5. ヤバいヤツ、食えないヤツ

 念のため、脱出路を確認することにした。義兄の家庭問題に興味はないが、今このタイミングでというのがどうにもきな臭い。


「それじゃ、アンタはジダールの隠し子ってわけ? もっと左だってば」

「そういうエレベアさんは妹……ですかっ、重いぃ……」

「義妹よ、正しくはね。アタシは養子なの。はいストップそのまま」


 半地下の天井ギリギリに開けられた通風孔つうふうこう鉄格子てつごうしの根元を動かすとカコカコと緩む手ごたえ。


「……重いですって? 高さがないうえに口さがないハシゴね!」

「ぁあ暴れないでくださいぃ、落っことしちゃいますよぅ!」


 エレベアを肩車したシャラはおなかすいた、とぶつり。


水瓶みずがめより重いもの持ったことないんですよ、わたし」

「あるんじゃない余裕。こっちは債権者なんだから利息りそくだと思って従いなさい」


 脚の間にある整ったあごのラインを指でなぞるとふらふらと揺れる視界。


「……困ってる人に強引に貸し付けるなんて良くないと思いますけど」

「そういう正論は借り物をドヤ顔で振りまわしたあげく破壊する前に吐くべきね。まあ、お礼と弁償分はいずれキッチリ取り立てるとして」


 うぐぅ、とうなるシャラを無視して話を進める。


「あのお義兄さまに隠し子ねえ。ちょっと想像できないけれど」


 顔を合わせるのもごくまれ、手合わせしたのは数えるほど。それでも堅物かたぶつだというのは一目でわかる人柄だった。確かに何を考えてるか読めない人ではあったけど。


「わたしの母は後宮ハレム女官にょうぼうでした。あるとき庭園の警護をしていたジダール様に踊りを見られたのがきっかけで、それはもうイケイケの押せ押せでキセージジツまで持ち込んだと、これはお母様の受け売りですが」


 一息に言うシャラが恥じらうようにその身をくねらせるたびにエレベアは掴む鉄格子を替えないといけなかった。


「へっえ、やぁっ、る、じゃない、あのお義兄さまがねえ」

「……ですがジダール様は警護の役を解かれてしまったそうで。それ以後ふたりは会うことがなかったと。母がジダール様の結婚を知ったのは、わたしが生まれた後になってのことでした」

「ふーん」


 ジダールとユディウは政略結婚だと聞いた。かねてより保守派のイーリス家と不仲だった開明派の一族との和睦わぼく婚で、当時の上役の紹介だったとも。


「先月、その母が亡くなりました。流行り病で。最期にこの話と父の名をわたしに」

「あら……お気の毒に。それじゃあんたはお母さまの仇を討ちにきたってわけ?」


 あんな腕で、とは言わなかった。その手の話は気持ちの問題だし、なまじ腕が立った方が返り討ちの危険が増す。あの程度ならジダールも実の娘をどうこうと思わないだろう。

 シャラはふるふると首を振る。


「いえ、私は戦えませんし、母がそれを望んだかどうかもわかりません……でも、」


 悔しそうでも諦めた風でもなくただ、そうだからそうと受け入れているように。だけど、と。


「思い出してほしいとは思います、母様を」


 わたし、けっこう似てるって言われるんですよ、と。


ねえさま方が言ってました。殿方は一度好きになった人はたとえ別の相手と結婚しても忘れないって。それなら母様にそっくりなわたしを見て焼け木杭ぼっくい、ですか? そういうこともあるんじゃないかと」


 べぼき、と掴んだ格子が折れてひっくり返る二人。


「ひぃゃうぐっ」

「ちょちょちょ、待って待ってまって」


 悪態をつくのも忘れてエレベアは飛び起きる。


「それは何? アンタ母親捨てた男と、それも実の父親とくっつきたいってそういうワケ?」

「い、いやいやいや、そこまでじゃないですけどっ! でもどうせならそれくらいって、思いません……? 母様が捨てさせられなかったものを、地位とか家族とか、ぜんぶをわたしが捨てさせられたらきっと少しはスッキリするだろうなあって、ま、まだ思うだけですけどっ」

「……は。何それ、ヤバいんじゃないアンタ」


 おとなしい顔をしてなかなか恐ろしいことを言う。


「でも、野心がある子は好きよ。地に足がついてさえいればね」

「け、けど今はそれより、その……」

「……?」


 チラリチラリとうかがう目線。あっちのほうが背が高いくせになぜ上目遣いかと思えば、なにやら言いづらさをごまかすように座ったまま床へ伸びている。柔らかそうな上半身が前屈してぺたりと接地する。


