第15話 初恋と甘々③

 夕方のスーパー。

 店内は人込みで溢れ、活気に満ちている。とりわけ、夕暮れ時はその日一番の賑わいを見せる。それは本日が週に一度の特売日だからに他ならない。

 「へぇー、テツロー君がご飯作るんだ。今日の晩御飯ばんごはんは何にするの?」

 「それがまだ決まってなくてな」

 俺は買い物かごを片手に野菜コーナーを見て回る。リリアナのせいで昼は肉中心になりがち。夜はなるべく野菜も取りたいが、これは……。

 「ねぇねぇこれは。キャベツがなんと一玉三百円。お買い得ですぞ」

 「いや、それは全然お買い得じゃねぇ……。むしろ高いぞ」

 俺がジト目で見ると、つばきはがくりと肩を落とした。しかしすぐさま笑顔を取り戻し、次の野菜に手を伸ばす。

 「じゃあこれは。トマトがなんと三個で三百円。今夜はトマトパスタなんていかがかな?」

 つばきはトマトを顔に寄せて、さわやかな営業スマイルを向ける。なにその自撮りテク、映え映えじゃん。

 「うーん、でもな。一個百円切るときあるんだよなぁ」

 「細かっ! テツロー君、細かいよ。そんなんじゃ女の子に嫌われるよ」

 「うるせぇっ! お前だって何が『なんとっ!』だよ。全然びっくりしねぇお値段だよ。店の回しもんかお前」

 つばきはぷんすか怒りながら、ふくれっ面をしている。そんな可愛い顔したって駄目なものは駄目だ。俺の財布の紐は固い。

 「……女子高生に野菜の詳しい値段なんてわかんないよ。むしろ、テツロー君詳しすぎでしょ。あっ、ちょっと来てっ!」

 つばきは突然、俺の腕に抱きついて、ぐいぐい引っ張る。俺は肘の先に柔らかな感触を覚えつつ、彼女の横を歩く。

 こいつ、教室でもそうだったが、初対面の男にやたらボディタッチ多いな。まぁ、いきなり関節極かんせつきわめてくる女よりマシだが。健全な男子高校生は勘違いしちゃうぞ。

 それにしても、最近の女子高生はなんでこうも発育が……。ブレザーで隠れているが、もしかしてリリアナと同等か? あいつのせいで俺のおっぱいスカウターは向上しているらしい。

 そんなことを考えていると、彼女は瞳をかがやかせて、じゃがいもコーナーを指差す。

 「じゃがいも四個で九十八円っ! どうかな、どうかな?」

 「うおっ、四個でこれはめちゃくちゃ安い。買いだ、買いだっ!」

 俺は興奮気味にじゃがいもを品定しなさだめする。不意に、つばきは俺の肩に頭を乗せて身をゆだねる。それから、耳元でささやくように告げる。

 「……ねぇ、私たち、新婚さんみたいだね」

 俺は彼女の言葉にすっかり狼狽うろたえてしまい、咄嗟とっさに腕を振りほどく。心臓はバクバクの爆発寸前だ。

 「ばっ、ばっ、ばっか。学生婚にしても俺たちはまだ年齢的に結婚できねぇよ……」

 「あはは、なに真面目に答えてんの。テツロー君、面白い奴だね」

 「こ、この野郎……」

 しどろもどろに答える俺を見て、つばきは面白おかしく笑っている。……この女、小悪魔系女子ではない、本物の悪魔だ。

 まぁでも、こうやって誰かと買い物するのは久しぶりだ。母さんは面倒くさがりで付き合ってくれないし。二人で冗談言いながら買い物するのも悪くない。……独りでノリツッコミは急にむなしくなるからね。

 店内から陽気な音楽が聞こえてきた。これは今から始まる聖戦の合図だ。

 「……つばき、そろそろ時間だ。行くぞ」

 「テツロー君、行くってどこに……」

 俺はじゃがいもを置いて、真っ直ぐに歩みを進める。つばきは怪訝けげんな顔をしながらも、俺の後に続く。

 辿り着いたのは精肉コーナー。続々と歴戦の猛者もさたちが集まってくる。周囲は既にロープパーテーションで仕切られており、ポジション取りが始まる。この場は異様な雰囲気に包まれていた。

 「うわ、人が増えてきた。テッ、テツロー君、一体何が始まるの?」

 「なにって、見ればわか――」

 バックヤードの扉が開くと、店員が台車を押してやってくる。台車の上には、本日の特売品、国産黒毛和牛がぎっしりと並べられていた。

 その瞬間、ざわめきと共に、後ろから人混みが雪崩なだれのように押し寄せる。

 「テツロー君っ!」

 「つばきっ!」

 俺とつばきは互いに手を伸ばす。かすかに触れた指先は思い虚しく離れていく。俺たちは呆気なく人波に飲み込まれた。

 だが、そんなことはお構いなしに、マイクを持った中年の男性店員は声高々に宣言する。

 「それでは本日の特売品、国産黒毛和牛。百グラムなんと三百円っ! スタートですっ!」

 開始のゴングと共に、店員によって手際よくロープが外される。こうして、戦いの火蓋が切られた。

 俺は人の波に乗りながら、なんとか売り場までたどり着いた。これも計算されたポジショニングがなせる業だ。

 「ちっ、未だにこんな前時代的な売り方しやがって。だが、値段は馬鹿にできない。母さんのためにもここは二パック確保を……」

 俺がパックを手に取ろうとした、その時である。

 「ぐわああああ――ッ!」

 後ろからゴッドハンドで首根っこを掴まれ、後ろに引きずり込まれる。

 ……き、来やがったな、バーサーカー。

 そうだ、こいつは人の矜持きょうじなんて持ち合わせていない。己のためならあらゆる手を使って、相手を蹴落けおとしにかかる。……まったく、たかが肉ごときで必死な奴である。

