第16話
治癒の副団長の部屋に、ミシャは来ていた。二つ目の古代魔法を刻んだことによる弊害がないかの診察だった。
少女はいつもの通り、ベッドの端っこに座っている。
「どいつもこいつもクソ野郎過ぎる」
もしカイルが、ミシャの二つ目の古代魔法の件を知っていたら、絶対的に反対していただろう。
少女の右掌には、新しい魔方陣が刻まれていた。
「もう、絶対の絶対に増やすなよ!!」
「必要だったら、増やします」
「おまえも、もういい加減にしろ、頼むから本当に」
少女の両肩に手を置いて、深い深い溜息をつく。ああ、もう絶対、溜息の付きすぎっていう恥ずかしい理由で俺は死ぬ、と彼は思った。
「見える所につけたのは失敗だったと思います」
「そうだな!それは本当にそう!理解してて俺は嬉しい」
そんな問題じゃないけどな!という言葉は言わずにおいた。
しかしカイルは、古代魔法以前にミシャの体調が気になった。
改めて声をかける。
「お前さー、ちゃんと飯食ってる?」
「食べてますよ?」
「なんか痩せてるんだよなあ、具合は悪くないのか?」
「何処も痛くないです」
カイルが額に手を当ててみる。微熱。
ミシャが何かを思い出したように続けて言った。
「ちょっとだけ吐き気があるかも?」
「おいおい」
カイルは軽く笑いながら、シャレのつもりで、一枚の魔法陣を出す。
「これに触ってみ?」
「何です、これ」
ミシャは、指でぽんとその魔方陣を触る。
魔方陣が光った。
カイルの顔色が変わる。
「おまえ、妊娠してんの!?」
「え?」
「あのクソ野郎!」
カイルはミシャを放置して、部屋を飛び出して行った。
少女はもう一度その魔方陣に触れてみる。ポゥと鈍く光ったのを見て、ぱたりと体をベッドに横たえた。
ミシャは昔、カイルに子供の作り方を聞いた事がある。
だがそれに関連するあれこれについて、彼女は全く身に覚えがなかった。
「ロールキャベツを食べ過ぎたから?」
斜め上に過ぎる独り言を、つい言ってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
カイルの報告を受けて、セトルヴィードはあまり乗り気ではなかったが、ディルクを呼び出した。さすがに弟子の私的な部分まで、関知するつもりはなかった。だが、内容が内容なだけに、迷った末に呼んだ。
ディルクは騎士団の制服を簡易化した装備で、銀髪の魔導士の机の前に立っている。彼にとってはこれが正式な服装で、魔導士団長に対面するなら、これしかない。
銀髪の魔導士の後ろには、腕を組む紺色の髪の魔導士。ディルクの後ろには黒髪の護衛騎士が立っていた。まさに四面楚歌。ただ、敵意むき出しなのはカイルだけで、セトルヴィードとコーヘイは、なんとも同情的であった。だが、それはそれで、居心地が悪い。
「十八歳になるまで待つと、僕は、決めてましたから」
ミシャに子供が出来たらしいという話を聞いて、ディルクは消沈していた。普段から囁くような喋り方をするのに、今日の声はいつも以上にか細い。
それでいて先日の夜、まさに浮気の現場をミシャに見られている。なんとかあの後、ディナローザとは後腐れなく別れる事はできたが。
仕事に邁進して思い出さないようにはしてきたけど、正直なところ、毎日胃が痛くて、ディルクも随分と食欲を減退させ、少し痩せていた。
コーヘイが思い出したように、ディルクに助け舟を出した。
「そういえば自分を助けに来た時、ミシャと親し気な雰囲気の騎士がいましたね」
「そうだ閣下、あの騎士はいったい誰なんですか?」
「騎士?」
セトルヴィードはびっくりした顔をした。全く記憶になさそうに見え、全員が、あれ?という顔をした。
「ミシャのために、閣下がつけた護衛騎士だと、僕は思いましたが」
「ああ……あいつか」
影と騎士は異なるから、ジルの事を咄嗟に騎士としてはイメージする事ができなかったのだった。
