沈んだ家
第5話 生き倒れ
一台の幌馬車が山道を走っていた。栗毛の馬、一頭立ての簡素だがしっかりした木製の馬舎の車輪は滑らかに凸凹道を進んでいた。
手綱を持つ背の曲がった年寄りの従者は口にちょび髭なんぞ生やしているが服装は至って地味だった。鼠色のフード付きのマントを羽織っているだけ。
幌の中に居る初老の人物も、育ちはまあまあだがあまり暮し向きは良くなかった。白髪混じりの頭に出っ張った頬には最近皺が出来始めていた。市民よりは良い生地の服を着て、やはりマントを羽織っていたが財産があるわけではない。両親が残してくれた宝石屋の店もいよいよ傾き始めていた所に、望みの薄い話を聞いて一大奮起してみたは良いものの、その手段の当てはなかった。
「メネム、あれは何だろう」幌の隙間から中の人物が覗き見て言った。従者のメネムは彼の両親の頃から仕えていて、宝石屋の会計から家の家事まで何でもこなした。見た目の割に歳は取っていた。
「旦那様、何でございましょうか。最近目がめっきり悪くて見えませぬ」
「道の端に何か、人だ。人が倒れておるではないか」旦那様はメネムの肩をバンバン叩いた。
「行ってみましょう。死んでおりますかいな。しかしまた何でこんな山の中に」そう言いながらメネムは栗毛の馬を急がせた。
「男だ。寝巻きなんぞ着てなんでこんな所に」馬車を停めて、降りずに覗き込む。うつ伏せの男が轍のすぐ側の草むらに倒れていていた。
「もし。あんた生きとるのかね」旦那様が声をかけた。
「旦那様」メネムが口を挟んだ。「やめましょう。追い剥ぎの類かも知れませぬぞ」
「おい」尚も旦那様は声をかけた。メネムは身構えていつでも馬車を走らせられる準備をしていた。
「何だ」男はうつ伏せのまま地面に声を反射させて喋った。しかしまた不自然な程地面に顔を埋めている。
「お主、何をしておる?」
「腹が減って動けないのだ」くぐもった声が聞こえる。
「文無しか」旦那様が言った。
「旦那様やめましょう。こやつ怪しいですぞ」メネムは手綱を叩いて馬を進めようとした。
「中々良い体つきをしているではないか」旦那はその人物の肩や四肢を見ながら言った。
「その趣味は無い。行け」男はまんじりともしない。
「違う違う。お主、武道に心得はあるか」旦那は苦笑いをしながら言う。
「武道?わからん」
「分からない?」
「記憶を無くしておるのだ」
「なるほど……」旦那は顎に手を当てながら何か考えていた。
「わしと来て一仕事すればしばらく生活出来るぞ。どうするね?」
「旦那様、なにを」メネムは慌てて振り向いた。
「わしとお前だけじゃどうにもならんだろう。お前に剣がふるえるか?」
「それは……」メネムは下を向いて口をつぐんだ。
「今腹が減って動けんのだ」
「よしよし。この干し肉をやろう。パンと葡萄酒も。一仕事してくれるかね」
男は急いで起き上がった。
「顔から何から泥だらけじゃないか」旦那は笑いながら言った。
「3日食べてないのだ」
「お主、名は?」
「サロン」
「そうか。まあ乗りたまえ」
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