第22話 青い兎といばら姫③

 昼休み。俺は主のいない北棟の物置部屋にいた。

 あいつはいつまで経っても姿を見せない。

 今週から弁当も用意して待っている。昨日、弁当だけ置いて放課後覗いてみたが、手をつけた様子もなかった。

 ……あの問題児、とうとう不登校になっちまったか。

 まぁ、授業全部サボってるのにわざわざ学校来て食っちゃ寝してるほうが不自然だ。つーか、飯に食いに学校来てたのかよ。小学生みたいな奴だな。

 それなら、この部屋貰っちゃうよ? 先週から暇すぎて床をピカピカに磨きまくった。今日は窓ガラスを綺麗にするため、家から掃除セットも持参じさんした。やるならとことんやるのが主夫である俺の流儀りゅうぎ

 掃除セットを見ながらニタニタと笑う。だが、大事なことに気づいて、思わず「げっ」と声が出た。

 「弁当、教室に忘れた……」

 この通り、最近は一人飯よりその後の一人掃除に楽しみを覚える始末である。それもこれも全部あいつのせいだ。

 「なんで来ねぇんだよ、あの馬鹿……」

 俺は重い足取りで弁当を取りに教室棟に戻る。昇降口に入った瞬間、俺が使う靴箱の前に、一人の男子生徒がいた。

 俺は慌てて身を隠す。心を落ち着かせて、男をじっと凝視する。男は落ち着きのない様子でおろおろと辺りを見渡している。すると、ポケットから手紙を取り出して、俺の靴箱に手をかけた。

 その瞬間、ぷつんと頭の中で何かが切れた音がした。

 今まで堪えていた感情が一気に爆発する。激しい怒りに衝き動かされて、ゆっくりと男に歩み寄る。

 「おい、てめえ。よくもやってくれたな。ブッ殺してやる」

 「あっ……」

 敵は意外な人物だった。転校初日、俺たちはある意味仲間だった。クラスの隅っこでいつも一人、スマホ片手に黙々もくもくと菓子パン食ってるボッチのプロ、子豚だ。名前は知らん。

 俺は殺気に満ちた目で子豚に詰め寄る。彼はたちまち怖気おじけづき、手を滑らせて手紙を落とす。そのまま、逃げるように走り出した。

 「おい、待ちやがれっ!」

 短足チビの子豚は、見た目通りの速さでのっそりと階段を登っていく。

 ……遅っそ。ゾンビ映画で真っ先に死ぬタイプだな、こいつ。そもそも顔見られてんだから逃げても無駄なんだよ。

 俺は床に落ちた手紙を拾って中身を確認する。手紙には大きな赤文字でこう書かれていた。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 「あぁもうっ! 男でヤンデレって誰得だよ。死なれでもしたら目覚めが悪すぎるぞ」

