第12話 暴食と青春⑤【完】

 夕暮れ時。

 ふと、窓の外に目をやると、空一面に夕焼けが広がっている。まるで血のように赤く染まった空は、俺にとって不吉な前兆ぜんちょうのように思えた。

 編入試験で使用した対策ノートを机いっぱいに広げて、読み返すこと数時間。

 ぜんっぜん終わらねぇよ……。終わらな過ぎて笑いが出そうだ。……いや、ヤバ過ぎて、笑いすら起きない。

 俺は重厚じゅうこうな椅子にぐったりと身体を預ける。くるくると椅子を回転させて、力ない目で天井を見上げた。

 いや、これ半日とか関係ないでしょ……。無理だよ、無理ゲーだよ。つーか、実力試験なんだから実力で勝負しようぜ。……みんな勉強しないで、頼むから。

 「ふわあぁ。テツロー、勉強は順調か?」

 俺ががっくりとうなだれていると、リリアナはベッドから起き上がる。んんっと両手を突き上げて大きな欠伸あくびをすると、気怠げな表情でソファに腰を掛けた。

 ……こいつ、何時間寝てんだよ。幼稚園でもお昼寝タイムはこんなに長くねぇぞ。赤ちゃんかよ。

 俺がぶつぶつと文句を垂れていると、リリアナはこちらをじっと眺めていた。

 「なんだよ……」

 「別に」

 この女、俺の状況見て笑ってやがるな。マジで性格悪い女だ。ほとんど八つ当たりのような怒りをぶちまけながら、俺は彼女に喰ってかかった。

 「お前は試験勉強はいいのかよ。それに工藤先生から渡されたレポートはどうした」

 「実力試験なのだから、実力で受ければいいだけだ。わざわざ勉強する必要がない」

 そうだよねっ! 全員お前みたいに頭がハッピーなら世界に争いなんて起きないのに……。

 「それにレポートは昨日終わってキョーコに提出済みだ」

 「はあ? 嘘つけ。あんな紙束が一日で終わるわけねぇだろ」

 俺の声には少しばかり苛立ちが混じっていた。その様子を見かねたようで、リリアナはやれやれとばかりに肩をすくめる。

 「落ち着けテツロー。こんなつまらないことで嘘をついてどうする」

 お前さっきつまらん嘘ついて大惨事だいさんじだったじゃねえかっ! まぁ、でも様子を見るに本当なのか? 俺が疑いの目を向けると、リリアナはむっとした表情でこちらを睨んだ。

 「なんだその目は。ちょっとそのノートを貸せ」

 彼女はソファから立ち上がると、机に広げられたノートを奪い取った。身軽な動きで机の上にひょいと座ると、ペンを手に取ってノートをぱらぱらとめくっていく。

 「ほぉ、上手く纏めてあるじゃないか。こことここをやっておけば明日の試験は問題ないだろう」

 時折、手指てゆびでペンを回しながら何か走り書きしたと思うと、ぽいと投げ捨てるようにノートを置いた。俺はそれを拾い上げて、中身を確認する。

 「……なんかすごくそれっぽい。お前、もしかして馬鹿じゃなかったのか?」

 「相変わらず失礼な男だな、お前は。こんなもの私にとっては朝飯前だ」

 リリアナは縦に巻かれた髪をさっと払うと、ふふんと自慢げに大きな胸を張る。

 俺の前途に一筋の光明が差した。おうかがいを立てるような目で彼女を見つめる。

 「……リリアナ、他の教科もいけたりするのか?」

 「なんだって? よく聞こえないな」

 ああ、初対面で泣かされたから身に染みている。この女は自分は尊大な態度取るくせに、他人の礼儀作法には一切の妥協を許さない。

 俺は椅子から立ち上がり姿勢を正す。咳払いをして少し間を置くと、真っ直ぐ彼女を見て深々を頭を下げた。

 「リリアナ様、俺に勉強を教えてください。お願いします」

 「……まぁ、仕方ない。テツロー、礼は高くつくぞ」

 リリアナはふうと軽くため息をつくと、意外にもあっさりと承知した。つーか、結局俺が様付けしてんじゃん。でもまあ、背に腹はかえられない。

 彼女はほんの数分でノートを読みつつ書き込みを終えると、次の教科に手を伸ばす。俺の半日の努力がこいつにとってはたった数十分か、軽くへこむわ。だが、ほんとに信じていいんだろうな、リリアナ様……。

