第11話

 銀髪の魔導士は、いつものように椅子に座って机に向かい、先ほど届いたばかりの短い書簡を読んでいる所である。

 

 緑の瞳の騎士は、国王直属。なのに彼は国王ではなく直接、魔導士団長に連絡を取って来ていた。

 その内容が予想外だったため、セトルヴィードは悩みに悩んでいる。効率を考えれば、その方法は理にかなってはいる。だが。

 両手を眼前に組み、それを額に押し付けて悩む。いつもの、顎に手を持っていく癖すら出てこないぐらい、考えに沈んでいた。


 コーヘイは助けたい。だが、ミシャも大切だ。どちらを優先するとは、決めきれなかった。この計画を、冷徹に選んだディルクの事が恐ろしいとさえ思った。だがこうする事で、彼は生き残って来たのだと思うと。

 そんなディルクの判断である、この方法がベストだと思ったからこそ、彼はこの指示をしてきているのだ。


 ノックの音が聞こえ、少女の声がした。魔導士団長は、魔導士の最高位としての仕事をするしかないと覚悟を決め、彼女の入室を許可した。


「師匠、お呼びです?」

「ミシャに正式に命ずる」


 今までにない口調、重々しい言葉。ミシャは今更ながら、この人がこの国の全魔導士の頂点だと思い知る。師匠と弟子ではなく、最高司令官とその部下。空気感がそう言っていた。

 いつも少女の主張や、判断に任せてくれていたが、今日は絶対に拒否できない命令を出すと宣言された事に、ミシャは緊張の表情を浮かべた。


 魔導士団長はうら若い魔導士に、届けられた書簡を手渡し、読むように促しすと、ミシャはその内容を読み取っていく。読み進めるうちにその手に力が込められ、瞳がわずかに動揺した。


『コーヘイ卿を縛る鎖、鍵が強固につき魔法での数分以内の解錠が必要。古代魔法を要する、ミシャに依頼す』


 まだ少女と言っても良い年齢。十七歳の魔導士は、その書簡を返しながら強い口調で宣言した。


「確かに承りました」

「手伝いはいるか?」

「一人で可能です」

「そうか」


 ミシャは胸の前で手を交差する魔導士の敬礼をし、その部屋を退出し、自分の部屋に早足で向かった。ミシャが、師匠に敬礼をしたのは初めての事だ。彼女は魔法剣士としては独立しており、上官はいない事になっていて、銀髪の魔導士の立場は、あくまで相談役となっている。

 だが、魔導士である彼女のトップは魔導士団長である。今回、魔法剣士としてではなく魔導士として任じられたと感じた。


 怖い……。


 でも必要な事なのだ。自分に任された。作戦の要は自分。

 自室の扉を思いきり開け、そして、静かに、静かに閉じる。これからやる事に、邪魔が入らないよう、後ろ手で鍵をした。

 しばらくそのまま、動けなかったが、深呼吸をして、前に進む。


 本棚から一冊の古文書を手に取り、机の上に置き、立ったままページを繰る。

 目的の、古代の魔法陣が目に入る。まるで薔薇の刺のついた蔓が渦巻くようなその形。美しくもあるが、恐ろし気でもある。ミシャは慎重にその内容を確認した。


 呼吸を深めて勇気を絞り出し、目を閉じ集中しようとしたそのタイミングで、魔方陣に置いた右手首を掴まれ、ミシャは心臓が止まる程、驚いた。その掴んだ手の主が感情もあらわに叫ぶ。


「何をしてるんだ!」


 黒装束のジルがそこにいた。顔に焦りと心配だけが浮かんでいて。


「ジル、なんで……」

「なんで、じゃないよ。まさかまた、古代魔法を刻むつもり!?」

「そうです」

「だめだよ、それの怖さをミシャは知ってるだろ?」

「必要なんです」


 ミシャはその黒茶の瞳を、少し揺らしてジルを見た。彼女の決意はそこに見て取れるが、同時に怖がっている事もわかった。それでもなお、やろうとしていたのだ。

 ジルは少女の手首から手を離した。


「その魔法は何?対価は?」

「解錠の魔法です。対価は視力、二週間ほど見えなくなります」

「その事を、ミシャに古代魔法を刻めと言った奴は知ってるの?」

「師匠は知ってると思います、ディルクさんはおそらく知らない」

「ディルクの指示なのか」

「はい」


 ジルは考える。ディルクがそうしろと言うなら、それが最適解なのだ。解錠による目的達成としてはベストなのだろうが、それを行ったミシャが一時的とはいえ失明してしまうのは、作戦に影響する気がする。


――しかしあいつ、好きな女にこんな事させるか!?


 古代魔法をすでに一つ、体に刻んでるから、もう一つぐらい増えても変わらないとでも思っているのだろうか。彼女の人生を縛る足枷が、確実に一つ増えるというのに。


「ジル、お願いがあります」

「何?」

「古代魔法を使った後の、私の目になって欲しいです」


 彼女は作戦内容を理解して、自分が受ける対価の弊害にも気づいている。

 覚悟を決めて、やり抜こうとしている目の前の少女の強さを、ジルは認めるしかなかった。


「目が見えなくなった事を、その場の誰にも知られたくない。できます?」

「わかった、……任せてくれていいよ」


 ジルは数歩下がり、ミシャから離れた。

 ミシャはそれを見て、もう一度古文書に向き合うと集中を開始し、古代の魔法陣をその右掌に刻み込んでいく。


 細胞の奥底に刻まれるその力、なんともいえない苦痛が少女を苛む。汗が散り、体はわずかに身もだえる。


「あ……うっ……くっ」


 ミシャも耐えているが、それを見るジルも耐える。支えてやりたいが、儀式の最中に触れる事は許されない。集中が切れれば失敗して、もっと悪い結果になるため、やり始めたからには、やり遂げるしかないのだ。


