第14話 初恋と甘々②

 放課後の帰り道。

 俺は今、中原椿希なかはらつばきと一緒に下校をしている。テレビの向こう側にいたあの朝ドラ主演女優である。

 もう、死んでもいいくらい幸せだった。いや、これはたちの悪い夢かもしれない。それでも、夢を見ながら死ねるなんて幸せだよね。俺はギュッと頬をつねり上げる。痛みはある。

 これは紛れもない現実だ。だが、同時に違和感もある。

 「いや~、高校に入学してから誰にもバレてなかったのにな。宇佐見君、よく気づいたね。今の私、あの頃と全然印象違うと思うんだけど」

 彼女は照れ臭そうに頭をかきながら、小さな舌を出して笑った。

 そう、あの頃とはまるで雰囲気が違う。小学生の頃、俺の目を釘づけにした彼女は黒髪ロングに子供ながら清楚な淑女しゅくじょという印象だった。それが今や、派手な金髪にメイクを決めて、制服を着崩したリア充ギャルそのものだ。

 「あれ、もしかしてファンだったとか?」

 「……いや、たまたま主役やってた朝ドラ見たことあってな。記憶力が良いだけだ」

 「ほんとかな~。その割には、さっきすごく興奮してたじゃん。何ならサインあげようか?」

 彼女はニヤニヤしながら、からかうような口調で言う。サインはめちゃくちゃ欲しいけど、家宝にしたいくらいだけど、素直に認めるのは何だかしゃくだったので、俺はふいと顔を逸らしてしらばっくれた。

 容姿だけじゃない。イメージしてた性格もだいぶ違う。ドラマで演じた役柄に引っ張られて奥ゆかしい大和撫子やまとなでしこだと勝手に思い描いていた。

 なるほど、これが昔好きだった娘がすっかり様変わりしてショックを受ける、同窓会あるあるってやつか。俺の好みの女性はこの世からデリートされていたらしい。

 いや、違うな。そもそも存在すらしていなかった。違和感の正体や認めたくない理由はきっとこれだ。俺が憧れたあの娘は、ドラマの中だけの架空の人物なのだ。今になってこんな形で失恋の痛手を受けるとは思わなかった。

 長い夢から醒めた俺は、ぽかんと口を開けたまま、心はどこか上の空だ。そんな俺を見て、彼女は困ったような顔をして笑った。

 「……あはは、やっぱりテレビと全然違って幻滅しちゃったよね。よく言われたんだ。あのドラマの主人公って健気でおしとやかで、ほんと理想の女の子だよね」

 暗い表情を浮かべる彼女を見て、俺はあいつのことを思い出した。夕暮れの物置部屋で、仄暗ほのぐらうつろな目をしていたあいつだ。

 「いや、イメージや幻想っていうのはそういうもんだろ。いちいち本人に押し付ける奴がどうかしてる。ほら、ドラマの最後に必ずあるだろ? 『この物語はフィクションです』って。小学生でも知ってるぞ」

 俺は自らをいましめるように何度もうんうんと頷く。彼女は目をぱちぱちとまばたかせたのち、ふっと安心したように微笑んだ。

 「……そっか。そんなこと言われたの、初めてかな」

 それが女優という職業だとしても、勝手に期待されて、勝手に幻滅されるのはどれだけつらいのだろうか。母さんしか期待してくれる人がいない俺にはわからん。あのおばさんの中では、俺の株価は下落することなく、常にストップ高。いや、どんだけ親バカなんだよ。

 「そ、そういえば、中原さんって急にテレビから見なくなったような……」

 俺はかねてから疑問だった件について、それとなく探りを入れてみた。彼女はあごに手を当てて、しばし考え込む。

 「うーん、朝ドラで話題になったけど、その後はぱっとしなかったからね。芸能界はいくらでも可愛い子はいるから。私なんてその程度だよ」

 「そんなもんかね」

 彼女の中では既に終わったことなのだろうか、まるで他人事のように冷静に分析する。熱狂していた一ファンとしては、あまりの潔さに少しばかり寂しさを覚えた。彼女はこちらを一瞥いちべつすると、悪戯っぽく笑う。

 「まぁ、『学園の眠り姫』くらい美人さんだったら話は違うけどね。九條さん、別の世界の住人って感じだよね。まるでおとぎ話のお姫様」

 そう思ってた時期が俺にもありました。ほんのひと時だったけどな。転生する世界を間違えた異世界の覇者だよ、あいつは。

 「転校生の俺から見ても、あいつは色んな意味で目立つ存在だからな……」

 リリアナの無茶苦茶っぷりが走馬灯のように頭の中を駆け巡る。出会って二週間足らずでこれだ。あの女、どんだけ密度濃いんだよ。俺が頭を抱えていると、彼女は遠い目をしてぽつんと呟く。