 頭をがしがし掻いて、大きなため息をつく。俺は怪我を押して、トラウマ気味の階段を駆け上った。

 すぐに追いつくことはできたが、しばらくそのまま後ろからついて行く。彼に追いついたらどうするか、俺はまだ決めかねていた。

 子豚は必死に息を切らしながら屋上にたどり着く。勢いそのまま、その場にドサッと倒れ込んだ。少し遅れて、俺は彼の隣にかがんで、顔を覗きこむ。

 「おい、追いかけっこはもういいか。俺も走るのはまだキツイんだよ」

 「宇佐見君。な、なんで……」

 彼は俺に気づいて慌てふためく。極度の恐怖から、頭を抱えるように地面にうずくまった。

 「ごめんなさい。僕は……、僕はなんてことを……」

 子豚はみっともなく声を上げて泣いている。今更自分のあやまちを理解し、良心の呵責かしゃくに耐えかねたのだろう。まぁ、そんなことは被害者の俺には関係ない。

 「おい、顔貸せ。お前が泣き喚こうが俺の気は収まらん」

 「うぅ……」

 子豚は観念して顔を上げると、震えながらぎゅっと目を閉じる。俺は渾身こんしんの力を指先に込めて、彼の額に弾丸をくれてやった。

 「痛っ! えっ……、デコピン?」

 子豚は涙目で額を押さえて、怪訝けげんな顔をしている。

 「……泣くくらいならやんなよ、しらけたわ。まぁ、お前がイケメンだったら、問答無用でぶん殴って警察突き出してたけどな。お前、名前は?」

 「なっ、直江景義なおえかげよし。……同じクラスなんだけど」

 だからなんだよ。クラス一の美少女、つばきの名前も知らなかったのにお前の名前なんて知るわけねーだろ。俺は若干苛ついて直江を睨むと、彼はびっくと肩を揺らす。

 「で、手紙の主はお前で、理由はつばきってことでいいんだよな?」

 「……う、うん」

 直江はむくりと起き上がって座り込むと、気まずそうに小さく頷いた。

 俺はようやく得も言えぬ恐怖から解放されて、肩の力が抜ける。それにしても犯人がこんな虫も殺さない顔した男だったとは。世の中外見だけでは判断できない。

 「だったら、あいつの可愛さに免じてこれで許してやる。後は貸しだ、覚えとけ。つーか、俺とつばきは何でもないって結構アピールしたんだけど。伝わらなかったか?」

 「そ、それは……。その……」

 なんとも歯切れの悪い男である。こんな奴があんな大胆な真似をしたとは。最近の若者ってキレると何するかわからない。

 「それにこんな馬鹿な真似しなくても、つばきは誰とでも分けへだてなく接してくれる。俺だってお前と同じぼっちなんだから」

 「ち、違うんだ。僕にとって、つばきちゃんは……」

 直江はそう言うと、暗い顔をして黙り込んでしまう。

 ……なんで俺は加害者の恋愛相談に乗っているのだろうか。途端とたんに馬鹿らしくなって、俺は話を打ち切った。それとつばきちゃんって呼ぶな、殺すぞ。

 「とにかく、許すのは一度までだ、二度目はない」

 俺は威嚇いかくするように、敵を剥き出しにして直江を睨み付ける。彼は慌てて腰を引いて、うんうんと何度も頷いた。

 クラスのアイドルに憧れて、一人のぼっちが起こした嫉妬劇。

 しまりは悪いがこれで本当に一件落着だ。あいつが俺と同じぼっちで同情したのだろうか。まだまだ俺も青臭い甘ちゃんだ。

 

 × × ×


 放課後、教室を出てつばきを探す。

 すぐにでも謝りたかったが、彼女の周りは常に人で溢れている。二人っきりになれる機会も、輪の中から彼女を連れ出す度胸もなく、ずるずると時間だけが過ぎてしまった。

 自分の不甲斐ふがいなさになげいていると、教室の前でつばきを見つけた。彼女は一人の男子生徒と何やら話し込んでいた。

 教室は二年十組。相手はあのツンデレ坊ちゃん、西園寺だ。向こうも俺に気付いたらしく、彼は軽く手を挙げてみせる。

 「おい宇佐見、こんなところでどうかしたか?」

 つばきは彼の声にぴくりと反応して、こちらを振り向く。一瞬目があったけれど、彼女は不自然に視線を逸らした。

 「じゃあ、コースケ君。私は行くね」

 つばきは慌てて俺の横を通り過ぎていく。だが、恐れることは何もない。俺は迷わず彼女の手を取る。

 「つばき、待って。謝りたいんだ。今じゃなくてもいい、俺に時間をくれ」

 「……うん」

 つばきは目を落としたまま、小さく頷いた。俺はほっと安堵あんどの息をついて、彼女の手を離す。彼女は逃げるようにその場を走り去っていった。

 「あいつが人を避けるなんて珍しい。お前、何やらかしたんだ?」

 西園寺は傍に近づくと、肘で俺をつつきながら薄笑うすわらいを浮かべている。おい、急に親友面かよ。びっくりしたわ。

 「別に。それよりお前はつばきと何してたんだ」

 「今度、うちの屋敷やしきで二年生を集めてパーティーやるんだ。その手伝いを頼んでた。あいつは無駄に顔が効くからな」

 ぱっ、ぱーてぃ? こいつ、レッツパーリィすんの? 親友の俺も無料でヒアウィーゴォしていいの?

