第4話 名前

 「死に目にはあいたくないから……」と彼は理由を言った。「あなたを埋葬して旅立つのは悲しすぎますよ」


朝食はキノコや山菜のシチューだった。嵐は過ぎ、清々しい朝だった。昨夜は気づかなかったが庭には立派な庭園があり、山羊も飼われていた。その寺院は深い山の中にあるらしく、どこを見渡しても緑が途切れる事がない。


 「まあ、分からないが、明日明後日死ぬわけではないと思うが……」ゴザイは少ししか食べない。病のせいだろうか。「何も今日発つ事はなかろうに」


「俺の気が急く気持ちも分かるでしょう?」


 「それは分かると思う。そうか……そうだな」ゴザイは納得した。やはり記憶をなくして平気なわけはない。彼も不安で仕方ないのだ。


 「お願いがあります」彼はぶしつけに言った。


 「なんだね」


「俺は名前が分からないでしょう。不便なので、名前を付けてくれませんか?」


 「名前……」ゴザイは少し呆気にとられた。そんな事思いもよらなかったのだ。歳を取れば取るほど予測で生きてしまう。


 「何でも構わない。記憶が戻っても使います」彼は明るい。


 「うむ。思いつきだが、サロン……サロンというのはどうか」ゴザイは眉間に皺を寄せて言った。


 「サロン」


「私の母国の言葉で " 希望 " を意味する言葉だ」


「良い意味ですね。そう名乗ります」


「そんなに安易に決めて良いのか」ゴザイは戸惑った。


 「良いでしょう。駄目な理由が見当たらない」


 「そうか。それと、お主に是非しておきたい事があってな。私も呪術師の端くれ。お主の背負う魔導文字クーンにどこまで効くか分からないが、" 封呪 " をしようと思う。少なくともそれが破られない限りはまた記憶をなくす事もあるまいと思う」


 「封印みたいな事ですか」


「魔封じだよ。魔導文字クーンの魔力が発動しにくくなるとは思う」



 サロンはゴザイに促されて上半身をさらけ出すと、何やら異国の文字がびっしり書かれた細長い布を巻かれた。脇の辺りからへそまでぐるぐる巻きにされて、端でキツく縛られた。


 「これは身体を洗いたい時にはどうすれば?」サロンが訊いた。


 「解いたらよい。布が汚れたら洗ってよい。そんな柔な呪術文字ではないから」


 「そうですか……」サロンにはよく分からない。魔導とはアバウトだなと思った。



 ゴザイは戸口の外まで見送りに来た。サロンは手に少しの食料が入った包みを持ち、また来た時の格好で立っていた。これからする事は沢山ある。こんな寝巻きみたいな格好で旅が出来るはずもなかった。


 「縁あれば」


「え?」サロンはゴザイが言った事が分からなかった。


 「私の母国の別れの挨拶だよ」


「あ、ああ。縁あれば」


ゴザイは若者を見送った。これから彼に降りかかる事を想像すると不憫で仕方なかった。彼は運命の人間。沢山の者の運命を左右する。彼が希望サロンと言ったのは、それは自分の深層心理だったのかも知れない。



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