第28話 嘘つきと病みつき③

 翌日の昼休み。

 俺は相変わらず、北棟の物置部屋に訪れていた。

 今日もリリアナは来ていない。誰もいないこの部屋も今ではすっかり慣れっこだ。それでも、以前のような悲壮感はなかった。

 自慢の銀縁眼鏡ぎんぶちめがねも戻ってきた。視界は良好。やりたいこととやるべきことは見えている。

 あいつが急に来るかもしれないので、いつものように弁当は作った。

 だが、待ってはやらない。俺は弁当を置いて、部屋を後にする。

 リリアナ、お前が来ないってんなら俺から近づいてやる。だから、今度はお前が首洗って待ってろ。

 俺は北棟に向かったその足で、南棟の食堂に向かう。そこで直江と落ち合う手筈てはずになっていた。標的は学年主任の大宮、もといテスト横流し野郎だ。

 直江は作戦は任せるようにと自信満々に言った。ここまで来たら、仲間を信じてやるだけだ。踏み出す足は自然とかろやかだった。

 食堂に到着すると、直江は柱の後ろに隠れて、大宮を観察していた。

 「すまん、野暮用やぼようは済んだ。で、奴の様子はどうだ」

 「もう、うさみん遅いよ。先生は思った通り、一人で学食食べてるよ」

 直江は少し怒ったような顔をして、隅っこのテーブルを指差す。

 大宮は四人掛けのテーブルで一人寂しく食事をしていた。人がにぎわう食堂で、なぜだかポツンと存在している。外見は四十歳前後のキノコ頭をした辛気臭いおっさんだ。

 「それは好都合。で、どうやって横流しの証拠を掴む?」

 直江は大宮から目を離さずに、淡々と答える。

 「スマホを弄ってる食事中を狙う。気を逸らしてるうちにスマホを奪って、中から証拠を探すんだ」

 「いや、スマホ奪ってもロックかけてたらどうすんだ。手放すときにスマホ閉じたらアウトだろ」

 この情報化社会、スマホのロックは必須だ。守るものが母さんの連絡先とエッチな画像しかない俺でもやってる。テストの横流しに使ってるなら尚更だ。

 直江は呆れ顔の俺を一瞥いちべつすると、飄々ひょうひょうとした態度で話を続けた。

 「大丈夫、パスワードは指紋である程度わかるから。それにロックを解除した瞬間を狙えば、もっと簡単になると思う」

 おお、すげえ。そんな手があったとは。なおぽんマジ賢い。お前には絶対にスマホ渡せねぇわ。

 「だから、うさみんには先生の気を引いて時間稼ぎをしてほしい。指紋である程度絞り込めるけど、そこから先は総当たりだから。長ければ長いほど助かるんだ」

 なるほど、俺の役割は理解した。念を押して一つだけ確認をする。

 「なぁ、大宮って独身だよな?」

 「そうだと思うけど、どうして?」

 直江は小首を傾げながら、こちらを眺めている。

 よし、条件はクリアだ。工藤先生、あんたの言う通り、足掻あがかせてもらう。

 ふと、あいつに言われたことを思い出す。

 ……白兎しろうさぎだったか、あの時は意味がわからず、悔しくて後から調べたんだ。

 いいだろう、詐欺師の大立ち回りを見せてやる。俺は復活した銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指先で押し上げて、一歩前に出る。

