第二章 影という立場
第5話
トボトボと力なく、城内を歩くミシャに、一人の文官が声をかけてきた。
その男の黒い髪は、後ろは刈り上げているのに前髪は長く、その隙間からは澄んだ濃い青の瞳が見える。身長が高く、右の耳にだけ、細長い銀色のピアスが下がっていた。
黒髪……。
ミシャはつい、切なげに見つめてしまった。
いなくなってしまった剣術の師匠。無事に、元の世界に還っただけだと信じたい。
「ミシャさん?」
「あ、はい、すみません」
改めて彼を見ると、文官とは思えない鋭い目線で、なんとなく危険な感じがした。敵意は感じないが、その意識には刃物が見え隠れする。
ミシャにその気配を悟られた事に気付いたようで、彼は薄く笑う。
「流石だ。伊達にディルクの隣に立つ人ではない」
「あなたも、ディルクさんと同じ仕事の人です?」
「いえ、残念ながら。まあ、近いかもだが」
「何の用です?」
ミシャは、怪訝そうな目線を向ける。
「会わせたい奴がいる、というか、ミシャさんに会いたそうな奴がいるから。顔をちょっと、あいつに見せてもらおうかなと」
彼の声は、その見た目で感じる印象より低い。本人にそのつもりはないようだが、”顔を貸せ”と脅しているように聞こえてしまう。
少女は、文官姿の男に促され、城の奥まった区画に案内された。複雑な道順で、あまり人の出入りはなさそうなエリアだった。もちろんミシャは初めて来るし、こんな場所があるのさえ知らなかった。
その廊下に並ぶ一つの扉に手をかけて、ノックもせず、何の躊躇もなく男は入って行った。ミシャは一瞬怯んだが、意を決して続く。
「え!?ミシャさんをここに連れてきちゃったの!?」
部屋の奥のベッドで半身を起こす、見覚えのある泣きボクロの青年が、いかにもびっくりした、という声をあげた。黒髪の男が、見た印象より声が低いのに対応するかのように、こちらの彼は、見た目の印象より高めの声をしている。
「うわ言で、何度も彼女の名前を呼んでただろう?」
「えー、知らないよそんな事。参ったなぁ」
「ジルさん!?」
ミシャは慌ててベッドの傍に駆け寄った。
痛々しく肩に巻かれた包帯。長い髪は束ねておらず、流れるままにしている。
少女は、頭だけで振り返って黒髪の男を見た。
文官の服装の男は、黒茶の瞳と目が合うと、腕を組んで、再び薄く笑う。
「俺はハーシー。ジルのまあ、相棒ってところだな」
「じゃあ、あなたも陛下の」
「ミシャさんは、ジルと随分前から面識があったのに、誰にも言わずにいただろう?ディルクにすら言っていない。だから信用できると判断した」
ミシャはディルクとの付き合いの中で、秘密を守る事の大切さも学んでいた。何を言っていいのか、何を秘密にするべきかを、きちんと理解していた。ディルクにすら、ジルの事は伝えていない。知るべき時が来れば、きちんとディルクにも知らされる事だと感じたからだ。同じ陛下の直轄であっても、あえて知らされていないという事に、何か重要な理由があるのだろう。それを彼女の意思で、適当にまぜっかえすわけにはいかないと思ったのだ。
「ミシャさんも怪我をしただろ?だから気になってはいたんだ。でも、うわ言で名前を呼んじゃうなんて。恥ずかしいな」
「私は、かすり傷でした」
あの時、明らかにジルの方が重症だったのに、彼は迷わずミシャを庇おうとした。あんなにたくさんの出血で、ふらついているにも関わらず。その事を思うと、少女の表情は沈痛なものになる。
「あんな状態の僕でも、盾ぐらいにはなれるからさ。影として生きる存在ってそういうものだよ。だから気にしないで」
「気にします」
即答。
彼女のこういう所を、ジルはとても好ましく感じた。ハーシーも、好意的な目線を少女に送る。
「いい治癒術だって、侍医が言ってたよ」
ミシャはあの時、コーヘイのアドバイスで止血を優先した。
「とにかく、君が止血してくれなかったら、流石のジルも危なかったと思う」
