第17話 初恋と甘々⑤

 俺は逃げるように台所を離れ、救急箱の置いてある寝室に向かう。傷の手当を終えて戻ってくると、母さんはリビングで相変わらずテレビを見ている。一方、つばきは俺の帰りを待つように、じっとその場にたたずんでいた。

 「……あっ、テツロー君。傷は大丈夫?」

 「お、おう」

 それからしばらく、俺とつばきの間にぎこちない沈黙が流れた。

 母さんは先に席に着くと、「隣においで~」とつばきを手招てまねきする。俺はテーブルに食器を並べながら、ちらっとつばきを見る。彼女はにこやかな笑顔で母さんの話を聞いていた。どうにも気まずい空気だったので、母さんの空気を読まない能天気さに助けられた。

 今夜は珍しく、客人につばきを加えて食卓を囲んでいる。おばあちゃんが亡くなってから、食事はずっと母さんと二人っきりだった。騒がしいのは嫌いだが、食事に限っては、二人よりも三人、みんなで食べるほうがはるかに楽しい。

 「うん、美味しい。……でも、同い年の男の子に女子力負けた気がして、なんだか複雑」

 つばきはちょっと悔しそうな顔をして、むうっとうなる。母さんはテーブルの上に身を乗り出して、うんうんとうなずく。

 「でしょ、でしょっ! テツくんはお料理もお洗濯もお掃除も何でもできるの。ほんと理想のお嫁さんよっ!」

 いや、俺は男だからね。婿入むこいりするならお婿むこさんだからね。つーか、全部俺がやってんじゃねえか、少しは手伝えよ、女子力ゼロおばさん。マジで婿入むこいり考えるぞ。

 母さんはすっかり気を良くして、例のごとく息子の自慢話を続ける。

 「それに顔もパパに似てイケメンでね」

 「あはは、ほんとイケメンですよね。ねぇ、テツロー君」

 「……母さん、他所様よそさまの前で身内ネタはマジでやめてくれ。つばきも悪ノリするんじゃねぇよ」

 つばきはいつもの調子を取り戻すと、相槌あいづちを打って楽しげに笑う。とまぁそんな風に、俺をいじり倒すことで、いつの間にか和やかな雰囲気がゆったりと流れていた。

 「さぁ、つばきちゃん。遠慮せずにもっと食べていいのよ。たくさん食べる子は元気があって魅力的なんだから」

 「えっ、は、はい。いただきます」

 母さんは肉じゃがを皿に山盛りにして、つばきに差し出す。彼女は作り笑いを浮かべて、軽く会釈えしゃくをした。

 たくさん食べる子って。……母さん、リリアナと勘違いしてんな。弁当六人前をたいらげたのはそいつじゃない。あいつはそんな小皿じゃ済まない。

 つばきは戸惑いながら、俺のほうをちらちら見る。どうやら助け舟を求めてるらしい。だが、散々虐さんざんいじめられたお返しだ。俺はこれを無視して、黙々と食事を続ける。母さんの悪意のない善意を喰らえ。

 俺はしたり顔でふっと鼻で笑う。つばきはむっとした顔でこちらを睨みつけた。すると、何か思いついたのか、一瞬ニヤリと笑みを浮かべたのち、しゅんとうつむいてしまう。

 「……お母さん、テツロー君の彼女って今までどんな人だったんですか? 気にしても仕方ないんですけど、私どうしても気になっちゃって」

 ……こ、この女、なんてこと言いやがる。はあ……、どんだけ俺をはずかしめれば気が済むんだ。

 母さんはあごに手を当てて、しばし考え込む。

 「うーん、テツくんってパパと違って女っ気全然ないのよね。彼女はいなかったよ。だから安心してっ!」

 いや、断言するなよ、いたかもしれないだろ。……まぁ、いなかったけど。つーか、父さんはやっぱりハーレム主人公だったのか、羨ましい。

 母さんは悪びれる様子もなく、息子の恋愛経験ゼロアピールを繰り返す。これが母さんの悪意のない善意。俺は恥を掻かされ、がくりとうなだれる。母さんはそんな俺を気にも留めずに話を続ける。

 「それに、テツくんが女の子に興味を示したのはママの知る限り、小学生の頃にハマってた朝ドラの主――」

 「ばっ、馬鹿やめろっ!」

 俺は思わず頭を上げて、慌てて立ち上がる。母さんはビクッと反応して、「私、なにかやっちゃいました?」みたいな顔でこっちを見た。……うわあ、なんだこれ。やられるとすげぇムカつくな。

