6. 懐旧、脱出
背後から抱きつかれて少なくない
エレベアは耳がいい。それは魔杖士の資質のひとつでもあるし、周りを警戒するのは幼少期に染みついたクセのようなもの。
(この子、足音が――)
息せき切って背中にしがみつく今の様子からは想像できないが、まるでいきなりそこに現れたようだった。
「どうしたってのアンタ。ジダールといたんじゃないの?」
「いやそのあの」
頭の後ろで空を見上げる気配。それは振り向こうとするエレベアから逃げるようでもあり。
「さ、最初の借りを返そうかと……」
「はあ?」
「いやっですから、約束は守らないといけないなーと!」
むぎゅっと両頬をはさまれ正対させられれば、期待と興味と行っちまえ感に満ちた瞳がこちらを見おろしていて。
「いや……だったらあの場ですればよかったでしょうに」
「はっ恥ずかしいじゃないですか男の人の前で!」
「あのねぇ」
こっちはもうそんな気分じゃないんだけど、という間もなくアップになる
女同士の
「あのっ自分からするの、はじめてなので! ふつっ
ごち、と頭突きをエレベアは見舞った。
「~~!?」
涙目で口を押えるシャラを背にして暗がりの向こうへ目を走らせる。一、二、三……数えきれない足音。
右の塀上に気配を感じ見上げると、ゆったりとした緑布に頭からくるぶしまで覆われた影が降り立ったところだった。その手には背丈ほどもある
「――シャラお嬢様、夕べんお出かけは危なか。お屋敷へ戻りたもんせ」
独特に
いまだ暗がりで
「お嬢様、ね。変わり身が早いこと。おばあ様に可愛がってもらった恩を忘れたのかしら、テオドシア」
目元以外の肌をさらさない服装は異教の証。唯一の露出であるそこを
「
ヒュヒュッと連続で空を切るポール。そのさばき方だけで尋常でない力量が伝わってくる。それもそのはず。
「懐かしかねぇ。身寄りん無か
「思いちがいかしら、ほんのひと月前までそうだったはずだけれど」
テオドシアはエレベアの世話を任されていた使用人だ。同時にイステラーハの情人でもある。さらに彼女もまた
「……今お仕えしちょるんはジダール様で、お守りすっとはシャラお嬢様じゃ。手出しさるっならお
道は左右ともに四人ないし五人によって固められている。後ろ手にクラブを持ったことも見抜かれているだろう。
背後でシャラがひそひそ聞いてきた。
「あ、あれ、わたし何か悪いことしちゃいました?」
「いやアタシが聞きたいわ。どんな
さっきのジダールの変わりようといいおかしい。まるで宝物あつかいだ。
(意外と虎の子かもしれないわね。問題は
ぐ、と後ろ
「さっさと釈明してくれないとアタシが迷惑するんだけど?」
「えー……っと、何て言うんです、キスしにきましたって?」
「知らないわよ、そんなの」
結局しなかったし、とは思うだけにとどめた。
それに、とシャラは続ける。
「何だかちょっと戻るの怖くなっちゃったかなぁー、とか。……あと――」
そりゃそうだ、と嘆息したエレベアの耳へぐっと唇を寄せると。
「――ちょっとだけ、クサかったというか。お父様」
「ふっは!」
さも深刻そうな囁きにふきだす。
「ちょっぴりですよ! 言わないでくださいね!?」
「っは、あははっ言わないわよ。当り前じゃない男なんだから、ひーふふ!」
窮地にあるのも忘れてひとしきり笑う。
「っふふ、あー
「は、はいっ!」
「いいわ、抱えてあげる」
顔は悪くない。甘えた性格が癇に障ることがあるものの連れ歩くには楽だろう。頭の軽そうなところは大きな犬のようで可愛らしいと思った。
総評して面倒ごとには違いないが、相手のペースを乱せるなら有用だ。
シャラを自分の陰に隠すようにしてテオドシアと対峙する。
「これ、アタシの」
「クハッ、変わっちょらんの。人ん物ばすぐ欲しがる。
「……昔話に付き合えば逃がしてくれるっていうならいくらでも話すけど」
妙な流れに乗らないようにしながら相手の出方をうかがう。
(この子を盾にして逃げるのが一番かしら?)
