第18話

 ジルは自室のベッドから半身を起こすと、左肩を元気にまわす。


「よし、もう完治だな」


 身軽にベッドから降り、いつもの黒装束を纏うと、細身の短剣を腰紐の背面側に二本差す。

 今は朝ではなく、深夜である。今夜は月が真上で正円を描いていた。


 長い髪をいつものようにまとめると、束ねる時に、髪がふわっと彼の背後に踊るのが、猫がぱっと飛び下がるようにも見えて、彼の敏捷びんしょうさを示すようだった。


「準備は出来たか?」

「お待たせ、ハーシー」


 二人は同時に闇に溶ける。


「今日はどうしたのさ」

「気になる場所があるので、確認に行く」

「僕も付き合う必要があるの?」

「お前の目でも見て欲しいからだ」


 ジルは少し、腑に落ちない気がした。コンビは組んでいるが、基本は単独行動だ。それぞれの判断が重要視される。

 なのに最近のハーシーは、やたらとジルに構って来る気がした。


 国王の影はまだ他にも複数いる。女性もいるし、年齢も様々だ。だが基本は二人一組で、他のチームとの遭遇はほとんどない。王があえて集わせない限り、コンビ以外の影の顔を見る事は滅多にない。変装も得意としているから、どこかで会ってはいるのかもしれないが。


「傷の具合はどうだ」

「もう完治って感じだね」

「……そうか、早かったな」

「何?早いとダメなのかよ」

「いや、その調子で次も頼む」


 いつものように薄く笑ったハーシーに先導され、ついには城の外に出て街中に。月明かりが冷たく石畳を照らす。


 二人して、城を大きく離れるのは問題ではないだろうか?背後に城が遠ざかるのを見て、ジルは益々、違和感を募らせる。

 やはり、ハーシーの行動はおかしい気がする。

 いつも彼の前では素でいたが、その疑いからか、ジルは無意識にその素を隠す演技を始めていた。

 後方からも、何か嫌な気配を感じ、耳元で何かが危険を囁く気がする。


 海岸に近づき、違和感は最高潮に達した。


「あれだ」


 ハーシーが指さす方を見るが、何も見えない。夜目の利く彼でも、何かあるようにはまったく見えないのだ。海に向かう岬の、波消しのために置かれたいくつかの岩と、土手のような場所があるだけだ。不自然な物も、動く物も見当たらない。


「何?」

「見えないのか?もう少し前に出てみるか」


 黒髪の相棒が更に前に進む。さすがにジルは立ち止まった。


「どうしたジル」

「ハーシー、何を考えている」

「……俺の前でも、感情は隠すように言っただろう?そんなあからさまに、疑っています、という口調じゃ、興醒めだ」


 相棒の声がいつも以上に低くなり、それは脅すような危険をはらむ口調に。

 前に進んでいたハーシーは引き返し、ジルの傍に歩み寄って来た。


「最近、彼女の様子は見てるのか?」

「彼女?」

「ミシャさんだよ」

「用もないのに見に行くなんて、変態じゃないか。僕は違う」


 いつもの拗ねた表情で吐き捨てる。

 本当は、暇さえあれば様子を見に行っていたが。


 ハーシーは、ふっと鼻で笑った。


 次の瞬間、ジルの背面に差された短剣の一本がハーシーの右手で抜き取られ、一瞬でジルの胴を貫いた。ジルが一切、反応出来ない素早さだった。


 切っ先が、背中から突き出す。


 満月を背に、自らの剣に貫かれた長髪の青年は、踏みとどまろうとしたが、体が揺らぎを留めない。

 静かに、剣は抜き取られていく。


「ハ、ハーシー……?」

「おまえはウロチョロし過ぎる。怪我で大人しくしていたら、見逃してやったのに。流石にそろそろ目障りだ、


 ジルは膝を付くと、そのままゆっくり体を冷たい地面に伏せて行った。

 瞼が意思に関係なく、勝手に下りていく。

 閉じ行く彼の目に、相棒と、どこかで見たアッシュブロンドの、青銅色の瞳の女が映り込んだ。


――それならなぜ、?ハーシー、おまえ、何を考えている。


 ジルの目はそのまま完全に閉じられた。


「これで、邪魔者は片付いた」

「まだいるだろう?私はどうしてもあの娘が欲しい」

「あの子の自宅は城の外だ。攫うのは容易い。下っ端でもやれる」


 黒髪の国王の影は特別な感情をその表情に浮かべず、無言でジルの剣をその場に投げ捨てると、女と共に海の方に向かって歩き去った。





『モウオキテ、ダイジョウブ』


 ジルの耳に、誰かの囁きが聞こえた気がした。


 灰色の瞳が、再び開かれる。


 随分長い時間、気を失っていたようで、月は沈み、空は少しずつ白み始めていた。

 周辺に、人の気配は皆無。遠くで海鳥の鳴き声が聞こえる。


――しまった、夜が明けてしまう!


