第20話

 ミシャは喪服に身を包み、その崩れ落ちそうな体は、父であるローウィンに支えられている。

 城の敷地の外れにある、儀式のための建物に彼女はいた。コーヘイとセリオンも、その中にいて、棺とミシャの両方を、心配そうに見守っていた。


 ディルクは公式な役職がなかったので、殉職した一般の騎士団員として葬儀は行われていた。特定の宗教を持たないディルクは、魔導士葬。

 魔導士がその葬儀を執り行い、最後は魔法で荼毘に付す。


 棺に納められたその体は正式な騎士の装備を纏い、両手は胸の位置で剣の柄を握っている。剣は王自らから下げ渡した物。一度は死んだと思われていて、実は生きていたという驚きを与えた彼であったが、今そこにあるのは、彼が死んでしまったという真実の姿だけ。もう彼は、嘘をつかない。


 少女の顔は真っ白で、黒茶の瞳にその亡骸を焼き付けるように、じっとその棺を見つめ続けていた。

 十八歳になったとき、彼がどういう言葉をかけてくれるつもりだったのか、永遠に聞く事はできなくなってしまった。


 葬儀を取り仕切っている魔導士は、紺色の髪の魔導士。

 高位魔導士による葬儀など、普通の騎士団員としてはありえないのだが、カイルが自ら立候補していた。


「きちんと送っておかないと、あのクソ野郎はまた、生き返って来るから」


 等とは言っていたが。


 式は静かに、恙無つつがなく進行し、最後に浄化の炎の魔法で、彼は灰になっていった。家族を持たないディルクの遺灰は、王都にある騎士のための共同墓地に葬られた。



 うっかりすると、呼吸をするのも忘れそうなほど、ミシャは打ちひしがれていた。ローウィンがその肩をずっと抱いて、倒れないように支えていたが。

 家に連れて帰っても、良くない気がした。一人にしてしまっては、ダメな気がするのだ。魔導士団長に預けるか、恋の相談をしていたというロレッタに一時、預けるのが良いのではないかと思われた。


 ミシャの中の小麦の芽は、その辛さに強く、強く踏みつぶされていた。



 ロレッタは、引き出しの中の宝石箱に一本のネックレスを入れた。

 綺麗なエメラルドと、それを囲うように小さなグリーントルマリンがついている。

 なんだかんだ言って、もうすぐミシャとディルクの婚約の報告を聞く事になるだろうと思い、そのお祝いのためにと言うと、アリステア王子は自分もその贈り物がしたいと、二人で選んだ。王子がなぜかエメラルドだけでなく、グリーントルマリンがついているものを選んだのか、ロレッタは知らなかったが、何か意味があるのだろうと思った。

 これを、妹のような少女に渡すなどという酷な事は、最早できなった。


 ノックの音がしたので、美女は宝石箱を閉じ、引き出しを閉めた。

 侍従に、少女はいざなわれ、ロレッタの部屋に入って来たので、ロレッタは何も言わないまま、ただ優しくミシャの体を包み込むように抱きしめた。


 ミシャは泣いた、ロレッタの胸にすがって。葬儀では涙が落ちなかったが、今は堰を切ったように流れ落ちる。子供のように泣きじゃくった。

 泣き疲れて、その体が力尽きて崩れ落ちるまで、ロレッタは少女の涙を黙って受け止め続けていた。

 ミシャの切ない慟哭が途切れたのを知り、静かにアリステア王子が部屋に入ってきて、ロレッタの膝の上に倒れ込む少女を抱き上げると、ベッドに横たえる。


「あの男は、爪痕を残し過ぎだ」

「お互い、好きでたまらなかったのだもの、仕方ないわ」


 これからの、少女の心を支えるのはどうしたらよいだろう。二人は暫くその寝顔を眺めて考えていた。


「キースじゃ、役不足だろうか」

「わからないわよ、支えの数は多い程いいわ。あたしは支えるわよ」


 少女の肩まで布団をかける。髪を何度も撫でる。



 ディルクを失って動揺したミシャは、再び、魔法が使えなくなってしまった。

 体調も崩して、剣を握る事もままならず。

 ただの、無力な女の子になってしまった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 アルタセルタに連れられて、今日もカイルの部屋で診察を受ける。


「おまえちゃんと、飯食ってんのか?」

「あまり食べたくないです」

「これ以上痩せたら、流石にみすぼらしいぞ」


 カイルは、ディルクのヘタレ加減に心底うんざりしていた。何度ミシャを苦しめると気が済むのか。さすがにこれが最後だが。せめてもの救いは、ミシャを支えようとする人間が多い事。

 こんな事なら本当に、ミシャにディルクの子供がいた方が何百倍、何千倍もマシだった。爪痕ではなく、そういう物を残して欲しかった。特定の愛用品がなかったせいで、まともな遺品がない。形見さえ残さなかったのだ。


