異世界人はこの世界を愛してるⅣ
MACK
第一章 異世界人、還る
第1話
懐かしい、黒曜石のような瞳。
春の陽だまりの笑顔。
いつも、片側にまとめた三つ編みだったのに、今日の彼女は髪を束ねずに。でも三つ編みを解いたばかりなのか、少しその癖が残っていて、黒い髪は緩やかな波になっている。
その表情も、仕草も、全てが恋しい。
日差しに必然的にできる影とのコントラスト。
光であって、闇を抱く少女。
ふんわりとした春のような彼女が、闇に染まった時に、コーヘイの恋は愛に変わった。あの時、フレイアは現実味を帯びて立体感を増した。すべてを自分の物にしたいと感じた衝動は、後にも先にもあれっきりだ。
ああ、自分はまだ彼女の事が好きなんだなと再認識する。忘れられるはずもない。
失ったはずの彼女が今、目の前にいて。
抱きしめなければ、また、失ってしまうような気がして。
一切の躊躇をせずに抱きしめた。
本当にそこにいるかのように、実感のある感触。体温。花の香り。
「あれ?」
薄々、そんな事はあるはずないと知っていて。ああ、これは夢なんだなと思っていたのに、妙にリアルな温度を感じる。
「なかなか情熱的だな」
「か、閣下!?」
目の前に、紫の瞳の美しい顔があった。
慌てて体を離して、半身を起こす。
銀髪の魔導士も、ゆっくりと体を起こして
「あれ?自分、何で?あれ?」
「覚えてないか」
「変な事をしてませんよね?」
恐る恐る聞く。
「変な事、というのが何を指すのかはわからないが」
セトルヴィードは、眠気が強いのか、起きるのを諦めてもう一度体を横たえた。長い銀髪が枕に広がる。
「夕べ、急に倒れた」
「え?」
「体に異常はなさそうだったから、とりあえず引きずって寝かしておいた。同じ身長なのに、おまえは重い」
「す、すみません」
紫の瞳は閉じられている。
コーヘイはそっとベッドから抜け出ようとしたが、シャツの裾をセトルヴィードはグイっと引いた。
「ごそごそするな。もう、このまま泊まっていけ」
瞳が薄く開いて、コーヘイを見ている。
懇願するような色が重なって見えた。この瞳に弱い。
「今夜は冷えるから」
「あ、湯たんぽ代わりですか」
ベッドに体を横たえ、銀髪の魔導士の肩まで毛布をかけなおす。
冷たい足が、コーヘイの足に触れる。
「あれ、本当に冷えてますね」
もう、魔導士は寝息を立て始めて、返事をしない。だが、コーヘイのシャツがしっかり握られているのが気になった。絶対、逃がすものかという強い意思を感じる。
「閣下……?」
自分が急に倒れたという事も気になるし、その前後の記憶もない。ただ、何か懐かしいものを見たような気もする。フレイアの事ではなく、もっと昔の。
――変な病気だったらやだなあ。
セトルヴィードを守って死ぬ覚悟があると言って、病気で死んだりしたら、それはそれでかなり情けない。今までこんな事はなかったし、頭痛があるわけでもない。体は快調そのものだ。でも一応ミシャか、治癒の副団長に診てもらっておこうか、等と考えていたら、再び眠りに落ちていた。
翌朝。
早朝訓練があるからと、コーヘイはバタバタと出て行った。
窓のない魔導士の部屋は、魔法の灯りだけなので、時間も季節もはわかりにくい。寝坊をしたのは明らかだった。
銀髪の魔導士はそれを見送って、いつものように魔導士団長のローブを羽織る。表情は重々しい。一度は椅子に座ってみたものの、不吉な予感が心を重くして、ついに耐えきれなくなり、席を立った。
辛い秘密は、いつも親友にだけは打ち明けて来た。相談するなら、真っ先に彼。
まだ朝は早かったが、治癒の副団長の部屋の扉をノックする。勝手に入って来いという、いつもの声がしたので、安堵しつつ扉を開けた。
紺色の髪はまだまとめられておらず、先ほど起きたばかりという感じではあったが、きちんと着替えは済んでおり、茶を淹れている所であった。
「朝っぱらからなんだ」
「相談がある、気になる事があるというか」
紫の瞳が暗い色を湛え、カイルを不安にさせた。彼の瞳が輝きを失う時は、たいてい良くない知らせだ。
銀髪の魔導士は立っているのが辛いと言わんばかりに、勧められもしないのに適当な椅子に座り込んだ。カイルは淹れたばかりの茶を、セトルヴィードに手渡した。
「ありがとう」
カイルも手近な椅子を引いて、親友の傍に座った。
「何かあったのか?」
「コーヘイが、還ってしまうかもしれない」
「え!?元の世界にか」
「ああ」
「いやいや無理だろ、望んだってそんな事、出来たって話は聞かないぞ」
「意思は関係ないのかもしれない。こちらに来る時と同じで、ある日突然なのかも」
「何かあったのか」
銀髪の魔導士は、カップをぎゅっと握ったままで、飲もうとはしない。
「夕べ、コーヘイが突然、どこか遠くを見た。本当に、何の前触れもなく」
「ほう?」
「そしたら、体が、透け始めたんだ」
