第19話
コーヘイは、セリオンを救う方法を考えながら、前を行く男に従う。
セリオンは両脇を屈強な男に担がれ、ほぼ引きずられるように連れて行かれる。レナルドの右手には、銃が引き金に指をかけた状態で握られたまま。
あの銃の弾は六発。
コーヘイがこの状況で怖いと思うのは正直、銃だけだった。丸腰でも、近接武器相手の徒手格闘には自信がある。ただ、セリオンを守りながらというのは厳しい。
だが銃声があれば、人は駆けつける。被弾せずに、音を立てさせるというのが有効に思えた。その一発が、何処に放たれるかが肝心だが。
元の世界でも、その撃たれた箇所に関わらず、命を落とす例は多い。とにかく出血が止まりにくく、足や腕を撃たれても失血死する可能性が高いのだ。
レナルドは賢い男だ。
おそらく今日のような場合は、銃の使用は最後の手段だと考えているはず。簡単には、適当な場所には撃ち込まないだろう。
巡回する遊撃警備隊との遭遇を期待したが、まるで全てのルートを把握されているかのように、出会わない。
最近、入隊がないため騎士団員は減る一方で、夜間の警備の人数は多くない。持ち場から離れない警備を避けて侵入する事が、随分と容易になっていることを、コーヘイは改めて感じた。
今使われているルートを覚え込む。無事に戻る事が出来れば、この死角を絶対に埋めなければならないと感じた。
そのためには、セリオンと共に必ず、生きて戻る必要がある。
自分は簡単に殺されない気がするが、セリオンはわからない。城を出てしまうと、逃げられる機会はぐっと減ってしまうから、なんとか城の敷地内で決着を付けたかった。が、良いアイデアは浮かばず、いよいよ敷地の外周に近づきつつある。
不意に、ヒュッと風を切る音がした。セリオンの左側の大男の首に短剣が突き刺さり、そのまま巨体を無言で左に倒した。
「!?」
そこにいる全員が左右に目を向けた。
だが、続く攻撃は真上から。
「チッ」
レナルドは舌打ちをして、その攻撃を銃身で受けてぎりぎり弾いた。
地面に降り立つ軽い音と共に、飛び降りて来た男は続けて、青銅色の瞳の男に向かう。身軽で素早いその姿。服装は文官。
コーヘイは、それに気を取られた自分の右にいた賊の左腕を後ろ手に捻り上げ、武器を奪って、トドメを刺す。賊の全員が、はっとした顔で剣を抜いた。
黒髪の騎士は、セリオンの反対側にいた賊に挑みかかり、一合と打ち合わず地に伏させ、セリオンを開放すると、軽い跳躍の後、続けてもう一人に向かう。
レナルドの左手の拳が、飛び降りて来た男の眼鏡の縁をかすり、飛んで割れる。亜麻色の髪の男は反転して、続く蹴りの攻撃を避ける。
「ディルクさん!」
コーヘイがその名を呼んだ。
緑の瞳の騎士が、息を整えて、剣を構え直した。
いつもの装備に着替える暇がなく、文官の服装のまま。武器はなんとか片手剣を持って来ていた。片手で扱う武器ではあるが、ディルクは左手を添える。握力が弱いからだ。
――不意打ちは失敗した。
これでディルクは一気に不利になった。
下っ端の賊は、コーヘイが倒し終えていた。セリオンはなんとか膝をついて、体を起こしてはいたが、何度も頭を振って、必死に眠気と戦っている様子だ。
戦える人数でいえば、二対一。
普通にやれば勝てる。
だが相手は銃を持つ。
セリオンか、コーヘイか、ディルクか。
三人のうちの一人は確実に仕留められる武器だ。特に、動けないセリオンは致命傷を負うリスクが高い。
ディルクはコーヘイとの付き合いの中で、銃がどういう武器なのか、知っている。何度も見てきた、その恐ろしい殺傷能力。
銃口がセリオンに向けられた。コーヘイを撃つ気がない以上、当然の選択。どんなに射撃が下手でも当たるような距離にある。
「それ以上、騒ぐと、この男は死ぬぞ?」
自分はまだ有利である、という自信がみなぎるレナルドの口調。
それを聞いて、緑の瞳に覚悟と冷たさが備えられた。彼の頭の中では色々な計算が行われる。この三人のうち、誰が死ぬと一番この国に損害になるか。そして誰が死ぬのが、損害が少ないか。
自分の感情や思いは一切捨てる。捨てるしかない。
黒茶の瞳の少女の、夏の花のような笑顔を思い出し、決心が鈍りそうになりかけたが、ねじ伏せた。それに構っていると、目的達成の成功率は落ちる。
「海賊の統領たる男が、何故、一人の騎士ごときに執着するのか、僕にはさっぱりわかりませんね?海の男とは思えない、脆弱さです」
突然彼は、くすくすと、相手を苛立たせるように笑う。
「ディルク、よせ!」
黒髪の騎士は彼を呼び捨てにし、舌戦の開始を
「異世界人の知識と経験が欲しいんですか?お手軽に、手に入れようだなんて。努力の方向性も知らないのか。潮風で錆付くのは、剣だけではないようだ」
緑の瞳の騎士は、レナルドが銃を過信している部分に勝機を見た。
コーヘイを縛る鎖も、その鍵の複雑さを過信して、油断をしていたし。この男は強敵に見えて、何か一つの大きな力を手に入れると、それに依存する。
その証拠に海賊でありながら、その腰には剣がなかった。
銃の力に頼り切っているのだ。
レナルドは、自分が剣を携えていない事を後悔した。緊張感が顔に現れる。
ディルクは剣を下ろすと、無防備な状態で一歩前に進む。
「ディルク!」
緑の瞳の騎士がやろうとしていることに気付き、コーヘイは再度叫んだ。
一人が死ぬか百人が死ぬかなら、一人が死ぬ方を選ぶ。
その一人が、……自分自身でも。
