4. 身の上話、洒落怖話

「――っ、はあっ負けたの!? 冗談!」


 意識が浮上すると同時、叫んでエレベアは跳ね起きた。

 ズキッときた痛みに脇腹をくの字に曲げて、それから辺りを見回す。


「ここって……あぁ」


 ツンとくる苔だかカビだかの湿った臭いに少しの懐かしさがまじる。ひやりとした床は切り石で覆われているのが天井近くから差し込む月明かりで分かった。


「まさかこのトシで懲罰オシオキ部屋とはね」


 王宮魔杖師範役宅、ほんのひと月前まではイステラーハの住処だったここは当然、養子たるエレベアが育った場所でもある。その半地下には師範役の表裏の仕事で使う牢屋があった。

 イステラーハの言いつけを破るたびエレベアはここへ放り込まれたものだ。


(誰がやったか知らないけれど相手が悪かったわね。そう、このズタ袋を踏み台にして……)


――むぎゅ。


 妙に生柔なまやわらかい踏み心地に目を凝らせば、葦布あしぬのの袋からちょろんとハミ出た赤毛。


「ひ」

「ぎゅ!」


 驚いて足で押しのければさらに苦悶の声。

 静かにかがんでそっと袋の口をほどくと。


(……この子)


 現れた顔にはぁっと息をついた。次に浮かんだのはなぜ?という疑問。

 ここへ殴り込む前、シャル・アル・ミーラードと名乗った女はうっすらとまぶたを開く。奥の翠色だけが星明かりを吸い込んだみたいに光ってみえた。


「あ、れ……あれっ!? どこですかここ、恐い人は?」

「まさかアンタ、あのままスッ転んでずっと寝てたわけ、今まで?」


 呑気というかナメてるというか。

(アタシが暴漢ならとっくにいただいちゃってるけれど大丈夫かしら、この子)


「どこか痛いところはない? 胸とか股とか」

「へえっ、わたっわたし乱暴されたんですかっ!?」

「こっちが聞いてんのよイライラするわね」


 混乱する様子までどこかぶりぶりしていて――いわゆる男ウケしそうな愛らしさで――腹立ちまじりにそのきめ細かいデコをぱっちん。


「あたぁ」


 悲鳴まで愛嬌まじりに額をおさえると、ようやくのそのそと自分の身体をあらため始める。


「えと、だいじょうぶみたいですハイ」

「そ、じゃあ質問ふたつめ。ここは王宮魔杖師範役宅の地下牢なワケだけど、放り込まれる心当たりは?」

「それは……」


 口ごもってうつむいたそのあごのラインへ指を這わせる。じれったい。

 こっちは大事なクラブを折られている。とっととお互いの立場を明確にして事と次第しだいによってはぐものを剥がないとおさまらない。


「泥棒じゃないわね、目が合っても逸らさない。娼婦や踊り子にしちゃ口紅が薄いし陰がない。新人か、よっぽど天性のさかばなだってんなら別だけど」

「さっ、さか……っ!?」


 ふわっと熱をもつ細いあごと首。さりげなく握った手のすこしの荒れとふしだち、言葉の端々にでる育ちのよさ、踊りの一部のような魔杖。


「アンタ、後宮ハレム仕えの下女かなんかでしょ。わけあって抜け出したはいいけど運悪く警戒中の魔杖士に見つかって逃げた、違う?」

「そっそういう貴女は――」

「エレベア・イーリス」


 ぱちくり。シャラはまじまじとこちらを凝視すると。


「あなたが……?」


 はっとしたように翠の瞳が上下する。エレベアと、ひっぱり覗きこんだ自身の胸布を見比べて。


「あ、あなたがこれ書いたんですねっ!? いい一張羅いっちょうらだったのにぃ!」

「はぁ? ……ああ、そうだけど」


 忘れていた『差し押さえ』の書きつけを見せつけられて当時の怒りが再燃する。


「ていうか何ですかこれ、どういう意むぃっ――?」


 言いつのる唇を両頬から挟み込んだ。


「キャンキャンとやかましいのよ。質問に答えなさい」

「……っ」


 長いまつ毛がせわしなくしばたたく。

 嫌いなタイプかもしれない、とエレベアは思い始めていた。


「ふぁ、はじめてなんれふ」

「は?」

「ひゃ、やさしくひてくらはい」

「だから何がよ?」

「き、キス、するんれすよね?」

「……」


 頭痛をこらえかねてエレベアはシャラを解放した。眉間みけんを軽くもんで沈静するとじとりとシャラを睨む。


「記憶はハッキリしてるようねお嬢さん。だったらアタシの杖をその大きなお尻で圧しつぶしたことは覚えていて?」

「へ……? ぁ」


 サッとその表情にやっちまったという色が浮かんだ。


「そ、そーいえばー、転んだとき音がしたようなしなかったような……」

「したのよ。つまりアンタはアタシに二重の債務があるってこと。おわかり?」


 言っていて落胆までがぶり返してきた。逆雷樹ユーピトハッドゥは王宮のオアシス周辺にしか生えない灌木かんぼくで、魔杖士の杖はその枝からしか作れない。つまり相応に希少で、また金貨を積んで同じものが手に入るかと言えば否だった。


「おばあ様の杖……」


 軽率だった。顔がちょっと、まあまあ好みだったとはいえそれだけで。


「……あのう、き、キス、しましょうか?」


 さすがに申し訳なさそうにおず、と言い出したシャラを見返す。


「アナタ、自分の唇にそんな価値があると思ってるわけ?」

「そっちが言ったんじゃないですかぁっ!」


 ぷうっと膨れ、にぎった両拳で太ももを打った彼女を冷めた目でながめた。冗談じゃない、貸すのと折られるのでは話が違う。


「悪いと思うなら事情を話しなさい。債権者のアタシはアナタの身元くらいは知る権利があるわ。違う?」


 むくれたシャラはひとしきり抗議のまなざしで訴えたあと、やがて萎れるように肩を落とした。


「……認知してほしくて」

「うん?」


 ぽつりと、吐かれた言葉はまるで魔法の一節目のように静かに災禍のふたを開ける。

 続く言葉にエレベアは片目をすがめた。


「このお屋敷の主、ジダール・マジュフド・イーリス様は……わたしの父親なんです」

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