第8話

「ジルって、結構おしゃべりです」

「そうだよ、だからハーシーにはよく叱られる」


 二人の会話に小麦が合わせて光る。


「この子、どうしてここにいるのかなあ」

「植物精霊は植えて育てるんだけど、使役できるレベルまで力を湛えるのに、すごく長い時間がかかるんだ。使役する白呪術師が短命だから、なかなか実を付けるまで育つ事はないと思うんだけど」

「自然には育たないです?」

「あの家、白呪術師の道具があったよ。呪術師が作る人形って知ってる?その人形の材料と一緒に。植えた人がいるのは確かだね」

「呪術師の人形……」


 かつて見たディルクの偽物も、呪術師の作った人形だった事を思い出す。まるで本当に、生きているかのようだった。


 小麦はもっと、二人のおしゃべりを聞きたいとねだるように、揺れて光る。


「やっぱ寂しかったんだ」

「でももう、あんまりここにいるのは良くないよ」


 ジルはミシャの頬に触れる。


「随分、冷えちゃってる。薄着だし、風邪ひいちゃうよ」

「でも、この子をほっとけない」

「植え替えって、できるのかなあ」

「こんな事なら、呪術の勉強もしておけばよかったです」

「ごめんね、僕がもう少し知っていればよかったんだけど」

「ううん、私よりよっぽど物知りだもの。助かってる」


 小麦がまた揺れる。ミシャは、触れられないけど、撫でるように手を動かしてみた。それに合わせてキラキラと金色の粒が弾ける。


「星みたいで、すごくキレイ」

「そうだ、少し魔力を流してみたら?肥料変わりになるかも」


 ミシャは集中し、左手の掌に魔力を集めるようにして、愛情をこめてその小麦に注いでみた。

 受け止めた小麦は、嬉しそうに光を増やす。


「あったかい」


 光が満ちていく。

 金色の輝きがミシャを包み込み、更に小麦が更に伸びやかに明るさを増す。フワフワとした輝きが辺り一面に広がると不意に、その実が煌めきながら、音も無く弾けて散ったかと思うと、しゅっと一瞬で一粒の光にまとまり、ミシャの体に吸い寄せられるように飛び込んで行った。


「……っ!?」

「わっわっ、ちょっとどうしよ」


 光の粒を受けたミシャが、その衝撃で後ろに倒れ込んでしまった。


「ごめんね、僕が変な事をさせたから」

 

 慌てて少女を抱き起したが、小麦は実を放ち終えて、その枝葉を銀色の粉に変えて消えてしまった。


「小麦の精霊、死んじゃったのかな……」


 ミシャはぐったりとして、完全に気を失っていた。ジルは肩の傷が痛んだが、彼女をなんとか抱きかかえて家に戻り、少女の体をベッドに横たえた。


「ミシャ、大丈夫?」


 返事はなく、少女のシャツの胸元がはだけて、古代の魔法陣が見えた。ジルはそれを見て沈痛な気持ちになり、外れていたシャツのボタンを留めてそれを隠す。


「僕から見ると、君も随分と辛い役目を担ってると思うよ?」


 毛布をかけて、はみ出したミシャの左手を握ると、そのまま少女の指に、騎士の忠誠の仕草のように、目を閉じて軽く口づけをした。


「守るとか言っておいて、こんな目に合わせてしまって、どうしよう……」


 そして、ミシャの手を毛布の下に入れる。

 影の青年は、ベッドの枕元の椅子を引いて座り、不安げに少女の様子を見守った。




 ミシャは夢を見ていた。

 夕暮れの空。森に囲まれたその場所で、ぽっかりと開いた空間。さわさわと、周囲にはたくさんの金色の小麦。

 長いまっすぐなプラチナブロンドの少女が、その小麦の世話をしている様子が見えた。少女は実体があるようには見えない。ふわふわと、少し透けた感じで、まるで幽霊のよう。その少女がミシャの方を見る。澄んだ水色の瞳。悲しげな微笑み。