「っ、エレベアさん」


 その身体が何かを察したようにぴんと跳ね起きた。

 追ってエレベアにも聞こえてくる、コツコツと石の階段を降りる足音。通路奥のドアが開き、ランプの明かりが目を刺した。

 牢部屋に近づく人の輪郭がじょじょにハッキリとしてくる。


「屋敷で騒ぎだと戻ってみれば」


 高く広い背格好に高官の青ローブをまとった、イステラーハの麗貌とは似てもにつかないいわおのような姿形。銀の頭環サークレットで長い黒髪をまとめている。


「お前か、エレベア」

「ハァイお義兄さま、夫婦仲は良好?」


 皮肉が通じているのかいないのか、その仏頂面の上では分からない。


「新王の戴冠式たいかんしき以来か。だが今お前に係わっている時間はない。しばらくそこで大人しくしていろ」

「あらそう、実の母親を裏切ったって外聞がいぶん悪いのかしら、やっぱり?」


 もとより消えなさそうな額のシワがいっそう深くなった。


「王の指図だ。捕縛の命に従わねばイーリス家そのものが危うくなる。そこに異議を挟むだけならまだしも、口実にして暴れたというならこちらとしてもお前を庇いきれんが」

「しらじらしい、素直にせいせいしたって言ったら? 自分を認めない母親を閉じ込めて、あんなペテン野郎を養子にしてまでアタシをやりこめてね」


 言いながらエレベアは先の戦いで感じた違和感を確かなものにする。


「ハイサムは私の正当な後継だ」

「ふざけないで! あんな動き見たことないわ、どこの門派から引っこ抜いてきたわけ!?」


 イステラーハの技ではない。かといって思いつきで出した曲技くせわざで済ませるには洗練されすぎていた。


「高弟のガランスが個人的にていたサファール家の子息だ。わずかに我流が混じるがイーリス門には違いない」


 サファールは妻ユディウの生家でもある。まだ日が浅いにも関わらずあの二人の親しさはそちらの縁によるものか。


「……正確な再現ができないヤツを後継に据えるなん正気?」

「技は工夫を重ね変化させるものだ。いずれは先代を越えなければ――」

「黙りなさい、アタシにも勝てないくせに!」


 ジダールが初めてこちらの目を見た。濁った瞳に浮かぶ憎悪にエレベアはとっさの半身構えをとる。だがそれは一瞬のこと。


「……魔杖師範役の意義は王国鎮護ちんご、私個人の武威ぶいなどもはや問題ではない。これ以上は無益だな」

「ええそうね、腰抜けが感染うつるわ」


 表情を消したジダールはそれ以上なんの反応も示さなかった。その目がエレベアの隣へ初めて向けられ。


「あわ、あわわ」


 激しくうろたえるシャラをとらえる。


「すまない、身内の見苦しいところを見せた。君は愚妹ぐまいの知り合いかな?」

「いえっあのー、わたしはっ……」


 ジダールは努めて柔らかい態度を出そうとしているらしいが元の顔が険しいのはどうしようもない。


「聞けばうちの徒弟を誘い出して二人で襲ったとか。もし愚妹これにそそのかされて巻き込まれたのならそう言ってくれて構わない」

「ねえアンタ、本当に愚兄これが父親でいいわけ? 考え直さない?」

「ふたっ、二人でいっぺんに話さないでくださいぃ!」


 耳をふさいでしゃがみこんだシャラは何度か深呼吸して顔をあげる。


「わたしは、シャラ・アル・ミーラード。アル・マウリス・ホーリス・ミーラードの娘です」


 鉄面皮をたもっていたジダールの目がわずかに見開かれる。


「認知してください、お父さま!」


 いやその詰め方はどうなんだ、とエレベアは自分がされたら絶対イヤだなと思いつつ成り行きを眺める。

 ジダールは一瞬、眠るように瞑目したあと静かに問いかけた。


「アル、は」

「亡くなりました。ひと月前のことです」


 平坦な表情は変わらないまま。


「たしかに私にはそういう名の恋人がいた。だが二十年近く前のことだ」

「うっわ最悪、しらばっくれるつもりよコイツ」

「……君が彼女の娘であると証明できるものは?」


 ちらりとこちらを見たジダールは黙殺。続いた問いにシャラは答える。


「――踊りを」


 ジダールの目が今度こそ大きくむかれた。


「それは……!」

一子相伝いっしそうでんのものと聞いています。御披露いたしますか?」

「いや。ここでなくともいい」


 立ちあがったシャラへの静止はあきらかにエレベアを意識したもの。

 青ローブから鍵束が取り出されるとガチャンと牢の扉が開けられる。


「出なさい」

「はっ、なにそれ。もう父親気どりってわけ?」


 立ちすくむシャラの横顔に声をかけた。


「信用しちゃだめよ。子供なんて自分の権威の棟木むなぎくらいにしか考えてない男だから」

「長く心にかかっていたことだ。こうして会えたのも聖樹の導きだろう。さあ」


