第6話

 ジルはミシャの部屋までついてきていた。


「適当にしていてください、あまり漁らないでくださいね」

「了」


 ジルは小さな植木鉢の、観葉植物を興味深そうに覗き見る。


 彼女はカイルに呼ばれていたので行かねばならず、ジルだけを部屋に残す事に若干の不安を覚えながら、部屋から出て行った。

 侍女姿のジルは、彼女がいなくなってから、本棚を見て回る。


「危ない本ばっかだし」


 そのほとんどが、古代魔法に関する物だ。歴史書の類も多い。彼女は過去から学ぼうとしているのが、その本棚の内容から明らかだった。


「さてさて」


 ジルは本棚の正面ではなく、その裏側に回り込む。

 その隙間に手を突っ込むと、一枚の羊皮紙を拾い上げた。


「やっぱなぁ、ミシャさんも狙われてんじゃん」


 その魔方陣は、呪術師の使う呪いの術式。弱い物だが、夢から心を蝕む。強い術だと、この区画を管理する魔導士団長に気付かれる。だから時間がかかっても、気づかれない方法が選ばれたようだ。

 術式を読み取ると、大量の出血を見ると体が動かなくなるように縛る物。

 大した内容の呪いではないが、誰かが大量出血しているような場面で、動きを止められるのは危険極まりない。簡単な術で、最大効果。何処かに頭のいい奴がいる。


「まだ、仕込まれてそれほどの時間は経っていないな」


 彼はそう判断した。

 ミシャはジルの出血を見て、明らかに動きを鈍らせた。高位の治癒術を使えるなら、普段から血は見慣れているはず。この術に支配されつつあったのかもしれない。

 それらしい場所を数か所探り、何枚か同様の記述の魔法陣を見つけ出す。


「うーん、破って処分しちゃうと、仕込んだ奴に気付かれちゃうよな」


 ジルはそれを、一枚ずつ小さく、特殊な折りたたみ方をした。それは呪術師が、このような術式の魔法陣を持ち運ぶ時に使う折り方。

 そしてそれを、ミシャの目に触れないようポケットに入れる。


 その後は侍女姿に相応しく、掃除を始めた。




 カイルに呼ばれていたミシャは、治癒の副団長の部屋をノックする。いつも通りの適当な返事を聞いてから、開けた。


「ミシャか」

「呼ばれたから来たんですよ」

「ちょっと頼みがある」

「何です?」


 カイルは手にしていた本を棚に戻しながら、彼女に目線を向けずに言う。


「セトルヴィードには内緒で、ちょっと行って欲しい所がある」

「師匠に内緒で?」

「コーヘイがいなくなって、ちょっと落ち込みがひどいからな。本当は相談すべきなんだろうが……ミシャを王都の外に出すのは嫌がるかもしれんし」

「外に行くんです?」


 カイルは腕を組んで、ミシャに向き直った。


「ミシャは、フレイアという名前に聞き覚えは?」

「異世界人登録局にいた人という事と、師匠達が好きだった人というのは」

「その人が育った家に行って欲しい」

「遠いです?」

「馬だと三日かかる、だが俺が魔法で飛ばす」


 ミシャは顎に手をやる、師匠譲りの癖を見せた。


「そこで私は何を?」

「昔、コーヘイとセトルヴィードとディルクの三人で調査に行ったのだが。ろくな物は見つけられていない。ミシャならまた別の視点で、何か見つけられるかもしれないと思うんだ」


 カイルは、なぜ白呪術師が、魂の契りをセトルヴィードに行わせたのかが気になっていた。意味がないわけがない。


「何か一つぐらい、いい知らせを聞かせてやりたい」

「わかりました、行ってみます。早い方がいいですよね」


 そしてふと思い出す、ジルの事を。あの調子だと、どこまでも自分についてきそうだった。怪我の具合も気になる。今は、自分の出来る事は一つでも多くこなしたい気分だった。


「一人、連れて行っていいですか」

「え、誰を?まさかディルク?まだ外泊は早くないかな」

「えーと、侍女を」

「何でおまえに侍女がいんの?まあいいけど」


 一応、本人の意思も確認しておこうと、いったんミシャは部屋に戻る。なんだか部屋がキレイになってる気がする。ジルは椅子に座って目を閉じていた。

 ミシャが部屋に入ってきたのに合わせて、その灰色の瞳を上げる。


「ジルさんって、私がどこに行ってもついてくるんです?」

「護衛だからね。そのつもりでいるよ。どこかに行く?」

「ちょっと遠い所なんですけど」

「いいよ。今は王都にいても、僕は役に立てないし」


 二人はカイルの用意した二日分の食料だけ持たされて、フレイアの家に魔法で転移させられた。カイルは転移の魔法も、ちゃかちゃかテキパキとしてて、無駄が一切ない。事務的に放り出された感じになった。


「副団長、普通にジルさんを女性と思ってたみたい」

「まあ、簡単に見破られるような変装だと意味ないからね」


 ふと、実際は男性と二人きりになる事に気付く。変装がうますぎて、うっかりしてしまったが。ジルがミシャに興味を持っているようには思えないが、ディルクに知られるのは嫌だと思ってしまった。嫉妬をしてくれるならいいけど、なんだか簡単に諦められてしまうような気がして。



