第18話 初恋と甘々⑥

 翌朝。

 昨夜は興奮と不安でほとんど眠れなかった。

 昨日のあれはたちの悪いドッキリなのでは? 教室に入ると、クラスのみんなが昨日の話を知っていて……。いや、もはやイジメだろ。

 そんなことを考えて、俺は欠伸あくびを漏らしながら、のろのろと登校していた。

 昇降口で上履きに履き替えていた。その時である。

 「おはよっ! テツロー君」

 「うぉっ!」

 軽快な声と共に不意に後ろから背中を叩かれた。これがデジャヴュってやつか。結構強めで若干イラッとした俺が振り返ると、そこにいたのは一人の少女だった。

 金髪のショートヘア。愛らしい顔をした彼女だが、その笑みは実に悪魔的でどこか他のクラスメイトよりも親しみを感じる。

 俺は彼女を知っている。

 昨日の騒動で、初恋の女の子が彼女だとわかった。一緒に居れば、愛嬌あいきょうのある笑い声に自然と顔がほころぶ。彼女の周りには常に笑顔で溢れていた。リリアナと違った意味で彼女もまた、人を惹きつける魅力の持ち主である。俺とは対極にいる人間。つまり、俺が憧れた女の子だ。

 「お、おはよう。えっ、えっと……」

 少し声が上擦った。俺は妙に落ち着かない気分で目をきょろきょろさせる。そんな俺を見て、つばきは呆れた表情でため息をついた。

 「……ちょ、ちょっと待って。テツロー君、なんで私に人見知りしてるの。私たち一日間フレンズなの? めんどくさっ、また最初からやり直し?」

 「いや、忘れてねぇよっ! つばき、俺たちズッ友だょ!」

 「またまた、テツロー君はクラス替わると友達リセットするタイプでしょ」

 つばきは笑いながら俺の肩をバシバシ叩く。こいつ何で知ってんだよ、俺のリセット癖。つーか、人の身体をポコすか叩くな。地味に痛いんだよ。

 まぁでも、こんな馬鹿言い合える奴は人生で初めてだ。素直にこいつを大切にしたいと思う。

 俺とつばきが二人してじゃれ合っていると、不意に後ろから彼女を呼ぶ声が聞こえた。

 「よぉ、つばき」

 振り返ると男子生徒が不敵ふてき面構つらがまえをしていた。ツーブロックに緩めのパーマ。横に流した前髪が特徴的だ。周りには女子生徒をはべらしている。

 なんだ、このいかにもお坊ちゃんは……。

 「あっ、おはよ。コースケ君」

 コッ、コッ、コッ、コケ。いや、ニワトリか。動揺を隠せない俺は、つばきにちらちらと視線を送る。視線に気づいた彼女は、困ったように笑った。

 「テツロー君、紹介するね。彼は二年十組、西園寺浩輔さいおんじこうすけくん。一年のとき同じクラスだったの」

 その名前に聞き覚え、いや見覚えがあった。

 つい最近、強烈な印象を残した出来事。俺は思い出したように、ポンと手を叩く。

 「あぁっ! 二位の人っ!」

 一瞬、西園寺はひどく顔をしかめた。つばきはもちろん、周りにいる女子たちもそれを感じ取ったようで、一気に険悪な雰囲気になる。

 あ、あれ、俺なんかやっちゃいました? そう、実力試験で平均九十五点オーバーを叩き出したにも関わらず、二位だったかわいそかわいそな人だ。いや、褒めてるんだけどね。オール満点のリリアナの陰に隠れているが、彼も十分異常な成績だ。

 つばきは珍しく慌てた様子で、取り繕うように話を続ける。

 「コースケ君。彼は二年一組、宇佐見哲郎うさみてつろうくん。今月転入したばかりの転校生なんだ」

 「あぁ、君が眠り姫の……」

 西園寺はまるで見世物みせものを見るような眼差しを向ける。……学年中に広がってるのか、『眠り姫の下僕げぼく』。だが、下僕げぼくと口にしないだけマシな奴だ。つばきの友達みたいだし、ここは素直に謝っておく。俺は彼に向かって、軽く頭を下げた。

