3. 押しかけ帰省、知らない養子

「それ以上の立ち入りはまかりならん!」


 頭、胸、そして四肢。すべてに狙いが定められていた。

 土塀をぐるっと回りこみ石積みの門をくぐった先のだだっぴろい前庭で、エレベアを待ちかまえていたのは五、六人の魔杖士。ジダールの門下生だろう。イステラーハが師範だったころからの顔ぶれもチラホラいる。もしかしたら全員がそうでエレベアが覚えていないだけかもしれないが。


「出迎えご苦労さま」


 Χ……それぞれが得意の『力の紋様』を組み上げたうえでエレベアに対峙している。

 だが、当のエレベアが端から端まで眺めまわせば顔色を失わない者はいなかった。


「最初の石を抜くのはだれ?」


 慣用句で災禍わざわいを呼び込む者を問うその呼びかけに、全員が互いをうかがうような気配を見せる、刹那せつな


「待って~エレベアちゃん~」


 包囲がほころぶわずかな気の乱れ。そこから破り散らかそうと前傾したエレベアは動きを止めた。二本の中杖を担ぎなおすと、声のした方を振り仰ぐ。


「なんだ、貴女がいたの」


 掃き清められた前庭を囲むように建つ回廊つきの二階建て。そのちょうどエレベアがくぐったアーチの上から、黒い薄衣うすぎぬ姿の女性が見おろしていた。貞淑ていしゅくの証である銀と白の髪覆いは、照り付ける日光から柔和な笑みをかばっているよう。


「ごめんってば~挨拶が遅れちゃって。エレベアちゃん急に来るんですもの~」

「ハ、先触さきぶれなんて出したら逃げるでしょ、お義姉ねえさまは」


 ユディウ・イーリスはジダールの妻にあたる。彼女とは義兄あにほど年の差がないのもあって多少なりとも私的な会話が発生しうる。

 ただそれはそれとしてエレベアは彼女が好きではなかった。


「そんなことありません~主人の留守をまもるのが妻のつとめですもの~」

「は、何それ、お義兄さまが逃げる時間稼ぎ?」


 白い肌にはえる葡萄ぶどう色の唇をぷっと突き出してユディウはにらんだ。


「ほ~んと~うですぅ、もうず~っとお城に出ずっぱり。ま~いいけどね、ユディウ的にはべつにぃ」


 上がれば?と拗ねたように背けられた顔に肩をすくめて、エレベアはハズレを引いたらしい事実にひっそり落胆する。


「遠慮しとくわ、嘘はついてないみたいだし。退屈そうでけっこうね」

「ホントによ~」

「ところで、おばあ様のことは何か聞いてる?」


 大した期待はしていない。ユディウは男性中心主義を絵にかいたような妻であり、それゆえ一周回って夫のジダールを家の屋根、柱くらいにしか見ていないフシがある。

 案の定、人差し指をあてられた唇からでてきたのは気の抜けるような答えだった。


「わっかんない~ユディウ、お母様のことちょっとニガテだし。王様に怒られてるって聞いたけど~」

「そ、お邪魔さま」


 完全に興味を失って屋敷を出ようと身をひるがえしたとき。


「待て、狼藉ろうぜきもの!」


 背後から声があった。視線をもどせばユディウのちょうど対面から見下ろす影がある。彼はまるで宙に床があるように二階の回廊から駆け跳んだ。


『――よ』


 クラブを挟んだ両ひじがばさりと大翼に変じる。着地と同時、それはしまい込まれるように回帰した。なかなかの切り替えの速さだ。


「ハイサム・イーリスだ。お初にお目にかかる」

「エレベアよ……イーリス?」


 ぴくりと眉をあげる。親族にしては覚えのない顔だ。

 油で撫でつけた赤髪は後ろへ流されていて、整った相貌かおを誰はばかることなく見せつけてくる。ぴたりとしたそでのない白の上衣はいかにも短魔杖士クラブスロワーといった風。

 だがイーリス門下でその使用が許されるのは、中魔杖を極め最高位を得た高弟こうていに限られる。


「ハイサムはねぇ、私たちが養子に引き取ったの。ほら~子供がいなかったでしょう?」

「養子ぃ?」


 思わず眉をひそめる。目の前の青年とユディウの年齢差はいいとこ十歳だ。ジダールとならまぁ、相応という気がしないでもないが。


「わが母上への侮辱ぶじょく、そのままにしては帰せん。報いを受けてもらう」


 ハイサムはすっと腕をさげたまま半身に構えた。涼やかな目元が一瞬、階上のユディウへ向けられる。


「きゃ~ハイサム~! いいのよ私はぁ」


 とろけきった嬌声きょうせいをあげるユディウ。げぇ、とエレベアは内心で舌を出した。


(お義兄さまも不憫ふびんだこと)


