第19話 初恋と甘々⑦【完】

 放課後のホームルーム。

 要は俺とつばきが何でもないことを証明できればいい。

 まったく、俺、転校生だよ? ちょっと優しくしただけで相手殺すとか、どんだけ心狭いんだよ。独占欲強すぎだろ。

 真面目な話、つばきには知られたくない。手紙の主が逆上ぎゃくじょうして、彼女に危害が及ぶなんて以ての外だ。ここは穏便おんびんに済ませたい。

 俺が作戦を練っていると、ガラッと教室の扉が開いた。現れたのは工藤先生。先生が教壇きょうだんに立つと、騒がしかった教室は先週同様に重苦しい空気が流れる。

 「それでは、先週の続きからだ。誰かクラス委員に立候補するものはいないか?」

 先生の問いに、クラスはしんと静まり返る。先生はこめかみを押さえながら、軽くため息をついた。

 「……そうか、だったら仕方ない。先週言った通り、私が指名させてもらう」

 工藤先生の言葉で、クラスにどよめきが起こる。

 そりゃそうだ。一週間で何が変わるわけでもない。誰だって放課後に雑用なんて御免ごめんだ。

 ――ゆえに、ぼっちが手っ取り早く発言権を得るには絶好の機会チャンスとなる。

 俺は覚悟を決めて、勢いよく手を挙げる。一瞬にして、クラスの視線が俺に集まった。

 「……宇佐見、やってくれるのか。私も本当は強制なんてさせたくないんだ」

 工藤先生は俺の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。また、この素敵な笑顔を歪ませることになりそうだ。先に謝っておこう、ごめんなさい先生。

 突然、クラスがざわつく。周囲の視線を追って振り返ると、つばきが小さく手を挙げていた。俺と目が合うと、彼女は恥ずかしそうに軽く会釈えしゃくをする。

 「古賀、いや本当に助かるよ。正直、女子のほうは諦めてたんだ」

 おい待て、そりゃどういう意味だ。くそ、謝って損したわ。しかし、つばきのやつ、また悪ノリしやがって。これじゃ、火に油じゃねえか。陰キャどもにリア充カップル死ねと思われちゃうよ。あ、先週の俺だ。

 工藤先生は上機嫌で俺とつばきを教壇きょうだんの上に呼びつける。先生は扉のそばに移動すると、俺たちを見て満足そうに頷いた。

 つばきは頭を掻きながら、照れくさそうに挨拶をする。

 「えーと、委員から一言ということで。テツロー君のことしっかりサポートしたいと思いますっ!」

 罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられると思ったが、なんと拍手喝采はくしゅかっさい。意外とクラスは大盛り上がりである。これもつばきの仁徳じんとくがなせる業なのだろう。一方、工藤先生はきょとんとして、困惑したように立ち尽くしていた。先生、あんたは生徒にもっと興味持とうぜ。

 つばきは後ろ手に俺の服を引っ張ると、はにかむように微笑む。まったく、人の気も知らないで盛り上げてくれる。

 でもまあ、この歓迎ムードなら、別に俺は何もする必要はないのかもしれない。クラスの大半は俺たちを受け入れてくれるのかもしれない。

 ――だが、わずかな可能性であっても、あの危険分子を前にのほほんとしているほど、俺は甘ったれてはいない。

 拍手が鳴り止むと、クラスの視線は自然と俺に集まる。この感じ、転校初日の自己紹介以来だ。

 俺は自慢げに銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指先で押し上げる。それから、ビシッとクラスの奴らを指差ゆびさしして見せた。

