第12話

 ミシャはセトルヴィードの作った転移の魔法陣の傍に身を立て、その隣に騎士団の一般騎士の装備姿のジルがいる。ただ彼の腰には片手剣ではなく、二本の細身の短剣が背面側に差してあるという違いがあった。


「解錠後のサポートに、護衛騎士を一人連れていきます」

「良い判断だ」


 セトルヴィードはジルに目線を送ると、彼は無言でそれに応えて頷く。

 ミシャが、王の影と顔見知りだったことが、銀髪の魔導士は意外だった。


 ミシャはその黒い皮手袋を少しめくり、師匠に見せると、沈痛な思いが紫の瞳に乗った。命令には責任が伴う。彼はこの件についての一切の責任を負うつもりだった。


「これでコーヘイ師匠は、無事に帰ってこれます」

「成果を期待している」

「行ってまいります!」


 こうしてミシャとジルの二人は、ディルクの指定した座標位置に転移していった。



 二人が転移したのは海岸沿いの崖に沿う暗い森の中だった。旅の商人の野営地のようで、樽や木箱、小さなテントがある。

 眼帯で右目を隠している髭面の男が、そこで腕を組んで待っていた。濃い茶色の髪をオールバックに撫でつけ、豪胆な雰囲気をまとうが、ミシャには見覚えのある青みを帯びた緑の瞳。


「ディ……」

 

 言いかけたミシャに向けて、男は左手の人差し指を自らの口にあてる。周囲には数人の男達がいる。ここでの彼は、この姿が通常という事のようだ。

 少女はこの変装を見て、ディルクが普段は左目を右目と同じ色に見せかけている理由がわかった。緑の瞳の騎士であるという印象付けをしておけば、まさかこの青緑の瞳の男が同一人物とは思えない。瞳の色は髪で隠せても、変えられない。エメラルドのような瞳の持ち主の諜報部員は、最近とても有名だった。真実を知らなければ同一人物とわからないだろう。


「アディだ。コーヘイ卿の救出を指揮する」

「ミシャです」

「護衛騎士のジルです」


 ディルクには、騎士だというジルの顔に見覚えがなかった。何故ミシャがこの男を連れてきたのかも、わからない。あまり王都から出た事がない弟子を心配した、魔導士団長が付けたのだろうと、その場では判断した。腕が立ちそうな雰囲気はその動きから、感じていた。

 だが、ミシャとの距離感が近くも感じる。


 アディ姿のディルクは、頭を振って、計画に関係ない考えを追い出した。


「作戦を説明する」


 地図が広げられた。

 コーヘイの囚われている倉庫の位置、脱出のルートが指示される。すでに綿密な計画がなされており、それが具体的かつ効率的で、ジルを唸らせた。

 倉庫は海岸沿いの森の中、岩場と崖に囲まれ、隠されるように建っていて、海岸へ降りる道の先には複数の船が停泊している。これは海賊船だという。


「太い鎖のついた枷が二つ。それさえ外せれば救出は完了したも同然だ」

「私はそれを外せばいいんですね」

「かなりの短時間で外さなければいけない、だから頼んだ」


 青緑の目線が、揺らぎを帯びてミシャを見たため、苦渋の決断であったことが、少女に伝わる。


「魔法発動の対価は?」

「対応可能な範囲です」


 ミシャは秘匿した。それが正しいかどうかはわからないが、それを知ったディルクの気持ちをおもんばかった。


「倉庫への侵入はミシャ一人で、その護衛騎士は外で援護を」

「いや、僕は彼女の傍にいる」


 ディルクは、ジルのその返事を不快に思った。

 ジルはミシャに負担を強いる、このディルクのやり方に怒りを感じてる。表情を隠すべきことをあれだけ散々、ハーシーに忠告されていたのに、その怒りのままの目線でアディ姿のディルクを見てしまった。


「アディさん。私は、解錠の魔法を使った後のサポートを、彼にしてもらう必要があります」

「……わかった」


 ミシャは対価の事を秘密にしている事を、後ろめたく感じ、目を伏せた。それがとても意味深な感じがして、ディルクを不安にさせてしまっている事にも気づかずに。


「倉庫を出た後のコーヘイ卿の身柄はこちらで保護する。二人はそのまま場を離れるように。二手に分かれる事で、どちらにコーヘイ卿がいるかを迷わせる効果も狙う」

「わかりました」



 作戦は夜間に決行された。暗闇に乗じて一気に奪還する。


 見張りは眠らされ、一部はディルクの部下によって片付けられ、静かに、だが確実に倉庫への侵入経路が確保され、ミシャとジルは倉庫にそっと忍び寄り、まずはジルから侵入する。

 遠目でその様子を確認していたアディの変装を解いたディルクは、ジルの動きがあまりにも鋭敏で、ただの護衛騎士ではないと知る。先に自らが確認する事で、ミシャに危険が及ばないようにしようとする、強い意識も感じた。



 ジルが中に入ると、椅子に座った見張りも薬で眠らされ、大きないびきをかいている事が確認できたので、手招きをしてミシャを室内に誘う仕草を見せると、少女もするりと倉庫内に足を踏み入れた。

 ジルは音を立てなかったが、ミシャは少し音を立ててしまったので、毛布をかぶったコーヘイが異変に気付いて目を上げる。


「ミシャ……!?」

 

