第14話

 二週間が経っても、ミシャの視力は戻っていなかった。

 自室のベッドの上で、手探りで枕を見つけ出し、それをぎゅっと抱きしめる。


「どうしよう、何か間違えたのかな……」


 確認しようにも、本を読む事が出来ないでいる。

 ディルクにも会いたい。もうずっと会っていない。会いたくてたまらない。たった二週間の我慢だと思ったのに。


 ミシャは暫く枕を抱いていたが、勇気を出す事にした。いつも仕事終わり、彼は城壁の上で星空を楽しんでいた。今夜もきっといるはず、もう会わずにいるのは限界だった。


 ミシャはすっと息を吸うと、そのまま知覚感知の魔法陣を開放した。


 音や風の流れ、その感覚で、障害物は見えるように把握できている。これで家に帰ったり、普段通りの生活をしているように、ある程度は見せかけてこれた。


 ミシャは扉を開けて外に出ると、ぶつからないよう、転ばないように気を付けて城壁に向かう。足元にとにかく集中していたので、ディルクの声は階段を登るまで聞こえていなかった。


 階段を登り切った感触があって、ミシャは立ち止まり、いつもなら静かなはずの城壁から、話声がする事に気付いた。大好きな緑の瞳の騎士と、若い女性の声。楽し気に弾んでいる会話が耳に入って来たのだ。


「やだ、ディルクさん、それ本当なんですか?」

「本当ですよ、僕は嘘をつきません」


 ミシャは茫然と、その声の方に顔を向けた。

 何というタイミングなのか、視力がゆっくり回復してくる。

 ディルクの隣に、栗色のくせ毛の女性。とても睦まじく寄り添っている姿が瞳に映りこむと同時に緑の瞳がこちらを見て、二人の目が合った。


「み、ミシャ……?」


 ミシャの髪が夜風をはらんで踊る。呼吸が止まる。お互い茫然としたその顔。

 黒茶の瞳が大きく揺れた。

 ディナローザは、緑の瞳の青年と、突然現れた少女の顔を何度も繰り返し見る。


「え?なに?」


 ディナローザのその声にミシャは我に返り、階段を駆け下りて行った。

 ディルクは反射的に追いかけようとしたが、ディナローザが引き留める。


「今は私だけって言ったじゃないですか!」

「あ……」


 ディルクは栗色の髪の女性を無理やり引き離す事も出来ず、そこに立ち尽くしてしまった。



 ミシャはとにかく走っていた。行先なんて思いつかない。ただ闇雲に城壁から離れたくて、ほとんど目を閉じて走った。息が切れて、限界が来て立ち止まる。


 何処で、何を間違えたのか。


 しゃがみ込んで、息を整えるが、涙があふれて止まらない。走って苦しいのか、ディルクの心が、自分にない事を知って辛いのか、混ざりあってわからなかった。

 吐き気すらする。


――そうだよね、古代魔法を刻んだ女なんて、気持ち悪いよね。


 そして自分が、知覚感知の魔法陣を閉じ忘れていたことに気付く。慌てて制御したが、ごっそり体力を削られているのがわかり、そのまま茂みに突っ込んで地面に倒れ込んでしまった。


 だが、土と草の香りが心地よかった。走って火照った体には、その冷たさも。

 

 どれくらいの時間が経ったのかわからなかったが、地面に体を横たえていたら、少し落ち着いて、ミシャは城の庭の植え込みの中に倒れていた事に気付いた。なんとか体をそこから起こし、ぐすっと鼻をすする。


 自暴自棄。


 もう何もかもどうでも良いような気がして。

 自分なんか、どうなってもいいような、そんな思いまで去来した。


――そうだ、最後に、あの実験をしよう……。


 命がけになるからと、躊躇した内容を思い出してしまい、ミシャはふらりと立ち上がると、魔導士団区画の自分の部屋に向かって歩き出した。その時、二階のバルコニーの掃きだし窓が開き、聞き覚えのある声がした。