 二人が送られた場所は静かな、明るい森の中だった。


「すごくキレイ」

「空気も清涼だね、いい場所だよ」


 小川のせせらぎが聞こえる。木洩れ日の向こうに、小さな二階建ての建物が見えた。屋根には草と苔が生え、壁には蔦が絡みつき、長く人が住んでいないのは明らかだった。


「あそこかなあ?」

「僕が先に中を確認するから、ミシャさんはちょっと待っててくれる?」


 ミシャが確認しても良かったが、ここはジルに任せる事にした。その間、ミシャは周辺の確認をしようとした。なぜか、自分に刻んだ古代魔法が発動しない。

 魔法を使おうとしたが、かき消される感触。嫌な感じはしないが。

 ジルが家から出て来た。


「だいぶ、傷みがひどいね。二階は上がらない方がよさそうだよ。一階はなんとか、って感じかな」

「どうしよう、ここ、魔法が使えないみたい」

「結界があるのかもしれない。無理に使わない方がいいよ」

「でも、ジルさんにはまだ治癒魔法がいるでしょ?」


 ジルは自分の心配をしてもらっていたことを知り、驚いた。こんなふうに周囲に気遣われた記憶はあまりない。影の立場では、それぞれが自分を管理するのが当然で、淡々と自分の仕事をこなし、他人に構う事はあまりない。ハーシーが今回、ジルに協力的だったのも、彼がそれを必要と判断した部分が大きいはず。


「大丈夫だよ。包帯の交換だけ、寝る前に手伝ってもらえる?」

「はい」


 二人で改めて家の中に入る。

 埃が舞って、チラチラキラキラして見える。

 一つの部屋にベッドが二台ある。洗濯されて畳まれたリネン類が、クローゼットの中に丁寧にしまわれていた。特にかび臭くもなく、埃っぽくもない。


「この仕事は、コーヘイ師匠のような気がします」

「あの人、マメなんだね」

「コーヘイ師匠……さよならも言えなかった……」


 黒髪の騎士の事を思い出し、ミシャの瞳に涙が溜まる。

 ジルはそっと、ミシャの肩を抱く。


「今は、僕らの仕事をしよう。もう一人の君の師匠に、いい情報を持って帰ってあげないとね」

「そうでした」


 指先で涙を振り切る。

 廊下の奥に、下に降りる急な階段があった。その奥が書庫のよう。


「ミシャさん降りられる?手を貸そうか」

「これぐらいなら平気かな、よいしょ」


 狭い階段を慎重に下りて、ミシャは薄暗い書庫の中に立った。


「ちょっと暗いかも。魔法が使えないと」

「待ってて」


 小さな文机の上に、ランプがあった。オイルで火を着けるタイプ。長く使われていない様子だったが、ジルは簡単に調整をして、オイルの状態を確認し、一緒に置かれていたマッチを擦って火を着けた。

 マッチはだいぶ、この世界に浸透している。これの登場で、火種の魔法のような生活魔法は廃れつつあった。


「本物の火だから気を付けてね」


 ジルはランプをミシャに手渡した。


「ありがとう」


 ミシャはランプの灯りを頼りに、本棚を一段ずつ確認していく。


「異世界の技術の本が多いみたい。魔導士が住んでいたって本当なのかなあ」


 ジルは文机の引き出しを一段ずつ開けて確認している。


「ここに住んでいたのは魔導士だけ?」

「詳しくは聞いてなくて。変な先入観を持たずに見て欲しいって」

「そっか」


 ジルは引き出しの中の道具類を見て、何かに気付いた様子だった。

 日が落ちて来て、ランプの灯りだけでは心もとなくなって来る。


「今日はこれぐらいにしようよ、これ以上暗くなると危ないしね」

「はい」


 ジルが先に階段を上がり、続いて登ろうとするミシャにその右手を延ばす。ミシャは素直にその手を取って、階段を上がる。

 台所に行き、机と椅子のうっすら積もった埃をふき取った。


 ミシャは持ってきた薄パンに、適当に具材を挟んでサンドイッチにして、ジルに手渡した。ランプの火を火種にして、薪を使って湯を沸かしたお茶も出す。

 二人で無言で食事をする。ジルはミシャの事をよく知っているようだったが、ミシャはジルの事をよく知らない。先に口を開いたのはミシャだった。


「ジルさん、私の傍にいるときは、ずっとその姿なんです?」

「そのつもりだけど、元の姿の方がいい?」

「いえ、今のままでも」

「男にずっとそばにいられると、嫌かなって思って」

「それ、私のためなんですね」


 ディルクもよく気が付く人だったが、ジルも気遣いの人だった。人の心に敏感だからこそ、こういう仕事が出来るのだろうか。


「ジルさんの事って、どれくらい聞いてもいいんです?」

「僕の事、知りたい?」


 ミシャは顎に手を持っていく、考える時の癖を見せた。


「お仕事柄、あまり知られたくないのかなっていうのは理解してます」

「ほんと、君は賢いね」


 ジルは心から、彼女の事を好ましく思った。ディルクが彼女の事を気に入った理由の片鱗に触れた気がする。

 ジルは、一歩前に進む事にした。


「僕らの仕事って、人知れずというのが前提だから。どれだけ功績を挙げても評される事もないし……死ぬ時も、誰にも知られない」


 ミシャが少し悲しそうな表情を見せた。


「だから、ミシャさんには僕の事を覚えておいてもらおうかな?何でも聞いていいよ、ちゃんと答える」


 ジルは微笑んだ。ミシャはそれに一切の演技を感じなかった。

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