 ミシャの頬を、その少女が両手で包み込む触れた瞬間、ミシャの眼前の風景は一気に色を変える。


 紺碧の空間、星空の中にミシャは放り出された。


「きゃ」


 上も下もわからない、右も左もわからない。落ちてるのか登っているのか。


 光と光がぶつかって一つになって、大きく輝く。流星のように光は煌めき合う。


 行きかう光たちが。分断され千切れた魂たちが。その片割れを求めて叫ぶ。


 魂と魂がぶつかって一つになって、大きく輝く。流星のように魂は閃き合う。



 そんな空間の中に青い大きな星。全く同じ、鏡に写ったかのような一対。

 二つの水滴が繋がろうとしているようにも見えるが、離れようとしているようにも見える。




 目まぐるしく再び風景が変わる。


 剣に剣で立ち向かう騎士、激しく巨大な魔法の応酬、焼けていく大地。

 地面は血で、空は炎で、赤く、赤く。世界が赤く。


 熱い、痛い、苦しい、怖い。


 地面が揺れる。海が大地を飲み込む。火山からの灰色の巨大な煙の柱。

 空は暗く、雨が降りやまない。世界が灰色。


 寒い、痛い、苦しい、悲しい。


 強引に引き裂かれようとして、二つの世界が悲鳴を上げる。


 悲鳴を、上げる。


 悲鳴を……。



 ミシャはたまらず、目を開けた。

 小鳥のさえずり、柔らかな光を頬に感じる。枕元にいたジルが、ミシャの目覚めに気付いてその灰色の瞳を見せた。彼は立ち上がると、少女の顔を覗き込みながら声をかける。


「ミシャ、大丈夫?うなされてたよ」

「ジル……」


 ミシャはゆっくりと体を起こし、ひどく混乱している様子で目元に手をやる。普段は黒に見える髪も、瞳も、朝の陽光に煌めいて明るい茶色。

 ジルは、そんなミシャからぱっと目を逸らした。目を逸らしたまま言う。


「なんともない?」

「はい」

「僕、お茶を淹れてくるから、その間に着替えて?」

「あ、はい、あっ」


 ミシャのシャツが寝汗で、うっすらと透けていた。


「きゃ」


 可愛らしい悲鳴を背に受けながら、ジルは台所に向かって歩く。ディルク同様、表情を隠す事に長けているはずの彼だったが、思わず真っ赤になって独り言が漏れる。


「不意打ちはずるい。ディルクはこれに耐えてるのか。尊敬が深まっちゃうよ」



 朝食の後、ジルはまた侍女の姿に着替え、二人は書庫に入ると、昨日の続きの捜索を開始していた。

 昨日より明るいせいか、より本のタイトルが見やすい。

 ミシャは書庫の奥、すみっこで、古代魔法の分厚い書籍を見つけた。本は一番下の段にあり、ミシャはしゃがみ込んでいた。


「あ、これ持ってない本だ、もらって帰ったらダメかなあ」

「いいんじゃない?持ち主はもういないみたいだし」


 ミシャが両手を使って本を抜き取ろうとしたが、良い紙らしくて随分重い。ジルがさりげなく抜き取ってくれる。


「ディルクさんもそうだけど、ジルも力持ちです」

「え?特別そんな事はないよ、普通だよ」


 ジルは片手で楽々と持ち、その本を文机の上に置く。


「持っていきたい本が他にもあるなら、ここにまとめちゃおうか」

「この、隣の一冊も欲しいかな」

「僕が取るよ」


 ジルがその本を抜き取るとその本棚の奥の壁に、小さな切込みが見えた。


「あれ?奥に何かあるみたい」


 ジルは本を文机に置いて戻り、膝をついて一緒に覗き込み、隣のもう一冊も抜き取ってみる。

 そこには幅三十センチぐらい、高さは二十センチ程の四角い扉。ただ、蝶番はあるのに取っ手の類はない。


「開けてみようか?罠があったら大変だから、ミシャはちょっと下がって」


 ミシャは素直にその指示に従い、三歩程下がった。

 ジルは侍女のスカートをの下から、小刀を一本取り出すと、それでこじ開けるようにして扉を開けた。

 中には一冊のノート。彼は一応周辺を確認してから、それを慎重に取り出したが、表紙には封印の魔法陣が焼き付けられており、ジルには開く事は出来なかった。

 ミシャがそれを受け取るが、かなり複雑な封印で、ミシャにも開けない。


「師匠じゃないとダメかも」

「とりあえず、これが目的の物って事でいい気がする」