 助けに来るのはディルクだと思っていたので、小声だがコーヘイは驚きの声を上げてしまった。

 ミシャは右手の手袋を口に咥えて外すと、コーヘイの左足の足枷に右手を当て、集中して魔力を開放すると、一瞬で鍵を外して見せた。


 代わりに、ミシャの目の奥に、錠が下ろされたような衝撃が走る。


 ジルはすかさず、コーヘイの右手を縛る鎖を持ち、音を立ててミシャにその位置を知らせた。

 ミシャはすぐにそちらの枷にも手をかけ、同じ手順で処理する。

 外れた事を確認すると、ジルは間髪を入れずにコーヘイに肩を貸して立たせた。


「歩けますか?」

「大丈夫です」

「ではこれを」


 コーヘイの手に、ジルから片手剣が押し付けられる。それは国王からもらったあの片手剣。もうすでに、手に馴染む、その感触。


「卿は先に外へ」


 ジルの声に押されて、コーヘイは外に向かって走り、長髪を後ろに束ねた騎士は、ミシャのその手を引いて後を追うように外に出た。


 外ではディルクが待っており、コーヘイの腕を掴んで崖の方向に誘う。

 そのディルクの目に、護衛騎士とミシャが手を繋いでいるのが見えた。


――ああ、もしかして。僕らは終わってしまっていたのか。


 恐ろしい古代魔法を自分に刻ませる男など、確かに相応しくないだろうなと、ディルクは思った。国と彼女を天秤にかけて、国を選んだ。その結果だ。



 予定通り、ミシャとジルの二人は山側へ。コーヘイとディルクは海岸方面へ。月のない夜は足元が危険で、あまり素早くは移動できない。だからといって、灯りを使う訳にもいかず。


 見張りが倒れているのが見つかって、にわかに騒ぎが起こり始めた。作戦の開始からまだ十数分なのに、もう気付かれてしまった。解錠に時間がかかっていたら、危なかったと思われる。

 その騒ぎに反応して倉庫に向かい始めた海岸沿いの見張りと、二人は出会いがしらに遭遇してしまったが、コーヘイがすかさず剣を抜き、数合打ち合っただけで倒し終えた。


「コーヘイさん、剣を持っておられたんですか」

「ミシャと一緒に来た騎士が、持って来てくれました。これは取り上げられていた自分の剣です」

「あの男、いつの間に」


 悔しさがその声に滲む。

 刹那、銃声がして、ディルクの足元で石が跳ねた。


「止まれ!」


 青銅色の瞳の男が、岩の上に立ち、銃口を逃亡者に向けている。その姿が見える位置に、山側にまわりこんだジルとミシャはいて、コーヘイ達に向かって発砲された事に息を飲んだ。


 ディルクは迷わず、を盾にした。


「む!?」


 レナルドは思わず銃を下げ、ジルもこれには驚いた。だが、ここでは正しい判断だ。敵はコーヘイを欲していて、命を取ろう等とは思っていない。盾にされては攻撃できなくなるのだ。咄嗟にそういう事が出来るのが、ディルクのすごいところ。


 だが銃は再び二人に向けて構えられてしまった。少々怪我をさせても構わないという感じにも見える。


「ミシャ、攻撃魔法を。鈴の音の位置に爆風を一発」

「わかりました」


 ミシャは知覚感知の魔法陣を発動させ、鈴の音に意識を集中をはじめ、ジルは急いで小刀に鈴をつけ、それをレナルドの肩を狙って投げた。

 狙った通り肩に刺さり、鈴がかすかなチリッという音を立てる。


「っ!」


 同時に、ミシャはそれにめがけて無詠唱の爆風の攻撃魔法を使った。

 レナルドは背面からのいきなりの爆風で前のめりになり、対応する事ができず、そのまま岩から転げ落ちた。


「くそ!」


 なんとか受け身を取ったが、銃を取り落とした。肩に刺さる小刀を、苦痛のうめき声と共に抜き取ると、どこからの攻撃なのか、必死で確認しようとしていた。


 銃声を合図にあちこちで光が灯されており、ディルクの目に、ジルとミシャが見えた。ディルクは腕を振って、山側の二人にも逃げるように合図をすると、ジルがそれに右手を挙げて応える。


 それぞれ逆方向に、二組は逃走した。背後から海賊達の騒ぐ声が聞こえる。


 逃走する中、ディルクの心中は穏やかではない。

 魔獣から受けた傷はもう、ほとんど癒えていた。あとはミシャが十八歳になってくれるのを待つだけ。そのつもりだった。

 ミシャの隣にいたあの騎士は、とてつもなく優秀に思える。奪われたくはなかったが、もう遅いような気さえして、不安が胸中を支配する。


 しかし、城内に精通するディルクでさえ、あの顔は見た事がない。


「コーヘイさんは、あの長髪の騎士を知っていますか?」

「騎士団員ではないです、自分は王都の騎士しか知りませんが」

「地方騎士に、あんな手練れがいただろうか……」

「全く記憶にない訳ではない気がします、どこかで見覚えが」


 城壁で、肩に被弾していた男と、似ているような気もする。だがあの時は、傷に気を取られて顔は見ていない。




 レナルドは、せっかく捕らえた貴重な人材を逃がしてしまった事が悔しく、岩場から体を起こしてゆっくりと銃を拾い上げると、足元の小石を蹴り飛ばす。

 これからの計画に、異世界の元軍人というのは絶対的に欲しかった。

 あの鎖は強固で、枷の鍵は肌身離さず持っていたのに。構造の複雑な鍵で、ピンなどでは到底、解錠できないはずだった。魔法の解錠でも十分以上はかかるはず。それが油断につながった。


「あの男はどうしても欲しい。諦めん」




 コーヘイとディルクの二人は、闇に乗じてその姿を隠し、最終的に王都への帰還を果たした。

 もう一組も、魔法で先に無事に帰っていたが、ミシャは失明をディルクに秘密にするため、部屋に籠っていて、戻ったディルクとコーヘイを出迎えなかった。


 こうして二人のすれ違いが、始まる。

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