16. 高弟密議、頼みごと


「お断りする」


 テオドシアから話をきいたジダールは聞き終わるや否や切って捨てた。

 四人は引き入れた酒樽を囲んで牢の中で向き合っている。


「いかにあね弟子でしどのの頼みとはいえ、その娘は破門はもんの身。稽古をつけるなど論外のこと」

「クハッ、相変わらず固かねぇご当主どのは!」


 もういいと言いつつ追加の酒をあおるテオドシアはその肩をバシバシと叩いた。


「そん破門とて、門下生同士のいさかいがすこうし行き過ぎただけじゃらせんか、のう?」

「後宮より身を寄せた我が娘をさらったことはどうかばいだてされるのか。その時のことは誰より姉弟子どのが存じておられるはず」

「ふむう、それはそれ。破門された後んこつじゃっでな」

「無縁の者ならばなおさら許しがたいことだっ!」


 肩を抱く腕をジダールはうっとおしそうに振り払った。


「あ、あのっ!」


 意を決したように声を発したのは。


「わたしがお願いしたことです。エレベアさんはそれを聞いてくれただけで」

「シャラ……」


 これまで一歩引いていた彼女はいざり出るとまっすぐにジダールを見上げる。


「……君は。お前までも。私では秘伝を渡すに不足だと考えたのか」

「いっ、ぇ」


 冷え切った問いにシャラは言葉を失った。その背中へ抱きついてかばい込む。


「わかってんじゃない。アンタには無用の長物ちょうぶつだってのよ。おばあ様の教えだってマトモに再現できないクセに」

「さてどうだろうな。聞くところによればお前の背負い込んだ悪癖とやらはその娘に因があるようだが?」

「っ」


 思わぬところから図星を突かれて押し黙る。ジダールはどこまで知っているのか。


「ハイサムに率いさせた門弟は私がじかに教えた者たちだ。お前の一挙手一投足はつぶさに報告を受けている」

「それは……人望が厚くてけっこうね」


 そこまでの人間をつけて、ハイサムの正体については知らされていないのだから哀れというほかない。もはや誰もがハイサムを次期当主と疑わず、また遠からずその代替わりが起こることを予期している。

 ジダールは立ち上がった。


「申し訳ないが執務がのこっている。ご相伴しょうばんはこれまでに」

「なんじゃ、ほんのひと口しか飲んどらんじゃなかか」


 伸ばされたテオドシアの手をかわす。


「姉弟子どの。御身おんみが先代イステラーハの意をみ杖流のために動いたことは十分に理解した。牢よりお出しする代わりにひとつ頼まれてもらいたい」

「ふんむ、なんじゃな?」

「このところ門内もんないに不穏な企みが散見される。師範代しはんだいとしてよく監督し流名を汚すことのないように」

「承った」


 パンと膝をうつテオドシア。最後にジダールの目がエレベアへ流れる。


「……お前に教えることなど何一つとしてない。私が戦うのは先祖より託された意地と面目を守る時だけだ」


 エレベアは喉を鳴らした。


「ッハ、笑わせないで。もとよりアンタに教わるつもりなんてないし、アンタに守られる程度の面目ならさっさと潰れちゃえばいいんだわ」

「次に――」


 びしゃりとエレベアの前髪から顔にかけて何かが当たる。一瞬のあとそれが膨れた殺気だと分かった。息を止めてシャラをより深く抱え込む。


「――道統を軽視した雑言ぞうごんを吐いてみろ。今度こそあらゆる手段でお前を排除する。杖流は無論のこと、イーリスの家系からもな」


 まるでテオドシアやイステラーハと対峙した時のごとき緊張が背中から四肢へと震えのように走った。それを振りほどくより早く彼の姿は階上へと消える。


「……やれやれ相変わらず水と油じゃなおはんら二人は」

「どうせいつかは争うんだから仲良くしようなんて思えないわ。どうせ、」


 そこまで言ってはたと思い至る。


(テオドシアのことといい、そういうこと?)

「まあよか、こいで晴れておひいさまのお世話役に戻れるっちゅうこつよ」


 味方が多くないということはジダール自身が一番わかっているのかもしれない。そのうえで一筋縄ではいかない三人を自由にさせると言うことは。


「保険くらいには思われてるのかしら」


 樹生新杖流の後継はただひとり。それを巡って争う間柄はひるがえせば杖流にとっての万が一を避ける盾としても利用できる。


「そうじゃな。あげんお人じゃからこそ御師さまはイーリスの家長までをおひいさまにとは仰せられんかった」

「ま、それはそれとしてアタシを嫌ってるのは確かだけど」

「もし……」


 立ち上がったテオドシアは珍しく案じるような表情をエレベアに向けた。


「ジダール様と稽古でなく本気のいくさをすっつもりなら気を付けることよ。あんお人は天稟てんぴんに恵まれんかわりにどげん手段をも辞さん」

「上等よ」


 覚悟の上だ。まずは身辺を固めないといけない。


「テオドシア、アナタの子飼いの弟子はどれだけ残ってる?」

あてが捕まっと立場があしうなると思うてな。しばらく各々おのおのでん修練を命じてある。腕ば立ってすぐに集まるのはまぁ、五、六人か」

「今夜誘いをかけてみるわ。勘づかれないように何人か控えさせて」

「心得た」


 それで当座の敵が誰かはっきりする。


「あの、あのあの」


 腕の中でシャラがもぞもぞと動く。抱えっぱなしなのには気付いていたが固まっているのが面白いので無視していた。

 いつもはピンとした結び髪もどこか萎れたようにしょぼんとしている。


「なに、どうしたのシャラ?」

「う、うごいてもよろしいでしょーか」

「アタシがそうさせてるんじゃないわ。好きでそこにいるんでしょ?」


 まるで小さな子供にするように仰向けに抱いた彼女をのぞきこんで訊ねると、翠瞳にチカチカと星が散った。


「はぅん、ちがう、ます」


 ぼふ、とエレベアの脇腹にぶつける勢いで顔を埋める。そのうなじとポニーテールに引かれた生え際をネコの顎のようにひっかいてやる。


「何が違うのかしら。もっと甘えていいのよ、ダメなお姐さま?」

「ぁっ、ひあ、あっ、やめてください一度ヒイた性癖に理解を示すのはっ、みじっ惨めになっちゃいますからぁ!」

「それがいいんでしょう、変態」


 ぎゅうっとエレベアの服をにぎりしめたシャラはしばし硬直した後くたりと動かなくなる。ややあって。


「くっクセの強い気のつかい方はやめてくださいっ!」

「ひと通り満喫しといてよく言うわね」


 ほつれた前髪を直してやると。


「……何も言えませんでした、お父様に。ずっと置いてけぼりで。これじゃわたし、何のためにいるのか」


 起き上がって彼女はうつむく。

 部屋に行ってからなんとなく何か言いたげだったような気もする。ずっとそんな益体やくたいもないことを考えていたのだろう。


「一緒にいてって言ったでしょ。さっき、ほんとは残ってくれて嬉しかったわ。テオドシアったら怒るとものすごく怖いんですもの」

「やれやれ、犬も食わんごとんダシにされっとは」


 苦笑してテオドシアは階段をあがっていく。なおも晴れない顔のシャラへ手を差しのべた。


「行きましょ。そうね、少しアナタを休ませすぎたかもしれないわ」

「はい……?」


 手をつかみ首を傾げた彼女に告げる。ちょうどいい機会だ。


「またシャラの踊りを見せて。今度こそ終わりまで全部」


 長いまつ毛の向こうで水面が揺れ、とった手がずんと重くなった。


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