総出で取り戻しにくるほどだ、まさか殺す許可まで出ていないだろう、と。頭をめぐらせたとき。
「そげん甘かもんじゃなかぞ。惚れた相手なら命懸けで守ってみぃ」
「っおばあ様を売ったアナタがなにを……っていうかアタシたちはそんなんじゃ――ッ!」
左右より挟んだ九人がいっせいに構えた杖をみて
――
それぞれが大きくのけぞり腹部に渡した
「ウッ、ソでしょ!?」
「「「
夜の闇が燃え散った。
左右の通りいっぱいが炎の壁で埋め尽くされ、波涛のように二人へ殺到する。
「おぶさりなさい――
どんな属性をぶつけようと一節の呪文では話にならない。つかまった瞬間蒸発する。
左足にクラブをそわせて跳躍すると、さらに背後の塀を蹴って高く。
「おっ、もいのよもう!」
親猫を背負って跳ぶ子猫がいないように魔法とて万能ではない。シャラの体重は体格なりにしっかりありクラブ一本、それも一節の呪文で運ぶのは無理があった。
『――
胴を右足の付け根でくの字に屈めると、そこに二本目の杖を挟み込む。体の
「うぅえぇ……っ」
ひどい気分になる。動物系の魔法の重ね合わせは危険だ。内部構造がごっちゃになって最悪ブツ切れになったり繋がっちゃマズい箇所がつながったりする。
分かったうえでやったのは、落ちれば死ぬしかないという思いから。
熱風にあおられ木っ端のように舞い上がった体はしかし、すぐにバランスをくずして落下しはじめる。左足はまだ猫化が解けていなかった。
「エレベアさぁぁん!」
きぃん、と耳元での叫びが焦る脳に響いた。
ぐるんぐるんと視界が全周する。加速度的に近付く火口で、すべての炎を自身の炎腕と接合しムチのごとく操るテオドシアがいた。
(早く思い出して! エレベア・イーリス、大魔女にして万象の指の後継。その全能の左足!)
左足の変化がとけた瞬間、剥がれ落ちるように上方へ吹き飛ぼうとしたクラブを
『――
バチバチと右足の羽毛が燃える。人へ戻った左足が熱さより痛みを訴える。
半分クチバシと化した唇をカチカチと噛み鳴らすと、エレベアは両翼で熱波をとらえていた。
「ひゃ、あぁああああ!」
爆発といっていい上昇気流に視点がふっとばされる。何度も全身が旋回する。
遥か
「エレベアさん、下ぁあ!」
「っチィ、しつっこいったら」
ありえない高度まで細く長く伸びあがり追ってくる火の蛇。身体を
「っ!」
エレベアはとっさに体の上下を入れ替えた。おおいかぶさる蛇へ向けて一度、二度と大きく風をはたきつける。形を崩しながらも噛みつこうとするその凶頭を右の
飛び散った火が羽毛と化したエレベアの胸元へ燃えうつる。
「づぅ」
「エレベアさん! 燃え、落ち、落ちてまーっ!」
「ピーピーうるさい! 舌ぁ噛んで黙りなさい!」
火の熱さと焦げ臭さに顔をしかめながらエレベアは落下する。羽を縮め、さながら
燃えた羽毛がぼつっ、ぼつっと白い煙をふいて抜け落ちていく。一度は見降ろした街の屋根が目前に迫ってようやく、移った火は消え去った。
ばっさばさとせわしなく羽ばたいてギリギリで揚力を取り戻す。またがったシャラの大きな尻が、
「身を隠すわ、アンタ後宮から出てきたっていってたけど宿とかとってないわけ?」
「ありません! 一発オーケーで娘になるつもりでいました!」
「アンタやっぱ世の中ナメてるでしょ!?」
「実際イケてんだからいーじゃないですかっ!」
エレベアはひとまず表通り沿いの、帰国してすぐ荷物をほうりこんだ宿屋の近くへ墜落した。なんとか人のいない屋台の帆布へつっこめたので、見つかる前に建物へと移動する。
イステラーハがその地位を追われたと聞いて家がないことは分かっていた。なのでひとまずの拠点にと目をつけておいた商人宿はしかし。
「隠れて」
表通りに面した入り口をのぞきこんですぐ、エレベアは後ろのシャラを押し戻す。玄関をかためる口布をした男たち。
(さすがにお義兄さまも馬鹿じゃない)
王宮魔杖師範たるイステラーハは魔法の番人。その役目にはみだりに魔法が国外へと持ち出されぬよう監視することも含まれていた。
「荷物だけでも取れればと思ったけど無理ね。場所を変えましょう」
「えっと、どちらに?」
「……アンタ、顔隠しときなさい。世間知らずと女子供は襲われるから」
近くの屋台にかかっていたボロ布をひったくって押し付けると、その顔がひきつった。
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