でも、あの正体を言ってしまっていいのか悩む。気配は知っていたが、魔導士団長であるセトルヴィードでさえ、姿を見たのは今回が初めてだった。それぐらい存在が秘匿されている、王の影。
――あの男が、ミシャといい雰囲気?仲は悪くなさそうだったが。
顎に手を持っていくいつもの癖を見せて、しばし考える。
「あれはただの護衛だぞ?」
「でも仲良く、手を繋いでましたよ。息も合うようでしたし」
ディルクは更に落ち込んだ声を出した。これが随分なヘタレ感で、その声を聞いたカイルは、心底情けなさそうな顔をした。
「ああ……それは……」
ミシャが隠したそうだったので、セトルヴィードは悩んだが。
「その件については心当たりがある。ミシャが新たに刻んだ解錠の古代魔法の対価は、視力だ。解錠の後は目が見えなくなっていたはずだから、それで手を引いていたんだろう」
「「え!?そうなんですか!!??」」
コーヘイとディルクがハモってしまう。
「じゃあ今、ミシャは、目が見えないんでしょうか」
「二週間で回復するから、今は見えてるはずだ」
二人がほっと息を吐く。
「そういう対価であることを知られると、それを刻むように言ったディルクが思い悩むだろうし、それに助けられたコーヘイの負担にもなるだろうと、ミシャは隠そうとしていたんだ。私から伝えれば良かったな、すまない」
全員がミシャの優しさに、しんみりしてしまった。体力が削られる程度ならまだしも、一時的とはいえ失明は重すぎる。
カイルが聞こえるように溜息をついた。
「じゃあ、ミシャの相手は誰なんだ」
「カイルさん、そもそも、その魔方陣はどういう原理なんですか」
魔法に詳しくないコーヘイが、疑問を口にした。
「体の中の魂の数が、二つ以上になったら、反応する」
「じゃあ、ミシャの中にもう一つ命があるっていうのは、確定なんですね」
「微熱もあるし、吐き気もあるんだよなあ」
「ミシャ本人に、聞くしかないのでは?」
「誰が?」
全員が顔を見合わせて、押し付け合う。
最終的に、全員の視線がセトルヴィードに向けられた。
「私か……」
「ミシャが、一番正直に告白できそうな人、となると。お願いします」
「すみません閣下、自分は無理です」
「頑張ってくれ」
「わかった、ミシャを呼んでくれ」
カイルがミシャを連れて戻ってきた。確かにミシャは、少し具合が悪そうに見える。ディルクがその場にいる事に気付いて、少女が少し、びくっとした。
「全員、ひとまず外に」
セトルヴィードとミシャだけを残して、彼等は部屋の外に出た。
ミシャは銀髪の魔導士真正面に立つ。
「ミシャ」
「はい」
「私には話せるか?」
「何をです?」
セトルヴィードは困惑した。どう聞けばいいのだろう。
とりあえず、ミシャの額に手を当てて、魔力から本当にミシャの体にもう一つの魂があるかを確認してみる。
確かに、魔力の塊を二つ感じる。
「えーと、最近男性と、どこかに泊まった事は」
ミシャは少し考える。
「あります」
「いつだ」
「副団長に頼まれて、フレイアさんの家に行った時です」
「その時に一緒にいたのは?」
「ジルです」
セトルヴィードは、何もないように見える空間に向けて声をかける。
「釈明があるなら聞こう」
ジルが恐る恐る出て来た。
「僕じゃありません」
ジルはディルクの弾劾裁判中、いつ自分が呼び出されるか、気が気じゃなかった。そして彼も、ミシャに子供が出来てると聞いて、ショックを受けてる一人でもある。
懸命に考えるが、見守った期間中は、ミシャにディルク以上に親しい男性は記憶にない。突き詰めればセトルヴィードやコーヘイが怪しくなってしまう。だが記憶を漁っているうちに、黒装束の青年が思い出した。
「そうだ、小麦……あの小麦の精霊」