 永遠とも思える時間が終わり、少女は力尽きたようにしゃがみ込んだのを見て、ジルは歩みよるとその体を支えた。

 彼が目線を向けると、ミシャの右手の掌に、黒い入れ墨のように、新たな魔方陣が刻まれていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 コーヘイの前に、再び青銅色の瞳の男がいた。座るコーヘイの目線に合わせて、自身も床に膝を付く。

 コーヘイは相手の目的を一つでも多く、聞き出すつもりでこの再びの対面に挑んでいる。そしてこちらの情報は出来る限り出さないつもりだ。話術に自信はないが、口下手でもない。

 とにかく失言には気を付ける。


「異世界人を、この世界にこないようにすることなんて可能なのか?」

「方法は随分前に見つけたが、なかなか手間がかかる」

「何故、そうする必要がある」

「いきなりこの世界に放り込まれる異世界人が、気の毒でね」


 ふっ、と軽く息を吐くような笑いを見せたが、目はそれほど笑っているようには見えない。この男の青銅色の瞳はまるで古代の扉のように固く、表情が読みにくい。

 だがコーヘイの黒い瞳も、揺れたりしなければそれほど感情は出ない。暗い部屋では瞳孔が見えにくいからだ。


「何故、気の毒がる」

「奴らはみんな、帰りたいって泣き叫ぶからさ」


 嘲笑が含まれていると、コーヘイは感じた。


「それを、何故、あなたがやろうとする」

「正義感を持つ事は、いけない事だろうか?」


 コーヘイの右手の鎖が音を立てる。その方向にレナルドは目線を向けた。


「海賊が?」


 コーヘイの言葉に、レナルドは僅かに反応し、目線をコーヘイの黒い瞳に戻す。

 黒髪の騎士は、あてずっぽうで適当な事を言ったのだが、海の匂い、見張りとして表れて来る男達の特徴等から、海の荒くれ者という感触があった。

 しばしの沈黙の後、青銅色の瞳が愉悦にまみれ、続けて男は感嘆の声をあげる。


「素晴らしい観察眼だ、本当に得難い人材」


 コーヘイの首を右手で掴み、そのまま背後の壁にグッと押し付け、レナルドは顔を寄せて囁くように言葉を続けていく。


「あなたも、一度ぐらいは、還りたいと思っただろう?元の世界に」

「それは……」


 コーヘイはハッとして口ごもった。


――しまった。


「可哀相な異世界人、あなたもその一人だ。同胞のために、頑張りたいと言ってくれると信じてるよ。君の正義感に、火が付く日を待っている」


 レナルドは満足そうに部屋から出て行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 金髪碧眼の、少女のような顔立ちの可愛らしい少年が、自室の机で読書に耽っていた。十六歳になったばかりのキース王子は、剣よりも学の方を伸ばす事で、兄王子を支えると決め、毎日勉学に励んでいる。


 主に語学を学び、父王の外交の手助けをできるようになりたいと、周囲にその学習の手伝いをねだった。ディルクが特に語学が堪能だったので、王子の勉強に随分な時間、駆り出されていた。彼も、教師役を楽しんでいる節があったし。

 そのほか、歴史等も。やはり過去から何度も同じような事件が繰り返されていて、昔の出来事から学ぶ事は多かった。



 不意に、視線を感じた気がして振り返った。


「誰?誰かいるの?」


 その声に反応し、闇が切り取られたように、王子の前に黒い影が現れた。

 跪く黒装束の女性。二十歳中頃だろうか。それなりに整った顔立ちで、赤毛に明るい若草色の瞳をしていた。髪は巻き毛で、それほど長さはないが邪魔にならないよう、後ろに束ねられている。


「誰?」


 殺気等もなく、落ち着いた雰囲気。兼ねてより噂される国王の影の一人に思えたが、今まで王子の前に姿を現した事はかつてなかった。

 国王の影は、王と王妃しか詳細を知らない。その人数も不明だ。


「ヴィルジニーと申します。このたび陛下から、キース殿下の護衛を任じられましたので、その着任のご挨拶に伺いました」

「父上が、私に?」

「はい」

「そうか、よろしく頼むね」

「了」


 影は再び闇に消え、キース王子は再び机に向かった。

 何事もなかったかのような顔をして、ペンを動かしている。しかし母親譲りなのは顔立ちだけではなかった。王子はその聡さも受け継いでいたから。

 

――父上が自分にそうするなら、前もって一言あるはずだ。何かおかしい気がする。


 あの時、まだ六歳ぐらいだったろうか。彼は誘拐されかけ、一人の勇気ある少女に助けてもらった事がある。その後、短い期間であったが、彼女は色々な事を教えてくれた。その教えの一つが、自分が最初に感じた事を信じる、というものだった。


 反射的に思いついた事柄が、正解であることが多いというのだ。考えて考え抜いた答えが必要な事もあるが、思考プロセスが増えると雑音が増え、間違った答えが出る可能性がある。

 だが最初の勘は、今まで蓄積した知識や経験から、反射的に生じるもの。一切の雑音のない、クリアな思考の結果なのだ。

 試験で最初に読んだ問題の答を、深読みし過ぎてはいけない。自分の知識を信じて、最初に感じた通りの答を書き込み、それは後から直さない事。ちゃんと勉強しているなら、絶対に最初の答が正解だからと。


 護衛ではなく、監視がついたと思った方が良い、と彼は考えた。

 自分が気づかなければ、あのまま身を隠し続けた気がするからだ。


 彼は今後の行動、発言に気を付ける事にした。

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