 「……えっと、西園寺。さっきの発言、すまなかった。凄い点数だから印象に残ってたんだ」

 「いや、いいんだ。去年からずっとさ。眠り姫には俺もずいぶん辛酸しんさんを舐めさせられてね。宇佐見、彼女の相手は大変だろう?」

 西園寺は自嘲気味じちょうぎみに笑って、気の毒そうに言った。確かに、万年二位扱いされる彼はある意味、リリアナの被害者。俺は同志を見つけたようで思わず饒舌じょうぜつになる。

 「そうなんだよ。リリアナのやつ、マジで滅茶苦茶でさ。おまけに何かにつけてテツロー、テツローとうるさいったらありゃしない。この前も昼飯のとき――」

 西園寺は笑みを浮かべながら、俺の肩をポンと叩く。

 「わかったわかった。話はまた今後だ。そろそろ時間だ、遅刻するぞ」

 彼は取り巻きを引き連れて歩いていく。すると、ふと横目でつばきの顔を見た。

 「……つばき。お前は二年になっても相変わらず、世話好きというか八方美人はっぽうびじんというか。俺とお前の仲だから敢えて言うが、お節介もほどほどにしておけよ」

 西園寺は、はっきりと嫌悪けんおの色を浮かべて彼女を睨んだ。

 「……うん。ありがとね、コースケ君」

 つばきはか細い声でそう言うと、黙ってうつむいてしまう。西園寺は不快気ふかいげに顔を戻して、教室に向かった。

 ……え、なにこれ。俺とお前の仲ってなんだよ。すっごい気になるけど、聞けない。いや聞きたくない。……最悪、俺の心がヤバいやつだ。

 俺は悪夢を振り払うように首を横に振る。一方、つばきはうつむいたまま顔を上げようとしない。

 父さんと違って女っ気は全然ないけれど、女の子が落ち込んでるのくらいわかるつもりだ。……まったく仕方ねぇな、ここは宇佐見家に伝わる伝家の宝刀の出番だ。

 俺は震える手でそっと彼女の頭を撫でる。つばきは驚いたように顔を上げた。

 「世話好きで美人とか、良いお嫁さんになる。あいつ、まさかプロポーズのつもりか?」

 ツンデレ御曹司おんぞうしってどこの乙女ゲーだよ。でも、つばきは乙女ゲーの主人公っぽい気がする。ちなみに俺はモブでガヤ。もちろん、リリアナは悪役令嬢。はまり役過ぎる。

 しばし呆然としていた彼女は、ようやく気を取り直すと、拗ねたように唇を尖らせる。

 「なにそれ、慰めてるつもり?」

 「別に。ただ、俺はお節介なんてこれっぽっちも思ってねぇぞ。なんたって、俺たちズッ友だしな」

 つばきはうっすらと微笑むと、周囲に聞かれたくないのか、耳を貸すように手招てまねきする。俺は彼女の口元へ耳を近づけた。

 「昨日の夜、クラスの友達に聞いたんだけど」

 耳に吐息がかかるほどの距離で、彼女のささやく声が聞こえる。

 「……私たち、付き合ってるらしいよ」

 「ばっ、馬鹿、なにいってっ!」

 俺は思わず叫ぶような声を上げて、さっと耳を離す。彼女はいつもの調子で、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 「そんな照れなくてもいいのに。ほら、テツロー君、私たちも行こっ!」

 つばきは底抜けに明るい笑顔で、手を差し伸べる。

 仮に、仮にだ。もし、つばきと付き合えたなら、こんなに楽しい学園生活はないと思う。それが所謂いわゆる、青春と呼べる代物なのかもしれない。

 そんな甘ったるい妄想を膨らませながら、俺は彼女の手を取った。

 

 × × ×

 

