第四章 斜辺、隣辺、対辺
第13話
「すまないね、ディルク君」
「いえ、構いませんよ」
異世界人登録局に、文官姿のディルクはいた。
「そうですね、旧イラリオン王国と、旧ゴートワナ帝国には登録義務はありませんので、具体的な人数の把握は難しいですね。スクルド公国はすべて奴隷化するので、その人数は計算可能です」
何枚かの資料と地図を広げて、次々と周辺国について解説していく。
周辺国の異世界人の人数を把握するための調査に、国外に精通している人間の話が聞きたいと双子の局員が言うので、ローウィンはダメ元で、彼の知る中で、一番詳しい人間に来てもらっていた。
昔馴染のローウィンの頼みという事で、忙しい合間を縫ってディルクは時間を作ってくれていた。
最近のディルクは、ミシャと一緒にいる様子ではない事が、ローウィンには気になっている。何だかんだと言っても、愛娘の恋した相手だ。最初は、おまえには娘はやらん!の一言ぐらいは言うつもりだったのだが、今はその気配が欠片も見られない。
改めて思い出してみると、コーヘイの奪還の後は一度も会っていなさそうだった。
「ディルク様って詳しいんですね」
ルナローザがその藍色の瞳に尊敬を籠めて、うっとりとした目線を彼に送る。
「文官にこんな素敵な人がいたなんて」
「ちょっとディナ、あなた強い騎士様がいいって言ったじゃない」
「ディルクさんって彼女さん、いるんですか?」
興味津々な藍色の瞳を受けて、ディルクは躊躇した。
彼女……ミシャはもう、自分に会ってくれない気がして、しばしの時間をおいて意を決して言葉にしていく。
「今は、いません」
「えーー、じゃあ私と付き合ってくださいよ」
元気いっぱいに即答され、流石に怯んでしまう。だが、ミシャでないなら誰が相手でも同じようにも思えてきてしまい。この元気な娘が、もしかしたら、自分を助けてくれるかもしれないという考えもよぎった。とにかく今は、苦しすぎる。
「構いませんよ、文官ですが、いいんですか?」
緑の瞳を優し気に細めてディナローザを見るその顔は、あからさまなほどの演技だったが、ディナローザは全く気付かずにはしゃぎ、ローウィンは顔色を変えた。
「だめよ、騎士はあなたに譲ったんだから」
「ルナはいつも遅いのよー、早い者勝ち!」
「もーー!!」
ローウィンの顔を見て、ディルクは気まずくなった様子で席を立つ。
「仕事が残っているので、僕はこれで。周辺国の過去三十年ぐらいの異世界人の人数なら、それほど時間をかけずに調べられますので。わかり次第お知らせしますね」
「お城まで送ります!」
がばっと緑の瞳の文官の腕に、ディナローザがしがみついてきて、ディルクは少し困ったような表情をしたが、特に振り払う訳でもなく、そのまま二人は腕を組んだまま局室を出て行った。
ルナローザは、それを見送るローウィンが真っ蒼になっている事に気付き、心配そうに声をかける。
「副局長、どうされたんですか?ディナはいつも、あんな感じですよ」
「あの野郎……」
「だからディナは大丈夫ですってば」
ローウィンは、はっと我に返り、ルナローザの方を見る。表情を改める。
「そうか、そうだね」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔導士団長の部屋にやっと、いるべき人がいる日常の姿が戻ってきていた。
「コーヘイ、本当によく戻ってくれた」
「まさか助けが来るとは思ってませんでしたよ」
「あの後は、倒れていないのか?」
「その様子はないですね。でも、できるだけ人と一緒にいますよ」
「そうしてくれ」
コーヘイは灰色か白のシャツに黒いズボン、それに剣を佩くだけの軽装でいる事が最近多い。今日もそんな感じなので、セトルヴィードは少し気になった。
「おまえは、護衛騎士団の制服が好きではないのか」
「そうですね、仰々しいですし。騎士団の詰め所に行くと目立って恥ずかしいですよ。最近は上着を着ません」
「騎士団の装備と制服のデザインは、王妃がやってる」
コーヘイは驚いた顔をした。制服は騎士団の編成が変わるたびに、デザインが変更されていた。魔導士団護衛騎士団が新設された時は、黒を基調とし、今までの騎士団の制服とは路線の違うデザインで、新たに作成されたという経緯がある。部下たちは元の世界の軍服に近い感じで、護衛騎士団長であるコーヘイのものだけ、魔導士のローブのデザインが取り入れられている感じだった。
「多才な方とは聞いてましたが」
「あれは趣味なんじゃないかな」
「魔導士団のローブはどうなんですか」
「これは、かなり昔から変わってない、魔導士は滅多に人前に出ないしな」
しかし、セトルヴィードは少し遠い目をした。
「あ、もしかして儀礼服の類は……」
「王妃デザインだ」
二人は、華美すぎる儀礼服が好きではない。滅多に着用は必要ではないが、そろそろ王子とロレッタの正式な婚姻がありそうだった。そうなれば、式典で着なければならない。
ただ、やたらと女性人気は高い。ここ最近は、美しい銀髪の魔導士と、精悍な黒髪の騎士の人気は上がる一方だ。もちろん、観賞用としてである。このバランスを崩すような事は許されないとさえ、思われている様子もあった。抜け駆けするような女性は、相当なつるし上げを食らうだろう。
「ところで閣下」
「なんだ」
「今夜も自分、閣下の部屋にお泊りでしょうか」
「そうだ」
「何か、隠してませんか」
「自室の枕を持ってきてもいいぞ」
「誤魔化そうとするのはやめてください」
椅子に座っていた銀髪の魔導士は、立ち上がってコーヘイの傍に寄った。