 「おいっ! 糞ババアっ! 前回といい、ふざけんじゃねぇぞっ!」

 俺は怒髪天どはつてんく勢いでババアに喰ってかかる。この顔、忘れもしない。先週も同じことやられたんだ。絶対に忘れてやらねぇ。だが、ババアはそんな俺を無視して肉をむさぼる。

 俺はこみ上げるいきどおりを抑えて、なんとか割って入ろうと試みたが、ことごとく押し返される。

 なんだ……、この肉壁は……。付け入る隙なんてありゃしねえ。

 結局、俺は先週と同じてつを踏み、すっかり周りから遅れを取った。こうなると負け戦、肉壁が去るのを待つだけだ。……お一人様、二パックまでだぞ。わかってんだろうな、こいつら。

 しばらく待つと人だかりが散っていく。俺は慌てて売り場を確認する。あれだけぎっしり並べられていた国産黒毛和牛は見るも無残、そこには一パックすら残っていなかった。

 俺はあまりの歯がゆさにその場で地団太じだんだを踏む。すると、中年の男性店員が声をかけてきた。

 「残念だったね。でも、これがうちのルールだから。また来週もあるから諦めずに頑張ってよ」

 「オ、オヤジ……」

 オヤジは慰めるように俺の肩をポンと叩く。新参者しんざんものの俺に声をかけてくれる。なんて優しい人なんだ。

 だが、今日の俺は別の手を用意してある。そうだ、つばきだ。クラスの中でもひときわ要領の良い、あのちゃっかり者なら……、つばきならなんとかしてくれる。

 「ふぅー。大変だったね、テツロー君」

 「つばき、お前もな。で、どうだったっ! 肉はゲットできたか?」

 俺は期待に胸を膨らませ、つばきに本日の成果を尋ねる。彼女はあっけらかんとした表情で飄々ひょうひょうと答えた。

 「えっ、ゲットも何も……。私は後ろでずっと見てたけど」

 「つばきっ! お、おれを……裏切ったなあぁぁぁっ――っ!」

 こいつ、参戦すらしていないだとっ! 一体、何しに来たんだよ。……返せよつばき、俺の期待を……返せよ。

 「……裏切ったなんて大袈裟な。たかがお肉くらいで何言ってんの、テツロー君」

 つばきはドン引きして、心底蔑しんそこさげすんだ目を向ける。たかが肉だと? くそ、されど肉なんだよ。こっちは少ない予算で切り盛りしてんだ。

 不貞腐ふてくされる俺を見て、彼女は呆れたように大きくため息をつく。

 「まったくもう……。ちょっと待ってて」

 つばきは何を思いついたのか、売り場を見渡して、肉の入ったパックをいくつか手に取る。すると、精肉コーナーに残っていた中年の男性店員と何やら談笑だんしょうを始めた。

 まぁ、冷静に考えてみれば、つばきが参戦したとしてもあの激戦の中で肉を手に入れる可能性はゼロに近い。合挽き肉でも買ってオムじゃがでも作るか。

 俺が本日の献立こんだてを考えていると、つばきがたったか走って戻ってくる。驚くことに、腕には半額になった国産黒毛和牛を数パック抱えていた。

 「お待たせ、テツロー君。はい、これ」

 彼女は俺のカゴに半額肉を入れる。俺は銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを押し上げて、肉を凝視する。外国産ではない、まぎれもない国産黒毛和牛だ。

 「いや、お待たせって……。凄いなお前、どうやったんだ?」

 「あのおじさんがおまけだって。お使いで買いに来たこと話したら偉いねって普通にシール貼ってくれたよ」

 オヤジぃぃぃぃ――っ! うちのルールはどうなったんだよっ! 俺なんて毎日お使いに来てんぞ。お利口さんだろ、半額にしてくれよ。

 しかし、この女。お使いなんて、ちゃっかり嘘ついてるし。さすが元女優、これが俺を、否、世間を魅了した演技力がなせる業か。

 こうして、俺たちの聖戦は、つばきのおかげで大勝利を収めた。

 店内を回り終えて、レジに並ぶ。

 「悪いな、つばき。最後まで連れ回しちまって」

 「ううん、私も楽しかったし。気にしないで」

 あの後、お一人様数量限定品まで買い漁り、一緒に並んでもらっている。ほんと、つばき様には感謝しかない。マジで良いやつだ。

 「あっ、すみません。この分は別払いで」

 俺はリリアナから受け取ったカードを財布から取り出す。これが所謂いわゆるブラックカードってやつだろう。現金払いは面倒だからと渡された。俺が善人だからいいものを、こんな簡単に他人に預けるなんて危機感が無さすぎる。まあ、俺にとっての大金なんて、あいつにとっては端金はしたがねなのだろう。

 「ねぇ、なんで別払いなの?」

 つばきは不思議そうにカードを見つめている。どこから話せばいいのやら、いろいろ面倒だし誤魔化すことにした。

 「まぁ、いろいろあんだよ」

 「ふーん、いろいろね」

 一瞬、つばきはひどく冷たい目をしていた。俺は背筋がぞっとして、思わず話を逸らす。

 「そ、それにしても、お前のおかげで今月の宇佐見家は黒字間違いなしだよ。何かお礼しないとな」

 俺が笑ってごまかすと、彼女はしばし沈黙したのち、にこりと笑みを返す。

 「じゃあさ、晩御飯ばんごはんご馳走してよ。私も食べてみたいな、テツロー君の手料理」

 つばきはいつもと変わらぬ素敵な笑顔だ。

 そのはずなのに、俺の心はちっとも休まることなく、ゾクゾクっとも言われぬ興奮を覚えていた。

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