第4話

 コーヘイは、魔導士団長の扉をノックした。

 ぱたぱたと足音がして、銀髪の魔導士は息を切らせて自ら扉を開けた。

 初めての事だったので、黒髪の騎士は驚いた表情をしてしまった。


「閣下?どうされたんですか」

「いや、なんでも」


 何か、見られたくない事をやっていたのだろうか?と思ってしまう。でもミシャと違って、コーヘイは返事を待たずに扉を開けた事はない。

 とりあえず、先ほどの報告をする。ミシャの負傷についても。


「異世界の武器か……」

「銃はやっかいですよ。自分の世界でも、撃たれたらどうしようもなかったです」

「何でそんなものを作るんだ、異世界人は」

「本当にそうですね」


 とりあえず報告も終わったので、自室に戻ろうとしたコーヘイを、セトルヴィードがおずおずと呼び止める。


「コーヘイ、頼みがあるんだが」

「何でしょう」


 銀髪の魔導士に向き直る。


「今夜から暫く、一緒に寝てもらえないだろうか?」

「え!?そんなに寒いんですか」

「あ、ああ、うん」


 魔導士は、コーヘイから目を離したくなかった。また、消えゆくような事があれば、必死に呼び止めるつもりだ。一人で寝てる時に消えられるのが一番困る。


「構いませんが、変な誤解を受けませんか」

「最近はミシャも、返事をするまでは扉を開けないし、大丈夫だろう」

「カイルさんは、返事前に開けるじゃないですか」

「それは大丈夫だ、カイルの提案だし」

「そんなに冷えを問題視されてるんですか?食事を改善する方が良くないですか」

「私と寝るのが嫌なのか」

「嫌ではないですよ、密集した男だらけの雑魚寝は、頻繁にやってたから……」


 部隊での訓練の事を考えると、なんともない事にように思えた。

 もうすでに深夜だったので、休む事になった。

 今まで数度、一緒にここで眠った事はあるが、それはこの部屋でコーヘイが気絶した状態になったときだ。

 お互い意識がある状態で、同じベッドに横たわるのは、改めて考えると気恥ずかしい感じがした。

 セトルヴィードはコーヘイのシャツを再び掴む。


「何やってるんですか、閣下」

「はっ」


 パッと手を離す。あからさま過ぎる事をして、銀髪の魔導士は狼狽した。目が泳いでしまう。

 しかしコーヘイは全く気にせず、その手を両方取って、自分の手で包み込む。


「やっぱ、末梢の方に血が巡ってないのでは。指先も冷たいですね。何か漢方薬みたいなものってないのかな、この世界」

「そんなに冷たいだろうか」


 コーヘイの足が、セトルヴィードの足に触れる。


「冷たいですね」

「おまえの体温が高いだけだ」

「いやこれは、閣下の体温が低いですね。筋力不足です」

「やっぱり、そこに行きつくのか……」

「また運動をさぼってますね?」

「もう寝よう、私は眠い」

「誤魔化されませんよ!明日からみっちりやりますからね」

「うう」


 コーヘイはその夜も、フレイアの夢を見た。彼女は何かを訴えようとしている訳でもなく、ただ自分のために夢に出て来てくれているような、そんな気がした。

 理由はわからないが、春の日差しが心に満ちるようで、心地いい。

 微笑みと仕草が、コーヘイの心を温かくする。

 声が聴きたいと思ったが、夢の中の彼女はしゃべらない。


 自分に向けられた最後の言葉は何だったろう?