 俺は恐る恐る、母さんの隣に座るつばきを見やる。彼女は心底楽しそうな笑顔を浮かべていた。もはやこれは嗜虐的しぎゃくてきと言ってもいい。悪魔の笑みそのものだ。

 「へぇ、その娘がテツロー君の初恋の人なんだ。なんか妬けちゃうなぁ」

 「だっ、大丈夫。その娘は芸能人だし、テツくんが一方的に恋してただけよ。気にしないで、つばきちゃんっ!」

 何を勘違いしたのか、母さんは見当違いなフォローを入れ始める。……違うんだ、母さん。その娘は、あんたの目の前にいるんだよっ! くっそ油断した。

 俺は母さんを正面から睨みつける。逆効果だったのか、母さんは慌てながらも一向に口をつぐまない。

 「そ、そうだ、つばきちゃん。学校でのテツくんはどうかな? 友達たくさんできたみたいでね。最近なんかみんなのお弁当作ってね。本当に楽しそうでね……」

 母さんは俺をチラチラ見ながら、顔色をうかがっている。

 あーあ、もうめちゃくちゃだよ。どいつもこいつもピンポイントで地雷踏みやがって。こいつら地雷ハンターかよ。

 思わず苦笑してしまい、手で顔をおおう。俺は半ば自暴自棄じぼうじきになり、つばきに視線を向けた。

 ……もう駄目だ、これはどうやっても取り繕えない。後は悪魔将軍つばきに地獄の断頭台だんとうだいを喰らうだけだ。

 つばき様ぁぁぁぁ~っ、バンザァァァ――イッ!

 彼女は観念した俺を一瞥いちべつすると、ふっと優しげに微笑んで口を開く。

 「はい、テツロー君はクラスでも人気者ですよ。私もお弁当頂きました」

 「ほ、ほんとっ! よかった~」

 なっ……。こっ、こいつ、一体どういうつもりだ。

 その後、母さんは学園生活を根掘り葉掘り尋ねてきた。だが、つばきの嘘八百うそはっぴゃくにより何とかその場を乗り切った。

 

 × × ×

 

 つばきを送る帰り道。

 すっかり夜は更けて、空には雲一つない綺麗な月夜だ。

 母さんは玄関まで見送りにくると、つばきと何度も握手を交わしていた。「絶対また来てね」とあまりにしつこかったので、終いには見かねた俺が無理矢理引き剥がした。普段から騒がしい人だが、よほど楽しかったのだろう。今日は数倍増しだ。

 「さっきは悪かったな。嘘つかせちまって」

 「ううん、嘘も方便って言うでしょ。ああいう優しい嘘は必要だと思うよ。それにしても少し盛りすぎちゃったかな?」

 横を並んで歩くつばきは、テヘヘと頭を掻いて笑った。

 「いや、そもそも俺には盛る土台がねぇだろ」

 誇張こちょうじゃないからね。無から有を生み出してるからね。賢者の石かよ、こいつ。

 「だったら、テツロー君も少しはクラスに馴染まないとね。私も協力してあげるから」

 彼女は少し怒ったように言うと、後は私に任せなさいとばかりに胸に叩く。俺はそんな彼女を見て、自然と顔がほころんだ。

 古賀つばきは確かに良いやつだ。嗜虐的しぎゃくてきな一面も垣間かいま見えたが……、基本は誰にでも気さくで明るくて話し上手。今日一日過ごしただけで、彼女が誰からも愛される理由が十分にわかった。


 ――それでも、他の誰でもない俺は問わずにはいられない。


 損するだけなのに、相変わらず一言多い性格だ。俺は目を閉じて心を落ち着かせる。唇はかすかに震えていた。

 「なぁ、なんで俺にそこまでしてくれるんだ。今日、声かけたのだって……」

 少しばかり沈黙が流れる。つばきは俺の腕を取り、そっと身を寄せる。

 「だって、せっかく同じクラスになったんだもん。みんなで仲良くしたいでしょ?」

 上目づかいにこちらを見る彼女に、俺の鼓動は終始高鳴りっぱなしだ。すると、つばきの顔がわずかに赤く染まる。恥ずかしそうにうつむいて、ぼそぼそと呟いた。

 「……それに、私はテツロー君の初恋の女の子みたいだし」

 「ちょ、ちょっと待て。あれは……」

 不意に俺の腕を離したつばきは、颯爽さっそうと走り出す。曲がり角の前で急に立ち止ると、こちらを振り返る。彼女は満面の笑みで小さく手を振った。

 「家すぐ近くだから。送ってくれてありがとっ! じゃあまた明日ね、テツロー君」

 月夜に光輝く彼女はまるで銀幕ぎんまく女優ヒロインだ。

 ふと、懐かしい気持ちがよみがえる。

 見た目も、雰囲気も、性格も全然違っていたけれど、俺が画面越しに恋した女の子は確かにそこにいた。


 まぁ、要するに、ぼっちに優しいギャルは存在した。

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