇る。急にお腹がすいてきて、次々につまむ。
最後に十粒程をハンカチ乗せ、ジルのために持ち帰る事にした。
部屋に入るとジルは起きていて、心配そうな眼差しをミシャに向けてきている。
「いい物、見つけてきました」
「何?」
「はい、あーん」
「え、ちょっと」
ジルの口に野イチゴが放り込まれた。
「あ、おいしいね」
持ってきた全部をジルに食べさせ終えた。
指示されていた薬を飲ませると、すぐに彼は寝息をたてはじめる。
ミシャはその寝顔を静かに見守った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
コーヘイは先日使われたルートの、警備について考えている所だ。
その隣にセリオンは立って、一緒に考える。
少ない人員で効率的に、広い範囲をカバーする必要があるのが難しい。城の庭を二人で行ったり来たりしていると、可愛らしい顔立ちの王子が走り寄って来た。
「二人はさっきから、何をやってるんだ?」
「これは王子殿下」
「警備配置を考えている所ですよ」
王子は興味深そうな目線を、二人の頼りがいある騎士に向け、おずおずとその希望を口にする。
「私も一緒に考えて、いいだろうか」
セリオンとコーヘイは一瞬、顔を見合わせた。
「そうですね、さっきから二人で考えていて煮詰まっていたので。殿下の目線からの意見も伺いたいです」
王子はぱっと、その表情を明るくし、嬉々として警備についての質問攻め。
優秀な騎士が二人もついているからと、護衛の騎士を下がらせて、三人は庭を歩いていく。セリオンが警備の方法や考え方について、ひとしきり講義をし、その説明が途切れると、王子は全く別の質問をしてきた。
「ミシャはどうしてる?」
王子は小さなメモを隠すように持っていて、それをコーヘイにだけ、見えるようにした。
「体調を崩してしまって、今は静養しています」
「自宅で?」
「王都の外れの、親戚筋の家と聞いてますよ」
「そうなんだ」
「両親が働いていますからね。日中に一人だけにするのは心配でしょうから」
王子の見せた紙にはこう書かれていて、コーヘイはその指示に従って答えている。
『監視され、ミシャの居場所の情報が狙われている。違う答えを返して欲しい』
「殿下はミシャの事が心配なんですね」
「一緒に遊んだ仲だから」
三人は立ち止まった。城壁に囲まれた庭の隅。
「ここで、ミシャの好きな人が亡くなりました」
まだ芝生のあちこちが、めくれあがって乱れていて、その戦闘の激しさを物語っているかのよう。コーヘイとセリオンにも、あの日の切ない気持ちが再び去来する。あの場で、あれがベストだったのだろうかと、何度も自問自答。他に方法はなかったのか、今更考えても詮無き事を、ついつい考えてしまう。
ディルクが爪痕を残してしまったのは、ミシャにだけではなかった。
「ミシャの好きな人は、どういう人だったんだろう」
「騎士としては、あまり腕が立つという人ではなかったです」
目を伏せがちに問う王子の質問に、セリオンが答えた。
「え!?そうなの?」
「どちらかというと頭脳派ですね、語学も堪能でしたよ」
「へえ、そうだったんだ」
自分も同じタイプだと、嬉しそうなキース王子を見て、コーヘイは微笑んだ。
セリオンが続けて話す。
「少し寂しがり屋で、支えてやりたいって気持ちを、ミシャは持っていたようです。ミシャはそういう人が好きなのかもしれません」
「参考になる」
二人は満足した王子を城内に送り届け、護衛騎士と引き継ぐと、再度二人だけで警備について考えを進める。
コーヘイはそれ以外にも考えを深めていた。
ミシャの情報を敵は求めている?もしかして、レナルド以外にも敵がいるのだろうか。自分を狙っていたのはレナルドだったが。
もしミシャが、何らかの理由で狙われているとしたら、彼女を守る護衛が必要かもしれない。しかも並の騎士ではダメだ。ディルクがいない今、自分の判断で動ける人材は、騎士団にいない。命令に従うように訓練されているから当然だが。
長髪の騎士……あの青年がミシャの護衛についてくれれば、かなり心強いかもしれないとコーヘイは思った。
魔導士団長の
結局何者なのか、今、何処にいるのかすらわからない。あの後、姿を見ていないし、城内に精通しているはずの、ディルクでさえ知らなかった存在だ。
だがセトルヴィードは知っていたし、ミシャも知っていた。
これは悩まず、魔導士団長に確認をすれば済む事だと結論付け、警備の方に集中する事にした。
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