「えっ」
「慌てて目の前に立って、名前を呼んだら、こちらに目線が戻って実体を取り戻したんだが、そのまま気を失った。その事を、コーヘイは全く覚えてなかった」
「何だそれは……」
「私は、自分の気持ちがわからない」
生まれ故郷に戻れるのは幸せな事だと思う。
かつて古代魔法に縛られていた時、セトルヴィードは故郷に帰りたいと願ったりもした。今も多少のしがらみと遠慮があり、戻ってはいないが、帰ろうと思えばいつでも帰る事が出来る状況にある。故郷の風景を思い出すと、やはり帰りたいと思ってしまうものなのだ。
異世界はこの世界と比べて、随分と平和であるとコーヘイから聞いていた。彼はこの世界に来るまで、老衰で死んだ祖父しか、死んだ人間を見た事がなかったと言っていたほどだ。軍人だったにも関わらず。
こちらでは死が日常茶飯事で、数ある職業の中で死亡率が断トツの騎士団員。この世界にいない方が、確実にコーヘイは長生きできる。自らの手を、血で汚すような事もない世界。それが本来の彼の居場所だ。
彼の幸せを考えれば、元の世界に戻る事は、祝ってやるべきと思えた。だが、反射的にやったのは、声をかけて引き留める事。
「コーヘイに、還って欲しくないのだ」
「我儘だな、おまえ」
「わかってる」
「でもまだ、還るとは限らないだろう?起こるかどうかわからない事を悩むと、本当に起こってしまうぞ。意思の力は強い、運命を変える程に。おまえが、あいつが還る事ばかり考えると、本当に還ってしまうかもしれない。もう考えるな」
「とにかく、辛い。自分の意思で還る事はないと言ってくれていたが、意思に関係なく行ってしまうとしたら……」
昔から、この銀髪の魔導士は人との別れを極端に嫌う。別れたくないがゆえに、人と距離を取り、孤高の魔導士と呼ばれた。だがその実、人のぬくもりに寄り添いたがる所もあって、それが自分自身を苦しめる。
今の彼には、コーヘイとカイルが心の支えで、その中でコーヘイの占める割合はかなり大きくなっていた。
「別れが辛いのは仕方ないだろう。どのみち、どちらかが先に死ぬ。別れは必ず来るものだ。それを気にしてどうする」
異世界で生まれた剣を極めた男と、この世界で生まれた魔法を極めた男。短い黒髪と長い銀髪。同じ身長。そして、同じ女性を好きになった。
まとう雰囲気は対照的で、夏の朝の青空と、冬の澄んだ夕暮れ。
同じであって、対比でもある運命的な組み合わせ。
少年のような面立ちで若く見えるコーヘイと、整いすぎて若く見えるセトルヴィードの二人が、背中合わせで立つと、分かちがたい完成された一対に見える。
カイルから見ても、二人は運命的な関係のように思えた。
「もう性別なんて乗り越えて、くっついちゃえよ。それで解決する気がするぞ」
「契りは済んでる」
カイルがお茶を噴き出した。
「まじか、あいつやるな」
「私がコーヘイを失う日を思って辛くてたまらなくなり、耐えきれなくなった時に、気持ちに応えて助けてくれたのだ。あれだ、ユスティーナの中に意識が入ってしまった時の話だ。お互い恋愛感情はないぞ、さすがに」
「ああ、あの時。って幼児じゃなかったっけ」
「何故だか、急に十八歳ぐらいに育った」
「それなら……っておい」
「その時に白呪術の魂の契りを、フレイアの母がしてくれた」
金色の小麦畑で、魔力で作られたユスティーナの体にゲルトラウトの魂と意識が受け継がれ、ユスティーナの中には核となるフレイア、ゲルトラウト、そしてセトルヴィードの意識が入っていた。セトルヴィードの魂自体は本体にあったが、意識は魂と繋がっている。その距離は精神世界では関係なかった。
「白呪術か……」
黒呪術師は魔獣を、白呪術師は精霊を使役するが、どちらも魂を管理する。
魂の契りは、繋がり合うのは魂そのものであった。お互いにお互いを残し合う、永遠の約束。魂の欠片を交換する、魔法の儀式。
「やっぱおまえは、将来コーヘイを失うのかな。未来を予知できる白呪術師が、そうしたって事は、お前がその時に壊れてしまわないようにという考えがあっての事なのでは。魂を契っているなら、コーヘイが去っても、お前の魂の中にコーヘイが残るだろう?」
「そうなんだろうか。別の目的もありそうな気もするが」
「ところで、どうだった?」
「何が」
「その時の気分は」
「このまま、ユスティーナでいてもいいと思った」
恥ずかしがる素振りを一切見せず、それが当たり前のように言う。
セトルヴィードは目を閉じて、あの時の事を反芻する。それだけで、何かが心の奥底に満ちてくるのだ。
カイルは納得した。二人は本当の意味で一対なのだ。魂の
それが何かに導かれるように出会い、そして繋がりを持つに至った事に、何か大きな意味があるのではないかと、思えた。
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