 「チョリ~っす、オレ絶賛彼女募集中っす!」

 一瞬にして空気が凍り付いた。

 クラスの奴らはドン引きしている。一方、工藤先生は両手で口を押えて、懸命に笑いを堪えていた。……先生、あんたのギャグセンス、イカレすぎだろ。

 俺が思わず失笑していると、後ろから渾身こんしんの力で背中をぶっ叩かれた。

 「いっってぇっ!」

 「なに言うてんねん、アホかっ! しゃあない、ウチが相手したるわ」

 瞬間、周囲がざわつく。

 「なんちゃって……」

 つばきは笑いながら、俺の背中を叩き続ける。もういいでしょ、お前力強いんだよ。

 次第に教室からは乾いた笑い声と拍手が聞こえてくる。先生は部屋の片隅でうずくまって震えていた。あんた笑いすぎだろ。何がそんなに面白いんだよ。

 新たな黒歴史を刻む覚悟だったが、つばきのおかげで無事にこの場は収まった。

 彼女は微笑みながら俺を見ている。目が笑っていないところが怖すぎる。これぞ、暴虐ぼうぎゃくの魔王つばき。俺は苦笑いするしかなかった。

 ホームルームは終わり、徐々に教室から人が減っていく。

 さっそく工藤先生から雑用を任されて、俺たちは二人っきりで教室に残っていた。

 リア充カップルの放課後イチャイチャタイム、とはいかず、重く、張りつめた沈黙が続いていた。俺は耐え切れずに、意を決して口を開く。

 「……なあ、いい加減、機嫌直してくれよ」

 「もうっ! さっきのは、何なのよっ!」

 つばきは珍しく本気で腹を立てていた。いつもの調子で拗ねた風に返してくれる、そうたかくくっていたため、困惑してしまう。俺は取り繕うように、冗談めかした口調で答えた。

 「お、お前がクラスに馴染なじめって言ったんだろ。俺の渾身こんしんのギャグだよ」

 彼女はくすりとも笑わず、無言で作業を続ける。俺はどうにか彼女の機嫌を取ろうと会話を続けた。

 「でも、お前が冗談に乗ってくれたおかげで、大恥かかずに済んだよ。お前には毎回、助けられてばっかだ。さすが、つばき様だ」

 「……私は本気だったのに」

 つばきはうつむきがちに、ぼそっと呟いた。俺は自分の耳を疑い、思わず聞き返す。

 「は? 今なんて……」

 「なんてね。ほんと、テツロー君は面白い奴だ」

 彼女は顔を上げて呆れたようにそう言うと、いつもの笑顔を俺に向けてくれた。


 × × ×

 

 翌日の昼休み。

 いつものように北棟に向かうため、教室を後にする。

 昨日の茶番は俺たちの噂をネタにした夫婦漫才めおとまんざいだと思ってくれたらしい。残念ながら、俺から『古賀つばきの彼氏』というサブ職は早々に消え去った。

 つばきの機転のおかげで誰も傷つかない最高の結末だ。とりあえずは、これにて一件落着。

 今日はつばきをお昼に誘ってみようと思う。

 弁当は四人分用意してある。久しぶりの三段重さんだんがさねだ。彼女ならリリアナとも上手くやれるはず。女友達の一人もできれば、少しはあいつの学園生活も変わってくるだろう。

 四限目は選択授業だったので、つばきはおそらく一階の教室にいる。俺は階段の踊り場で彼女を待った。しかし、待ってる時間は妙にそわそわして落ち着かない。

 リリアナとつばき。この二人がどんな会話をするのか、俺は楽しみなのだ。

 リリアナは尊大で横暴なやつだが、たまにかます常識外れなボケに度肝どぎもを抜かされる。

 つばきは気さくで明るいやつだが、たまに見せる嗜虐的しぎゃくてきな一面は冷や汗ものだ。

 稀代きたいの暴君リリアナと暴虐ぼうぎゃくの魔王つばき、二人の暴君によるマッチアップは実に見どころ満載だ。まぁ、俺の最推しは氷の女王キョーコだけどな。

 そんなことを考えていると、一階の廊下の角からつばきの姿が見えた。やはり、彼女の周りには男女問わず人が溢れている。俺は少しばかり怖気おじけづいてしまう。

 「あ、テツロー君」

 俺に気づいた彼女は元気に手を振ってくる。

 リリアナのことばかり言ってたが、俺も一歩踏み出してみようと思う。

 「つばきっ! 良かったら一緒に飯でも――」

 

 ――ドンッ!


 背中に衝撃が走り、階段を踏み外す。

 天地がひっくり返り、地面が迫る。身体は空中で一回転すると、背中から床に叩きつけられた。自慢の銀縁眼鏡ぎんぶちめがねが弾け飛ぶ。全身が痛い、痛すぎてうまく呼吸ができない。

 血の気が引いていくのがわかる。眩暈めまいと吐き気でどうにかなりそうだ。

 「テッ、テツロー君っ! しっかりして、テツロー君っ!」

 涙を流すつばきの姿がぼやけて見える。目の前にいるはずなのに彼女の声が遠くなっていく。

 ……前言撤回だ。

 あぁ、俺はすっかりこの女に骨抜きにされていたらしい。

 

 『テツロー、気をつけろよ』

 『小さかろうが敵は敵だ。被害が大きくなる前に芽は摘んでおけ』

 

 こんな状況なのに、あいつの顔だけははっきりと脳裏に浮かんでくる。

 リリアナの忠告を無視して、敵に手心てごころを加えた結果がこれだ。

 自分でも呆れるくらい甘々な野郎だ。

 ……弁当、持っていかないと。あいつ怒るだろうなぁ。


 俺の目の前は真っ暗になった。

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