 ジルは反射的に体を起こそうとしたが、激痛が走る。急所がそれているとはいえ、胴を貫かれたのだ。無事であるはずはない。

 それでもなんとか体を起こして、剣を拾い上げ、鞘に納めると、体を引きずるように路地へ。手で抑えるが、歩くたびに血があふれて来る。だが、血痕は残さない。


「くそ、ハーシーの奴……はぁ、はぁ」


 地下道に降りる蓋を開け、滑りこんで閉じる。

 はしごを伝い下り、地面に飛び降りた。


「ぐっ……!」


 振動が激痛を呼び。しばしうずくまって、傷みが収まるのをひたすらじっとして待つ。汗が噴き出して、脂汗が地面に数滴落ちた。


「もう誰が敵で、味方なのか、わからないな、はぁ、はぁ」


 傷が痛み、呼吸すら苦しい。何処に行けばいいのか。国に危険が迫っている事は明らかである、なんとかしなければという思いが、ジルの体を前に進ませた。


――陛下の傍にはまだ、戻れない。


 時間をかけて、苦痛に耐えながら一歩一歩、前へ。


――そうだ、確実に敵ではない人がいる。


 目的地が決まれば、足に力が入る。

 壁を伝い、よろめきながらも地下道を進んで行った。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「この世界と、元の世界の違いですか?」

「魔法とか技術以外でも、何かあるのかなって思って」


 セリオンとコーヘイは、騎士団の食堂で夕食を摂っていた。

 最近、料理よりもエールでカロリーを取ってるセリオンに、コーヘイは苦言を呈していて、二人共が健康的なメニューを選んでいた。高たんぱく低カロリー、塩分は、汗をかく仕事なのでそれなりに。


「人と人の距離感ですかね」

「どう違うんだ?」


 コーヘイは目を閉じて、かつての世界を思い出す。セリオンはコーヘイの返事を待ちながら、チーズと共に焼かれた鶏のササミ肉を、筋に沿ってフォークで分離していた。考え事をすると、食べ物で遊んでしまうのが彼の悪い癖。よく相棒である黒髪の騎士にたしなめられるが、無意識についついやってしまっている。


「元の世界は、死が遠かったです。この世界のように、明日には死ぬかも?等と考えて、生活をしていなかったですね」

「そうなのか?羨ましいな」

「そのためか、この世界の人達は、明日死んでも後悔がないようにするように、心から、人と付き合おうとしているように感じます」

「それはあるかもしれない」


 セリオンは、コーヘイの黒い瞳を見る。今日、この顔を見るのが最後になるかもしれないと、いつも考えている。


「元の世界では、そんな付き合いは滅多にないですね。隣に住んでる人の顔すら知らないままというのは、ままあります。親兄弟でも疎遠という事も多いですよ」

「勿体ないな」

「当たり前すぎて、その大事さに気付けないという感じでしょうか。自分もこの世界に来るまでは、そんな勿体ない人付き合いをしてました」


 灰色の瞳の騎士は信じられないといわんばかりに、目を見開いた。


「人懐っこい、お前がか」

「そんな評価、元の世界でされた事はありませんよ」


 爽やかな夏のような笑顔が、向けられる。


「魂の存在も、この世界で初めて実感しましたね」

「いいのか、悪いのかわからないな。それを気にせず生きていける世界の方が、良いようにも思えるし」

「自分が生まれた時代は平和ですが、ほんの百年前は、元の世界も戦争が多くて、それなりに、魂は実感できたのかもしれません」

「異なるそれぞれの正義がある限り、戦いは生じてしまうからな、それはどこの世界も同じという訳か」


 二人は食器のトレイを返却口に戻すと、宿舎の部屋に向かって無言で歩いて行く。コーヘイは今夜も、セリオンの部屋に泊めてもらう予定だった。


「最近、倒れていないから、こんな事をしなくてもいい気がしますけどね」

「俺は同室のままでもいいぞ?その方が馴染があるし」


 セリオンが扉に手をかけ、最初に入った。コーヘイも続く。

 二人が部屋の中央に差し掛かった時、ベッドの下から白煙が上がった。


「!?」


 コーヘイはそれについて記憶にあった。拉致されたあの日、自室に仕掛けられていた、眠りの薬。息を止めて窓に走り、開け放つ。

 セリオンは吸い込んでしまったようで、口を押えて膝をついた。


「セリオンさん!」


 椅子にかかっていたタオルを手に取り、口に当てて薬を防ぎつつ、セリオンの傍に駆け寄ろうとしたが。天井の板が外され、六人の男が飛び降りて来た。

 そのうちの一人のフードから、覗き見える青銅色の瞳。その手には、銃。

 銃口はセリオンに向けられていた。


「迎えに来た」

「レナルド……!」

「二度目は引っかからないか、そういう所も流石だ」


 セリオンは二人の男に、両側を抱えるように拘束されていおり、意識はあるようだが、薬で朦朧としてしまっているようだった。その灰色の瞳を、閉じまいと必死で抗っているのがわかる。


「自らの意思で、ついてきて来てもらおうか」


 セリオンを人質にされ、コーヘイは成す術を失い、悪辣な賊の指示に従った。

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