15. セクハラ、差し向かい

 かつてはイステラーハの私室もあった、回廊一階のつきあたり。しばらくぶりの自室のドアは一度軽くひっかかる感触のあと開いた。


「わあぁ、これはまた……」


 他の部屋とそう変わらない石の壁床に小さな絨毯じゅうたんとタペストリー。単色の刺繍は花や小鳥でなく猛々しいドラゴンを描いている。ほどほどの大きさのベッドと、明りとり窓のある壁から直角にとび出した石のテーブルがあるだけの部屋。


「なんというか、勇壮ですね?」

「華がないって言いたいんでしょ。そりゃ、後宮と比べたらそうでしょうよ」


 窓際まで歩いてテーブルをすっと撫でる。かすかにホコリが積もっていた。


「「ぁ」」


 二人同時に声をあげる。自分はともかくシャラの理由がわからず振り向く。

 入り口横の衣装棚いしょうだなをなにげなくのぞいて固まっているシャラ。


「あぁよかった、法衣レオタードもちゃんと残ってるみたいね」

「はわわわ」


 彼女いわく“えっちぃ”エレベア用戦闘衣の予備、タイプ違い数着。そもそも魔杖士は自分が魔法で変化させる部位をあらかじめ決めておいて、その部分が露出した衣装を身にまとうのが普通だ。間違っても破き、放棄しながら使うものではないがここ数日はいろいろと状況がギリギリすぎた。

 ちなみにエレベアは四肢全部が露出したオールマイティタイプを好む。これは全身へ杖を小転トワルさせる短魔杖士クラブスロワーに共通する志向でイステラーハもそうだった。


「そういえばシャラにも必要ね。建前とはいえ門下生になったんだから」

「ひぃ、いいいえわたしはっ」

「遠慮しなくていいわ、とびきり可愛くて身軽なやつを選んであげる」


 サイズは小さめにしよう、と思う。このふくふくした身体を懸命に押し込めて恥ずかしがっているのを想像するだけで……するだけで。


「……外套ローブもね」

「はい?」


 軽く眉をしかめてエレベアは付け加えた。なんだろう、そういうシャラを見てみたい気持ちはあるが、ほかの門下生らの好奇の目に晒すのは想像するだに気分が悪かった。


「言っといてアレだけどそのお尻で入門希望はムリがあったかもしれないわ」

「ほんっとーにアレですね! だから何回も言ったじゃないですか!?」


 体の凹凸が少ない方が短魔杖士には向いている、とエレベアは思っている。実際、わずかばかりにも主張してきた自身の身体の丸みによる小転トワルのズレを修正するのに苦心していた。