 ジルは文机の上に積んだ二冊の本を抱えると、先に階段を上がり、そして当然のようにミシャに手を貸し、階段を登らせた。


「帰りの魔法はいつだっけ?」

「午後です、夕方」

「じゃあ、まだ時間がたくさんあるね。綺麗な場所だし、少し周辺を探検する?」

「はい、そうしてみたいです」


 ミシャはこの世界に来てからは、空の狭い針葉樹林と岩だらけの鉱山で育っていた。その後はずっと、王都での暮らし。このような場所に来るのは初めてだ。


 木漏れ日がとても美しく、小川の煌めきも心を打つ。いつまでもいたくなる風景。素朴だけど可憐な花も咲いていて、それに白い蝶が舞い下りる。ミシャが近づくと、蝶は飛んで、ひらひらと奥へ。思わずそれに、ついていった。

 蝶がたどり着いた場所は、湧き水が湛えられた小さな泉。蝶はその水際に降りて、少し水を飲んでいるかのよう。そして再び飛んで、いなくなってしまった。


 その泉の色はディルクの左の瞳に似て、青みを帯びた緑。

 ジルがそっと、泉の中に手を入れて確認してみたが、澄み切った水で、色は水底に繁茂する苔と、光の反射の結果のようだった。


「湧き水なのに、あまり冷たくないね」

「水浴び、しちゃだめかな」


 ミシャは埃と蜘蛛の巣で、髪が汚れているのを気にしていた。寝汗も随分かいていたし、気持ち悪い。


「いいよ。危険はないと思うから、僕はタオルを取りに戻るね。出来れば手早く、気を付けて。剣は絶対に傍に」

「はいっ」


 ジルが背を向けると、ポイポイと靴を脱いでいる音がして、その脱ぎっぷりの思い切りが良すぎて、苦笑してしまう。


――もう僕が男ってこと、忘れてるんじゃないのかなあ、あの感じだと。


 ジルは思わず頭を掻いた。


 ミシャは服を脱いで泉に体を浸す。冷たくて気持ちがいい。だからといって、体温を奪いきる感じでもなく、とにかく心地いい。澄んだ水が体だけではなく、心の澱すら払うかのようだった。

 夕べ見た夢の生々しさは消えないが、それで傷ついてしまった心が癒されるように感じた。


 髪を洗う。随分伸びてきてしまったけど、ミシャはもう少し伸ばすつもりでいる。魔法の師匠と同じぐらいにしたかったが、師匠の方が伸ばし始めたのが早かったので、遅れ気味。師匠は未だに切る気配がないから、もしかすると追いつけないかもしれない。


 水をすくって空に投げてみる。水滴が輝いて、一瞬だけ虹が見えた。それが楽しくて、ミシャは何度も水で遊んだ。

 侍女姿の青年が戻って来ている事にも気づかずに。


 ジルは水と戯れて遊ぶ少女を見てしまった。


 魔導士らしい白い肌で、指先、肩先、胸先などの末端だけがほのかなピンク色。体に刻まれた、黒い古代の魔法陣さえ、体を飾る装飾のようだった。

 滑らかな体の曲線、それを伝う水滴。水がどんどん弾かれて落ちる。

 キラキラとした光が少女を包んで、時たま見える虹。

 その合間を、精霊や妖精たちが遊ぶのが見えて、思わず目をこすった。

 ミシャ自身も、まるで精霊のように美しかった。

 今は少女と、大人の中間点。

 剣術鍛錬で引き締まった体は、少年のようでもあり、性別すら超越して見える。


 ジルはうっかり見入ってしまって今更だが、改めて背を向け咳払いをすると、やっと少女は、ジルの存在に気づいた。タオルは、泉のすぐ傍の茂みにかけられている。


 それはつまり。


「あの、見ちゃった?」


 状況的に見てないはずはないが、ジルは素知らぬ顔をした。これぐらいの役得は、あってもいいだろうと思ったし。ジルは無言で背を向けたままだ。


「うう」


 ミシャはタオルを手に取ると、体を拭いて服を着る。衣擦れの音が止んだのを確認して、ジルは振り返った。真っ赤になってタオルをかぶってる少女が、なんとも愛らしくて。


「見てないよ、僕らは目を閉じてても歩けるからね」

「えー本当かなあ?」

「ほんとだって。じゃあそろそろ帰る準備をしちゃおうか?」

「はい……」



 約束の時間、数冊の本を抱えて、二人は転移の魔法陣に乗った。

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