第24話 青い兎といばら姫⑤

 窓口で紛失物ふんしつぶつの問合せを行い、俺とつばきは手分けして財布を探した。

 それから小一時間、財布は一向に見つからず、途方に暮れる。すると、係員から財布が拾得物しゅうとくぶつとして届けられたと連絡を受けた。

 俺はすぐさま窓口に向かって財布を確認する。リリアナのカードは無事。俺の私物も特に被害はない。俺は足の力がすっと抜けてその場に座り込む。つばきは俺の背中をさすりながら、安心したように微笑んだ。

 チケットが勿体ない気がして、途中から中に入る。映画は既にクライマックスを迎えており、内容はさっぱりわからない。学生の男女が恥ずかしげもなく叫び合っていた。

 「あはは、なにがなにやらだね」

 隣に座るつばきは、困ったような顔で笑っている。俺は情けなさと申し訳なさと心苦しさとでいっぱいになり、深々ふかぶかと頭を下げた。

 「本当にすまない。……飯も映画も、今日は全然ダメだった」

 「別に、食事も映画もどうだっていいの。デートって大事なのはそこじゃないでしょ?」

 彼女はにこりと笑い、口に手を当てて小声で答える。

 何が大事なのか、恋愛経験ゼロの俺には全くわからない。常識的に考えて今日のデートが最悪なのはわかる。

 映画はラストシーン。学生の男女が涙を流して抱き合っている。つばきは遠い目をしてスクリーンを眺めていた。

 不意に、彼女は誰に言うともなく、ぽつりと呟く。

 「……ねぇ、なんで私のこと好きになったの?」

 「は?」

 俺は頓狂とんきょうな声をあげて、椅子を揺らす。その途端、周りの客から一斉に睨まれた。そりゃそうだ、俺だったらキレちゃうね。俺は後ろめたさで身をちぢこまらせる。

 一瞬、心の底を見透かされたのかと思ったが、初恋のことか。

 俺の答えを待っているのだろうか、彼女は何も言わず、ただ真っ直ぐ、前を見つめている。

 顔から火が出るほど恥ずかしい。きっと思い出して後悔するだろう。だが、今日のお詫びも兼ねて、俺は初恋の相手に初恋の話を初めて人に語った。

 「ちょうど、俺が家事を始めたくらいだ。最初はど下手くそでさ。そんなとき、テレビの向こう側で同年代の女の子が大人顔負けで、何でもこなしてるんだぜ。まだ小学生なのに、おしとやかで可憐で大人びた顔してて、すごく憧れた」

 つばきは俺の話を黙って聞いている。しかし、まさかこんな日が来るとは思わなかった。

 俺は震える唇を動かして、八年越しの想いをそのまま言葉に乗せる。

 「だからその……、テレビに出てると目で追うようになって、いつの間にか好きになってた……」

 映画はエンドロールが流れていた。ポツポツと周りの客が席を立ち始める。

 彼女はこちらに顔を向けて、じっと俺を見つめる。その瞳には涙がにじんでいた。

 「いや~、最後の雰囲気だけでも結構泣けるもんだね。さすが人気沸騰中の恋愛映画」

 「……いや、そこはちゃんと見ようよ」

 俺は疲れ果てたように椅子の上でぐったりと肩を落とす。つばきはきょとんとした顔で小首を傾げていた。

 

 × × ×

 

