第15話

 異世界人登録局に、今月は登録者がいなかった。

 日誌をめくりながら、何度も見直している女性がいた。


「ついにゼロになったか」


 赤い前髪がはらりと落ちる。机に肘をついて、局長のエリセはマンセルに言った。


「楽ですけどね!消えた、という報告もなくなりました」

「何だったんだ本当に」


 ルナローザとディナローザが書庫から持ってきた年表が、エリセの前にあった。

 それをじっと眺めて、ふと気づいた。


「歴史に詳しい奴、誰かいないだろうか」

「ローウィンさんとこのお嬢さんが、専門的にやってる、って聞きました」

「ミシャか……頼んで来てくれるか?」

「はい、じゃあ、ちゃちゃっと行ってきますよ」


 マンセルは、久々に魔導士団の区画にやってきた。実はあまり、マンセルはここには来ていない。あまり魔導士の醸し出す雰囲気が得意でない、というのがあったが。見下されてる気配もするから、気分も良くない。異世界人に対する風当たりも強いが、魔導士でない者に対しても、あまり好意的でない人が多いからだ。


「すみません、異世界人登録局のマンセルです。ミシャさんをお願いできますか」


 受付に座る赤紫色の髪をまとめた美女が、チロっと目を上げる。


「どのようなご用件でしょうか」

「歴史関連で、お聞きしたい事があって」

「歴史ぃ?」


 アルタセルタは驚いた。魔導士に、魔法以外の用事で来る者は、普通はいない。異世界人登録局は、人の使い方が色々おかしい気がする。

 呼び出されたミシャが、パタパタ受付まで走って来た。


「お待たせです」

「すみません、ミシャさん。この年表に、その年にあった有名な事件・事故・戦争等を書き込んでもらえませんか」

「結構、年数が多いですね。後で、局の方に行っていいです?」

「そうしてもらえると」

「着替えたら行きます、先に戻っていてください」


 マンセルの背中を見送って、アルタセルタが怪訝な顔をして、娘を見る。


「あなた、歴史が得意ですの?」

「お母さん、なんでそんな信じられないって顔するんです?」

「魔法バカに育ってしまったのかと」


 思わず目頭をハンカチで抑える。師匠と同じ、なんでもかんでも魔法一辺倒に育ったらどうしようかと、ずっと不安に思っていた。歴史に興味があるとは朗報である。

 しかしミシャの歴史の勉強は、古代魔法に関わるからやっているだけで、歴史そのものに興味があるわけではなかった。ミシャは何となく、言わない方がいい気がして、黙っておいた。



 登録局の扉を、少女は叩いた。これが終わったら帰宅しようと思っていたので、ミシャは町娘の服装に着替えている。


 出迎えたのは、ルナローザだった。ミシャは、城壁での出来事を思い出したが、だが目の前にいる彼女はあの時見た女性とは髪型が違っていて、醸し出す雰囲気も違った。


「ごめん、ミシャさん、わざわざありがと!」


 部屋の奥からマンセルの声がした。

 ミシャは部屋に入り、マンセルに引いてもらった椅子に座ると、さっそく広げられた年表を見て、自分の知っている大事件を書き込んで行った。


「すげえ、暗記してるんだ」

「正確に覚えてらっしゃるんですね、さすが副局長のお嬢さん」

「あれ?」


 書き込んでいてミシャは、気づいた。その年表に書かれている、異世界人の登録数について。


「どうしましたミシャさん」

「事件のほかに、もうひとつ書き込んでいいです?」

「気になる事があったらぜひ」


 マンセルが覗き込む。

 ミシャはその事件での、おおよその死者数をカッコで囲んで書き加えた。


「あっ!」


 マンセルが驚きの声を上げた。


「死者の多い事件があった年は、登録者数が少ないです。戦争があるとガクリと減っています。戦闘の混乱のせいで、登録がされなかった可能性もありますが」


 ミシャは書き加えながら言った。

 そこにノックもなしに、元気良く扉が開けられる音がした。


「他国の異世界人の人数情報、ディルクさんにもらってきたよ~」


 くせ毛の短い髪の女性が入って来た。

 ミシャが振り返り、二人の目が合った。


「あれ、あなた城壁で見た子?」

「ディナ、この方がローウィンさんのお嬢さんよ」

「えっ、うそ、似てない」

「ミシャです、どうも……」

「あ、こちらこそどうも……」


 なんだか気まずい空気が局室を埋めた。

 とりあえずルナが、その報告書を受け取って、年表の上に置いた。


「これも書き込みますね」

「すみませんミシャさん」


 ミシャはディナローザの方を見ないように、せっせと書き込み始めた。

 ルナローザが、ディナローザに視線を向け、小声で耳打ちした。


「あなた達、顔見知りなの?」

「ディルクさんとデートしてたら、バッタリ」

「それだけ?」

「それだけよ」


 それだけで謎の気まずさが生じていたが、ミシャは年表に報告書の情報もなんとか書き終えた。


「やっぱり、同じ時期に他国でも減ってるみたいです。この世界で人が多く死んだ年は、異世界人が来る人数も減る、という感じです」

「死者数と異世界人の数がリンクしてるのか……」

「もしかして」

「ミシャさん、何か気づきました?」

「この世界の死者数の閾値が突破したときに、魔力のない異世界人は還るのかも」

「!?」

「あ、そういえば今年、イラリオン王国ですごい死者数が」

「疫病だけで、国民の六割が死んだって聞いた!その後のクーデターで、大量虐殺もあったし、相当に人口を減らしただろう?」


 周辺で大国と言える人口を抱える国は、ゴートワナ帝国とイラリオン王国だった。それに次ぐのはエステリア王国だ。もし、この国が滅びたら?