 無視して手を差し伸べたジダールとエレベアを交互にみてシャラは。


「わかりました」


 うなずいて出口へと一歩踏み出した。


「シャラ」

「ですが、エレベアさんはわたしの友人です。わたし一人だけ出ることはできません」


 胸の前でぎゅっと両手をにぎり訴える。ジダールの目が胡乱うろんげにエレベアへ流れた。


「友人?」

「なによその顔、ぼっちのお仲間じゃなくてごめんなさいね」


 イーッと歯をむくと入り口をふさいでいた長身が横へよけられる。


「……お前も出ろ」

「それと、」


 間髪入れずにシャラが続けた。


「彼女の大事な杖をわたし、壊してしまったんです。なんとか代わりを用意してあげたいのですが」

「……それは気にせずとも構わない」

「いえ、思えばいさみ足でした。こんな大きな借りを背負ったままお父様のもとに参るわけにはいきません。いったん日をあらためて――」

「わかった」


 ジダールはローブの内から短魔杖クラブを取り出す。彼の好んで使う黒塗りの一対。


「やろう」

「はぁ、……は!?」


 押し付けられたそれとジダールを思わず見比べるエレベア。自身のものより気持ち長いクラブはそれでもしっくりと手になじんだ。

 だが得をしたという気持ちより不審の方がまさる。


「ありがとうございますお父様」

「構わない、さあ」


 促すジダールに頭を上げてシャラは。


「エレベアさん、ひとまずこれで許してください」

「……まだ一つ目の借りを返されてないわ」


 ランプの明かりで陰ったポニーテールをにらんで言い募る。

 魔杖士が己の身に沿う杖を手放すなど尋常のことではない。ジダールにとって彼女はそれだけの価値があるということで、その理由が分からないのが不気味だった。

 彼女の人生だ。どうしようと構わないが敵の手の内は見ておきたい。


「――そうでしたね、えへ」


 シャラはちろっと舌を出した。そこから牢を出て階段を上がっていくまで彼女がエレベアを見ることはなかった。


(……やっぱり嫌いなタイプ)


 むしろジダールのほうがエレベアが仕掛けてこなかと常に気を張っていたように見える。もちろんそんな短慮たんりょをここで起こすつもりはない。


「どこへなりと行くがいい。お前は破門はもんだ」

「お父様……」

「上等じゃない、もとからアンタの下に収まるつもりなんてないっての」


 屋敷の裏手にある牢の入り口で告げられてエレベアはきびすを返す。ズカズカと中庭のど真ん中を横切って正門を出ると空を見上げた。日は暮れきっていて、塀で区切られたいくつかの邸宅からもれる明かりが月明かりとともに薄く道を照らしている。


「ふんっ。ラッキー、もうけだわ」

(それにしても)


 あんな遣い手がいるなんて、と手に入れた杖を弄ぶ。ハイサムといったか、彼がみせた動きは決して我流が混じってどうこうという次元ではない。ジダールは気付いていないのかそれとも隠したつもりか。

 明らかに別流派を修めている。


(まだ樹生新杖流ユーピトン・バウ以外の技が生き残ってるなんて。まさか新興?)


 魔法が王家の秘伝から公共のものになって約二百年。雨後にはびこるキノコのごとく乱立していた魔杖を用いた戦闘術を御前試合という舞台で完膚なきまでに降しまくって王道の地位を得たのが大魔女イステラーハだった。以降、彼女は表では王宮魔杖術師範役として、裏では先王の敵を秘密裏に抹消する謀兵の長として活躍することになる。


(あまりにも圧倒的だったから、他の流派はのきみ廃れたって聞いたけど)


 考えながらも足は進む。強敵はともかく方針が固まったのは進展だ。


(後ろ盾が必要ね)


 王命ともなると正攻法で覆すのは容易ではない。ゆえにまずはイステラーハが幽閉されている塔を手中に収めることだ。高度な魔法により編まれた塔はいま魔杖師範役のジダールが管理している。その地位さえ奪えればあとは幽閉を続けるフリをしつつイステラーハに全権を返せばいい。

 とはいえ、師範役もまた王が決めるものであるからそれを簒奪うばうには手順を踏まねばならない。


(大丈夫かしら私これ、私欲で閃いてないわよね?)


 御前試合。かつてイステラーハが制したというその舞台に自分も立つということ。

 それは不謹慎なほどワクワクすることでもあった。その為にはまず自分を推挙してくれる貴族を探さねばならない。すなわちジダールの政敵だ。


「……っ?」


 そこまで考えを巡らせてかすかな違和感。気を張りつめるよりも早く。


「エレベアさんっ!」

「うっぐ、え!?」


 不意に後ろからきた衝撃にエレベアはつんのめった。

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