 思い返すと、「来ないで」と動く唇は見たが、最後の日の彼女の声は聞こえなかった。攫われる直前も、セトルヴィードに見ないで欲しいと伝えているのを聞いただけだ。自分に向けられた最後の言葉は、本当にずっとずっと過去になってしまう事に気付いた。

 王子を助けた彼女に、優しい言葉を掛けなかった事が本当に悔やまれる。

 笑顔もずっと、ずっと見てなかったのだ。


 コーヘイの胸に後悔が一気に去来した。押し寄せる感情が、自分を責め立てて来る。好きだという気持ちも伝えられていなかった。彼女の事だからきっと、気づいてくれていたとは思うが。


 その彼の苦しみに、夢の中の彼女は少し不安そうな表情をした。そっと体を寄せてくれる。花の香りがする、どこか懐かしい、春の花の香り。


――ああ、これは桜の花だ。春の、淡いピンクの花びらの。


 煙るような青空の下に、満開の桜、風に散る花の欠片達。


 黒髪の騎士が目を開けると、自分の腕の中にいるのが銀髪の魔導士であることに気付く。またやってしまった。

 セトルヴィードは全く気付いていないようで、静かな寝息を立てている。

 動くと、眠る魔導士を起こしてしまう気がして、そのままでいた。

 もう一度目を閉じる。さっきの夢の続きを見たいと思ったのだが、眠れそうにない。

 セトルヴィードが、モゾモゾと動き始める。顔をコーヘイの胸元に摺り寄せて来た。その仕草が、子供だった頃のユスティーナと同じで、なんだか可愛く見えた。


 毛布を引き上げて、首元まできっちりと覆い隠し、その寝息を聞いていると、どうやらつられてしまったらしく、コーヘイも再び眠ってしまった。



「そろそろ起きないか」

「!」


 目を開けると、真正面に紫の瞳があった。完全に抱きしめた形になっていた。


「すみません、またやりました」


 慌てて体を引き離す。


「暖かくてよく眠れた」


 魔導士は体を起こし、伸びをするのを見て、コーヘイも体を起こす。同じ姿勢で寝ていたのか、体が固まっている気がする。そして、ふと思い出したように言う。


「なんだか閣下、花の香りがする気がします」


 紫の瞳を見開いて、ちょっとびっくりした顔をした。


「香水の類を付けたりはしないぞ」


 自分で自分の腕の匂いを嗅いでみる。特段、何かの香りがするようには思えなかった。石鹸の匂いならわかるが。

 コーヘイは半身を起こしている魔導士に体を寄せて、目を閉じてセトルヴィードの首元の香りを嗅いだ。


「やっぱり、いい匂いがしますよ。桜の花の香りがします」

「さくら?」

「あ、そうか。この国に桜の木ってないですね。何故、香りがするんでしょう」

「気のせいじゃないか?」


 孤高の魔導士と呼ばれていた頃は、まるで冬のようだったのに、今のセトルヴィードは春に寄っていて、桜の花の香りが相応しく見えた。

 銀髪の魔導士はベッドからゆっくり降り、シュルっと小さな衣擦れの音を立てて、ローブを羽織る。こういう細かい動作も、優美で印象的。

 コーヘイもベッドから続けて降りる。上着は羽織らず、剣だけをくその姿がとても凛々しく、頼もし気だ。


「朝食はどうされます?食べに行かれますか?」

「いや、仕事が溜まってるから朝はいい」

「だから、朝食は省略しないでくださいってば」

「わかった、後で行く」


 魔導士は机に向かい、積みあがった書類の処理を始める。


「返事だけ立派なのは、ミシャの専売特許だと思ってましたよ」

「コーヘイ」

「なんですか」

「一人にならないように」

「え?」

「誰かしらの、傍にいて欲しい」


 その口調に真剣な思いが込められて、無視するわけにはいかない気がした。


「そういえば自分、いきなり倒れたりしてますもんね。心配をかけていますか」

「心配してる」

「わかりました、誰かといる事で閣下が安心するなら、それで」

「頼む」


 コーヘイは部屋を出て行った。

 彼はセトルヴィードの要望通り、日中はセリオンと過ごした。夕食も一緒に摂った。夜は魔導士団長の傍にいる事になっているから、その前にシャワーを浴びて着替えて来ると、自室に向かった。

 灰色の瞳の騎士が、相棒から目を離したのはその時だけ。


 黒髪の騎士は、行方不明になった。

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