第7話

 食事を終えた二人は、寝室に移動していた。

 ミシャがジルの傷の包帯を交換していたが、目に入った丸い穴が開いたかのような傷跡が痛々しくて。それなりの炎症を起こしてるようで赤みが強い。


「魔法が使えたらいいのに。せめて冷やせたら」

「この程度なら僕は平気だから。心配しないで」


 とりあえず他に出来る事もなく、この夜は包帯の交換だけをした。ミシャは城に戻ったら、この傷に自分の使える範囲の高位魔法を試してみようと思った。


 流石に寝る時は、ジルは変装を解いていたが、ミシャはジルに対して一切の警戒心を持ってはいない。まだ付き合いは浅いが、何かをして自分を傷つけるような人ではないという事を実感していたから。彼もあくまで、サポートのために傍にいるという態度で一貫している事もあって。


 それぞれ、壁の端と端に置かれたベッドに横たわる。ドアから入って左側がミシャ、右側のベッドをジルが使っている。右のベッドの方が出入口に近く、こちらを選ぶ点でも、ジルは護衛としての意識が高いようだ。

 ベッドの間は三歩程の距離。月明かりでそれなりに明るいが、表情が見える程ではなかった。


「ジルさんは、何歳なんです?」

「僕は今年二十三歳になるよ。この仕事を始めたのは十二歳の時。陛下は孤児の保護を兼ねて、親のいない子供で才能がありそうな子供を集めて、育ててくれてるんだ。ディルクもそうだよ」

「騎士とか魔導士にはしてもらえないんです?」

「そんな事ないよ、その職種の才能があればね。陛下のすごいところは、才能を見極める目。適材適所で、それぞれが一番活躍できる場所を与えてくれる」


 でもミシャは納得しがたい感情を芽生えさせたようだ。


「辛い仕事を、割り振られる事は、いいんです?」

「そうだね、ディルクは特に辛い役目かな。だけど、陛下は彼ならそれが出来るって信じているし。彼だけが辛くならないように密かにサポートさせてる。僕らも陰ながら支えてるよ」


 ミシャは黙ってしまった。


「ミシャさんは優しいね。でも僕らは、仕事に誇りを持ってやってるって事は忘れないで欲しいかな。納得してやってるんだ。納得しない者に、仕事は割り振られない」

「そうなんです?」

「そうだよ、他に聞きたい事はある?」

「ジルさんは、私の事で知りたい事はあります?」


 なんとなく、一方的に話してもらうのは悪い気がした。


「そうだなあ、だいたいの事は知ってるし、これからも知って行くつもりだから」


 ジルは少し遠い目をしたが、それはミシャには見えない。


「もう寝ようか、明日また頑張ろう?」

「はい」


 ミシャは寝顔を見られるのは恥ずかしいと思ったようで、顔を隠すように毛布を上げた。ジルはそれを見て少し笑った。


「あ、そうだちょっといい?」

「なんです?」


 少女は毛布からちょこっと顔を出す。


「僕のこと、ジルって呼び捨てにして欲しい、君の事も、呼び捨てにしていい?」

「いいですよ?」

「おやすみ、ミシャ」

「おやすみなさい、ジル」


 なんとなく、お互いがくすぐったい気分になった。

 新しい友人が出来た気がした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 黒曜石の瞳が、心配そうにこちらを見る。

 ああ、フレイアさん。そんな顔をしないで欲しい。笑顔を、見せて欲しい。

 春の、陽だまりのような、あの笑顔が見たいです……。



 コーヘイは、静かに目を開けていった。

 薄暗い部屋、石畳が見える。世界が一周するような眩暈。

 そして自分が、冷たい石畳の上に転がっている事に気付いた。


――あれ?また、倒れちゃったのかな。


 なんだか異様に、頭がくらくらして、少し吐き気がある。


「う……」


 体を起こそうとすると、自然とうめき声が出た。それでもなんとか、体を起こすと、ジャラリと重い鎖の音がした。

 左足には足枷。そこから太い鎖が伸びて、壁と繋がれていた。右手首にも同様の枷と鎖がある。


「なんだ、なんでこんな。ここは?」


 目の前に椅子があり、そこに一人の男が座っているのが見えた。

 コーヘイが意識を取り戻すのを待っていたようで、男が立ちあがった。


「薬が効きすぎたみたいで、すまなかったね」


 アッシュブロンドの、ウェーブの強い髪は肩まで。その青銅色の瞳には見覚えがあった。あの銃を持った賊。年齢は三十前後といったところか。


「いったい誰なんだ、なんで自分はここにいる」

「名前を伺っても?私はレナルドという」

「……コーヘイだ」

「あなたは異世界で軍人だった。そうだろう?」

「何の事か、わからないな」


 なるべく表情を隠し、状況を把握しようと努める。


「あの動きは、銃を知ってる者じゃないと出来ない」

「そういう敵と、何度も戦った経験がある。それだけだ」


 コーヘイは元自衛官であることがバレてはいけないと感じた。異世界人登録局で最初に聞いた話を今になって思い出す。銃の扱いに長ける者を必要としたときに、自分が狙われるという事を。