 わずかに同情して切り替え。


「……本人はああ言ってるけど?」

「構えろ、これは息子としての矜持きょうじの問題だ」

「相手も見ずに喧嘩を売るなんて、大したね」


 背後はすでに他の徒弟たちに固められている。仕方なくこちらも両腕を垂らして構えた。杖三本のうち、短魔杖クラブを前に構え中魔杖リム一本を放棄する。


「知っているさ。エレベア・イーリス。イステラーハから天樹精てんじゅしょうくらいを受けた飼い犬の一匹」


 ひくり、とこめかみが震えたのを凶猛な笑みで隠す。


「犬?」

「そうだろう、先王の走狗イヌが拾い育てた暗殺の手足。イヌの後継が狗でなくてなんだという」

「おばあ様を侮辱したわね、お釣りがでるわよ年増としまい!」

「ま~! 失っ礼しちゃう~! ハーちゃん、遠慮しないでいいからね~!」

「ハーちゃんん?」

「無論です母上」


 二人はほぼ同時にクラブの頭を五指で包む。トスの前動作だ。


「あらためて名乗ろう。樹生新杖流ユーピトン・バウ、ハイサム・イーリスだ。見ての通り天樹精の位をうけている」

「ハッ、ニセモノの新当主しんとうしゅが安売りした皆伝かいでんってわけ?」


 低い投擲とうてきと同時にハイサムが踏み込んできた。エレベアは自身の右ももへと中魔杖リム・バウを当てがうことで応える。


『――И


 人体にそなわった『力の言葉』を描くことができる線を体脈ナディとよぶ。主たる体脈は腕に一本、足に二本ずつ、胴体に三本。

 足の二本へななめに杖をわたせばすなわちИ


「遅いってのよ!」


 膝上から変化した黒白はちわれ毛に桃肉球にくきゅうの獣足。それはひと蹴りでハイサムの側面までエレベアを運ぶ。

 刹那、チラリとこちらをみたハイサムが手にしたクラブでまだ宙にあるもう一本を打ち払った。


「チ!」


 あやまたず顔面へ飛来するそれをのけぞってかわしざま、迫るハイサムへ差し伸べた腕にクラブを小転トワルさせる。

 限界まで下へ向けた視界の端で、ハイサムが曲げたひじへクラブを転がすのが見えた。


『――よ!』

『――Χ!』


 吹き消す風と燃え上がる炎。魔法と化した両者の片腕が交錯しオレンジ色の炎風となる。

 たたらを踏んで離れたのはエレベアだった。互いの腕がわずかなタイムラグのあとハイサム、エレベアの順で回帰する。


(火元を狙われた、感覚が甘い!)


 きりのように絞られた風はエレベアの炎腕をピンポイントで貫いていた。中芯をうしなったようなボワボワした痺れからかばうように残った左腕を前に立つ。


「安売りされたのはどっちだ、うす汚れた狂犬」

「アンタでしょ、舐め犬」


 負傷を悟られれば畳み掛けられる。平然と言い返すと、ハイサムの太い眉の片方が跳ね上がった。


「品もなくよく回る舌め」


 回収したクラブの片方を突き出したままエレベアの側面へ回る。当然エレベアはさせじと同じく横移動を行うため二人の軌道は円弧を描く。

 つ、とエレベアの頬を汗がつたった。


「シィ!」


 手首のスナップだけで飛んでくるクラブ。それは互いの間合いの重なるギリギリ内側へとコントロールされている。


「っこの!」


 意表をついてエレベアは、かばった右腕でクラブを投げた。標的は今まさに投じられたハイサムの杖。

 空中でぶつかった二本のクラブは弾け、それぞれあさっての方向へと跳ね返る。だがそれは仕切り直しを意味しない。短魔杖士クラブスロワーなら軌道を変えた杖をキャッチするなど朝飯前だ。


「笑止!」

「こっちのセリフ!」


 ただ後手にまわったハイサムより仕掛けたエレベアのほうが一拍速い。すでに踏み込みは変化したクラブの軌道をまっすぐに目指している。しかもただのキャッチではない。


『――


 目いっぱい全身で伸ばした左腕に小転トワルさせた中魔杖リム・バウのさらに上。腕と中魔杖の交点へさらに落下してくる短魔杖を重ね受けるという離れわざ


『――流離りゅうりするもの』

『っ――よ!』


 力の紋様を描くのが早ければ詠唱によるイメージの強化に時間を使える。一節と二節の魔法では出力で倍ほどの差が出る。ましてやこちらは一本が質量のある中魔杖だ。

 打ち合いは不利と悟ったかハイサムが右腕を鳥翼へと変化させた。砂曝さばくと化したエレベアの左腕がハイサムの顔面を襲う。


(イメージは散弾、意識を浅く広く!)


 は飛散することによる術者へのダメージバックが少ない魔法だ。もとよりまとまりのない粒群であるゆえに。

 たかの翼によって防がれたそれらは周囲へ飛び散りもうもうと砂煙を起こす。エレベアは徒手空拳としゅくうけん、魔法と化した左をそのままに煙のただなかへ飛び込んだ。

 エレベアを避けるように晴れる砂塵。低く引き絞った右拳の先に、寸前こちらを向いたハイサムの下半身をとらえる。


「二度と使えなくしてやるわッ!」


 一歩引いた相手を追い打つ急所突き。その瞬間に。


「っか、は……!?」


 ゴッと重い裏拳がエレベアの側背を穿うがっていた。不意の衝撃にバランスを崩すエレベア。術理は不明なものの、引くと見せかけたハイサムが足さばきによって側面へ回り込んだことは分かる。

 さらに悪いことにハイサムはもう一本クラブを残していた。


『――よ!』

「きゃ、あああッ!」


 たいを反転させての頂肘ひじうち。下からカチ上げるそれは直前に鋭い暴風と化し、わきの下の動脈と肋骨をまとめて殴打する。


「こ、のペテン師……ッ!」


 根性で絞りだした罵倒は自分でも真意のよくわからないもの。

 痛みで視界が暗くなり、エレベアは失神した。

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