 「しかし、お前どうやって予想してんだよ。俺には全くわからん」

 俺は机に頬杖ほほづえをついて、彼女を眺める。それを聞いたリリアナがこちらを一瞥すると、くすっと笑う。

 「真面目くんだな。ヤマを張れ、ヤマを。人生はテキトーくらいが適当なんだ」

 お前はテキトーすぎるだろ。明らかに加減を間違えてるよ。しかしこの女、頭まで冴えてるとはいよいよもって完璧超人か。でも、だったらなんで――。

 ――そうだ、これは一時の気の迷いに違いない。俺は思わず彼女に問うてしまう。

 「……お前、なんでこんな埃まみれの部屋で引きこもってるんだ? その容姿で頭も良くて、運動だってできるだろ。俺が言うのも何だが、すげぇ青春の無駄づかいしてんぞ」

 リリアナはふと手を止めると、机から降りて窓際に向かった。しばしぼんやりと窓の外を眺めていたが、不意にこちらを振り返る。

 「なあ、テツロー。青春ってなんだろうな」

 彼女は消え入りそうな声でそう呟いた。沈みゆく夕日を背に、はかなげな笑みを浮かべている。その微笑びしょうは今まで彼女が見せたどんな顔より美しかった。

 「こんな私でも少しは期待していたよ。高校生になったら少しは世界が変わるんじゃないかって。結婚だってできる年齢だ。いい大人だよ」

 それは違うと思うが。高校生なんてまだまだ子供だし、なんなら大学生だってそうだ。まあでも、俺とこいつは住む世界が違う。彼女が住む世界の常識は俺にはわからない。

 「それがどうだ。中学と何ら変わらないどころか、ガラクタどもは純粋さを失って陰湿いんしつさに磨きがかかると来たものだ。そんなゴミ山で過ごすなら、一人でこの部屋にいたほうがよほど充実した学園生活と言える。この一年間で私は確信したよ」

 彼女はそう言うと、どこか仄暗ほのぐらうつろな目をしていた。それはきっと、彼女が出した諦めにも似た結論なのだろう。

 「まあ、お前の結論は俺もめずらしく一言一句、同意するぜ。俺だって転校初日からぼっちになるような人間だしな。今までどんな学園生活過ごしてきたか、想像はつくだろ?」

 俺が自嘲気味じちょうぎみに笑うと、彼女も同じように笑った。

 「……でも、本当にたまにだけど思うんだよ。いちいちくだらねぇことで馬鹿騒ぎしてる奴ら見て、うるせえ死ねと思う反面、こいつら今、青春してんだなって」

 どうにも悪い癖が抜けきってない。また、思い出して後悔するんだろうな。

 ――まるで、すべてを悟ったかのような顔しやがって。似合わねーんだよ、そんな顔。

 「そいつらはそんなこと考えてすらいないと思う。きっと当人たちにはわからねぇんだよ。そして終わってから気づくんだ。あー、あの頃は楽しかったな、とか」

 俺は真っ直ぐに彼女を見据えて、こそばゆい台詞を吐いてみせる。

 「たぶん、それが青春。それがほんの少しだけ羨ましいと思わない……こともない」

 「そうか……」

 リリアナはしばらく、窓に映った夕焼け空をじっと見つめていた。先ほどは不吉な前兆ぜんちょうにしか見えなかった空が、今は美しいとさえ思える。所詮しょせんこんなものは人の捉え方次第なんだ。

 

 ――だったら。

 ――だったら、リリアナ、お前だってさ。


 「……なあ、テツロー」

 「あん? なんだよ」

 彼女は顔をこちらに向けると、ふっと優しげに微笑む。俺はそんな彼女に心底見惚れるばかりだ。

 「明日の弁当は二食分で頼む」

 「…………ああ、そうだな」

 こ、この女、せっかく俺が良いこと言ってたのに、人の話なんて聞いちゃいねぇ……。これじゃあ、ただの赤っ恥じゃねぇか。ほんと、可愛くねえっ!