「ふっ、そういう事にしておいてもいいが」


 男は歩みを進め、コーヘイの前にしゃがみこんだ。


「まず一人称が、”自分”であること。必ず、踏み出しが左足から。これは行進に慣れた軍人にありがちな癖だと、聞いた事がある」


 コーヘイは動揺しない。


「騎士団では、そういう訓練をする」


 青銅色の瞳は一瞬閉じられたが、口元は薄く笑っている。


「あなたのような人を求めていた」


 立ち上がると、その瞳に強い感情を籠めて、おもむろに、黒髪の騎士の胸に蹴りを入れた。コーヘイは背後にあった壁に背中を打ち付け、肺の空気が強引に押し出されて息を吐いた。


「かはっ」

「先日の礼だ。私に協力するという返事を聞くまでは、この鎖は外せない。言っておくが、この枷の鍵は特殊だからな?針金程度じゃ外せないぞ」

「何に協力しろというんだ」

「新たな国を作り、異世界人が二度と、この世界にこないようにする事さ」


 コーヘイは初めて表情を変えた。それを見ただけで、今日は満足だと言わんばかりにレナルドは背を向けた。入れ違うように逞しい大柄な男が、食事を持って入って来た。荒々しく、コーヘイの前にトレイが置かれた。そして、先ほどまでアッシュブロンドの男が座っていた椅子に、ドカリと荒々しく座る。


 とりあえず、今すぐの命の危険はなさそうだが、この鎖をどうにかする方法を考えないと、逃げ出すのは難しいように思えた。

 とりあえず、与えられた食事を口にする。薄いスープと、硬いパン、チーズの欠片。美味しくはないが、逃げ出すための体力は維持したいと思い、押し込んだ。


 目の前の大男が、食器を下げるのかと期待したが、一人の細い老人が入って来て、食器を手に取り、持っていた毛布を二枚、投げ寄こした。コーヘイは無言でそれを受け取る。

 一枚を敷き、もう一枚は頭からかぶり、壁にもたれて目を閉じる。


――閣下達がきっと心配している。なんとか生きて戻らねば。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ミシャは夜中に、誰かに呼ばれた気がして目を開け、体を起こした。

 そのわずかな気配を察知して、ジルも目を覚ます。


「ミシャ、どうしたの?」

「何か、声が聞こえません?」

「僕には何も」

「外からかも」


 ミシャはベッドから降りると、靴だけ履いて、寝間着変わりの薄いシャツ一枚で誘われるように外に出ようとしていた。ちょっと目のやり場に困る服装でもあるが、彼女はお構いなしで。


「そんな薄着で出ちゃダメだよ」


 ジルはクローゼットにかかっていたショールを軽く叩いて埃を落とし、慌ててミシャの肩にかけ、自身は剣をくだけで、あっという間に外へ出て行くミシャに続く。


 二人はミシャが声が聞こえる方向として指さした、裏手の畑らしきところに向かって歩いていたが、そこに一本だけ、風に揺れる小麦が見えた。金色に光って、静かに揺れている。ミシャはそれに引き寄せられるように歩みを進めていく。


「ミシャ待って!」


 ジルの声に、少女はハッとして立ち止まった。


「僕が先に安全を確認するから」

「でも、私が呼ばれてる」

「じゃあ、一緒に行こう。先には絶対、行かないで」


 いざという時は手を引いて後ろに庇えるよう、ジルは左手でミシャと手を繋いだ。ミシャはそれに従い、頷いた。

 近づくと、小麦は揺れるのを辞めた。


「わ、これ精霊だよ」

「精霊ってこんなのなの?」

「植物精霊は珍しいけど、呪術師じゃなくても姿が見えるのが特徴だね」


 ミシャは、その小麦に手を延ばす。小麦は少し輝きを増した。触れる事はできないが、暖かな感じはする。


「ミシャに触られて、喜んでるみたいだ」

「一本だけだから、寂しいのかな?」

「使役しようと思っちゃだめだよ」

「呪術はわからないから」

「そっか、ミシャは呪術には詳しくないんだね」


 ジルも右手を伸ばし、小麦に触れようとしてみる。ジルにも反応し、少し揺れる。


「僕は嫌がられちゃった」

「呼ばれてる感じはするけど、何を言おうとしてるかはわからないです」

「うーん、どうしたらいいかなあ」


 二人で小麦を前にして座り込む。


「ジルは呪術に詳しいの?」

「うん、知識はあるよ。僕のお母さんが白呪術師だったから」


 ジルの声に、少しだけ寂しさが帯びる。


「黒呪術師は自身の魔力を削って、魔獣を使役するんだ。でも白呪術師はその魂の光を削って精霊を使役するって言われてる」

「使役の対価……?」

「そうだね、古代魔法の対価と同じかもしれない。他の魂を使役する強い力だから、代償も大きいのかも。だから人数もそう多くないと思う。とにかく短命だし」

「短命?」

「三十歳を超える人は、ほとんどいないんじゃないかな」

「そうなんだ、ジルのお母さんも?」

「うん、僕が五歳の時に死んじゃった。今の僕の年齢と同じぐらいだったのかな」


 小麦がぽわぽわとした光を発する。


「こいつ、慰めてくれてるみたいだ」

「なんだかそんな感じがするね」


 なんだか三人で会話をしているような気分になって、二人は楽し気に笑った。

 そして、手をつなぎっぱなしだったことに気付いて、慌てて離した。

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