 愕然がくぜんとなった俺を見て、彼はさも愉快ゆかいそうに笑い声を上げた。

 「今年、生徒会選挙に立候補するつもりなんだ。ぶっちゃけ、早めの根回しだ。こういうのは早ければ早いほうがいい」

 西園寺は自信たっぷりな態度で、そこに嫌味は感じられない。リリアナにも少し似た威厳いげんに満ちている。これが高貴な家柄ってやつか。

 「ということは、つばきも生徒会メンバーに?」

 「あいつが? いや、もうメンバーは決めてあるんだ」

 俺の問いが意外だったらしく、彼は小首を傾げて答えた。じゃあそいつらに頼めよ。なんでつばきなんだ。俺は心を落ち着かせて、意を決して尋ねる。

 「なぁ、もしかしてお前とつばきって付き合ってたとか……」

 西園寺は目を丸くして、じっと俺を見つめる。それから、急に腹を抱えて笑い出した。

 「俺とつばきが? ないない」

 そうか、要らぬ心配だったか。俺の心は保たれた。一方、西園寺は不機嫌そうに顔をしかめた。

 「むしろ、あいつの笑顔は気味が悪くて、イラつくことのほうが多い」

 「おぉ、奇遇きぐうだな。俺もお前が何言ってんのかさっぱりで、イラついてるぞ」

 声に苛立ちが混じる。それから、二人の間に険悪けんあくな空気が流れた。彼はそれを無視するように、笑みを浮かべて話を続ける。

 「そういえば、お前、階段から落ちたんだって。……まさか、誰かにやられ――」

 「俺に手を振るつばきが可愛すぎてな。小躍こおどりしてたら足踏み外した」

 「は?」

 俺が淡々にそう言うと、西園寺は口をぽかんと開けたままこちらを見る。

 「仮に誰かにやられたとしても、健全な男子高校生がちょっと暴走しただけ。ただの可愛い嫉妬だよ」

 しばらく沈黙が続いたのち、彼は口元に手を当てて、くすくすと忍び笑いを漏らした。

 「なんだそりゃ、どういうことだ? お前、面白い奴だな」

 「あぁ、よく言われる」

 俺も皮肉交じりに笑ってみせる。俺たちの笑い声と共に、さっきまでの険悪けんあくな雰囲気はうやむやになった。

 「そういえば、西園寺。リリアナって最近授業に出てきたか?」

 「眠り姫が? そもそも彼女が教室に来るわけないだろう」

 西園寺は心底不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。

 ……やっぱり、そうだよな。

 西園寺と別れて教室棟を後にする。すると、昇降口でつばきが待っていた。彼女は優しげな微笑みを浮かべている。

 「ね、一緒に帰ろっか」


 × × ×


 放課後の帰り道。つばきとは一週間会話どころか、まともに目すら合わせていない。謝りたいとは言ったが、どう切り出したらいいのやら、ぎこちない沈黙が続いていた。俺は先ほどのいけ好かない男を話のきっかけに使う。

 「……西園寺って嫌な野郎だな」

 俺はそう言って、苦虫にがむしを噛み潰したような顔をする。つばきはこちらを一瞥いちべつすると、くすっと小さく笑った。

 「コースケ君は女子からも人気あるよ。内部進学組で成績優秀。バスケ部のエースでイケメンだし、この学園でも飛び抜けてお金持ち。ほんと、別の世界の住人って感じ」

 「ますます、嫌な野郎だな……」

 「なにそれ、そんなのテツロー君だけでしょ?」

 彼女は呆れたようにため息をついて、楽しげに笑う。

 いやいや、男子代表だよ。しかし、あいつ完璧じゃねぇか。リリアナ、よく万年二位に叩き落としてくれた。でもまぁ、イケメンのおかげで気まずい雰囲気も少しずつ変わってきた。

 「こうやって一緒に帰るの、初めて会話したとき以来だな」 

 「……だって、テツロー君、最近私に冷たかったし」

 ほっとしたもの束の間、つばきはひどく落胆したように肩を落とす。再び、気まずい空気が漂う。俺は咄嗟とっさに謝罪の言葉を述べた。

 「わっ、悪かった。全部俺のせいだ。お詫びに何でも言うこと聞くから……」

 この際、どんなはずかしめでも受けてやる。ほら、お前の大好きな俺虐おれいじめだ。恐る恐るつばきの様子をうかがう。彼女は顔を上げると、いつもの笑顔を俺に向けてくれた。

 「じゃあさ。今度の日曜、デートしない?」

 「……ふっ、ふーん。まぁ、いいんじゃない?」

 デートってなに? 俺がレッツパーリィすんの?

 

 こうして、宇佐見哲郎うさみてつろう、十六歳。人生初めてのデートが決まった。

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