「ちなみにテオドシアはあのスカートの下は全裸よ」

「ひぃえ」


 長魔杖士ポールジャンパーが少ない理由のひとつかもしれない。全身、特に腰から下を大きく変化させるためその妨げになる服や下着が着れない。


「「……あ!」」


 二人の気付きが今度こそ重なった。エレベアがさっき思い至り今また忘れていたそれに。


「まだ用が残ってたわ。地下牢に行きましょう」





「お~そ~か~ど~!」


 入るなり、ガンガンとコップの底が牢屋の床を叩いた。

 鉄格子の外にはぐったりと足腰がくずれ天井を見上げる見張り番が数人折り重なっている。その奥にまるでぞくの首魁のごとく居座る女傑じょけつが待ちかまえていた。


あてを~潰すんじゃぁなかったとかあ~!」

「……なるほどね、貴女を吐かせるには確かにこれが一番だわ」


 むっとする蒸留酒の匂いに鼻をつまんでエレベアは脱力した。少しでも心配した胸の痛みを返してほしい。


「おぉ~おひいさまじゃあ! ツマミにしては気がきいちょるねえ」

「つままないつままない、まったくもう」


 ケラケラと笑うテオドシアを前に、拝借してきた鍵で格子戸を開けようとしたシャラを片手で制した。


「エレベアさん?」

「酒癖が悪いのよ、見ての通りね。下手に話すと殺されるかもしれないから」


 再会を喜ぶ前につけなければならないケジメがある。

 生唾をのむ。自分だけが格子をはさんで間近まで近づくと、地べたに座って頭を下げた。


「むぅ?」


 テオドシアが片眉をあげる。可能な限り簡潔に、エレベアは自身の身に起こったことを口にする。


「……ゴメンなさい。アタシの樹生新杖流ユーピトン・バウは正統を外れてしまったわ」


 ゴギン、と鉄格子が鳴った。跳ね返ったコップがバラバラになって牢の中へ散らばる。


「ほお、運が強かこつ。つむじをっつもりでほうったが」


 格子の隙間はそれなりに広く、コップが抜ける程度の幅はあった。

 今までの陽気が嘘のように冷えた声が腹に響く。


「まあ、こっちへ来ぇ」

「……いえ、ここでいいわ」

あては来ぇち言うちょっど!」

「っはい」


 のろのろと立ちあがった。

 怖い。

 市場の裏路地を這いまわる子ネズミ同然だったエレベアを、イーリス家の後継たるよう教育したのがテオドシアだ。

 嫌がる全身を叱咤してシャラから鍵を受け取る。できれば彼女にはここにいないで欲しかった。


「シャラお嬢さまは出ちょってくれっかい」


 ほっと息を吐く。だがシャラはエレベアの手を自分のそれで包み込んだ。


「いいえ、わたしにも関係のあることですから」


 安心させたいのかしたいのか、どっちつかずの指の動きをくすぐったく感じる。そういえば帰って早々にテオドシアと対峙したときもこんなことがあったなと、少しだけ落ち着いた気持ちで彼女を見上げた。


「アタシは平気よ、人目に付くところで待っていて」


 彼女は頑として首を横に振る。ぶはあっと瓶から直接あおったテオドシアが酒気を吐き出した。


「よか、二人でこたぇえ」


 許可が出たことで不本意ながらシャラとともに牢屋内へ踏み込んだ。煮えたぎるような視線はあくまでエレベアを貫いている。


「ま、座れ」


 二人してテオドシアが用意させたであろうむしろへ腰を下ろす。それを見届けてからゆっくりと彼女は口を開いた。


樹生新杖流ユーピトン・バウは始祖様より三代にわたり受け継がれ、イステラーハ様が完成させた必勝の兵法。そいは分かっちょるな」

「はい」

「御師さまはおはんにそん後継を望まれた。武芸に生きしもんにとって己が技は一生かけて磨いた玉のつもの。そいが正しゅうのこらんこつがどれほどん無念か、それも分かっな」

「……はい」

「そんなら何故ないごてそん道を外れしか」


 言い訳したかった。自分だって知らなかったとか、そもそもテオドシアが後宮に残る失伝技の存在などほのめかさなければとか、ずっと溜まっていた「なぜ自分が」という理不尽感をわが身可愛さのままにぶちまけたかった。

 けれど手の甲にほんのわずか残ったくすぐったさがそれをする自分を恥ずかしく思わせる。


「……アタシの技が至らなかったから」

「ふむん」


 テオドシアは軽くアゴをさすったのみで続きをうながした。


「おばあ様から教わったことだけを信じなかったから。その全てを引き出せていなかったから。だから他の教えに流された。込められた悪意にも気付かずにその型を身に落とし込んでしまった」

「おはんは師をないじゃと思うちょるか! 増上慢おもいあがりもたいがいにせえ!」


 ダンと座ったままの立膝でテオドシアが石床を踏み割った。びくりと首をすくめる。


「ごめんなさい」

「……まだ若かおはんの技が至らんのは当たり前じゃ。師が誰か、それさえ忘れんでおればよか」

「でも……!」


 垂れた頭をぱっと上げた。慈しむように細められた瞳はすべてを受け止めてくれそうで。

 口にしてしまいそうになる。当の師たるイステラーハにもはや時間は残されておらず、その人生わざ真価かちすら自分は証明しかねていることを。


「わたし、は。もう自分じゃもとに戻れない。それこそもう一度おばあ様に稽古をつけてでももらわない限り……!」


 だから屋敷ここに来たのだ。すべてを裏切って、積み重ねられたものを壊してでもまずイステラーハを助けるために。たとえ呪いがより深くこの身に根を下ろそうとも。


「さて、それはどうかの」


 怒りもせずテオドシアはエレベアの目元をぬぐった。


「もう一人おろうが。御師さまが技んすべてを受け継いどるもんが」

「だって、テオドシアは長魔杖ポールしか……」


 まさか、と見返す。だけどそれはあまりに希望的すぎるような。


「あのお方をそう見くびるもんじゃなかぞ。まるで見込み無しならたとえ御師さまが止められようがあて引導いんどうば渡しちょる」


 重々しい足音が上階より降りてくる。酒樽さかだると、それを抱えた隆々りゅうりゅうたる体躯が。


「部下が不調法をしたようだ。このうえは私が直接お相手を――む」

「噂ばすれば、じゃな。ああもう酒はええ。入ってきやんせご当主どの」


 ジダール・マジュフド・イーリス。ただ三名、イステラーハより皆伝かいでんを授けられたうち最後の一人はいかめしい顔をいっそう不審げにしかめた。


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