ジルはフレイアの家での出来事を、セトルヴィードに伝えた。最後に弾けた実が、ミシャの体に取り込まれた事を。
「まさかミシャの中で、小麦精霊の種が芽吹いたのか!?」
「へ?」
ミシャがきょとんとする。
「なるほどそういう事か」
「閣下、僕はそろそろ陛下の元に戻らねばなりません。護衛騎士団長の戻るまで、という命令だったので」
魔導士団長として、紫の瞳をジルに向ける。
「これまでの護衛、ご苦労だった」
「失礼」
影は姿を消し、気配も消えた。
「逃げたな」
「ジルは良い人でしたよ?」
「色々と、混ぜっ返して行ったが」
セトルヴィードは、僅かに笑った。
精霊の声は、呪術師にしか聞こえない。ミシャの中の小麦がなぜ、そこに芽吹いたかは、小麦に聞いてみないとわからない。
外で待っていた全員が戻って来た。
「とりあえず、一番の責任はカイルにあるという事がわかった」
「え!?俺なの?」
「ミシャの中にいるのは子供ではなく、小麦の精霊だ」
「それは、安心してもいい事なんでしょうか」
コーヘイが心配そうに聞く。
「魔導士としては、使える魔力が増えた事になるから良い事ではあるが、何故そうなったのかがわからないと、安心はできない」
「確認はできないのでしょうか」
「白呪術師は少なすぎて、国内に何人いるか……」
銀髪の魔導士と、黒髪の騎士が会話しているのに、参加する気配もない問題の二人が、三歩程の距離を空けて立っている。お互いなんとも気まずそうで。
そんな二人の様子を見て、コーヘイは気づいた。
「カイルさん、この二人に胃薬を処方した方がいいですよ。ミシャの具合の悪さの原因は、多分それです」
ミシャとディルクは、カイルの部屋で苦い薬を飲まされた。ミシャは頑張って飲んだが、ディルクは苦しんだ。わざとディルクの分は、より不味く作ってあった。
その後は二人で成り行きでミシャの部屋へ。しばらく気まずい沈黙が部屋に満ちたが、まずミシャから言葉を紡いだ。
「ディルクさん、色々内緒にしてごめんなさい」
「僕もすみません、本当に」
緑の瞳はミシャの手の魔方陣を見る。
ディルクはその右手を取って、手のひらに口づけた。
「こんなものをまとった女は、気持ち悪くないです?」
「全然。気になりません。でもミシャの体にこんなものを刻ませてしまった事は、辛いと思っています」
「ディルクさんが知らない人と仲良くしてて、嫉妬してしまいました」
「僕も、護衛の騎士と手を繋いでるのを見て、嫉妬してしまいました」
お互い見つめ合う。そしてどちらとも知れず、困ったような笑顔になる。
ディルクは、ミシャをぎゅっと抱きしめた。
「僕は、国を優先しないといけません。一人が死ぬか百人が死ぬかなら、一人が死ぬ方を選ばないといけないんです。その一人がもし、ミシャでも、です。すごく辛いです。でも僕一人が苦しむ事で、その百人の家族が救われてしまう。それを想像すると、どうしても」
ミシャもディルクを抱きしめ返した。
「私は、その一人に、喜んでなる覚悟があります」
ミシャは優しい。ディルクも優しい。優しすぎる二人。
ミシャは国王がなぜ、ディルクを重用しているのか理解できてしまった。
彼がこういう人だからだ。でもそれが利用されているようで、ミシャは腑に落ちない気持ちも、手放せずにいた。
それに……平和な期間、ディルクはミシャを一番大切に扱ってくれていたが、ここ最近の、周辺各国に対する不安感が増す中、徐々に彼の中での一番が、国になってしまっていると感じる。
自分が一番ではなくなっている事に、彼女は一抹の寂しさを覚えていた。
国と一個人を比較するなら、国の方が重い。頭ではわかるが、感情としては。
仕事と私のどっちが大事なの?等と言って、困らせるつもりもない。
でも何か、割り切れないのだ。
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