 「なぁ、なおぽん。時間を稼ぐのはいいが、そのまま連れ出してしまっても構わんのだろう?」

 「いや、駄目だよ。スマホがないの気付かれちゃうでしょ。それと勝手に前に出ないで」 

 直江はそう冷たく突き放すと、「何言ってんだこいつ」という表情でこちらを見ていた。ちっ、ノリ悪いな。人のやる気をぎやがって……。

 気を取り直して、俺たちは大宮の様子を注意深く眺める。すると、すぐに機会は訪れた。

 大宮がスマホに手をかける。指を動かして数秒、俺は奴の正面を抑えた。

 「大宮先生、お食事中にすみません。ちょっと相談があるんですけど、よろしいでしょうか」

 「ん? 君は……、僕のクラスの生徒じゃないよね」

 俺は作り笑いを浮かべて、正面の席に座る。大宮はスマホ片手にこちらをチラッと見た。

 「二年一組の宇佐見って言います。今年の春から転入した転校生なんですけど、授業について行けなくて……」

 「……いや、私にそんなこと言われてもな。学習塾でも検討したらどうだ」

 奴は俺の話に一切興味無しでスマホを眺めて食事をしている。

 くそっ、食いつき悪いな。つーか、お前は学年主任じゃねーのかよ。冷たすぎるだろ。

 柱の後ろに隠れる直江は、身振り手振りで急げと訴える。わかってる、すぐにスマホ奪わないと余計な指紋がついてしまう。

 ……あまり使いたくなかったが、さっそく奥の手を使うしかない。

 「……すみません、勉強は口実なんです。実は俺、工藤先生に告白したんですけど、先生は大宮先生みたいな人が好みだってかわされちゃって。ぜひ、男として参考にさせてください」

 俺は頭を掻きながら、照れ笑いを作る。大宮はスマホを閉じると、勢いよくテーブルに置いた。それから、テーブルに身を乗り上げて、食い入るように見つめてくる。

 「それは本当かっ! あの工藤先生が、俺を好きだって」

 いや、好きとは言ってねぇよ。拡大解釈するなよ。だが、食いついた。さすが美人女教師。

 直江は忍び足で大宮の隣に座ると、スマホを手に取りパスワードを打ち込む。第一段階クリアだ。俺は第二段階に移行して、時間を稼ぐ。

 「それで、先生は男にとって重要なものはなんだと思いますか?」

 奴は腕を組んで少し考えると、意気揚々いきようようと口を開いた。

 「うーん、男はやっぱり顔じゃない。誠実さだよ」

 テスト横流し野郎のてめぇには、誠実さの欠片もねーだろが。大宮は顎に手を当てて、自慢げに語る。奴は鼻の下を伸ばして浮かれていた。

 「それで、工藤先生は俺のどこが好きだって?」

 ……自分で仕掛けたのに、なんだか無性に腹が立ってきた。俺の先生がてめぇみたいなキノコ頭を好きになるかよ。身の程を知れっ!

 俺は口の端をひくつかせながら、嘘を並び立てる。

 「そっ、それが、君を待っていたら私は婚期を逃してしまう。これ以上は待てない。私は大人な男性とすぐにでも結婚を――」

 ――不意に、背後からぽんと肩を叩かれた。

 その瞬間、ぞっと、背筋に悪寒おかんが走り抜ける。大宮は青ざめた表情で俺の頭上をじっと見ていた。すぐさま、凍えるような声音が響く。

 「ほぉ、宇佐見。誰か誰を好きで、誰か婚期を逃すって?」

 ……それはバレたら最後、洒落しゃれにならない。俺はギギッと顔だけ後ろを振り向く。

 「あっ、いや、違いますよ? 今期のアニメは逃さずチェックしましょうねって話を――」

 瞬間、右頬に激痛が走る。

 「ちょ、い、痛いいいいい。離せ、離せぇっ!」

 頬を思いっきりつねられた。俺は工藤先生の腕を掴んで、手を引き離そうと試みる。だが、指先の力は相当なもので、余計に痛みが増していく。

 「……誰のせいで私が。この顔がっ! この顔のせいで私は……」

 先生は呪詛じゅそのように言葉を撒き散らしながら、長い爪をめりめりと頬に食い込ませる。

 「あぁぁぁぁあああああああああ――――っ! やめろっ! 頬がちぎれるぅっ!」

 俺は無理やり先生の指を引き剥がして、よろめくように後ずさる。頬をたらりと何かが流れる。触って確認すると、手は血にまみれていた。

 「ちょっと待てよっ! いくら俺が父さんにそっくりだからって息子の俺には何の罪もないだろっ!」

 先生は、背中まで下ろした黒髪を振り乱し、突然、けけけと笑い出した。

 「……いや、お前は生まれてきたことが罪だ」

 そんな馬鹿なっ! 俺は悪魔の子かよ。つーか、怖すぎんだろ。父さん、あんた先生に何したんだ……。

 「宇佐見、二人っきりで話をしようか。たっぷりと可愛がってやる……」

 工藤先生は鬼の形相でじりじりと間合いを詰めてくる。大宮はそんな先生を見て恐怖で顔が引きつっていた。

 ……やばい、俺が先生に連れ出されてしまう。なおぽん、まだかっ!