 「……いや、宇佐見君もそうだからね」

 「俺が? 俺なんて存在感の欠片もないだろ」

 存在感なさ過ぎて、クラスでいないもの扱い受けてるし。あれ、もしかして俺ってイジメられてる? イジメ駄目、絶対。

 彼女は俺の反論を無視して、思い出したように手を叩く。それから、不機嫌そうな表情でこちらをじっと見つめた。

 「それはそうと、中原さんって……。宇佐見君、やっぱり私の名前知らなかったんだね」

 「は? 中原椿希なかはらつばきだろ。バッチリ覚えてたじゃん」

 俺の答えに彼女は盛大なため息をついて、がっくりとうなだれる。

 「それ芸名ね。じゃあ本名をどうぞ」

 彼女は俯いたまま手を出して、答えるように促す。しまったっ! そういうことかよ。くそ、思い出せ。なんか周りのうるせぇ奴らが言ってたはずなんだ。

 「……なっ、中条なかじょうつばさ?」

 「誰っ、それっ! 中条なかじょうさんもつばさちゃんも、そんな人はうちのクラスにいないよっ!」

 顔を上げた彼女は目を丸くして驚きの表情を浮かべる。マジかー、いたんだけどなー、アナザーだったかー。

 「あーあ、ショックだなぁ。せっかく勇気もって話しかけたのに。宇佐見君、クラスでじっと黙ってるからすごく不安だったのに」

 彼女は拗ねたように唇と尖らせて、そっぽを向いてしまう。

 「……わ、悪かったよ。でも、名前知らなくても仕方ねぇだろ。俺は転校初日に自己紹介したけど、クラスメイトから、そういったもよおしは一切なしだぜ」

 今さらながら、オリエンテーションすらなしってありえないだろ。担任仕事しろよ。あんただよ、工藤先生。

 少しは俺の事情を斟酌しんしゃくしてくれたようで、彼女は機嫌を直して、こちらに顔を戻す。

 「確かにそれはフェアじゃなかったかも。それじゃあ、はい」

 彼女は立ち止ると、俺の前に手を差し出す。いつぞやのトラウマが脳裏に浮かび、俺は思わず一歩、後ずさる。そんな俺を見て、彼女は心底不思議そうに見つめる。

 「ん? 初めましての握手なんだけど……」

 「……あぁ、すまん」

 俺は恐る恐る彼女の手を取った。二週間足らずで俺の身体に恐怖を植え付けるとは。リリアナ、恐ろしい女である。

 「二年一組、古賀つばき。つばきでいいよ。間違えて中原って呼ばれると私も困るし。ほら、呼んでみてよ」

 彼女の言う通り、俺の中では彼女は中原椿希なかはらつばきだ。万が一、俺のせいで元女優ということがバレてしまった場合、責任が取れない。好奇の目に晒されるつらさはただいま絶賛体験中。ここは彼女に従うのがベターだ。

 「つ、つば、つばきさん……」

 「私たち同い年なんだし。下の名前でさん付けしてたら逆に変な勘繰かんぐりされちゃうよ。ほら、呼び捨てでいいから」

 つばきさんは腰に手を当てて軽いため息をつく。確かに、親しいのか親しくないのか、わかんねーな。つーか、キョドリすぎだろ、俺。

 しかし、女の子を下の名前で呼ぶのがこんなに恥ずかしいとは。リリアナ? あいつはペットみたいな名前だし、例外だ。

 「……つ、つばき」

 「なにかな? テツロー君」

 つばきは小首を傾げてきょとんとした顔を作る。なんだこれ、めちゃくちゃ可愛い。

 しかし、女の子に下の名前で呼ばれるのがこんなに恥ずかしいとは。リリアナ? あいつは俺のことペットとしか思ってないから、例外だ。

 「それじゃあ、テツロー君。私が元女優だってことは二人だけの秘密だからね」

 「あぁ、わかって――」

 不意に、つばきの指先が俺の唇に触れる。その指先を自分の唇にそーっと寄せると、「ナイショだよ」とばかりに指を一本立てて、笑って見せる。

 ……あざとすぎるぞ、つばき。さすがにそれは、俺も胸がキュンキュンしちゃうよ?

 やれやれ、ようやく夢から醒めたと思っていたが、どうやら俺は新しい夢に迷い込んだみたいだ。夢幻無限むげんむげんループだ。

 とはいえ、夢みたいな帰り道も束の間、お別れの時間が近づいてくる。

 「すまん、つばき。俺、寄るとこあるからここで」

 ここから先は、主夫オレ戦争ケンカだ。

 「なになに、どこ行くの?」

 俺の行き先に興味津々のようで、つばきは目をキラキラさせて尋ねてくる。

 「期待してるとこ悪いが、ただの近所のスーパーだ」

 俺が淡々とつまらない事実を告げると、つばきは萎えるどころか、むしろノリノリの様子である。

 「なんだか面白そう。ねぇ、私もついてっていい?」

 「別に何も面白くねえ――」

 いや、待て、こいつがいれば……。俺は銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指先で押し上げ、一考する。それから、つばきに手を差し伸べる。

 「あぁ、俺にはお前が必要だ。つばき、力を貸してくれ。これは俺の……いや、俺たちの聖戦ケンカだっ!」

 「えっ? 近所のスーパーに行くんだよね……」

 つばきは何のことやらさっぱりのようで、言われるままに俺の手を取った。俺は彼女の手をぐいぐい引っ張る。

 「ちょ、ちょっとっ! テツロー君、落ち着いて。もうっ、強引すぎっ!」

 なんか凄い大胆なことしてる気がするが、今はそんなこと関係ない。

 俺はつばきという相棒バディを手に入れ、意気揚々いきようようと戦地に赴いた。

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