第13話 初恋と甘々①

 放課後のホームルーム。

 クラスメイトの俺を見る目が以前と違う。どうやら俺こと、宇佐見哲郎うさみてつろうは『頭のおかしなぼっち』から『眠り姫の下僕げぼく』にジョブチェンジしたらしい。

 眠り姫とはもちろん、我らが暴君、リリアナ・九條・ダリ。噂話に耳を傾けると、俺が北棟に足繁あししげく通っていることは周知の事実のようだ。傍から見れば毎日せっせと弁当を運ぶ召使なのだろう。

 それにしても下僕げぼくは酷い。せめて『眠り姫の騎士』とか、もっと他にあるだろ。まあ、俺は召喚に応じて参上もしないし、あいつは俺のマスターでもないけど。

 原因は間違いなくあれだ。先日、俺はほんの出来心でリリアナと鬼ごっこに興じた。悪鬼あっきに捕まった俺は、その場で土下座を強いられた。すると、彼女は満足そうに俺の背中に座る。公衆の面前で人間椅子という、人の尊厳そんげんを踏みにじる悪辣あくらつ極まりない行為だ。あの女、ちょっとからかっただけなのに、倍返しどころではない。

 かくして、俺が好奇の目に晒される中、ホームルームは一向に進展を見せない。俺は机に頬杖ほほづえをついて、教壇きょうだんに立つ工藤先生をぼーっと眺めていた。

 「……できれば、立候補した者に任せたい。クラス委員と言ってもそんな大層なものではない。放課後、たまに雑務を行うだけだ。男女一人ずつ、快く引き受けてくれる者はいないか?」

 工藤先生のお願いにクラスはシーンと静まり返る。先生はうんざりした顔で髪を掻き上げた。

 なに、この時間。意味あんの? 誰もやりたい奴なんていねーだろ。時間の無駄だ。

 先生は教壇きょうだんを指でトントン叩いて、怒りのビートを刻んでいる。瞬間、心重ねて。俺はリズミカルに机を叩いて、先生と完璧なユニゾンを魅せる。おっと、これはなかなかのじゃじゃ馬だぜ。

 俺が暇つぶしにリズムに乗っていると、不意に工藤先生と目が合う。先生は指を止めて、こちらをギロリと睨みつける。それから、沈黙を破って、口を開いた。

 「今日はこれまでだ。来週のホームルームでもう一度確認をする。しかし、このままだと私のほうで指名することになりそうだ。たった今、暇そうな男を一人見つけたんでな」

 先生は俺に嗜虐的しぎゃくてきな笑みを向ける。俺はびくっと肩を震わせ、目を伏せた。先生が教室を後にすると、先ほどまでお通夜のようだったクラスに活気が戻る。

 おいおい、嘘だろ。クラス委員なんて雑用はリア充カップルにでもやらせろよ。どうせあいつら放課後イチャイチャしてんだろ。俺なんて選んだら女の子一生決まらないよ。指名拒否されるよ? ……自分で言ってて悲しくなってきた。

 それに俺は放課後、大事な用がある。家計を管理する主夫にとって夕方のスーパーは毎日欠かせない。とりわけ、本日は週に一度の特売日。今日の戦利品で週末の晩餐ばんさんが決まる。これは俺にとっての聖戦なのだ。あのルール無用の糞ババアもとい、バーサーカーめ。今日こそは約束された勝利を我が手に。

 俺は帰り支度じたくを整えて席を立つ。いつも通り、忍び足で騒がしい教室を立ち去ろうとした、その時である。

 「よっ! 今日は大きいお弁当じゃないの?」

 「うおっ!」

 軽快な声と共に不意に後ろから背中を叩かれた。結構強めで若干イラッとした俺が振り返ると、そこにいたのは一人の少女だった。

 金髪のショートヘア。愛らしい顔をした彼女だが、シンプルなナチュラルメイクでどこか他のクラスメイトよりも大人びて見える。

 俺は彼女を知っている。

 転校して数日で、このクラスの中心が彼女だとわかった。教室に居れば、愛嬌あいきょうのある笑い声が嫌でも耳に入ってくる。彼女の周りには常に人で溢れていた。リリアナとは違った意味で彼女もまた、人を惹きつける魅力の持ち主である。俺とは対極にいる人間。つまり、俺の苦手なリア充だ。