その活躍から顔も名も知られて来て、諜報部員としてはもう限界だった。
普通の騎士としては、その剣技も体力も圧倒的に実力不足。
三人の中で、死んで最も損害が少ない存在は己。
それが緑の瞳の騎士が出した結論だった。
くすくすと笑う。
その瞳には嘲笑。
相手を小馬鹿にする口調と表情で、次々と相手を怒らせる単語が紡がれる。プライドを傷つけられ、ついに、レナルドは我を忘れる程の怒りを持った。
「愚弄するのか、貴様、この俺を!」
ついに銃口が、セリオンからディルクに移る。
緑の瞳の騎士は、口元に笑みを湛えると、レナルドに向かって走り出した。
銃声。
ディルクの左腕を、銃弾がかする。
その衝撃に怯まず、足に力を籠め、更に一歩跳躍。
ディルクの剣は、レナルドの左肩から右腰に向けて深く斜めに、斬り裂いた。
ここにいる全員の目には、何もかもがスローモーションになる。
青銅色の瞳は怒りを持って、
もう一度、
撃鉄を起こし、
目に前にいる男に向かって、
更にもう一発。
それは、剣を振り下ろした姿勢の緑の瞳の騎士の、右の肩を真上から撃ち抜く形になった。
衝撃と反動で、両者は弾かれるように背中から倒れ込んでいった。
残響の後の一瞬の静寂、時間感覚が取り戻される。
大きな音を聞いて、遠くから警備隊が反応した気配があった。
「ディルクさん!!!!」
コーヘイが駆けよった。セリオンも、なんとか立ち上がろうとする。
倒れる彼の体を、剣を捨てて抱きかかえた。
何人かの騎士が集まり始めたのを見て、コーヘイはそちらに顔を向け、叫ぶ。
「治癒術師を!!あと、魔導士団に連絡を!ミシャを呼んでくれ!」
弾かれたように、騎士がその命令を遂行するため走り去る。それをまともに見送らず、黒い瞳は腕の中の騎士に再び向けられた。
「しっかり!まだ死んではだめだ!」
その体を揺すり、消えかける瞳の光を呼び戻す。致命傷である事は明らかだったが、せめてミシャがここに来るまでは、生きていて欲しい。必死に呼びかけ続ける。
セリオンもその体を引きずって、ディルクに近づくと、なんとかその左手を掴む。強く掴んで、ディルクの意識を逃がすまいとした。
「おまえ、こんな事をして、ミシャをどうするんだ」
「ミサ……」
ディルクは、かすれる声で愛する人のその真実の名前を呼び、その右手は、少女の姿を求めるようにゆっくりと空に向かって上げられる。だがそこにはまだ、彼女は来ていなかった。しかし緑の瞳には、その姿が映っているかのようで、先に逝く許しを求めるように、わずかに唇が動いたが、声は出なかった。
亜麻色の前髪が流れ落ちて、その左目が、青みを帯びた緑であったことを、コーヘイとセリオンは初めて知る。
力がどんどん抜けていき、その右手は地に落ちた。
瞳の輝きは、徐々に薄れ、瞼が閉じられた時。
ついに肉体は魂を手放した。
戦乱時の騎士団員の平均寿命は三十四歳。
ディルクは、享年三十歳。
彼は騎士団員の平均寿命年齢を引き下げる事になった。
ミシャの十八歳の誕生日まで、一か月。
約束の日まで、あとたったの三十一日だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その少し前、本棚の前に立っていた銀髪の魔導士の耳に、ガタリという重い音が聞こえた。暗闇から溶け出すように、その姿が現れる。影は膝を付き、苦し気にあえぐ。
朝から、ここまでの時間をかけてやっと、たどり着いた。
「まさか、ジルか!?」
持っていた本を投げ捨てて、セトルヴィードは駆け寄った。
出血は少ないが、重症であるのは間違いなかった。
動かすのは得策ではないと判断し、そのまま床に寝かせる。
「閣下……」
「今は喋るな」
そう言うと、黒い装束をめくり上げるように脱がし、傷を確認すると、すぐに最高位の治癒術を施す。
美しい所作によって、シャボン玉が煌めくような美しい風景が周辺に満ちる。
彼女の言った通り、ミシャの師匠の魔法は本当に美しい。
ジルはそれを見て、夢心地のまま気を失った。
治癒術を施し終えた魔導士の耳に、聞き慣れない大きな音が連続して聞こえた。
思わず顔を上げる。
「いったい、何が起こっているのだ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
執務室で、書類にサインをしていた国王の、ペン先がつぶれてインクが散った。
「陛下、どうなさいました?」
侍従の声に、国王は左手の指を眉間にあてる。
「少し、目が疲れたのかもしれない」
インクで汚れた右手を、傍に置いたハンカチで拭うと椅子から立ち上がり、窓辺に歩みより、外を見た。
侍従に気付かれないように、遠くを見ているふりをした。
涙が頬を伝う。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
船の上、帆先で波の揺れを楽しんでいた女は、その青銅色の瞳を上げる。
「本当、兄様は役立たず」
「俺は役に立つ」
女は、その影絵のような、黒髪の男に視線を向ける。
「期待してるわ、もう時間がないのよ」
影の男は全くその表情に感情を出さない。その口調にも。
遠く、王都の光を船上から見ていた。
――時間がない、とは?
顔には出さないが、その疑問の答えは知りたいと思った。
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