「役に立てて良かったです」
――コーヘイ師匠……。あの時は師匠が来てくれたから。
ミシャは唇を噛む。
それを見て、ジルは相棒に目線を送った。ハーシーはその意図を汲むように頷いて、話題を変える事にした。
「ミシャさん、ディルクが城を出たぞ」
「えっ、私、何も聞いてません」
「必要ないと判断したのだろう」
「ディルクが別れの挨拶をするのは、今生の別れの可能性があるときだけ。あいつはそういうやつだよ。拾った情報を統合して、すぐに戻れる感触があったんだろうね」
「だから、安心して待つといい」
「わかりました、教えてくれてありがとうです」
コーヘイに引き続き、ディルクまで失う事があるなら、とてもじゃないが耐えられない。無事を信じて、祈る事しかできないが。
影の二人は、以前ディルクが死んだと思われていた時の少女の様子も知っていた。
国王は、ミシャに対しての行動については、何も指示を出していない。指示がないという事は、影たちの判断にすべてを委ねるという事だ。
「ジルはこの状態だから、陛下の護衛は俺だけでやる」
ハーシーはその前髪の隙間から青い目線を、ベッドの上の青年に送る。
ジルは少し考えて、相棒が期待する事をやる事に決めた。
「僕をミシャさんの傍に置いて欲しい」
「え?なんで?」
「負傷中だからって、だらだら役立たずでいたくないからさ」
ジルは、怪我人とは思えない身軽さでベッドから降りた。
「まだ無理しない方がいいんじゃ」
「ミシャさんの治癒術って、どの程度まで治せるの?」
「高位魔法を使っても、骨折ぐらいでしょうか。腕を切断されるような事があったら諦めてください、という感じです」
「なるほど、わかった」
ジルは肩を上げにくそうにはしていたが、するすると着替えて行く。ハーシーが歩みより、その手助けをする。
あっという間に、ちょっと身長が高いだけの、侍女が出来上がった。どう見ても女性にしか見えない。
「わぁ……」
「ディルクが戻るまでは、僕が傍にいるから。頼ってくれていいよ」
先ほど、影の二人はそれらしい事を言ったが、ディルクが何も言わずに城を出た理由に、もう一つ心当たりがあった。それは、伝言を残す暇すらなかったという事だ。
生きていれば何らかの連絡手段は取って来るだろうが、それまではどうなのか、影の二人にも判断がつかない。
もしもの時に備えて、彼はミシャの傍にいる事に決めたのだった。
表舞台で、正々堂々と戦えない自分たち。
ジルが見た、ミシャの剣術の師匠という、あの黒髪の騎士は素晴らしかった。
敵に真正面から対峙して、あの強さ。本当ならあのような騎士になりたかった。
だからと言って、今の自分たちの仕事が嫌いなわけではない。この仕事も、国にとっては必要だから。
ディルクに比べれば余程、マシな内容だ。自分たちは、王を守るためにその剣を振るう。ディルクだけが違う。
彼が全ての汚れ仕事を、その一身で引き受けてくれているからこそであって。だから、ディルクには恩がある。彼の留守中は、緑の瞳の騎士の、大事な人を守ってみようと思った。
そしてジルは二人を見守っていて、ディルクを羨ましいと思う気持ちもある。ディルクのような仕事の男でも、彼女は受け入れていた。影の自分の事も、受け入れてくれるのではないかという淡い期待。
ハーシーは、たぶんそれに気付いている。でなければ、ここに彼女を連れてきたりはしないだろう。
お節介だなあ、とは思うが、今はそれに乗りたい気分でもある。負傷中では国王の護衛は務まらない。だが彼女の話相手ぐらいはできるし、何かあれば盾になって、逃がす事ぐらいはできる。
部屋を出るミシャに、ジルはついていく。その時にはすでに、ハーシーは闇に溶けるように姿を消していた。
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