 まぁ、これだけ語った彼女の名前を俺はまだ知らない。なんか急に話しかけてきて怖いし、カツアゲされる前にテキトーに会話して逃げ切るか。

 「ああ、あの日はスペシャルデイでな。やっぱり毎日はエブリデイだよな。それじゃっ!」

 「ちょ、ちょっと待ってっ! ぜんぜん意味わかんないよ」

 奇遇だな、俺も意味わかんないよ。リア充の会話ってカタカナ多めでこんな感じだろ。

 彼女は一人慌てふためていると、突然納得したようにうなずく。

 「へぇ、宇佐見君も冗談言うんだ。……あっ、もしかしてあの重箱じゅうばこも一発ギャグだったりする? やっぱりツッコミ入れたほうが良かった?」

 「そこまでギャグに命かけてねぇよっ! つーか、やっぱりってなに、クラスでそんな風に思われてたの? どんだけ滑り倒してんだよ」

 ある意味、頭のおかしなぼっちより痛すぎる。俺は恥辱ちじょくに耐えかね、両手で顔を覆う。彼女はそんな俺を指差して、腹を抱えて笑い出した。

 「あはは。なんだ宇佐見君、結構喋れる奴じゃん」

 彼女は涙を指でぬぐうと、笑いながら俺の肩をバシバシと叩く。

 「……悪いかよ。そりゃ話しかけられたら喋るわ。ロボットじゃねーんだから」

 このパワハラ女が……。さっきから人の身体をぽこスカ叩きやがって。地味に痛いんだよ。これでも血の通った人間だぞ、俺。

 しかし、この学園の美人は暴力振るう奴しかいねーのかよ。工藤先生、話が違うじゃねーか。いや、あんたもだけど。

 俺は敵意を込めた目でパワハラ女を睨みつけた。彼女はぱっと肩から手を離して、申し訳なさそうに両手を合わせる。

 「あっ、ごめんね、そういう意味じゃないんだ。宇佐見君、特待生だし、硬派で真面目な人なのかなって。ほら、インテリ系というか、眼鏡かけてるし」

 ほぉ、この眼鏡の良さがわかるとは。こいつ、なかなか話のわかる美人さんじゃないか。俺は自慢げに銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指で押し上げる。

 「それに、さっき工藤先生にすごい睨まれてたでしょ。なにかしたの?」

 彼女は明るい髪を耳にかけて、上目づかいにこちらを覗き込む。その仕草に、俺は思わず胸をドキリとさせる。

 「あ、あれは……。あの先生、ちょっとおかしいんだよ。俺を時々、親の仇みたいな目で睨んでくるから。生徒を見る目じゃない。それにこの間は頭皮をむしられるわ、お茶ぶっかけられるわ、拳骨喰らうわ。ほんと散々な目に……」

 俺は胸の高鳴りを誤魔化すように、ぶつぶつと喋り続ける。彼女はぽかんとした顔で俺を見つめていた。すると、口に手を当て、小悪魔めいた笑みを漏らす。

 「……やっぱり、宇佐見君って面白い奴だ」

 いや、やられる方はちっとも面白くねーぞ。

 つーか、こいつ、俺の名前覚えてるんだな。転校初日にぼっちと化してから、クラスで一言も発してないのに。あれ、最近のロボットのほうがよく喋るんじゃないか。俺のコミュ力は二進数以下か。

 それはさておき、会話の最中に今さら名前知りませんでしたとは言いにくい。まあ、こういう時は先人の知恵を借りるに限る。

 俺は頭を掻きながら、ヘラッと笑顔を作って決まり文句を口にする。

 「そういえばさ、名前なんだっけ?」

 「えっ……」

 これまでの和やかな雰囲気が一変して、彼女の顔には失望の色が浮かんだ。

 ちっ、ここで名字が返ってくるのが定番じゃないのかよ。誰だよ考えた奴、くそ使えねーなこれ。このまま沈黙しても状況が悪くなる一方である。俺は諦めて次の手を打った。

 「あっ、違うよ。名字じゃなくて下の名前ね。漢字ど忘れしちゃって」

 俺が取り繕うように言うと、一瞬はっとした彼女はニヤリと笑って答える。

 「あ~、そういうことね。えーと、花の椿つばきに、希望の希……」

 「えっ?」


 ――その言葉に、ある記憶が蘇る。


 「なーんてね、残念でした。平仮名なんだな、これが。宇佐見君、詰めが甘かっ――」

 彼女の声を聞くたびに、その記憶はより鮮明になっていく。

 昔、馬鹿みたいに必死だった。家に帰ればテレビにかじり付いてたあの頃だ。派手な金髪にメイクを決めて、面影なんて欠片ほども残っちゃいないけれど。

 それでも俺は彼女の名前を知っている。


 ――君の名は。


 「中原椿希なかはらつばき……」

 「ええっ!? ち、ちがうよ。私は……」

 先ほどまでの余裕の笑みはすっかり消え去る。彼女はぶんぶんと手を振り否定した。その姿を見て、俺は確信を得た。ひどく興奮した口調で彼女を攻め立てる。

 「嘘だっ! この俺が見間違うはずがないっ! 中原椿希だ、中原つばっ――」

 瞬間、彼女の手が俺の口を塞ぐ。彼女は心底慌てた様子で耳元で囁くように懇願こんがんする。

 「ストップ、ストップ。駄目だって、お願いだから……」

 俺は我に返り、周囲を見渡すとクラスの視線は俺と彼女に集まっていた。彼女も顔を真っ赤にして目をうるませている。ちょっと、待て。これが生の中原椿希、凄く近いしすっごく可愛いぞ。つーか、俺の口に彼女の手が……。やばい、夢みたいだ。俺は半ばパニックを起こして、過呼吸になる。

 「……ついてきて」

 彼女は俺の口に添えた手を離す。それから、うつむきがちに俺の手を取った。ぼんやりとした意識の中で、わけもわからず彼女に付き従う。


 こうして俺は、画面越しに見ていた初恋の女の子に連れられて、教室を後にした。

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