 何か、大きな力が動き始めているように思えて、局内全員の胸に不安が満ちる。


「それじゃあ、私はそろそろ帰ります」


 ミシャは立ち上がったが、その表情が硬いのを、マンセルが心配した。


「出口まで送ろうか?」

「平気です」


 ミシャは、他の誰の顔も見ずに扉の向こうに消えた。

 三人は少し、茫然としてしまったが、ルナローザが年表を片付け始めたのをきっかけに、日常の空気感を取り戻した。


「そういえば、ディナ。ディルクさんとはどんな感じなの?」

「いい雰囲気、とは言えないかな。結構ヘタレでがっかり。文官ってあんな感じなのかしら。だったら期待できないかも」

「何故、あなたそんなに、いろんな人と付き合うのよ?」

「いい男を探したいだけよ」


 無表情にそっぽを向く。生まれた時から一緒の二人。

 ルナローザは気がついた。


「私のためなのね?」

「……」


 ディナローザは無言で、机の上に積まれていた数冊の資料を手で掴む。


「図書室に返してくるね」

「ディナったら!」


 さっさと扉の向こうに行ってしまった。

 

「なんなの?あいつ。いい男は、ここにいるのに」


 マンセルのその言葉にルナローザは笑う。


「本当にそう」

「ルナはそう思ってくれてる?」

「ええ、素敵な先輩ですよ」

「先輩かぁ……」


 マンセルはがっかりしたような顔をしたが、ルナローザはそれを見る事なく、日誌に、今日のミシャの気づきについて書き込み始める。目線を上げずに言葉を続けた。


「私、騙されやすいんですよ。悪い男にコロっと引っかかっちゃって。学生の時なんて、何度泣いたかわからないぐらい」

「え?そうなの?」

「ディナはそういう所は聡いから。多分、すごくいい男を見つけたら、私に譲ってくれるつもりなんだと思う」

「捻くれてるなあ、でもいい子だね」

「でしょ?自慢の妹よ」



 ディナローザは、図書室で本を棚に返していた。どうしても高い場所の本が戻せない。でも、たった一冊のために脚立を取りに行くのも面倒くさい。

 背後から、すっと手が伸びて、その本が目的の所に差し入れられた。

 振り返ってその手の主を見る。


「ディルクさん」

「ごめん、ディナ。話を少しいいかな?」


 ディナは振り返って、その緑の瞳を見つめた。


「あなたも落第だわ、ヘタレすぎる」

「ヘタレてますか、僕」


 ディルクはすごく困ったような顔をした。


「城壁で会った、あの子が好きなんだ?」

「実は、そうなんです」

「さっき、私も会ったよ」

「え!?」

「ディルクさんより、しっかり者に見えた」


 ディナローザはその藍色の瞳を細める。その人差し指を、ディルクの胸に当てて、ツンと押した。


「ここに入ってるもの、全部、渡さないうちに諦めたらだめよ」


 くせ毛の娘は、残った本もさくさく本棚に戻していく。


「あなたは不合格だから、もう声をかけないで」

「ありがとうございます」


 ニヤッと小気味のいい笑顔見せて、双子の片割れは図書室を出て行った。



――裏表があってルナには不合格だけど、私はそこが好きだったんだよ。


 ディナローザは一瞬だけ、図書室を振り返り、前を向いた時はもう、すべて振り切っていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 キース王子は今日も勉強をしている。

 普段通りの姿、毎日同じ繰り返し。


 暗闇から王子を日々監視する目に、わずかな苛立ちが生じていた。


 国王も、王妃も、アリステア王子も、キース王子も、何も変化を見せない。揺さぶりをかけても、何食わぬ顔でいなされる。何も情報を出さなければ、こちらの出す情報にも騙されない。


――くそ、バレてるのか?


 イラリオン王国の次に、滅ぼすべき国と選ばれたエステリア王国。他国では容易に引っかかった策謀にもかからない。


――このままでは、認めてもらえぬ。なんとかせねば。


 上層部の連携が取れているのが不思議でならない。特定の連絡を取り合っているようには到底思えないのに。


 仕掛けていた呪術の魔方陣も、知らぬ間に撤去されていた。

 誰が気づいたのか。


 チョロチョロする、うっとおしい奴がいる。


――先に、そいつを片付けておくべきか……!


 そう考えながらも、指示されたもう一つの仕事にかかる。

 警備のルートの把握。

 今、急ぐべく仕事はまずこれだ、他の事は後に改めて。


 影は頭の中に色々な思いを巡らせながら、更なる闇に溶けていった。


 キース王子が、ふぅ、と息をつく。

 兄王子から借りた本の間に挟まれた栞に、メモを挟み込み、本を机の上に置くと、窓辺に寄って外を見る。

 青い瞳は感情を隠していた。

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