 直江は未だにパスワード解除に手間取っていた。顔からは汗やら涙やらが溢れ出している。

 くそっ、もはや万事休す。ここは一旦引いて出直すしか……。その瞬間、怒号どごうが響く。

 「ひどいっ! テツロー君、私のことは遊びだったんだっ!」

 「はあ? つばき?」

 この場にいる全員の視線がつばきに集まる。彼女の声で食堂全体が静まり返った。周りには野次馬やじうまが集まってくる。

 「どいて、この貧乳泥棒猫っ! 年の差考えなさいよっ!」

 「なっ! ひっ、貧乳……、年増……」

 つばきは工藤先生を手で払い除けると、凄い勢いで先生を睨み付ける。一方、先生はぶつぶつと独り言を繰り返して、うつむいてしまった。

 ……つばき、もうやめたげて。先生すげぇ落ち込んでる。あと、年増とは言ってないよ。ほんと、巻き込んでごめんね、先生。

 若さも胸も圧勝したつばきは、床を鳴らすようにこちらに歩いてくる。

 「おっ、おい、つばき。何のつもり――」

 「テツロー君の浮気者っ!」

 瞬間、右頬を渾身こんしんの力でぶっ叩かれた。自慢の銀縁眼鏡ぎんぶちめがねもぶっ飛んだ。

 「いってててぇっ!」

 お前ら、俺の右頬に怨みでもあんのかよっ! もう感覚なんてほとんど残ってねぇぞ。

 彼女は倒れた俺の胸ぐらを掴み上げる。眉根まゆねを寄せて顔を近づけると、こっそりと耳打ちをした。

 「ほら、よくわからないけど、直江君が見てるよ。行って、テツロー君」

 「……お前、まさか」

 つばきは俺の胸を突き飛ばすと、怒りそのままに大宮のほうへ向かう。

 「大宮先生、テツロー君と何話してたんですか……」

 「あっ、いや……」

 ……すげぇ、これが元人気女優の演技力。つばき、さすが俺の惚れた女だぜ。でも、もうちょっと力を加減してほしい。

 俺は眼鏡を拾って、直江のもとに直行する。

 「おい、どうだ。証拠はあったか?」

 彼は涙目で俺を見つめながら、首を横に振った。

 「ごめん、うさみん。ロックの解除は成功したし、西園寺君の連絡先もあったんだけど、メールは一通もなくて……」

 駄目だ、生徒の連絡先知ってるくらいじゃ証拠としては薄い。

 「証拠がないなら……、作ってしまえばいい。ちょっと、貸してみろ」

 「えっ、どうやって……」

 俺は直江からスマホを奪うと、慣れない手付きで操作をする。

 「これでいい。あとは証拠が来たら写真に撮って、お前は離脱しろ。俺は場の収拾にあたる。俺たちのために、つばきが一人で頑張ってるからな」

 俺と直江はつばきのほうを見やる。すると、彼女は人目をはばからず号泣して怒り狂っていた。大宮はパニックに陥って、あたふたしている。一方、工藤先生はその場に座り込んで、未だにぶつぶつと一人呟いていた。

 「つばきちゃんが……。女神さまがお怒りだ……」

 直江は驚愕きょうがくのあまり、口をあんぐり開けて固まっている。

 ふと、つばきと目が合う。一瞬、彼女は小さな舌を出して笑った。

 ……いや、あれは女神さまなんかじゃない。魔王さまだよ。


 目の前に広がる地獄絵図じごくえずに、俺は思わず乾いた笑いが漏れた。

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