 駅前の複合施設を後にすると、俺たちはある場所に向かった。

 「すまん、母さんが絶対につばき連れてこいっていうからさ」

 「気にしないで。私もテツロー君のお母さんに会いたかったし」

 ある場所とはピアノ教室。内装工事も終わって、いよいよ来週再開する。場所は駅前近くの貸しビルで二階ワンフロア、好立地だ。

 到着してから建物の中に入ると、母さんが出迎えてくれた。

 「テツくんっ! つばきちゃんも久しぶりっ! さぁ、来て来て」

 部屋の中を進むと、何というか物凄いメルヘンチックな世界が広がっていた。見渡す限りピンクで目がチカチカする。

 「うわ、すごい。夢の国みたい……」

 つばきは目を丸くして部屋を眺める。さすが元『ピアノ界の桜姫さくらひめ』。趣味全開じゃねぇか、共同経営なのに大丈夫なのこれ。

 「ママね、今まで雇われ講師だったけど、いつか自分の教室持って子供たちにピアノ教えるのが夢だったの」

 母さんは感慨深かんがいぶかげに部屋を眺めていた。つばきは机に置いてあるチラシを手に取ると、母さんに明るい笑顔を向ける。

 「チラシ配り、手伝いますよ。一緒にやろう、テツロー君」

 「つばきちゃん、ほんとにいいの?」

 つばきと母さんは互いに手を取り合い、無邪気にはしゃいでいる。

 その微笑ましい二人の姿に、自然と顔がほころぶ。

 なんて幸せな光景なんだろう。そう思っているはずなのに、俺は今もなお、何か足りない気がしている。

 一日中、気になって仕方ない。この場所にあいつがいたら、そんな馬鹿みたいなことを考えていた。我ながら女々めめしすぎて、ほとほと嫌気が差す。

 俺が自嘲じちょうめいた気分に浸っていると、受付の部屋から扉が開く音が聞こえた。

 「……誰かしら。ごめんね、お客さんみたい」

 母さんはパタパタ足音を立てて部屋を去っていく。つばきは母さんに小さく手を振って、俺の傍に歩み寄る。

 「ありがとな、つばき。ほんと、お前には助けられてばかりだ」

 「いいの、いいの。テツロー君は私がいないとダメダメみたいだし?」

 彼女は上目遣いにからかうような口調で言った。その通り、俺は彼女がいないとダメダメみたいだ。

 「さっすが、コガえもん! 頼りにな――」

 瞬間、背中を思いっきりぶっ叩かれた。

 「いっってぇっ! お前、力強いんだよっ!」

 「なにそれ。テツロー君、もしかして私のこと、便利な道具扱いしてる?」

 つばきは口を尖らせて、不満げな顔をしている。……いや、道具って。なかなか酷いこと言うな、お前。あれは家族だぞ。

 俺とつばきが二人してじゃれ合っていると、あちらの部屋では何やら揉めているようだった。

 俺たちは様子をうかがうため、部屋に向かう。

 「ちょっと待ってください……。いきなり、そんなこと言われても」

 母さんはひどく困惑していた。母さんの目の前には黒服の男性が二人。すると、見知った顔が黒服の陰から顔を覗かせ、手を挙げた。

 「よぉ、宇佐見。なんだ、つばきもいたのか。お前らほんと仲いいな」

 陽気な調子で現れたのは、西園寺だった。事態を飲み込めない俺は、母さんを見やる。

 「テツくんのお知り合い? ……今週でこのフロアは立ち退きだって言われて。ママもう何がなんだか……」

 母さんは混乱のあまり、軽いめまいを起こして目を閉じる。

 「そういうことだから。悪いな、宇佐見。このビルは俺のなんだ」

 西園寺は冗談めいた口調で辛辣しんらつな言葉を吐いた。笑顔で母さんに一礼すると、くるりと背を向けて帰っていく。

 「おい、待てよっ! ……なんだそれ、わけわかんねーぞ。お前、何の恨みがあってこんな……」

 突然、西園寺から突きつけられた最後通牒さいごつうちょうに、俺は激しく動揺する。彼は顔だけ振り返ると、本性を現したように心底蔑しんそこさげすんだ目で俺を見た。

 「……まったく、お前も豚も。そこのお節介女に乗せられて盛大な思い違いしてるから。わざわざ、俺が出向いてやったんだぜ?」

 西園寺がつばきに視線を投げる。彼女は顔を引きつらせて、そっと目を伏せた。

 「はぁ? どういう意味……」

 豚って直江のことか? 俺とあいつがつばきに乗せられた? さっきから何をわけのわかんねーことを……。

 俺の様子を見た西園寺は、呆れたように肩をすくめる。しばし考え込んだのち、意味深いみぶかげに二本指を立てて、口を開いた。

 「まあ、お前の言う通り。健全な男子高校生がちょっと暴走しただけ。ただの可愛い嫉妬だよ」


 ――その言葉で、全てが繋がった。

 それまで堂々巡りしていたのが嘘のように、俺は一つの答えに辿り着く。


 クラス委員の茶番が無駄だったのも、直江の様子がおかしかったのも、そして、あいつが学校に来ないのも。ヤツの言う通り、俺はとんだ思い違いをしていたらしい。

 人の女に手を出すな。つばきじゃない。前提が既に間違っていた。


 ……そうかよ、二位野郎。最初っから狙いは、あの馬鹿か。

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