第2話

 早朝の演習場で、灰色の瞳で茶色の髪を束ねた男が、黒髪の騎士の隣に立つ。男らしい精悍な顔立ちで、少年のような面差しのコーヘイと比べると、随分年上に見えるが、三歳差である。


「コーヘイ、どうしたんだ。なんだか顔色が悪いぞ」

「え、そうですか?寝不足かな」

「朝帰りか」

「はい、また美人と一夜を過ごしてしまいました」


 以前も似たような話をしていた。

 しかし灰色の瞳の騎士は納得しなかった。


「ほんと、鏡を見た方がいいぞ」

「調子が悪いという感じは、しないのですが」


 等と言いながら不意に、黒髪の騎士の体がぐらりと揺れた。セリオンは慌て、その体を支えながら、声をかける。


「おいおい大丈夫か」


 平衡感覚を失ったコーヘイの目の前に、ちらちらと違う風景が重なって見えた。


 行き交う自動車、信号機、電車の音。ざわざわとした雑踏の中、排気ガスの匂い。

 彼の目に映る景色が濃くなる程、こちら側のコーヘイの体は透明感を増す。


「うわっ、おいちょっと!コーヘイ!!」


 その声に、はっとした瞬間、コーヘイは実体を取り戻し、その代わりに意識を失った。ガクリと体全体の力が抜けて、セリオンにそのすべてを委ねた。


「なんだ、今のは。まさか」


 セリオンの顔に焦りが浮かぶ。彼もセトルヴィードと同じ、コーヘイの帰還の気配を感じたのだ。

 とりあえず上着を脱がし、衣服を緩めて楽にさせてから背負う。

 セリオンの部屋の、コーヘイ専用と言ってもいいベッドに、体を横たえさせた。


「どうしよう。見張ってないと、突然消えたりするんだろうか?」


 それは嫌だな、と心から思った。でもずっと見張っている訳にもいかない。とにかく何が起きてるのか知りたい。異世界がらみは、異世界人登録局が一番詳しいはず。

 目を離すのが怖くて、部下の一人に副局長のローウィンを呼んできてもらうよう言づける。


 廊下で部下を見送っていたら、それとすれ違う文官の服をまとう見慣れた男の姿。緑の瞳の青年は、その亜麻色の前髪を斜めに切って、左目を隠し気味だ。眼鏡もかけている。こんな姿だが、彼も騎士団員で、宿舎に部屋がある。


「ディルク、どうしたんだ忙しそうだな」

「イラリオン王国が滅亡しました」

「え!?」


 政情不安がずっと続いていた、エステリア王国の西にある国。かつてミシャがその国の王女と間違われ、誘拐された事もある。


「疫病でずいぶん死者が出ていたのですが、ここに来てクーデーターが起き、大量虐殺があったようです。これは暫く荒れますよ」


 情報を集めるために、彼はこれから斥候を放つ手配をするという。急ぎ足で国王の部屋に向かって行った。


 イラリオン王国はそれなりの強国で、エステリア王国とは友好関係である。その武力で周辺国を抑える役目もしており、ある意味、この国の盾になっている部分もあった。その国が倒れたとすると、一気に国の強弱バランスは崩れる。


「色々まずいな」


 部屋に戻り、眠る黒髪の騎士を見る。顔色は良くなっているが、眠りは随分深そうだ。ひどく疲れているようにも見える。元の世界に戻るまいと、力を振り絞ったのだろうか?


「おまえがいなくなると、まずい状況になりつつあるぞ」


 しばらくその寝顔を眺め、今までの思い出を反芻する。セリオンも、コーヘイが元の世界に戻る事になっても祝福したいが、心からはできない複雑な気持ちを持っていた。得難い相棒である。その爽やかな性格で、どれだけ助けられたか。

 今後、ここまで息の合う関係を持てる相手が、現れるとも到底思えなかった。


 すぐに来てくれると思っていたローウィンが、セリオンの部屋に来たのは昼も近くになってからだった。随分、彼は白髪が増えた。


「すまない、遅くなってしまって。登録局がちょっと慌ただしくて」

「異世界人絡みで、何か?」

「先月末から行方不明者が出てるんだ。いきなり目の前で消えたという報告もある」

「コーヘイも、消えそうになったんだ」

「なんだって!?」


 黒縁眼鏡に手をやり、眠る黒髪の騎士の顔を見る。


「あまりにも馴染んでいて忘れていた。そうだ、彼も異世界人だったんだ」

「ミシャは大丈夫なのか?ロレッタさんも」

「この二人は全く問題なさそうだ。フレイアが残した日誌や手記の類を洗いなおしていて、ちょっと気になる点は見つけた」

「気になる点?」

「消えてる異世界人は、魔力がない」

「あっ」


 コーヘイも魔法が使えない。


「だがそうだとすると、消えずに踏みとどまっているのは何故だろう?」

「わからないが消えかけた、という事は、影響は出ているんだと思う」

「くそ、どうしたらいいんだ」

「とりあえず、一人にしないようにするしかない」


 これから騎士団は忙しくなりそうだった。そうなるとセリオンも、ずっとはついていられない。魔導士団に預ける、というのが一番良さそうだった。魔導士はだいたい部屋にいるから、ずっと見張っていられるはずだ。