 

 × × ×

 

 実力試験、結果発表当日。

 教室棟の廊下には上位百人の名前が張り出される。

 「よしっ! 九十八位だっ!」

 点数も自己採点とほぼ同じ。これなら平均点を下回ることはないだろう。

 驚くことに、リリアナの予想はほぼ当たった。おかげで試験中は時間が有り余り、その場で小躍りしたい気分だった。でも、ということはリリアナも当然――

 「――オ、オール満点……。なんだ……これは」

 いやいや、もう無茶苦茶だな。サボリ魔が学年一位って、そりゃ教師も文句言えないわ。……しかし、平均九十五点オーバーで二位の人、かわいそかわいそ過ぎない? 大丈夫なのですよ、二位でもいいんですよ。

 不意に、人だかりの向こうから喚声かんせいのようなざわめきが聞こえてくる。

 人ごみの中から颯爽登場したのは、なんと銀河美少女リリアナだった。いつものように制服を着崩した彼女は、真っ直ぐとこちらに向かって歩いてくる。

 「テツロー。試験はどうだった?」

 リリアナを起点に人ごみが割れて道が出来ていく。なんだこれ、モーセの海割りじゃん。こいつの存在は神話クラスかよ。

 「ああ、おかげさまでな。しかし、お前、やっぱりとんでもないな」

 愕然がくぜんとした俺はまじまじと彼女を見つめる。リリアナは冗談めかして、くすくすと笑った。

 「私も驚いたよ。お前がここまで周りに避けられてるとは」

 「違ぇよっ! どう見てもお前だろうが。そもそも、俺はそこまで周りに認知されてねぇよ」

 俺たちの会話に周囲がざわくつ。何度も聞こえてくる「眠り姫」という言葉に、俺はいつぞやの消したい記憶がよみがえる。ばつが悪くなり、思わず目を伏せた。

 「お、お前、『眠り姫』って呼ばれてるのな……」

 俺のポエムの中だけだと思ったけど。まさか聞かれてたんじゃ……、いや俺は口には出してない。出してないよな?

 「ああ、一年生のとき教室でずっと居眠りしてたら、いつの間にかな」

 俺はほっと安堵あんどの息を漏らす。でも、ほんと美人は得だな。誰か叩き起こせよ。

 「まあ、『眠り姫』なんて、この私のみてくれだけで広まった通り名だよ。全く、久しぶりに出てきて見れば、相変わらずこれだ……」

 リリアナはぼーっと暗い目をして、人ごみを見つめている。

 こいつは幻想やイメージで語られるのを極端に嫌っている気がする。

 ――だったら、俺がお前に名前をさずけよう。特別な名だ。

 「そうだな。お前は『眠り姫』なんかじゃない。我が学園の『姫』だよ」

 「なんだ、テツロー。お前もようやくこの私の――」

 一瞬はっとした彼女は俺の意図に気づいたらしく、こちらを恨めしそうに見ている。そしてすぐさま、俺のすねを目掛けて蹴りを放った。

 「いっってぇなっ! 蹴るんじゃねぇよ!」

 すねはやめろ、すねは。廊下で転がりまくってやろうか、この野郎。

 「テツロー、今のはどっちのだ? さあ、言ってみ――」

 俺はリリアナを無視して、一目散に走りだす。呆気にとられた彼女を尻目しりめに、捨て台詞を吐いてみせる。

 「馬鹿めっ! 部屋の埃に決まってんだろうがっ!」

 「ほぉ、その言葉確かに受け取った。お礼は部屋の掃除で決まりだぁ――っ!」

 リリアナは凄まじい殺気を放ちながら、全力疾走で追いかけてくる。

 ……こ、こいつ、めちゃくちゃ足はええっ!


 こうして、一分も経たないうちに捕えられた俺は、廊下に転がるどころか、頭を擦り付けるはめになった。

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