徐々にだが、異世界人登録局に、人が消えたという報告が上がってこなくなっているという連絡は受けていた。何かをきっかけとした、波があるようだった。
だがいつまた、再開するかもわからない。
今後も夜は見張っておきたい気はするが……。
「実は、カイルからは、もう一線を越えてしまえと言われている」
「え!?なんでそうなるんです」
「我々は魂の
「性別の壁が高すぎます。自分、男相手に、何をすればいいのかわかりません」
「やり方がわかれば、その壁を越えるのかおまえは」
コーヘイはちょっと想像してしまった。
「あれ?意外と大丈夫なのかな……」
セトルヴィードは三歩程、後ずさりした。
「私は絶対、無理だからな!おまえ、豪胆すぎるのにも程がある」
気まずい雰囲気になってしまったため、以降、コーヘイは、ベッドが二台あるセリオンの部屋で寝泊まりする事になった。久々の同室の再開である。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ミシャの夢の中に、フレイアの育った家の森の風景が広がって行く。
プラチナブロンドの髪をしっかりと後ろでまとめた、水色の瞳の少女。働き者らしく、大きな洗濯物を小川で洗っている。
周りに誰もいないのに、少女は話をしていた。
「シーツはやっぱり大変だわ。ね?そう思うでしょ」
「あなたたちが手伝ってくれたら楽なのにな」
「ふふ、そうね、ごめんなさい」
「久々のお客様だからきちんとしなきゃね」
「えー、絶対ないわよ。もう!そんな事言われたら期待しちゃうじゃない」
少女はシーツを頑張って絞ると、カゴに入れた。小柄な少女にはかなり重いようで、よたよたと抱えて歩く。
物干し台にたどり着くと、シワを伸ばしながら干していく。
「乾かすのは、お願いね?」
ふわりふわりと、風がシーツを躍らせ始める。
「あら?もういらっしゃったのかしら」
少女はとてとてと可愛らしい走り方で、小川にかかる橋に向かって走って行った。
「まあ、大変」
その橋の先に、旅装の一人の青年が倒れていた。
「う……」
「大丈夫ですか、旅の方」
なんとか顔を上げた青年は、こげ茶の髪を中央で分けた、真面目そうな顔立ち。かなり痩せていて、頬はこけていた。だが、それが気にならない程に、美しい緑の瞳をしている。宝石のような輝き。エメラルドのよう、という形容がまさに相応しい。
対する少女の瞳はアクアマリンの水色。
お互い、その瞳の美しさに息を飲んだようだった。
「わたくし、そこの宿屋の者ですの。お部屋の空きはありますから、よろしければおお休みになっていってくださいまし」
「すまない、ありがとう」
少女は青年に肩を貸した。青年は長身で、小柄な娘にはなかなかの骨の折れる作業ではあったが、風がその支えになっていた。
少女は青年に食事を出す。青年がその食事を摂っているいる間に、先ほど干したばかりのシーツを取り込む。
「ありがとう、間に合ったわ」
二階の角の部屋を整える。シーツを敷き、軽く椅子等の位置を揃える。
台所に戻ると青年が丁度、食べ終わったタイミングだった。
「お部屋にご案内しますね」
テキパキと二階の部屋に導く。青年はマントと上着と靴を脱いだだけで、ベッドに倒れ込んで眠った。
「お疲れみたいだから、癒してあげて」
肩越しに振り返り、見えない何かに話しかけてから、少女は食器を片付ける。
「明日の朝まで起きてらっしゃらないのね。朝ごはんの用意だけで良いかしら」
「ああ、そうね。お菓子は焼いておくわ。いつものクッキーで良さそう?」
少女は庭に出ると、魔力が回復すると言われる薬草の、小さな紫の花を摘んだ。
「みんなが言った通りみたい。わたくし、心を奪われてしまいました」
「え?……そうなの?そうなのね。そっか……しょうがないわね」
「ごめんね、せっかく教えてくれたのに」
少女は向き直ると、お菓子を焼き始めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
王の影は基本、二人一組。コンビを組むというスタイルだ。ヴィルジニーの相棒はアドニスという年配の男。功を焦ってのミスの多い彼女に、ベテランが割り振られている形だった。
濃い茶色の髪に白髪も混じる四十七歳。彫りも深く、眼光は鋭い。この先代国王の頃から年齢まで、影として使えて来た彼は、慎重な性格である。
「ヴィルジニー、何故そんなに焦っているのだ」
「別に焦ってなど、いない」
慎重派のアドニスにとって、ヴィルジニーの仕事は雑に思え、二人の息はあっているとは言い難い。王としては、ベテランの彼に、彼女を育ててもらいたいという意図があっての組み合わせのようなのだが。
今回もいきなり、王子の警護という名目で、キース王子の傍にいる事を勝手に決めており、流石に見かねて声をかけた。
「我々は王妃の警護のはずだ」
「王子の方が危険度は高いではないか」
「そのような命令はない」
「何かあってからでは遅いだろう。王子は何度も誘拐されてきた」
――それは確かに、そうではあるが。
「だからといって、本来の命令を蔑ろにするのはいかがか」
「王妃は殺しても死なないような性格ではないか」
憤慨するどころか、憎しみすら湛えて吐き捨てる。
「お前はまだ若い、わかっていないのかもしれないが」
「他の影より、私は優秀だ。それをわかってもらいたい。ただそれだけだ」
「他の影と功を競ってどうする、無意味だぞ」
「……」
ヴィルジニーは無言で、アドニスの小言が聞こえない場所に移動して行った。
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