「セリオン様」


 ひょこっと扉から、少女が顔出した。黒茶の髪をポニーテールにした、騎士姿の女の子。異世界人でありながら高位魔導士であり、剣士でもある。


「ああ、ミシャ」

「コーヘイ師匠が倒れたって聞いて」

「この有様だ」


 ベッドに横たわる、ぐったりとした姿。


「ちょっと診てみます」


 ミシャは特殊な魔力の使い方が出来、その魔力を抜群のコントロール力で相手の体に流し、その血脈の違和感から病気を探す事が出来る。

 彼女はベッドに登ると、黒髪の騎士に抱き着く。首元に唇を寄せて、その血管に魔力の手を伸ばす。


 ローウィンもセリオンも、腕を組んでそれを見守る。

 数分後、ミシャが体を離した。


「病気、という感じではないです。でもなんだかすごく疲労してる」


 強いて言うなら、その疲労の様子は、ミシャが古代魔法を制御できずにいた時期の体力の奪われ方に似ていた。

 とりあえず、ローウィンは引き続き調査を続けるという事で、いったん登録局に戻って行った。


「コーヘイを魔導士団の方で預かってもらう事は可能なんだろうか」

「師匠が、コーヘイ師匠の事が大好きですからね、いけると思います」

「とりあえず、話をしてきてもらえないか。なんとなく今は、コーヘイから目を離したくなくて」

「わかりました」


 いつも元気いっぱいの少女が、ベッドに横たわるという珍しい剣術師匠の姿を見て、困惑しているようだった。



 ミシャは、速足で魔導士団の区画に戻り、団長の部屋をノックする。きちんと返事を待ってから、扉を開けた。彼女は成長していた。

 銀髪の魔導士は、書類の山の処理をしている所。書類から目を上げる事なく、ミシャに声をかける。


「どうかしたか?」

「あ、コーヘイ師匠の事で」

「コーヘイに何かあったのか!?」


 表情と口調が一気に変わる。ばっと顔を上げる。


「倒れてしまって……あの、今、異世界人が消えてるらしくて……コーヘイ師匠も消えかけたって……」


 ミシャも、言葉をどう紡げばいいのかわからなくなり、彼女としてはありえない程、意気消沈したような、途切れ途切れの説明。


「またなのか」

「えっ二回目なんです?」

「夕べ、消えかけて、その後は倒れた」

「お父さんが言うには、消えてる異世界人は魔力なし、だと」

「コーヘイは魔力がない……じゃあ本当に、もう還ってしまうのか」

「消えてるってだけで、還ってるかどうかは、まだ」

「そうだな、そうだった」


 もし、普通に元の世界に還っているなら、辛いがそれも、もともとあるべき姿に戻るだけだ。だが単純に、消滅しているとしたら?この世界の異分子として、消されているというような事があるなら、断じて彼をそんな目に合わせたくない。


「お父さんが過去の事例を、調べてくれてます。そういえばフレイアさんって誰なんでしょう?やたらと連呼してました」

「フレイアは……私とコーヘイが愛した女性だ」


 彼女は元の世界に戻るという意思はなかったようだが、戻りたがる人のために、この世界の謎を解こうとしていた。魂に魔力の器があるという最初の気づきをした人物でもある。

 ガイナフォリックス卿と、その妻ゲルトラウトの養った娘。

 分解の魔法をその瞳に宿し、世界を原初に戻す破壊的な古代魔法からこの世界を守って死んだ。

 もし彼女が生きていたら、二つの世界を俯瞰できるその視野の広さで、答えと対処法を見つけ出してくれたかもしれない。だが、それはもはや無理な相談だ。


「コーヘイは、自分が消えかけている事を知らない」

「内緒にしたほうがいいです?」

「あいつは、自らの意思では元の世界に戻るつもりはないと言っていた。消える話を聞けば、寝てる間に戻ってしまったらどうしよう等と思って、眠れなくなるのではないか」

「それはあるかも」

「とりあえず、コーヘイは目の届く所に置く。声をかければ引き留められているから。もし、単純に元の世界に還るだけであるというのがわかったら、自然の流れに任せる事にする」

「え、師匠はそれでいいんです?」

「失いたくはないが」


 沈痛な表情、紫の瞳から光が消える。

 ああ、この人は本当に黒髪の騎士の事が好きなんだと。好きという言葉では足りない。これが愛なのか、とミシャは思った。

 身を切るような辛さに耐えてでも、相手の最大の幸福を願う。


 深い、深い愛。


 覚悟をもった、強い想い。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 一週間程前に、イラリオン王国……という国だった港から、物々しい装備の船が出ていた。それは海賊船だった。

 船倉には、王家の蓄えた秘宝・財宝の類が積み込まれて、重さに沈みそうになりながら、帆を張って海を往く。


「お頭、次はどうするんですかい?」


 荒っぽい口調の、海の男が、ロープを引きながら、船の縁に身を預ける優男に見える男に向けて声をかけた。巻き毛気味のアッシュブロンドが、海風をはらんで広がる。青空にカモメが渡り、一瞬だけ太陽を隠す。


「まだまだ足りない、もう一国、落としてみたい」


 危険な視線が空に向けられる。声をかけた男は、その姿を見て、すごく満足気で誇らしげだ。


「我々は、どこまでもお頭についていきますぜ!」

「まずは、同じ方法で。ダメだったら別の方法を」

「姉御がまた、いい計画を立ててくれそうだ」

「あいつは、特別だからな」


――恐ろしいと感じる程に。


 策謀を巡らす事のできる、参謀はすでにいる。


――片腕が欲しい。指揮官としての。


 これから、もっともっと力を付けていく。ゆくゆくは自分の国を作りたい。それには軍隊がいる。海賊を指揮する方法は、父親に叩き込まれた。

 だが軍隊となると。


 男は、新たな目的を、次に向かう場所に求めていた。

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