第19話 稲の名
「稲津彦、と言います。イナツが親の家の名で、ヒコが俺自身の名です」
俺の名前。地味で、どこか古くさい。最近では名乗ることなんてそうそうなかった、懐かしささえある名だ。
だけれど俺は、今ここで名乗ったことで自分のセ界での在り方が変わったことに、なんとなく気づいた。
(そうだね、名前は大事だ。セ界における存在の意味を留めるためのものだからね。自分自身のものならば、尚更さ)
出来れば神様の名前も、呼べたらいいのだが。まあ高望みはしまい。
俺は出来ることをするだけである。
「イナツ様、…いえ、ヒコ様、の方が馴染み深いですかな?」
「どちらでも。ヒコの方が短いのでおすすめです」
「はっはっは! 確かに。その通りですな」
俺の名前を聞くやいなや、テーブルのセットだけして部屋を去ったグリタに感謝しつつお茶を口に運ぶ。
空色の絵の具を溶かした色水のようなそれは、何故か木の…ひのきの匂いがした。味は煎茶に近い。
「では…ヒコ様。改めまして、セ界──センセミラトリィセ界、について、わたくしの知りうることをお教え致します」
「…その前に一つ」
「なんなりと」
なぜ、ピエブさんはこんなに俺に良くしてくれるのか?
薄々察しながらも聞くと、彼は触手で器用にカップを取って、わたくしどもを食べる気概のある御仁は信用に値しますから、と微笑んだ。
ひたすら腹が減っていただけなのだが…
(腹が減っていなくてもキミはそうしたと思うのはワタシだけかな?)
…まぁ、厚意はありがたく受け取っておくことにしよう。
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