「ミシャ?何してるのそんなところで」


 ミシャは茂みに突っ込んで倒れ込んでいたので、擦り傷だらけで、泥と草と落ち葉と蜘蛛の巣で、ボロボロだった。


「なんて格好をしてるの、こっちにいらっしゃい」


 以前も、ディルクを失ったと思ったあの日、優しく迎えてくれたのはロレッタだった。琥珀色の瞳の美しい歌姫。誘われるように、ふらふらとその窓の下に寄る。

 ミシャは階段を使うのが面倒で、身軽に雨どいを伝ってバルコニーに上がった。


「もう、相変わらずねミシャは」


 優しく笑うが、ミシャの目が真っ赤な事に気付いて、何かがあったと知る。

 部屋の中でアリステア王子がグラスを傾けていたが、珍しいお客さんに目を向ける。愛する人の声を取り戻してくれた、恩人でもある少女。

 ロレッタが王子に軽く目配せをすると、王子は美女をミシャに譲るため、無言で部屋を出て行った。


「お風呂に、一緒に入りましょう?」


 ミシャは首を左右に振った。古代の魔法陣をロレッタに見られたくなかった。


「大丈夫、あたしは驚いたりしないわよ?」


 ミシャはその琥珀色の瞳を見つめた。ロレッタは改めて、浴室に少女を誘った。


 彼女はミシャの髪を丁寧に洗ってくれた。さっきまでは土の冷たさが気持ちよかったのに、今はお湯の温かさと、石鹸の香りが気持ちいい。

 二人は、幼い姉妹のように泡でたくさん遊んだ。


 侍従に、ミシャは今日、ロレッタの部屋に泊まるという事を魔導士団の受付に知らせてもらい、少女は寝間着を借りて、ベッドに潜り込み、そしてやっと、ディルクの事を告白する。ロレッタは静かにそれに耳を傾け、少女の髪を優しく指ですきながら聞いてくれる。

 話が進むにしたがって、ミシャの声がどんどん涙声になっていく。


「きっと、お互いに誤解があるのよ」

「誤解?」

「そうね、ミシャの彼は、仕事柄秘密が多いでしょ?ミシャも、大切な事は内緒にしてしまうから。秘密が多いと、相手は勝手に想像して決めつけてしまって、誤解が深まっちゃうのよ」

「でも言えない事はあります」

「じゃあ、言える事をたくさん言いなさい。大好きというのは、内緒にする必要はないんでしょ?」

「はい……」


 泣き疲れて、ミシャはロレッタより先に眠ってしまった。

 ロレッタは、少女がより良く眠れるように、子守歌を歌った。美しい天使の声が少女を癒していく。


 その愛ある歌に反応して、ミシャの中にいた小麦の種が、その芽を出した。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ジルは魔導士団の区画の中にいて、ミシャの部屋に呪術を仕込んだ魔導士団員を早々に突き止めていた。


 犯人は若い下位の女魔導士。どう考えても、単独犯であんなことをするとは思えず、黒幕が知りたかった。

 他の高位魔導士の部屋にも仕込まれており、それらはすべてジルが回収していた。その事は国王と魔導士団長にすべて報告済だ。

 その報告を受けて、騎士団の方でも同様の呪術がないか調査され、そちらでも副団長クラス以上の部屋からは見つかっている。


「なんだろう、この内部から徐々に弱らせようって感じ、気味が悪いな」


 ジルがこの区画で護衛をするのは、護衛騎士団長が戻るまでとなっていたが、まだこの件が解決していないので、魔導士団のエリアに留まっている。

 肩の傷もだいぶ癒えて、国王の護衛に戻れそうだが、ミシャのためにも解決しておきたかった。


 毎日、くだんの女魔導士を監視しているが、外を出歩く気配もなく。

 もう捕まえて、さっさと尋問でもしたほうが良いだろうかと思い始めた頃、女がついに動いた。


 魔導士団のローブを脱ぎ、普通の町娘のような姿に。受付を通らずに裏口から出て行く。国王の影はそれを追尾。月明かりのある夜は、尾行はしやすいが、こちらも見つかりやすい。なるべく距離を詰めるため、細心の注意を払った。


 王都の外れ、深夜に女一人が行くような場所ではない路地に、どんどん歩みを進めていく。やがて港が近づいた時、女魔導士はその先で待っていた、フードの人物の前に立った。港の魔法の街灯は、海にうっかり落ちる者が出ないよう、他の場所より明るめだ。その明るさがあれば、夜目の利くジルには十分、顔が判別できる。


 その人物がフードを脱いだ。ジルの記憶にある、アッシュブロンドのウェーブのある髪。そして重さを湛えた青銅色の瞳。

 だがその髪は長く、体型からしても明らかに女性だった。だが、似てる。


「余計な奴を連れてきて。愚か者」

「え!?」


 女魔導士が振り返ってキョロキョロとした。


――気付かれているのか?


 ジルはより息をひそめた。

 だがそこに現れたのは、数人のゴロツキだった。


「へへへ、こんな夜中にお散歩かい」

「おいこっちの方が上玉じゃねえか」


 女はフードをかぶり直した。

 女魔導士は、そのフードの女の影に隠れようとしたが、そのフードの女が差し出した短剣に胸を貫かれてしまった。


「何故……」


 驚きの表情を湛えたまま、地面にゆっくり倒れて行った。

 ゴロツキどもの表情が変わる。


 フードの女は右手を空に掲げ、風を起こした。しかし、それは魔法ではなかった。

 精霊の使役による呪術。

 鋭く刃と化した風は、全てのゴロツキを切り刻み、あっという間に鮮血に沈めた。


――おいおい、精霊をそんな用途に使うのかよ。


 ジルの背中に冷たい汗が伝う。よくわからないが、とても恐ろしい物を見てしまった気がする。さすがの彼も、あのフードの女に、一人で手を出すのは得策でないように思えた。


 女は、迎えらしき小舟に乗り込むと、海の暗がりに消えて行く。ジルはその後を追う事もできず、暫くその場を動く事すらできなかった。


「僕が、怖いと思うなんて」

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