 翌週の昼休み。

 いつも通り、俺は北棟で昼食をとる。

 あれから、つばきのおかげで俺の学園生活はバラ色……とは行かず、以前より視線が厳しい。主にクラスの男どもな。

 どうやら俺こと、宇佐見哲郎うさみてつろうは『古賀つばきの彼氏』というサブ職を手に入れたらしい。まぁなんだ。その肩書き、甘んじて受け入れようではないか。

 俺はつい口元が緩み、えへへと照れ笑いを浮かべる。すると、我慢の限界と言わんばかりに、大きな舌打ちが聞こえた。

 「テツロー。さっきからニヤニヤして気持ち悪いぞ。なんだ、遂に頭が逝ったのか?」

 リリアナは、ソファに寝そべり、食後の駄菓子を摘まんでいる。不快気ふかいげ眉根まゆねを寄せながら、こちらを睨みつけた。

 今ならこいつの暴言も笑って許せる気分だ。恋愛が人の心を豊かにするって本当なんだな。いや、俺とつばきは別に付き合ってはいないが、今はな。

 「最近クラスに仲の良い奴ができてな。ぼっち生活もようやく終わりそうなんだ」

 「……そうか、それは何よりだ」

 俺が穏やかな口調で説明すると、彼女はそっけなく返事をする。俺はそんな彼女を無視して、嬉々ききとして話を続けた。

 「困ったことに、そいつがクラスの人気者でよ。教室にいると、たまに肩ぶつけられたり、陰口が聞こえたり。まぁ、嫉妬ってやつだ。今日なんか特に視線が痛かったぜ」

 「……そうか」

 リリアナは物思いにふけるように、ぼーっと天井を見上げている。

 ……なんだ、さっきからやけにしおらしいな。腹でも壊したか。

 あっ、まさか俺と離れるのが寂しいとか。なんだ、可愛いとこあるじゃねぇか。まあ、週一くらいなら弁当持って会いに来てやるよ。

 俺は思わず温かな笑みが漏れる。すると、彼女はあっけらかんと口を開いた。

 「だったら、背中のそれはファッションではないのだな」

 「は?」

 彼女に言葉を聞いて俺は背中に手を伸ばす。背中には大きな赤文字で「変態」と書かれた紙が貼られていた。

 「……てめぇ、なんでさっさと教えねぇんだよっ! 午後の授業も恥晒すところだったじゃねえか」

 俺は紙をぐしゃりと握り潰して、彼女に喰ってかかる。リリアナは実に困ったような顔をして肩をすくめた。

 「いや、これでも結構悩んでいたんだ。さっきからずっと気色悪きしょくわるい声を上げてたし、変態だと自己主張してる可能性もあるだろう」

 「ふざけんなっ! そんな変態いるわけねぇだろっ!」

 今日は特に視線が痛かったのも、こいつがやけに大人しかったのもそういうことかよ。この女、ほんと可愛くねぇな。

 まぁでも、こんな馬鹿にしてくる奴は人生で初めてだ。素直にこいつをぶん殴りたいと思う。

 「それにしても、嫌がらせか。テツロー、気をつけろよ」

 リリアナは珍しく真剣な眼差しで俺をじっと見つめる。

 「そんなビビることはねぇよ。所詮は小さな嫌がらせだ」

 「小さかろうが敵は敵だ。被害が大きくなる前に芽は摘んでおけ」

 彼女はそう言うと、ソファから立ち上がり、窓側のベッドに向かっていく。

 「ああ、そういえば……」

 彼女は何か思い出したように振り返る。

 「あん? まだ何かあんのかよ」

 「テツロー、部屋の掃除はいつにしようか? 一つ、残さないように頼むぞ」

 リリアナはにっこりと笑みを浮かべていた。……やっぱり覚えてますよね。まったく、執念深い女だ。

 

 × × ×

 

 昼休みも終了間近、俺は急いで教室棟に戻る。

 リリアナはああ言ってたが、俺もつい最近までリア充死ねと思っていた側の人間だ。気持ちはわからんでもない。

 昇降口に到着して、靴箱を開く。すると、そこには一枚の手紙が入っていた。思わず心臓がドキリと跳ねる。

 これは所謂いわゆる恋文ラブレターってやつか。なんだ、ちゃんとモテ期来たじゃん。俺は父さんのハーレム遺伝子を受け継いでいたようだ。

 しかし、相手は誰だ。……まさか、つばきって可能性も。

 俺は期待に胸をおどらせて手紙を開く。すると恋文ラブレターには大きな赤文字でこう書かれていた。

 

 人の女に手を出すな。殺すぞ。

 

 やれやれ、どこのヤンデレちゃんだよ……。

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