 ミシャに残されたのは、思い出だけ。


 診察に使った魔方陣を片付けながら、紺色の髪の魔導士は、意を決したように口を開いた。


「なあ、お前さぁ……」

「なんです?」

「十八歳になったら、俺と結婚するか?」


 ミシャが驚いた顔をした。泣き顔以外を見せたのが久々に思えて、カイルはそれだけでも嬉しかった。


「こう見えても、結構な大貴族だぞ。玉の輿ってやつだ。食うのは困らん。しかも家の責任がない次男だ」

「それは魅力的です」

「欠片も思ってないだろ、お前」

「ばれましたか」


 ベッドの端に座る少女の隣に、カイルも座る。


「半分以上、本気だからな」

「四割は冗談なんですね」

「揚げ足を取るのが、上手くなったな」


 カイルは笑った。ミシャもそれにつられて、少し笑いかけた。

 しかし、すぐに表情が翳る。

 かたきでも討つという目標でもあれば、張り合いがあるのだろうが、ディルクを殺した男はディルク自身の手にかかっている。見事な相打ちだった。


「参ったなぁ、どうしたら笑ってくれるんだ」

「笑わせたいんです?」

「お前は、泣き顔は不細工だ。笑うと可愛い」


 本当は、泣き顔も美しかった。潤んだ瞳も、濡れる頬も。子供のように泣きじゃくっても、泣き顔の方が大人っぽく見えた。


 ミシャは、笑顔を作ってみせた。


「可愛いです?」

「すごく可愛い」

「好きになります?」

「元々好きだから、これ以上はなかなか」


 誘導尋問に引っかかったような、そんな気がした。

 こういうやり取りをした後は、いつも気恥ずかしく、カイルは立ち上がった。


「そろそろアルタセルタが帰る時間だな。おまえも帰る準備をしろ」

「はい」


 続けて立ち上がった少女がふらついて、慌ててカイルが支えた。


「お前、ほんと弱ってるな」

「なんか、しんどいです」


 額に手をやるが、熱はない。


「とりあえず、ちゃんと食べろ。菓子でも果物でもいいから、食べたいって思う物はどんどん食え」

「吐いちゃうから勿体なくて」

「まじか」


 そこまで精神的にやられてるとは思わなかった。

 これは本当にまずいかもしれない。前回もかなりの長期間、ひどい状態が続いた。あの時は、怒りや憎しみの心が呪術師に対して芽生えていて、それが回復を後押ししていたが、今回は、何もない。喪失感と哀しみだけが少女を満たす。


 迎えに来たアルタセルタに少女を託したが、カイルは自分の無力さを噛み締める。自分がこんなに無力だとは思わなかった。


 無力さが、辛い。



 母親に支えられるようにして、ミシャは家に向かっていた。


「今日も好きなものを作るから、ちゃんと食べるのよ」

「うん、お母さん」


 アルタセルタは不意に足を止めた。


「なんだか今日は、随分人通りがすくないですわね」

「お母さん?」


 ローウィンとアルタセルタの家に向かうには、暗い路地を通らなければならない。それでも多少の人通りはあるのだが。なんだか嫌な予感がして、少し遠回りだが、大通りを使うべきかと思った。


 しかしそれは、少し遅かった。前と後ろから、複数の男に通路を塞がれていることに気付いたのだ。


「何ですの?」

「その娘を渡してもらおうか」


 アルタセルタはミシャをその背後にかばう。ミシャは見目もなかなか美しく育ってしまって、販売目的の人さらいに狙われる要素はあった。しかも今は、魔法も使えず、体調を崩して衰弱している。


「お母さん……」


 男達は、アルタセルタを無力な女性だと思っていたようだ。

 彼女は高位魔導士。しかも攻撃魔法専門の。この年齢になるまで、魔導士団の区画入り口を守り続け、その力は円熟を極めている。


 彼女は城に戻る道の方を開ける事にした。

 無詠唱の高位魔法による爆風が、男達を一瞬で吹っ飛ばした。

 同時にミシャの手を引いて走る。よろめく少女。それでもなんとか体勢を立て直し、母親に必死についていく。


 振り向きざまに、追いかけてくる男達の足元に炎の魔法を放つ。動きながらも魔法を使えるのは相当な手練れだ。ミシャでさえ、一瞬立ち止まらないと放てない。

 アルタセルタは、なるべく派手な魔法で、人を呼ぶつもりでもあった。

 その狙い通り騒ぎを聞きつけて、家から人が飛び出して来るのを見えて、男達は追跡を諦め、方々に逃げ散って行った。


 息を切らして、なんとか城の前に戻る事が出来、母子の様子を見て、城門前の騎士達が駆け寄ってきてくれた。

 アルタセルタは振り向いて、男達が追いかけてくる気配がない事を知り、やっと安堵した。しかしミシャは母親の腕にしがみつき、今もかすかに震えていた。


「お母さん、怖い、今の人達、何?」

「もう大丈夫よ、今日は区画のお部屋に泊まりなさい」


 ミシャは、男達そのものより、何か別の恐怖を感じていた。

 自分が、販売目的の人さらいに狙われたような気がしないのだ。

 何かが激しく、ミシャに警告してきていた。

 

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